2-11 リヴァイツィー二家の嫡男
午前中は特にすることもなく、梨花と積もる話をして過ぎていった。前世の話から、今この世界で起こっている話に移り、話は続いていく。それも過ぎ、途中で窓を閉め、カーテンを閉め、リビングの冷房をつけて昼飯となった。
「ラティオはいつ来るんです?」
「たぶん午後だろう。昼間で一緒に食うのは忍びないと、気を遣っているのか」
「ふうん。ああ、二人きりにはしないでくださいね。まだ話せる自信がないんで」
「わかった」
「情けないんですけどね」
「なあに。時間が掛かれば大丈夫さ」
「前世でのナディアみたいに」
「そう」
「はあ……のろけに付き合わされる身にもなってくださいよ」
棒々鶏をつまみながら、梨花はぶつくさと言った。
時刻はそろそろ一時となるところ。点けていたテレビは料理番組を放映している。煮物を作るらしく、たった今大根に隠し包丁を入れた。
「あ」
横目で見ていた梨花が、微妙な知り合いでも見つけたような声を出した。
「どうした?」
「ごめんなさい今思い出しました。あの足の腱を切る事件のことです」
「ええ……何で思い出してるんだよ」
「はは、すいません。それで、あの手口についてなんですけど」
「手口ってあれか。健を切って戦闘不能にさせるやつか」
「はい。それで私、健を切ってニタニタ笑うとか言いましたが、それともう一つ噂があるんです」
「もう一つ?」
「あいつ、人を殺したことが一度もないんですよ」
「ん?」
「他の家族は普通に殺し屋で、あくまでサザンカのみですね。相手の関節を狙い、足の腱を狙い、戦闘不能にするだけ」
戦闘不能にするだけ? よくわからない戦いだな。
「面倒なことをしますよね。こう言っちゃなんですが、息の根を止めた方がスムーズなのに」
「……説明をつけるとしたら、そういう嗜虐的な欲求でもあるのか」
「まあそんな感じですよね。人がもがき苦しむのを見るのが好きで、あえて殺さない。私もそれくらいしか思いつきませんでした」
本当だとしたら悪趣味だな。
「そこで近頃話題になってる、被害者の足の健を切って動画を撮影してた事件です。もしかして今回の犯人、人が苦しんでいる姿がたまらなく好きなんじゃないですか? だからあえて殺さなかった」
「嗜虐的な欲を満たすため、か」
「この事件の犯人も一緒。相手を殺さず、足の腱を切って這いずり回る姿が見たかった。そう考えるとつじつまが合うと思います」
「ということは……」
「この事件の犯人は、サザンカ・リヴァイツィーニの生まれ変わりなのではないでしょうか」
筋が通った推理だ。決めつけるのは危険だが、充分に一考の余地がある。
「そうか。恐れていた事態が現実になるか」
リヴァイツィーニ家。森深い国に居を構える暗殺一家として知られるが、実態はほぼ闇に包まれている。わかることは家族構成、暗殺術を極めた手練れがいること。数々の逸話があること。そして、現実世界に生まれ変わったらまずいということ。
「もちろんこれが答えって決まったわけではないんですが……やっぱり国という国をここまで平然と渡り歩くのは、一般の人じゃ難しいと思います」
「事件はヨーロッパ、ロシア、そしてインドに続いているな」
「今気づいた! だんだん日本に近づいているじゃないですか! ヤバいですよ。前に話して心配してたことじゃないですか!」
「落ち着け。ひとまず今のことは、ラティオに話しておこう」
「……うん、そうですね。悔しいですが、あいつの方が情報はあるでしょう」
昼食を済ませ、片付けを一緒に行う。食器を洗い終わった直後にチャイムが鳴り、手を慌てて拭いて玄関へと向かった。
「どうした? そんな急いで」
「話したいことがある」
日本語からヒルムル語へと切り替える。その第一声がちょっと切羽詰まっているからか、ラティオは何も言わずについてきてくれた。
「梨花が気づいた事なんだけどな……」
席に着き、さっきの話を繰り返す。話し終えると、目鼻立ちの整った顔はくしゃりと歪んだ。
「なるほどなるほど。筋が通っている。嗜虐の目的か」
「考えられるか?」
「難しいな。私だってあいつの全部を知っているわけではない」
「じゃあお前の持っている情報、サザンカやリヴァイツィーニ家について、できる限り詳しく教えてくれないか?」
「うーむ」
腕組みをしてうんうん唸った後、言葉を続ける。
「知っていることから始めよう。ちょっと遠回りになるが、いいか?」
「構わん」
「わかった」
ここでの間と、息を吸う時間で、長くなりそうだなと思った。
「まずサザンカは、あのアイライル会戦の時は二十歳だったはずだ。リヴァイツィーニ家に生を受け、次男とされている」
「されている?」
「父と母、男二人と妹一人と前に梨花が言ったな。このうち長男と妹は正式な妻が母となる。そして次男のサザンカは、愛人の息子だ」
「腹違いってことか」
「そう。父親にとってみれば不義の子だが、半ば押しつけられるように引き取ったという」
「押しつけられるのか……」
最凶の暗殺一家の大黒柱が、浮気相手に言いくるめられるのか。
「父親は気が弱いみたいな事を聞いたが、そこまでは知らん。まあそんなわけで、長男と次男が暗殺術の習得でしのぎを削っていくわけだ。だが年月を経るごとに、次男サザンカが台頭してくる。長男の力量をはるかに超え、知能を超え、実地訓練での成果も超えた。それはもう歴代の中でも屈指の実力になるくらいだ。故に、使用人、そして仕事の依頼人などの小さな界隈において、サザンカはこう言われるようになる」
唾を一飲みして言った。
「リヴァイツィーニ家の嫡男、とな」
なるほど。なかなか皮肉が効いている。
「えっと……嫡男って何ですか?」
梨花が聞いてきた。
「基本的には正室、つまり正式な奥さんが生んだ最初の息子という意味だ。最も跡継ぎに近い子供、というのはわかるだろう」
「ははあ」
さすがに察しがついたらしい。梨花は納得するように頷いた。
この嫡男という異名は、どういう意図があって作られたか。次男を讃えるためか、長男を蔑むためか、はたまたその両方か……。
「そんな噂に業を煮やしたのが、まさしく嫡男である長男と、その父親だ。特に父の方は、自分が遊んだ女の子どもの方が優れているのが我慢ならんかったらしい」
「最低……」
「そこで父と長男が結託し、次男のサザンカを殺そうという計画を決めた」
「ずいぶんと物騒な」
「これはアイライル会戦の後の話だな。戦争で成果を上げたのが、さらに恨みに拍車をかけた」
なるほど。二人から恨みを買い、殺されたと。
「してその結果は……サザンカが勝った」
「え!」
二人してビックリマークが頭に出るくらいに目を皿のようにした。
「思ってたのと違う! 父と兄と戦って勝つってどんだけなんだよ」
「父と兄は痛手を負い、サザンカはそのまま姿をくらましたんだ。別に完全勝利というわけではない」
「普通に犯人サザンカ説を受け入れているから、てっきりここで死ぬのかと」
「ああ、紛らわしくてすまんな。現実は生死不明なんだ」
「生死不明?」
「戦争があった後に、この身内同士の争いがあったのは噂として広まったんだ。だがサザンカの目撃情報は、私が生きていた頃は一切ない。死んでいるのか、生きているのかは謎だ」
できればどちらかにして欲しかった。そうすればこれからの方針も立てられるのに、生死不明は扱いに困る。
「ラティオはどうだ。世間を騒がせている犯人が、サザンカだと思うか?」
「ありかなしなら、ありだと答える」
「煮え切らんな」
「生死が確定していないからしょうがない。ただ、充分死んでると考えられるだろう。それに、手口がよく似ているのは同意だ」
「わざと殺さないってやつか」
「そうだ。あれは不殺、という技術なんだ。文字どおり殺さない技術だ」
「殺さない技術?」
「暗殺一家なのになぜ戦争の集団戦に召集されたかと言えば、この技術があるからだ。目にもとまらぬ速さで、相手の戦力をそぎ落としていく」
ふむ。これも耳にした記憶はある。今の今まですっかり忘れていたが。
「どうして殺さないんだ? そっちの方が楽だろうに」
「あえて殺さなかったんだよ」
「あえて殺さない?」
口を真一文字に結び、やがて解く。
「地雷という兵器はさすがに知ってると思うが」
「ああ、当然知ってるぞ」
「その中にはな。あえて小さく作って爆発を抑える対人用のものがあるんだ。人が死なない程度に作ったものがな」
「ああ、そういうことか……」
「え? なんでそんなことを?」
梨花の無垢な返答に、ちょっと心が沈む。
「中途半端に怪我をしてくれたら、負傷した人間を運ぶための人員が割かれるからだ」
「な……」
「もうわかるだろう。死んだらそれまでだが、大怪我なら助けようとするだろ。同じ国の兵士、仲間ならなおさらだ。同時に治療やリハビリにも費用を使わせ、相手の国力を落とすというのもある。これが一人二人ではなく、十、百の単位になったら……後はわかるな」
「うわ……嫌なこと聞いちゃったな」
「こと集団戦に関しては、不殺という技術は特に抜きん出て役に立つ。暗殺術は基本一人、もしくは小集団のみ機能するものだからな。だから彼が戦争のかき乱し役としては大いに活躍しただろう」
集団戦が得意な殺し屋か。いや、殺し屋と言っていいのかどうか。
「嗜虐心はどうだろうな。そういう噂は聞いたことはあるが」
「じゃあやっぱり……」
「ああ、ちょっと待て元諜報員。これだけは言っておくぞ」
私語を諫める教員みたいに睨んだ。
「最悪を想定するのは結構だが、囚われるのはダメだ」
ラティオには刃向かう梨花も、これにはうっと言葉に詰まる。
「仮に犯人がサザンカだとして、僚真の画像を見たとしたら、どうして日本に直接来ないんだろうな。嗜虐心を満たすためと言っても、あんなことをしたら警察に包囲網をしかれる。あいつもバカではない」
確かにな。あまりサザンカだと決めつけても足をすくわれそうだ。
「しかし、あいつがこの現代に生まれ変わって傭兵や暗殺者なんかになっていたら、それを雇っただけで勢力図が覆りそうだな」
「そんなに強いのか……」
「ああ、強いぞ。燎王でも手こずるかもな」
そう言って、うんと伸びをする。
「長話で疲れたわい……と」
「ああ、すまない。飲み物でも」
「いやいや構わん。ところで、シャルルはもう出発したのか」
「午前中には」
「ふむ、そうか。じゃあこれからどうするか。また何か話でもするか?」
「なんか正直、疲れた。昼食の後で眠いし」
梨花が机の上でぐでっとなる。
「はは、まあ小休憩。それか、どこかドライブでもしてみるか」
「あ、それいいですね」
梨花がすぐに腰を上げる。こうして話は一段落し、各々が準備をした。
「こんな田舎に行く場所などあるのか」
「うっせこの野郎。山寺とかいいぞこの野郎」
「ヤマデラ?」
「聞いたことあります。そこ行きましょうよ」
「よし、んじゃあ山寺ついでに天童にも行ってみるか。と、その前に最後の確認」
洗面台に行き、ワックスを点け、鏡の前でセット。
くせっ毛は整った。よし。
シャツがよれよれになっていない。よし。
腕時計。よし。
「お待たせ」
準備を済ませ、リビングへ。
するとなぜか、じとっとした目で梨花が見てくる。
「あの、いっつも思ってたんですけど」
「うん?」
「普通に出かける時はばっちり決めているのに、なんで会社に行く時は容姿をダサくするんですか?」
「わかんない? わかんないか。まだまだ若いのう」とラティオが横から口を出す。
「なんだてめえ。爺ちゃん言葉と若者言葉を一緒くたにするな。言っとくけど、あんたにはまだ心開いてないからな」
「そういきるな。お前にはまだ早い。純愛の誓いじゃ」
なんか話が大きくなりそうだったので訂正する。
「いや、ただ恋愛沙汰が万が一にでも起きないようにだ」
「よっぽど自分の容姿に自信があると見た」
「ふん。どうせ言われると思ったよ。万が一つってんだろ」
力を入れてエアコンのボタンを押し、すねてさっさと玄関に向かう。
「あ、待ってください」
「お前はまたジャージか」
「別にいいじゃないですか。山寺なら登山ですよね。一番いい格好じゃないですか」
正論にも程があるため、黙って外に出る。
登山を提案した自分を恨みたくなるほどの暑さが、どっと押し寄せてきた。すぐに車に避難し、冷房をつける。
「ふう、しかしこっちの世界は暑いな」
「そうだな。でも文明の利器があるからな。こっちは」
そう言い冷気に手を当てる。
「ふむ……」
「どうした?」
バックミラー越しにラティオを見る。彼はじっと風が吹き出るエアコンを見ていた。
「いや何。生まれ変わってからずっと思ってた疑問を思い出したんだ。こちらはあの世界と比べて、文明が進みすぎている。特に化(ばけ)学(がく)や科学の分野の差が顕著だ」
「普通に人類の歴史の長さが、こっちの方が長いだけでしょ」と梨花。
「それもあると思うが、魔法の存在が大きいんだ。だから化学方面の研究がおろそかになった」
俺も意見を言ってみた。涼しくなったのを見て、車を運転する。
「その二つも充分考えられるな。ただ私は一つ、有力な説を別に唱えるとしよう」
「なんだ?」
ごほん、なんて今からご高説を説くみたいに、大げさに咳払いをした。
「生まれ変わりが、こちらに来て分野を発展させた」
「ほう」
思わず舌を巻く。
「こんな言葉を聞いたことはないか? 天才は、その分野の研究を100年推し進める」
「ああ、聞いたことあるな。微妙に違う気もするが、同じような言葉は知ってる」
「この言葉を言ったのは……誰だったかな」
聞いたことはあるが、俺も思い出せない。
「別に天才じゃなくてもいいんだ。この世界でいう数学や物理の基礎部分を、ある程度前世で習った人物がこちらにやってくる。記憶や知識はそのままだから、一般の子よりもずっと進んで勉強ができるわけだ。その積み重ねでこんなにも研究は進んでいったのかもしれん」
「へえ、そうなると過去にも生まれ変わりはいるのか」
梨花がロマンチシズムに浸るように言った。
「前にも言ったとおり、数はおらず、少数精鋭という感じだろう。歴史の偉人なんかも、その類いかもしれんぞ。エジソンとか、レオナルドダヴィンチとか」
「ほう!」
「そういえば最近将棋とかいう世界で神童が現れたらしいじゃないか。籤(くじ)井(い)四段だったかな。彼も生まれ変わりの可能性がある」
「マジで!」
「さらに言えばスポーツにも応用が利くはずだ。あの野球で二刀流をやってる戸(と)谷(たに)公(こう)平(へい)選手。あれはもう逸材だ。二年後にはきっとメジャーに渡ってくれると信じてる。できればひいきに来てくれ」
「……そこは乗れないぞ。私欲が入り混じってる」
「ふふ。まあ可能性を示唆したまでだ」
やれやれ。左にハンドルを切り、バイパスへ。
「もし生まれ変わりかがわかる方法でもあれば、そこらへんの謎も、あの犯人がサザンカかもわかるのにな」
「そんな都合のいい方法はないじゃろ。推理するしかない」
「推理……ね。あれか、何かの分野に突出した人間を片っ端から調べるとか」
「案外いいところかもしれんの。傑物か……」
中身がじいさんの若者は、しばらく腕を組んでいた。
「しかしあれだ。ナディアも偉人とは言わないが、何かの傑物にはなれたかもな」
「ナディアが、か」
「あの人ってそんなに天才なんですか? 前にも聞いた気がしますが」
今まで話に入ってこなかった梨花が唐突に入る。
「わしが教えていた小さい頃から、本を読む力がずば抜けていたな。正しきを読み取り、自分で考え、整理する。簡単そうに聞こえるが、なかなかに難しいことだ。それをナディアは容易にしてみせるのだ」
「そうか。そんな頃からか」
「ん? なんだ急に」
「彼女の柔軟性は、俺も直に見ているんでね。情報さえ与えれば、取捨選択がきちんとできる人だと思ったよ」
そう、あれは前世の話。彼女を書庫に連れて行った時のことだった。
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