2-14 追憶4

「簡単な話だ。二つの大陸のこれからの利益を考えて、今のような緊張状態では危険すぎると幼い頃から思っていたからだ。だから二つの種族は、形だけでも和解するべきと考えている」

「危険、ですか」


 相も変わらず書庫のテーブルを挟んで会話をしている。もういくつ時が過ぎていったのかわからない。それでも彼女は、俺の話を熱心に聞いてくれた。


「具体的には?」

「こちらは定期的に食糧が不足する。反面カルタナ側は大陸が広いからか、そういった困窮に陥ったことはない。しかし、魔物の被害は深刻らしいな」

「……そうですね。各国でも問題になっています」

「相対してこちらは魔物に対抗する術を持っているから、そういった被害は近年皆無だ。たまに一人でふらつく阿呆が食われるがな」

「魔物に対抗する術、ですか」

「ムーオルン大陸北西部に森林地帯があるんだが、ある一ヶ所だけに魔物が生存していないことが判明したんだ。研究してみた結果、そこに生えている木が魔物を寄せつけないのだと結論づけた」

「え、そんな事でですか」

「信じられないかもしれないが、外壁や家に利用して魔物が寄りつかないという実例があるからな」


 片目を瞑り、横に目をやる。


「その木は、サンラートの方にもありますか?」

「実際に調べたわけじゃないが、おそらくどこにも同じ木はないと思われる。気候が違う」

「なるほど。それがわかったのは、いつ頃ですか?」

「二十五年前だ」

「そんな前に……」

「そう。こんな昔の情報が、未だにカルタナの方には知れ渡っていない。どれだけ情報の交流がないかがわかるだろう」


 上の方は知っているが、こちら側に頼りたくない一派がだんまりを決め込んでいる可能性もある。そこは完全な妄想だが。


「食糧と、魔物の被害抑制に効果のある資源は釣り合うと思うのだがな」

「はい。充分に貿易として成立すると思います。ですが今の緊張状態では、受け入れられるかどうか」

「こんな状態でミルダウ側から賛成者が出るとは思えん」

「難しいですね……中央の天の声でもあれば、形だけでも成立するでしょうが」

「今の小さな貿易とは違う大きなものだ。中央も黙ってはいまい。ただその中央が、必死にミルダウ族を諸悪の根源とか言いふらす諸悪の根源だという」

「はい」


 がっくりと、肩を落とした。それを見て俺はちょっと笑みを浮かべてしまった。失礼になるからと、バレないようにすぐに表情を戻す。


「そう考えると世論を動かすのも一つの手ではある。一国支配の種族にどこまで通用するかはわからんが」

「どんな方法ですか?」

「君を……あちら側に返す」


 なぜかこの瞬間、言葉が詰まってしまった。


「私を、返す」


 唾を飲み、言葉を続ける。


「そうだ。今の情報を持たせた君を帰す。魔物を寄せ付けない木の噂は立ち所に広まるだろうな」

「それなら世論を動かせそうですが……」

「懸念している事はわかる。資源を奪いに戦争を仕掛けるというものだろう」

「はい」

「そう考えて然るべきだな。俺も今まで慎重に扱ってきたものだ。あくまで一つの手として考えるだけだ。しかし、君は作戦にかかわらず、返そうとは思う」

「本当ですか」

「ああ、それは変わらない。この場合、資源のことはできる限り内密にな」

「い、いやおかしいですよ。私は実質捕虜のようなものです。大事な情報を預けたまま返すだなんて」

「そこは君を信用している。戦争になるかもしれない材料を、おいそれと話すような人ではない」

「か、買いかぶりすぎです」


 ぷいっと、顔を横に向ける。


「ですが、こんな事をしたら部下から猛反対をくらうと思うのですが」

「大多数からは反対はされるだろうな。シャクシャハリなんかは、さすがですとか言いそうだが」

「あなたには、何もメリットはないような」

「いや、多少の信頼は得られるだろう。風ですぐに吹き飛びそうなものだが、ないよりはマシ」

「あなたはどうしてそれほどまで達観できるのですか? 二種族間の和解など、到底できるものではないでしょうに」


 そこまで深く考えたことはない。だが……そうだな。考えてみれば、単純な答えが浮かんでくる。


「俺は嫌なんだ。二種族同士わかりあえるのは無理とか、最初から諦めるのは嫌いなんだ。そういった戯れ言ごときで、可能性からは逃げたくはない」


 彼女からの反応を待ったが、何も反応はなかった。呆けているような顔。ぼうっとした顔。あれ? 勇者みたいにくっさいセリフでも吐いたっけ、とも思えるくらいの静けさだった。


「え、えっと……」

「あ! す、すみません! ぼうっとしちゃって」


 ぼけっとしたような表情がすかさず戻り、長い髪の先端をいじくっている。


「これはお恥ずかしい限りで……」

「いや、別にいいんだが、どうかしたのか」

「い! いえ! 何でもありません」


 なんだろう。急にもじもじしたような、慌てふためいているような、人が変わった感じ。急におかしくなった。疲れているのだろうか。


「なんでもないか。ならいいんだが……」


 そろそろ潮時かな。


「時間も時間だし、そろそろ寝ないか?」

「寝る! 一緒に!」

「何を言っているんだ! 君の部屋は別途用意するから」

「あ、そうですよね。ああ、びっくりした」


 びっくりしたのはこっちだ。


「いえ、ですが別にベッドは用意していただかなくても」

「へ?」

「いえ、ですからベッドを用意する必要は――」

「違うぞ! ベッド用意するじゃなくて別途用意するだ」

「あっ」


 ええ……なんだ急に。しっかりしたお嬢さんかと思ったら、急に天然を炸裂し始めたぞ。


「すいません。取り乱しました」

「やっぱり疲れてるんじゃないか? 今日はもう寝よう」


 書庫から外に出て、もう使われていない自分の隣の部屋を直に案内する。一応中を確認したが、きちんと使用人が掃除してくれているらしく、すぐに利用できる部屋となっていた。


「すいません。何から何まで」

「もう礼はいいから。早く寝ろ」


 扉を閉め、リリムールの元へと向かい、事情を説明。自室へと向かう。

 権力を誇示するためなのか、やたらとだだっ広い部屋。その右隅にある天蓋付きのベッドに、すぐに横になった。


 ふう……今日は疲れた。色々な事が起き、整理ができない。勇者がやってきて、なんか姫を置いていって、その姫となぜか仲良くなった。一日だけでどんだけ奇抜なことが起こっているんだよ。ああ、今はさっさと寝てしまいたい。


「……」


 眠れない。

 とろんと微睡み、すぐに誘われそうな眠気の中だが、なぜか眠れない。目を閉じても、何かが引っかかっている感じ。


 うーん?


 これのせいで、寸でのところで眠気が追いやられてしまう。なんか心がくすぐったく、細かい異物でも飲んだような、ちくちくとした痛みがある。それを経てようやく、その正体がつかめた。


 あの時……なんでナディアをサンラートに返そうと言った時に、言葉に詰まったんだろうな。


 そんな事を思いながらも、やがて眠りについていった。


 明朝、未だに動きはないという兵の声を聞き起きた。いつまで続くのかと辟易しつつ、用意をし、隣の部屋をノックする。


「はい」


 返事とともに扉を開けると、部屋の中央に置かれた机の椅子に、ぽつんと一人座っている彼女を見つけた。


「寝床をありがとうございました」

「いや、お礼もいいし、立たなくていいさ。楽にしていてくれ」

「あ、はい」


 すぐに彼女は座り直した。


「一日寝てどうだ。昨日の様子がちょっとおかしかったから」

「いや、あれが本来の姿というか……」

「ん?」

「いえいえ、何でもありません。それより立ち話もなんですから、向かいに」


 勧められるまま、彼女の向かいに座る。


「あの、私をここまで丁重に扱うのは、他の方はご不満には思わないのでしょうか?」

「兵は外に出ているし、残っているやつらにもバレてはいない。いつかは話さないといけないが」


 リリムールには事細かに話したが、何の策でもないと見るや、不問にすると言ってくれたからありがたい。


「現在の状況は?」

「動きはまだないみたいだな」

「これからどうなるのでしょう」

「それは、時が過ぎねばわからないことだ」


 相手の動きがあるまでは、こちらも動く必要もないだろう。いつでも動けるようにはするが。


「あ、あの」


 唐突に、今までのより半トーン高い声で話してきた。


「もしこのまま何もすることがないのであれば、ミルダウ族の事について、あなたから教えていただけないでしょうか」

「俺から?」

「はい。私、ミルダウ族のことをもっと知りたいんです。情報に踊らされて悪と決めつけていた贖罪、などと言ってはおこがましいのですが、ぜひ書物以外の知識を深めたいと思いまして」

「知って、どうする?」

「単純に知りたいだけです。それにあなたの言う、和解の道に繋がるかもしれないので。私も逃げません。不可能ではない限り、私も逃げません」


 その目は真っすぐだった。今までの彼女とは違う、いや、これが本来の彼女なのだ。

 心が温かくなる。まさか自分と同じ賛同者が現れるとは、夢にも思わなかった。親父に疑問を呈すれば殴られ、思想を語れば仲間でもバカにされた。それなのに、よもやカルタナ族に理解者が現れるとは。


「わかった」


 一息吐き、そこから新たなエネルギーでも取り出したかのように頭が冴え渡った。

 そこから朝食、昼食と挟み、話は続いた。ミルダウ族の歴史、これからの事。そして、なぜか俺のことまで聞いてきた。


「あなたの事も、もっと知りたいのです」


 話す度にだんだんと壁が取り払われた様子はあったが、今はなんだか、完全に打ち解けたようなしゃべり方をする。


 立場は完全に自分の方が上だが、そのくだけたものに全く不快感はない。そもそも地位に執着がないのもあるが、理解者と話せて心地よいのが圧倒的だったのだ。そこに別の成分が入っていたとわかるのは、もう少し先の話である。


「おっと……もう夕方か」


 窓からは橙の光が降り注ぐ。食事は全て使用人に持ってこさせ、ここで取るというスタンスにして早半日が経過した。


「さすがに疲れましたね」

「どれ、夕食は場所を変えて――」


 立ち上がったその時、音がした。遠くからだが、はっきりとわかるもの。


「鐘の音……」


 重々しい荘厳な金属の音が、かすかに聞こえてくる。この音の高さは、アイライルの方だ。

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