2-13 宮城旅行1
バスに揺られながら、シャルルは物思いにふけっていた。考えていたのは、シャルルが住む自宅での話し合い。
「なるほど。昔はさほどミルダウ族を糾弾するような内容ではなかったと」
ズール・イグニスこと、ラティオ・ブルームンは言った。
「はい。私が物心ついた頃には、もうあの内容だと記憶してます」
ナディアことシャルルが言った。
時期としては、ラティオが初めて家を訪れた後の話である。夫である僚真が不良に殴られて休んだ翌日のこと。彼が出勤している時に、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
ジアルード、現僚真が教えてくれた、歴史改変の事実だ。
「簡単に言えば、焚書だな」
「え!」
ラティオから返ってきたのは、簡潔で破壊力のある答えだった。
「お前さんが死んだ時を基準にすると、三十年前の話だ。その時に現聖王が即位し、前時代の教えは全て焼き払われた」
「焼き払われる前は、普通だったんですか?」
「ああ、普通だとも。ただ歴史を記述しただけの記録。しかしやつが権威を握ってからは、ミルダウ族をとにかく悪に描く記録、歴史に塗り替えたんだ。もちろん全部ではなく、一部を改ざんした。小狡い感じがして嫌だな」
この話を聞いた時、シャルルには衝撃が走った。今まで信じていた歴史とは何だったのか。完全に個人、あるいは小集団が勝手にねじ曲げた情報であり、それを何も疑わず鵜呑みにしていた。
さらに恐れたのは、周りの大人たちの迎合である。この明らかにおかしな変化を一切後世に伝えず、そのままの歴史として扱ったのだ。シャルルにとっては、これが一番恐怖であった。
なぜ聖王がここまでミルダウ族憎しの方策を採っているのかは知らないが、一方的な知識は危険なものだと、シャルルは痛感した。それは現代に生まれ変わってからの、彼女の信念の軸となる。
………。
「シャルルさん」
……。
「シャルルさん。シャルルさん!」
「え?」
ふいの声に我に返る。
「どうしたの外ばっかり見て」
「ああ、すいません。ちょっと考え事を」
と、席の隣にいる巻下哲平の妻に笑いかける。
今いるのは……松島へ向かうバスの中だ。旅館に一泊し、日曜日の午前に松島へ行こうと仲間内で話題に上がったのだ。午後からは曇りの予報であるため、せっかくだから晴れた中行こうと、朝早くからバスに乗り込んだのである。
「なんだ。旦那さんと一緒で車酔いしたのかと思ったわ」
「私は大丈夫な方ですよ。あの人は弱すぎです」
パーマを当てた頭が揺れるくらい笑ってくれた。側にいる巻下を含めた計六人の奥様方、パッチワーク教室の仲間たちは、現在三列に分かれ、ペアを組んで会話をしている。
「そういえば、昨日借りた短編集なんですけど」
そう言いシャルルはカバンに手を入れる。
「眠る前に読みたいと言って借りた本よね。隣人だから、返すのはいつでも――」
「いえ、もう読み終わりましたので」
「え! 昨日の夜だけで読破したの!」
「あ、はい」
「ああ、表題作だけを読んだんでしょ」
「いえ、全部読みました」
あんぐりと口を開けながら、機械的に黄色い表紙を受け取る。
「いやあすごいわねあなた。まさか一夜で全部読んじゃうなんて。で、感想はどうだった?」
中身は軽い推理小説の短編集だ。各々のトリックの意外性や解釈の答え合わせ、思うところを挙げてみた。
「ふんふん、なるほどね。最初のトリックは、推理小説を読んでると結構ありがちなやつなの。ただその分、人間関係とかはやたら綿密に書かれていたわね」
「そうなんですか。あまり推理小説を見ないから真新しかったですよ。逆に人間関係が多いかなって思いました。あまり覚えられないんです」
「確かに、相関図は面倒くさい。それに比べたら二つ目はすっきりしていたわね」
「そうですね。事件の内容も、トリックも、すらっと読めました」
一つの本でさまざまな意見が出るのは素晴らしいことだと、改めて思った。それに比べてあの世界は、なんと意見の一辺倒たるや。
別にこの世界、この国が楽園だなどと言うつもりはないが、知識の歪みを修整できる機会が、いくらでもあるのはありがたかった。この何気ないやり取りをしていても思うのだが、一般人、国民の考え方のスタンスが、前世とは違いすぎる。もちろん偏見はあるのだが、前世に比べればはるかにマシ。
「みなさん。そろそろ松島に着きますよ」
年長者の人が、前から声を掛けてくれた。
「おっと、もうそんな時間になったか……あら、主人から連絡だわ。ニュースを見ろですって」
「ニュース?」
「最近気になる事件があるって主人に言ったもんだから、たぶんあれの事かしら」
「あれ?」
「例の事件よ。海外で足の腱を切って動画を取るやつ」
渋い物を食った顔をして巻下は言った。すかさずシャルルもスマホを取り、ニュース欄を見た。
そしてすぐに目的の文面を見つけた。
(ヨーロッパを渡り歩いた切り裂き魔。インドに続き今度は中国へ。一名が死亡)
◆
「今度は中国か」
ラティオが後部座席でニュースを確認している。
「しかも今度は死亡しているときた」
「事件は重大になってきて、そして日本に近づいているじゃないか」
「まあ待て。決まったわけじゃない」
ラティオは見ていたスマホを、隣の席にポンと置く。
「だが、ここまで来ると疑ってみたくもなってしまうな。いくら不殺の技術があったとしても、暗殺家の血筋だからな。普通に殺しもするさ。それにしても切り裂き魔とは、また大層な名前を」
車内は重い空気に包まれる。助手席に座る梨花は、窓方面に体を預けて、流れる景色をぼうっと見ていた。ラティオの方は思案顔。今回の事件の関係性を紐解いている感じか。
日曜日の昼過ぎ、昼食で利用したファミレスからの帰りである。昨日は結局、山寺が満車で行けず、天童の温泉に行くことになった。それに比べればずっと短い移動距離だったが、運転し通しで疲れる。
「とりあえず考えても仕方がない。どれ、コンビニでも寄ろう」
「こんな真夏の日のコンビニはオアシスですよ。アイス食べたい。アイス」
「わかったから」
いつも通うコンビニに駐車し、三人とも下りる。
「イラッシャイマセー」
かわいらしいフィリピン人店員さんがお出迎え。人の出入りもまばらなのもいつもの風景。
「いや涼しい。ずっとここにいたい」
「ずっといるわけにもいかんから早く選ぶんだぞ。ラティオは?」
彼は首を横に振って答えた。人がいる場所ではヒルムル語を話せない。
「じゃあ適当なファミリーパックでも買うかな。ついでに飲み物を買おう。ラティオは? ドリンク」
「coffee」
ネイティブな英語で返してきた。
「お前の欲しいのは?」
と、梨花に聞くつもりで横を見た。が、そこにいたのはいつもの店員さんだった。本の整理をしていた手を休め、こちらに目を向けている。
「スマホ」
にっと笑って、答えた。日差しに色黒の顔が映える。
「ス、スマホが欲しいのか。連絡はどうしてるの?」
「ネットツカエナイケイタイ」
電話だけの携帯ってことかな。店長あたりに渡されたか。彼は個人の物を持っていないのか。フィリピンでもよっぽどの田舎でなければ大体の人は持っていると聞いたが。
「ネットヤリタイ。スマホホシイ」
「う、うん。頑張ってね!」
品物を取ってレジに行く。
「アリガトウゴザイマシター」
どんどん日本語がうまくなっていく店員さんに別れを言い、また車の中へ。
「ここにはよく通うのか?」
ファミリーパックのアイスと飲み物を後部座席に押しつけると、ラティオは言った。
「なんで?」
「やたら店員と親しげだったから」
「そりゃ近くだからよく通うさ。それにあの店員さんも感じがいいしほっこりする。自転車で通っていると、ちょうど寄りたくなる位置にあるのもいい」
「自転車、か」
なんか引っかかる言い方だ。
「どうした?」
「いや、今ちょっと疑問に思ったんだ。切り裂き魔、なんて大それた名前のついた犯人の移動手段がな」
「移動手段か」
ハンドルを握り、アクセルを踏む。
「飛行機や船じゃないのか」
「それもあるだろうが、これほどの事件を起こしているんだ。公共施設を使っての移動はなかなか難しいはず。そこで思い至ったのがな。魔法だ」
「魔法? なんだ。ルーラー的な便利な魔法は前世にもないぞ」
「それはわかってる。サザンカの使える魔法については聞いたことがあるんだ。それは単純な肉体強化の魔法だな」
「肉体強化?」
「そう。ただただシンプルな身体能力の向上だ。原理はわからんが」
俺のと似てる部分があるな。
「それを使って、自分の足で国境を越えていったんだと考えれば納得はいく」
「俺も似たようなものを使っていたからわかる。スタミナも一時的には切れないし、爆発的に速度も上がる。これと同じものを使えるなら、何キロと離れた場所も一日程度で着くだろうよ」
ハンドルを切り、言葉を続けた。
「だがそもそも、この世界で魔法は使えないだろ?」
「うむ。確かに。ところで、僚真は使えるか試してみたか?」
「昔はよく試してみた。幼い頃や、ある程度大人になった時も挑戦してみたが、何も起こらず」
「私も同じ」
気怠く梨花が言った。
「ふむ。私も何度か試してみたが無理だった。ただ仮に何か、魔法を発動する条件があり、それを利用したのだとしたら……」
「インドから中国に陸路で行くには、ヒマラヤ山脈を越えたことになるな」
「別にネパールのエベレストを登れというわけではないんだ。国境付近の、比較的低い山を狙えば一日でも大丈夫だ」
てことは、国境間のにらみ合いがある地域を通った可能性もあるのか。ヤバい。魔法で地球がヤバい。
「魔法を使っているとしたら、どうやって使ってるんだろうな。なぜ私たちに使えないものを使えるのか。ここで一旦基礎に立ち向かってみるか?」
ぶつぶつと独り言を言い始める。
「まずクラクルスには魔法オルフォールと聖法ラフォールの二種類がある。それらは全員が使えるわけではない。基本的には血筋だ。原初となるもの、そもそも魔法を使えた原因は未だ解明されてないが――」
「どうします?」
「ほっとこう」
後ろの念仏はシカトして家に着く。
「おうし、ラティオは荷物を頼む」
「うん? ああ、はい」
我に返ったラティオは、ビニール袋を二つ取り車を降りた。シートベルトを解除して車を降りると、巻下さんをマンション入口で見かけた。
「おや、みなさん。今日も暑いですね」
「どうも」
梨花が声をかける。彼女は知り合いの子として紹介済みだ。
「そちらの方は……初対面ですね。外国の方?」
「あ、そうです。こっちも知り合いです」
さて、どういう知り合いにしようか。つい見切り発車で言ってしまった。
「ええと……日本のゲームが好きで来日した人で、知り合いから泊めてくれとお願いされて」
「はあ」
「ですから、知り合いの知り合いですね」
「そうですか。ずいぶんと大所帯ですね」
と、接客業の人間しか会得できないにっこりとした笑顔。営業の自分もぜひ見習いたいスマイルだ。
「妻たちは松島に行ったそうですよ」
「そうみたいですね。写真が午前中に届きました」
「うらやましいですね。私も旅行に行ってみたいものです」
その後も軽い話をして、彼は車に、こちらはマンションにと別れた。
「何回知り合いって言うんですか」
先頭で並列しながら梨花は言う。
「はは、悪い悪い。変に言い繕うのも考えものだな」
「それになんでゲームで来日なんて設定にしたんですか。変な設定をつけましたね」
「あれは事実から作ってみたんだ」
「へ?」
「ゲームに興味あるのは事実だよ。なあ、ラティオ」
ヒルムル語で、後ろに声を掛けた。
「え、今それを言うのか」
「別に隠すことでもないからさ。将来はゲームを作りたいなんて、立派な夢じゃないか」
「いい夢じゃない。え、なんで黙ってたの? オタク臭いとか変なことを考えたの? うわ、じじいのくせに小さい考えだな」
「そこまで言わんでもいいだろ……黙ってたのは、ちょっと言う機会がなかったからだ」
「ふうん。夢があるのか」
「そうだ。もっと具体的に言えば、あの世界をそっくりそのまま再現したようなゲームを作りたいんだ」
「へえ」
声こそ普通だったが、後ろを見た丸い目で驚いていていることがわかる。
「ちょっと面白そう」
「そうか。そう思ってくれるなら何よりだ」
階段を上がり、家へと入る。ラティオはいの一番にファミリーパックの蓋を開ける。それを横目で見つつ、クーラーをつける。
「魔法については何かわかったか?」
「いや、何も思いつかんな」
それぞれの席に着席し、棒アイスを手に取る。
「だが肉体強化だけで海は越えられんのは間違いない。数日は来られないと思うが」
さすがにな、とオレンジ味のアイスをいただく。
「ところで、梨花はいつ帰るんだ」
と、ラティオがグレープ味のアイスを舐める。
「急だなあ。たぶん、火曜日には帰ると思う」
「……気をつけろよ」
「え、そこで怖がらせるの。てか、僚真さんの画像を辿っているのだとしたら、私に行き着かないよね」
「もう日本にいる可能性もないわけじゃない。近くにな」
梨花が、棒アイスみたいに背筋をピンと伸ばした。
「いや、被害者が見つかったってニュースは今日の午前中でしょ。投稿動画も、今回は死んでるからすぐに削除されてるけど、投稿時間は九時だった」
「移動している時にでも投稿すればいいしな。船とか」
「……」
「私は何も恐い話をしようとしているわけじゃない。可能性が少しでもある以上、警戒しておくに越したことはないって話だ。お前はカーリンでも何でもない、ただの女子高生なんだからな」
「まあ、確かにサザンカなんかに襲われたら一溜まりもないなあ。魔法なんてものも使えないんだから」
「囚われてはダメだが、最悪は想定だけはしてくれ」
「わかったよ」
「よろしい。さて、事件の話はもういいだろう。それよりもやりたいことがある」
ここで自分のバッグから何かを取り出す……ノートとボールペン?
「インタビューをお願いしたい」
「は?」
梨花と同じく声を出してしまったが、すぐに気づく。
「あ、ゲームの設定のやつか?」
「そうだ。本当はもっと後でやろうとしたが、もうバレてしまったからな。生まれ変わりと会うのと、この取材が日本に来た一番の目的だ」
もう一つ忘れてるんじゃないですか、という野暮なことは聞かなかった。
「使う魔法の詳細。大陸の詳しい地理、政治、経済のありとあらゆる所を精緻に聞ければいいなと思う」
「え、めんどくせ」
「そう言わずに頼むよ梨花。何か奢るから」
「それならよろしい」
すぐに手のひらを返した。
「あとは僚真。お前の馴れそめを聞きたい」
「聞きたいとな! 三時間ぐらい掛かるがよろしいか!」
「別に構わん」
思わぬ返しに言葉が詰まった。
「たった数日の中、どういう心境の変化があったか、彼女の何に惹かれたか、ぜひ聞いてみたいものだ」
「……ああ、わかった」
照れを必死に隠しながら頷く。
「それともう一つ、聞きたかったことがある。僚真……いや、ここはあえてジアルード・ミルダウ・レステレスと呼ぶことにしよう」
「なんだ?」
言葉を強調するように、一旦ぶつ切りにして言葉を続けた。
「お前は、なぜ穏健派だったんだ?」
「……」
「お前の父、そして大戦を起こした祖父。祖父は過激派、父はそこまでとは言わずとも、カルタナには深い憎しみがあったはずだ。それなのに、お前は勇者、ナディアと話し合いをした。アイライル会談にも快く応じた」
「争いごとが嫌だなんて考えが、そんなに不思議なことか?」
「こんな長年戦争に縁の無い国に生まれたならともかく、ジアルードが生まれたのはレステレス家だ。あんなカルタナ嫌いな一家で、どうしてそのような思想になったのか、ぜひ知りたいね」
……理念、思想など堅苦しいものではない。ただ幼い頃から、なぜ二種族で争うのか不思議でならなかっただけだ。カルタナ族を恨んでいないと言えば嘘になるが、心には絶えず疑問が押し寄せていたのだ。これからの利益、将来を鑑みて、いつまで争っているんだという疑問。それは中途半端な恨みを押し返すのには充分なものだった。
そのあたりも含め、歴史などもかいつまんで話した。
そして思い出した。ああ、同じようなことをナディアと話したっけ。
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