2-12 追憶3

 壁という壁が本棚となっており、辛うじてある隙間の壁に申し訳なく配置されたランプが書庫を照らしている。頼りないながらもその光は、机にうずたかく重なった本たちを強調する。


「これは……そんなことが」


 積まれた本を消化していくのは、だだっ広い席の隅に座っていたナディアである。歴史や伝記などを見繕い、司書が選別した本が、右から、左へと流れていく様はなかなかに圧巻。なんと言っても読む速さ、内容を消化していく速さが凡人とはかけ離れている。そして集中力もおかしい。こうして二つの刻を過ぎてもなお、その一心に開かれた眼は、本に落とされ続けていた。


「明らかに、魔物と戦った記述がある。食糧を荒らされ駆除する。町民が襲われ死に、討伐隊が組まれた」


 そんな具合に中身を復唱しながら本は流れていく。

 ……正直見飽きたな。


 もう夜更けの時間帯。事情を説明した司書はとっくに寝床に就き、鐘の音もない。未だに膠着状態らしい。そんな合間を使ってたっぷりと読書をしている様を、対面で座りながら見続けるのも疲れる。


「あの」


 急に声を掛けられた。うとうとしていた時にこれだから、内心びくつく。


「なんだ」


 と、目一杯威圧感を湛えて言った。


「すみません。ずっと読みっぱなしで」

「ん? ああ……」


 謁見の間とは打って変わって物腰丁寧な言い方。肩すかしを食らった気分だ。


「別にいいさ。俺から言ったことだ。それで、収穫はあったか」

「はい。色々と」


 読んでいた本を、左の山に置いて向き直る。


「まず魔物なのですが、明らかに被害に遭われている記述があります。これは幼い頃から言われた、ミルダウ族は魔物を操る魔族、という教えと矛盾しています」

「魔物を操るから魔族、魔王ねえ。安直だな。魔物は二種族ともに、等しく災害と扱われるべきだろうに」

「そう、ですね。この本に嘘はないでしょう。カルタナ族に読ませようとか、国民に嘘を広めようとして作られた本でもなさそうですし」


 念を押すまでもなかったか。


「歴史に関する記述は、ほぼ起こったことのみを書かれ、変な主観などは入れていませんね。先に起こった戦争だって、ミルダウ族側の食糧危機により引き起こされたと客観的に書かれている」

「それが普通だろう」

「いえ、こちらでは……」


 気まずそうに目を背ける。


「書いてないのか?」

「はい」


 ひどいな、なんて率直な感想をもった。


「具体的に言えば、魔物を操るのもミルダウ族のせい。のみならず、過去の事例一切はミルダウ族のせいだと」

「ええ……」


 バカみたいだな、なんて率直な感想をもった。


「記録をざっと見る限り、あなたたちミルダウ族が、とても一方的な悪とは思えないのです」

「そう思い直してもらって助かる。もちろん野蛮な考えや差別的な考えを持つやつもいるが、それはそっちだって同じだろう。ひとまず、魔物を操ってましたとか、諸悪の根源なんてレッテル貼りは止めてもらいたい」

「私はただ、見聞きした情報だけを組み立てて、仮想敵を作っていただけ。現実を見ずに、なんとも愚かしい」

「気づけるだけマシってもんだ。しかし昔は、ここまでミルダウ族を全て悪者にするような教えじゃなかった気がするが」

「そうなんですか?」

「たぶんな。君の年はいくつだ?」

「二十三です」


 十歳も下か。それにしては、本当に堂々としている。


「子どもの頃から、今のような教えだったか?」

「物心ついた時からは、この教えでした」


 だとすると転換期はどこだろう。本当に、昔はここまで露骨な悪人認定のようなものはなかったはずだが。


「ふむ……わからないことだらけだ。さて、長話がすぎたようだな。これからどうする」

「もし許可が下りるなら、まだ本を読んでいたいです」

「ええ……」


 どんだけ集中力が持つんだよ。


「別に構わんが、疲れないか?」

「疲れたなんて言ってられません。ミルダウ族の見方を正す絶好の機会なんですから」


 すっと、心を通り抜ける風が吹いた。あまりにも心地よく、清々しいほど。


「そ、そうか。なら止める必要もないな」

「では」


 と、再び本に目を落としたところで、気になることを聞いた。


「勇者や仲間はどうやって大陸を脱走するんだ? 姿が消える魔法を使ったとしても、船を使わないとサンラートまで帰れないだろうし」

「知りません」


 きっぱりと、彼女は言った。


「あんな逃げ方をするやつなんて、もう知りません」

「ふふ……」


 勇者との会話のギャップに、思わず笑ってしまった。


「なんですか。急に笑い出して」

「ああ、いや。すまない。今まで慕っていた相手にこうまで言うとはな。そして今は魔王と呼ばれた者と一緒、という現実に皮肉さを感じた」

「どう考えても私は騙されたんですから、必然的にあなたの方を信頼しますよ」

「おいおい。そんな簡単に信用すると危ないぞ」


 わざとおどけて見せたが、彼女の目は依然と真剣なものだ。


「ここまで面と向かって話せばわかります。あなたはいい人です」

「いや、わからないぞ。こうやって信用を得て何かしようとしてるのかも」

「あら、あなたに対する記述も発見したんですよ。カルタナとの貿易を進めるために、親書や使者をよこした、と」

「う……」

「さっきの戦いだって本気を出していませんでした。まずは対話を示した。最初は油断させる気だろうと思っていましたが、ここまで来れば本心だとわかります。あなたが信頼に足りうる人だという証明は、これで済みました」


 にっこりと、彼女は笑った。


 この子に嘘偽りはない。相手を油断させるための腹黒さや詭弁さも一切感じない。正しい情報さえ与えれば、ある程度の多角的な意見があれば、彼女はちゃんとくみ取り、自分の間違いを正す。


 聡明な子だ。そして、優しい子だ。


 不思議だ。あれほど憎んでいたカルタナ族が、こんなにも輝いてみえるとは。


「話を」


 そんな言葉が、口を突いて出た。


「はい?」

「話をしたい」


 すぐに言葉を続けた。

 もしかしたらこの子は、俺が空想していた世界を実現するために必要な子ではないか。そんな事を考えてみる。これほど理解でき、わかり合えたカルタナ族はいないのだ。いや、種族など、ここでは関係ない。


「君と話がしたい。読書は後でもできるだろう。俺の話を、聞いてくれないか?」


 だから話すと決めた。仲間内に話しても、家族に話しても、妄想だ詭弁だと唾棄された話を。

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