2-15 宮城旅行2
「今日も楽しかったわね」
「ああ、明日にはもう帰らないといけないのか。残念」
旅館の一室。畳に六枚の布団が敷かれた場所で、奥様方が話をしている。浴衣姿で、正座を崩し、女座りをしながら四方山話を繰り広げていた。
「そういえば昨日聞きそびれていたわ。シャルルさん。あなたとご主人の馴れそめをぜひ聞きたいの」
パッチワーク教室最年長の方が、メガネをくいっとあげながら聞いてきた。
「主人の馴れそめ、ですか」
「私も聞きたい!」
「私も!」
仲間が次々と迎合するものだから、シャルルもはぐらかすことは出来なくなった。
「え、えっとですね。主人とは共通の知人を介して知り合ったんです」
二人でこういう馴れそめにしようと決めたのだ。特に親しい人以外には、これが一番妥当なものだった。
……本当は、仲間に置いてかれて一対一になったという最低最悪の状況ではあったが。
「どこに惹かれたの?」
「一番は優しいところですかね。あとは気が利くところ、誰に対しても平等に接するところ、信念があるところ。それと……」
湯水のごとくあふれ出る愛に、他の面々はちょっと面食らう。
「あとはあれですね。ギャップ萌え。昔は恐かったんです」
「恐かった?」
あっ。
他の人がひそひそと話し始めた。違う違う! これは前世のやつ。
「ち、違います。会った時に、ガチガチに緊張して恐い顔をしていたので」
苦しいが、なんとかその場を取り繕い、奥様方の興味は別の方に向かった。そうして三十分後……。
「はあ」
旅館のロビーに出て、自販機でカフェオレを買う。ふう、まさかあんなことを聞かれるとは思わなかったから、少し疲れた。
「あら、シャルルさん」
廊下の方から声が聞こえた。巻下の奥さんだった。
「おばさま方の相手は大変でしょ」
「いえいえ。城の時に比べたら楽です。むしろ楽しいくらい」
「シロ?」
「あ! いえ、違います。フランスにそういう地名がありましてね。小さい頃は、イヤミな親戚がいて大変でした」
もちろんそんな地名はない。だが蓮見町と同じものと思ったのか、相手は普通に納得してくれた。
「しかしおばあちゃんたちは、寝るのは早いねえ。まだ九時くらいだっていうのに」
「仕方ないですよ。今日は松島に行って、三陸の方に行ってと忙しかったですから」
二人以外の奥様方は、全員電源がオフにでもされたように寝入っている。あれだけ大騒ぎだったから疲れたのだろうか。邪魔をしないよう、まだ眠気のないシャルルはロビーに向かったのだ。
先ほど言った楽しかったという言葉は、嘘ではない。会話は楽しい。とりとめのない話は気が休まる。
「さっきの話の続きじゃないけれど、あなたたち夫婦は仲がよさそうで本当に羨ましいわ」
「巻下さん夫妻も充分幸せそうだと思うのですが」
「ふふ、ありがとう。でも私が言いたいのは、あなたたちの方がずっと深いところで結ばれている気がするの。優しいところに惹かれて、とか型にはまったものもあるけれど、それよりもっと強い何かがある。さながら前世からの約束、とでも言うのかしらね」
もちろん比喩で言ったのだろう。しかし、シャルルの心臓は飛び跳ねそうになった。
「ぜ、ぜん、前世ですか」
「何慌てふためいているの」
「いや、深いだなんて言いますから」
「国際結婚は、想像でしかないけど難しいものだと思うの。二つの違う国で結婚するのは、昔ほどではないにしても障害があると思うわ」
ただ国が違うというだけなら、何の障害もない。敵対していたり、角が生えていたりなど、骨格的に違うわけでもない。前世に比べたらずっとマシ。
「これからどうする? お風呂も閉まっているし」
近くの席に座って話をしていると、彼女は時計を見て言った。
「お外でも歩いてみますかね」
「そう。私は悪いけど、急に眠くなってきちゃった。飲み物でも買って部屋に戻るわ」
「わかりました。十時頃には私も戻りますので」
巻下夫人と別れ、ロビーから玄関へ向かう。外に出ると、月明かりの優しい夜が広がっていた。人工灯は旅館と街灯からのみ。目の前は駐車場で、左手に庭のスペースがあったはず。そちらに向かい、旅館の光を頼りに木造のベンチに座る。
今日も暑かったが、着物と夜風がセットになり心地いい。高台に建てられているからか、風を遮るものが何一つとない。ただただ月光と風に身を委ねられる。
こちらに来てずいぶんと経った。僚真と会い、結婚して数年。私は幸せだ。前世ではたった二日程度の付き合いだったけど、とても濃密に会話を交わした二日だ。彼の人となりを知るには充分な時間だった。
(さっき話したような型にはまったものではなく、もっと強い何かがある。さながら前世の約束、とでも言うのかしらね)
先ほど人生の先輩に言われたことを思い出す。彼の構成するもの全てが好きだが、あえて一つあげるとしたら……。
やはり、あの言葉を聞いてからだろうか。あれが決め手となった。あんなに信念がある人など、周りにいなかったから。
……ん?
何気なく森を見下ろした時に、何かが目に入った。今のは一体何だろうか。
目の前には緩やかな自然の坂。草は刈り込まれ、勾配は二十度、高さは十メートルほど。下には坂に沿うように道が横に走り、その向こうに闇深い森が広がっている。その広がる面の一部分、手前の方に光が見えたのだ。あそこには道は通っていないから、街灯ではない。
あ、また見えた。点のような光。あれは……懐中電灯?
そうとしか思えなかった。誰かが肝試しでもやっているのだろうか。人里離れた場所だが、旅館の客がしているなら納得できる。
ただ、どうしても気になったため、ベンチから立ち、坂ぎりぎりに立って眼下を見下ろす。
すると、今度は人を発見した。こちらに背を向けて、森を正面に見据える人。帽子を被っているくらいしか、坂が影になっているのでわからない。
何かをいじっている? 首を下げ、持っている手元の物を見ている感じ。スマホを操作していると思えば、動作的には違和感はない。
やがて作業が終了したのか、男? は両手を下げて森の中に入った。坂の影を出て、月光に一瞬だけ彼が姿をさらけ出した。
その瞬間、シャルルは目を見開いた。月光に映ったのは、こちらに強調するように反射したナイフだった。
◆
「いやあ、もう食べられない!」
梨花がフォークを半ば投げ出すようにして皿に置く。
「でもおいしい。普通においしい。なんだこのアップルパイは」
「ふふふ。そうじゃろそうじゃろ。なんと言ってもアメリカの国民食と言われてるくらいだからなあ」
午後八時頃、小腹が空いたと梨花が言った。それが始まりだった。ラティオにキッチンにあるオーブンを貸してくれと言われ、それでいつの間にか買っていた食材をこさえてアップルパイを作ったのだ。一ホール三十センチという大物が目の前に出された時には、度肝を抜かれた。
「俺も食べ切れん。残していいか?」
「そりゃそうだ。シャルルの分も考えて作ったからな」
「賢者が菓子作りが得意とはねえ」
そう言いながらキッチンに食器類を持っていき、ラップをして冷蔵庫に入れる。今は午後の十時。明日に残りそうな胃のもたれ方をしている。
「こんな時間に食ったら太ってしまうなあ」
リビングに戻ると、梨花がソファに仰向けになって言った。
「運動すればいいさね。部活にも入ってないなら、そのままぶくぶく太ってしまうぞ」
「うっせ。お前やっぱり爺さん言葉が出てしまうな。紛らわしいから直せ」
「いやあ……直そうとは思ってるんだがな」
普通に打ち解けているんじゃないか? とも思えるやり取りの後、俺はちょっと気になることをラティオに聞いてみた。
「なあ、サザンカがもう日本にいて近くにいるって話」
「それが何?」
「お前は、可能性は何パーセントくらいあると思う?」
「かなり少ないと思う」
きっぱりと言った。
「ええ……あんだけ言っといて」
「だから何度も言ってるだろ。最悪を想定するのはいいが囚われるなと。道ばたで暴漢に遭う確率は少ないが、それを想定して防犯グッズを用意するみたいなものだ」
最近遭ったんですけどね。まあ、言いたいことはわかる。
「それだけ海を越えるのは至難の業だ。いくら魔法の力を借りても、司法の力や情報の編み目からは逃れられんよ」
そういえば、ここまでサザンカと思しき犯人の特徴や姿は一切公表されていない。あくまで被害者の言葉だけだ。ここまで情報がなく捕まらないのも、複数犯や一部が模倣犯だったりするのだろうか。確か動画のアカウントは変えているとニュースでやっていたが、裏を返して言えば、アカウントが別々なのは当然なのではないか。
うん。心配も徐々に無くなっていったぞ。
「なんだ。そんなにシャルルが心配か?」
「そりゃな。せめて暗殺者がこの世に生まれていないことを願うよ」
テーブルに手を置き、
「もう、目の前で失いたくはないからな」
神妙に言った。
「そうだ。そのくらいの心意気でいけや」
男二人で笑い合ったその時、途端に和やかな空気をかき消す音が部屋中に鳴り響く。
ベルの音が鳴ったのだ。
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