2-20 切り裂き魔との対峙
「どうして私がここにいることがわかったの?」
「巻下さんの奥さんから電話があったんだ」
ああ、そういうことか……帰ったら謝らないと。
「でも電話を受けて、車でもこんなに速く来られないでしょ? 一体どうやって来たの?」
「奥羽山脈を走って越えてきた」
え? 何を言ってるのこの人。
「いや、冗談じゃなくて……魔法を使って来たんだ」
「魔法? この世界で魔法を使ったの?」
「それが使えたんだよ。俺の使える魔法は知っているな。燎化という、身体能力強化みたいなものだ」
炎を圧縮し、溶岩のようなドロドロした液体を膜で包む。それを血管みたいに延ばしたものを焔(えん)腺(せん)といい、これを自在に生み出すのが彼の基本的な戦術。そして焔腺を体中に這わせることで、体の各部分を活性化させて身体能力を爆発的に高める能力。これを燎化という。外から見たら、這わせた焔腺は血管が浮き出たみたいに見えるのだ。
「……いや、本当に無事でよかった」
「あ、待て。体に触らない方がいい」
「あち!」
手を取ろうとすると、僚真の体が熱すぎて思わず手を放した。走ってきて体温が上がったなんてレベルじゃない。まるで、起動しっぱなしのパソコンの裏を触っているような。
「わ、悪い。先に注意すればよかった」
「こんなに熱くなるのね」
「ところで、今は何をしているんだ」
「そ、そうだ。一旦離れた方がいい」
すぐさま思い出し、声がした方に向く。しかし、暗い森が広がっているだけで、声も光もない。大きな声を出してしまったが、こちらを追ってくる気配はない。
「私ね。ナイフを持った人間を追いかけてきたの」
「ナイフって……」
シャルルはこくりと頷く。
「この先に、健を切られた女性と犯人がいる」
「な! まさか……」
「おそらく、あの切り裂き魔の仕業だと思っている。ビデオも撮っていたし」
「まさか……日本に来たのか?」
「女性はまだ息があったの。だから、私は助けたい」
「……危険だぞ。警察に任せた方が」
「もちろんそうだけど、でもこのまま無事でいるとは限らない」
「相変わらずだな君は。何も変わってない」
そう言うと、彼は露出した腕を裏表にして見た。赤褐色の管は、もう無くなっていた。
「治まってはいるが、今だったら勝てそうな気がするな」
「勝てそうって、別に戦わなくても」
「まああれだ。このスマホで外部に電話をしてくれ」
手渡されたのは、梨花のスマホだった。
「そのまま持ってきてしまったが、役に立った。警察が来るまで、せめて時間を稼ごう」
「む、無理はしないで」
「いやいや。無理なんて全くしてない。人を助けるためさ」
そう言って堂々と、森の中を歩いて行った。
あなたもそうじゃない。私と一緒で変わってない。信条も、性格も、気質も、何も変わってない。
そうだ。そんなあなただから、そんな心根がわかったから、あの時好きになったんだ。種族の壁なんてたやすく飛び越えて、私はこの人についていこうと決めたのだ。
「私も行く。いざという時は護身術で」
「気をつけてくれよ」
スマホを操作しながら、彼の後ろへと続いていく。
暗い森の中。なぜか静かになった森。先ほどまで追いかけていた二人はどこに行ったのか。
「あ、そうだ。犯人は二人いたみたいなの」
「なんだって?」
立ち止まって振り返る。
「撮影係と実行犯に分かれていた」
「どういうことだ?」
「どちらも日本人っぽかった。日本語もしゃべってたし」
「え? 日本人?」
首をかしげつつ、また前を見た。
「確認しない限りはわからんな」
「う、うん」
気持ち足早になった彼についていく。電話を小声で済ましていくと、前方から声が聞こえた。
「ヤバいヤバい。人に見られたからさっさと逃げるぞ」
「わかってるって。でも、あの道具が見つからないんだ」
その声を聞くやいなや、僚真はすぐさま駆け出し、目の前にあった草を、両扉でも開くかのように押しのけて開けた。
「一体ここで何をやっているんだ!」
その声にはっとしたのは二人……いや。
「え! 何なんですかあなた」
戸惑いの声に振り返ったのは男二人と……。
うーん?
「ナイフなんか用意して……まさか切り裂き魔じゃないだろうな」
「いやいや、あの……本人ではないけれど」
そこでばっと女性が立ち上がる。
「え? あなた……」
おかしい。おかしいよ。だって今ナイフを持っているのは、ついさっきまで倒れていた女性なのだから。伝っている血が痛々しいが、平然と立ち上がっている。
「君、怪我してるじゃないか」
「いや、違います。傷や血は偽物ですよ」
「偽物?」
「僕たちは特殊メイクを趣味でやっているんです。それで、話題の事件を模倣しようとしまして……」
その瞬間、緊張しっぱなしの体から、空気がすっかりと漏れてしまった。
◆
彼らは芸術大学に所属しているらしく、夏休み中に仲間三人で仙台に旅行に行こうという事になった。どうしてわざわざ仙台に来たのかと言えば、先に言った特殊メイク関連である。
「この国では、特殊メイクを教えてくれる先生がなかなかいません。ただ仙台にある芸大に、海外で活躍されている方が帰国していると聞いたので、知り合いを通して会おうとしたんです」
そんな純朴な彼らがどうしてこんな事をしているのかと言えば、まさしくあの事件である。中国の殺人が起きた時に思いついたのだそうだ。
「……なるほど。切り裂き魔の騒ぎに便乗して、似たスプラッター動画を撮って世間の注目を浴びたかったと」
三人が整列する中、僚真は軍の教官然として、腕組みをして話を聞いている。
「はい……」
「もしこれを公開したら、炎上どころじゃすまないと思うぞ」
「そうですかね」
「いやいや。人死にが出ている事件を模倣したら叩かれるぞ。特殊メイクの道も閉ざされる。最近SNS炎上とか多いから、どうなるかもわかるだろう」
考えが及ばなかったのだろうか、一同うなだれる。
「ああ、えっと。ごめんね。投げ飛ばしたりして」
「い、いや。変な勘違いをさせたこっちのせいでもありますし。怪我もないので」
「本当にごめんね。あ、一つ気になることがあるんだけど、あの短い悲鳴って何だったのかしら?」
「私のですか? あれは特殊メイクが思った以上に冷たくてびっくりしただけです」
思わずうなだれる。襲われているにしては小さい悲鳴だと思ったのだが、そんな理由か。よくよく考えてみれば、さっき必死に逃げていた時の会話にこの子の声もあった。
(え? 人がいたの?)
(ああ、絶対にいたよ)
男女の声も同じだったじゃないか。さっさと気づいていればよかった。
「話をわかってくれたなら、俺からは特に言うこともないよ。ただ、警察は呼んでいるみたいだから、事情だけは説明してくれ。俺も協力するから」
「わかりました」
一同が暗い顔をして立ち上がる。道具やら置きっ放しだったバッグや絵の具のパレット、懐中電灯などを手に取り撤収作業をしている。それを遠目に見つつ、僚真はシャルルに話しかけた。
「杞憂でよかったよ」
「ああ、本当にごめんなさい。私の勝手な勘違いで、しかも崖に落ちるとか、勝手に早とちりしたとか」
「生前から変わらずだな。だが、生きてよかった」
ぽんと、頭を叩かれた。
「巻下さんからの連絡を受けた時は生きた心地がしなかった。また、失うんじゃないかと怖かった」
力なく笑った。ああ、本当に心配だったんだろうな。
「ごめんなさい。心配掛けちゃって」
「無事ならいいよ。ただ、前世のことを思い出してしまった。また失うんじゃ無いかと思った」
近くの木の幹に体を預けた。
「……実を言うと、生まれ変わりの捜索には反対なんだ」
「え?」
「今回は何事もなくてよかったが、これから先何が起こるかわかったもんじゃない。俺や君を敵視している人間が相手になるかもと思うと、気が気じゃない。火種に風を起こすような行動は慎むべきだと思うんだ」
「で、でもそれで梨花ちゃんが見つかったじゃない」
「梨花も同じだよ。余計なことはするべきじゃないって今でも思ってる。俺のことなんかすっぱり忘れて、一人の少女として生きていけばどんなに幸せか」
「……」
「別に無理して止めようってわけじゃない。生まれ変わりのルールを調べて対策を練るって手もある。だが、いい機会だ。あまり乗り気ではないって本音を言わせてもらう」
そうか。彼はそんなことを心中に思っていたんだ。今までの提案を、複雑ながらも受け入れていたのだろう。あくまで消極的に、半ば作業的に。
さっきは変わってないと思った。だが彼の中で、一つだけ変わったことがある。
異なる人間、テリトリーへの歩み寄りだ。
自分が築いた貿易の道が、結果的に戦争へと利用された。当然の失望だ。彼の心中に、どれほど深い絶望や失望が広がったのだろう。その事実を知り、もう全て諦めたのだろう。
私は……そんな彼の心境に気づきもせず、ずけずけと。
「俺は神代僚真で生きていきたい。だが、まさかまた魔法を使えるとは……」
言いかけた瞬間、幹に預けていた彼の体が、じりじりと下がっていく。
「どうかしたの? 何か様子が変」
「いや、緊張が解けたら……ふらふらして」
途端に体がふらつき始めた。
「え、ちょっと」
「悪い……もう限界」
言葉を放つと同時に、彼は膝から崩れ落ちて倒れた。
「ちょっと! 大丈夫!」
すぐに屈んで彼を揺り起こす。しかし、彼はただその揺れに身を任せているだけで、一切の力が働いていない。それに……手に伝わる熱さは明らかに異常だ。
一体どうしたのだろう。まさか、さっき言った魔法が原因?
「ねえ、どうしたの! しっかりして!」
動かなくなった僚真に、必死で声をかけた。
「うーん……」
「大丈夫! まさか力を使いすぎて、こうなったんじゃ」
「いや……違う」
「何?」
「……車酔い」
「は?」
「猛スピード出したから、三半規管がおかしくなって車酔いしちゃった……」
その瞬間、辺りの空気がぴたりと止まった気がした。
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