2. アリスはエイダ? それともメイベル?
第一節で触れた体の大きさの変化よりも、アリス当人にとって、同一性を揺るがす重要なファクターとして『アリス』において象徴的に描かれているものは、アリスによる詩の暗誦であろう。アリスは作中で何度か詩を暗誦する。しかし、アリス自身も認めるし、他のキャラクターも指摘することであるが、その詩はことごとく間違って暗誦される。第二章ではそれに加え、「四かける五は十二、四かける六は十三、四かける七は……」と間違った計算を続け、「ロンドンの首都はパリで、パリの首都はローマで、ローマの首都は……」とまた奇妙な間違いを犯す。アリスの持っているはずの様々な知識は、いつの間にかすべて誤って思い出されてしまうのである。それゆえ彼女は、自らの知識のなさから「やっぱりメイベルに変わっちゃった」と彼女は結論付けるにいたった。ここでのアリスの思考を少し整理しておこう。
アリスは「エイダとは髪質が違うし、メイベルよりも知識がある」から、アリスはエイダでもメイベルでもなくアリスであると信じていた。だが、アリスの知識はいずれも正しくない。すなわち、アリスは知識のない状態に陥ってしまった。知識がないという点で今のアリスとメイベルとは同じである。それゆえアリスはメイベルである。このアリスの思考を三段論法の形に整理すると以下のようになるだろう。
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メイベルには知識がない。
ところで今の私は知識がない。
したがって今の私はメイベルである。
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およそこういった三段論法がアリスの中で働いていたのだろう。これは明らかな誤謬推理で、「雪は白い。ところで砂糖は白い。したがって雪は砂糖である」というような推論と同じであろう。
私たちはこういった推論をするアリスをみて子供っぽいと面白がるのだが、その背後には、「個体 individual は知識量や髪質のような偶然的な性質にはまったく依存しない」という直観が働いている。つまり、特定の性質は、例えば「エイダは巻き髪の女である」というしかたで「個体」を代表して示すことができるが、「エイダとは巻き髪の女を指す」というように、「個体」と「偶然的な性質」とを同一視することはできないはずだ、という考えを、哲学的な知識や思考以前に私たちは持っているだろう。ここでのアリス的な思考を宗宮喜代子の『ルイス・キャロルの意味論』という本における議論を借りて纏めれば、アリスは(あるいはルイス・キャロルは)「猫」という一般名が「然々の可愛い動物」を意味するようなしかたで、本来は指示機能しか持っていないはずの固有名に関して、「エイダ」は「巻き髪の女」を意味し、「メイベル」は「知識のないおばかな女」を意味するという思考を推し進めているのである。アリスの誤謬推理はここに由来すると言えるだろう。
さて、アリス的な思考からもう一歩進んで考えてみよう。「メイベル」という名の意味を、単に「知識のない女」だけでなく、メイベルについて真になるようなすべての述語の連言であると考えてみるとどうだろうか。例えば、「知識のないおばかな女」、「みすぼらしいお家に住んでいる」、「おもちゃなんかほとんどない」等々、メイベルについての正しい記述は無数に見つかるだろうが、それらすべての組み合わせたものを「メイベル」という名の意味と考えるわけである。そしてアリスもたまたま「知識のないおばかな女」で「みすぼらしいお家に住んで」いて、「おもちゃなんかほとんどな」く……と、メイベルについて正しいすべての記述を真にするとき、アリスはメイベルだろうか?
これは哲学的には「束理論」bundle theory と呼ばれているもので、西洋中世にはすでにこのような考えが提出されていた。「知識のないおばかな女」、「みすぼらしいお家に住んでいる」、「おもちゃなんかほとんどない」等々の述語を束にすると、「メイベル」という唯一の個体を指示することができるはずだ、という理論である。
多くの場合、束理論はあまりいい理論としては受け入れられない。それはアリスが構成したと考えられる「今の私はメイベルである」という三段論法から分かるだろう。いくら述語の数を増やしてみても、話は同じで、「メイベル」という固有名が意味する述語の束と、まったく同じ述語の束を意味する「アリス」という固有名が存在する可能性を拒否できないのである。そのような「存在してもおかしくないアリス」を想定する限り、やはり「アリスはメイベルである」という奇妙な帰結が生じてしまう。束理論は全く同じ性質を有する二つの個体を許容することができない。たまたまアリスとメイベルの有する性質がすべて同じであるということによって、〈アリス〉という同一性が侵食されるという、直観に反することが生じてしまうのである。
このように、アリスの「子供っぽい」推論がうまくいっていないことが直観的に見て取ることができることから明らかなように、同一性を有する個体を述語の束や性質の束として考えることを正当化することは不可能であるか、あるいは非常に困難である。〈アリス〉という同一性が、本来的に、髪質や知識の量、あるいは体の大きさなどでは定まらないように、そうした性質をいくら集めても決して到達され得ないものなのである。それは、アリスの持つ性質が多少、あるいは大きく変化したとしても、決して揺るがないような強固なものなのである。
以上で見られたとおり、『アリス』第二章におけるアリスはある種の束理論を支持していたと言えるだろう。だがこのことは決して『アリス』全体において彼女が束理論支持者であったことを意味しない。むしろアリスはこの物語の多くの箇所では束理論的に思考していないようにも読み取れる。第二章のような束理論によるならば比較的簡単に解答できそうな問いに、彼女が答えあぐねる場面が何度も登場するからである。以下、第三節では『アリス』の物語に踏み込んで、"Who are you?" という問いと "What's your name?" という問いに対するアリスの態度から、『アリス』における「名前」と「同一性」との区別を見よう。
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