2-7 殺人鬼の足音
「おい」
「はい……」
クーラーの効いた小さな応接室。横長のソファの隣に座る後輩は、びくびく震えている。
「大丈夫だから。中身はいい人だから、そんなに怖がるな」
「で、でもすごい怖い」
「そんなの表に出すなよ。重要な取引先だからな。まあ、滅多なことで怒る人ではないが、不愉快にはさせたくはない。わかるだろう?」
「頭ではわかってるんですけどね……」
応接室の扉が開けられた。途端に後輩の背筋は糸を引っ張られたようにぴんと伸びる。扉から入ってきたのは、取引先の相手、
その見た目は、常人を震わせるほどだった。扉を潜らなければいけないほどの身長、がっちりとした体躯。何人も殺めてきたかのような鋭い眼光。極めつけはあっち方面の人がしてそうな黒縁のメガネである。まさに天を衝くような大男。グレーのスーツも相まって、Vシネの大ボスに出てきそうな風体である。
「いや、お待たせして申し訳ない」
しかし立ち居振る舞いは、立派な社会人だ。席に着く前に一礼をした。
「いえいえ」
そこからは商談に入る。いつもの取引先なので、いわゆる御用聞き営業となるのだが、この人の場合はきちんとこちらの意見もくみ取ってくれる。話していて非常に心地いい。
「ふむ、こんなところでしょうな。ところでそれは、お怪我をなさったのですか?」
「ああ、これですか?」
薬臭い頬を触る。
「三日前に、近くの裏道で不良に殴られましてね」
「なんと! 大丈夫ですか」
「はい。幸いにも骨には異常はありませんし、こうして仕事できるくらいには」
「うーん。蓮見町といえば、監視カメラを町中に設置して、極端に防犯に努めているほどの地域なのに」
度会さんの言うように、この蓮見町はやたらと防犯に取り組んでいる。将来のことも考えて、シャルルと住むことに決めた要因でもある。
「穴はどこにでもありますよ」
「今度何かあったら私に行ってください。そんな不良などひねり潰しますから」
後輩がまたびくっとなった。
「心配していただきありがとうございます。お気持ちだけで充分です」
営業は滞りなく終わり、後輩を引き連れて会社に戻った。会社に帰るとちょうど昼休憩。食堂に行くと本間がお出迎えだ。
「よう。またあの強面の人と会ってきたか」
「強面言うなよ。普通にいい人だぞ」
食堂の席に相対して座り、愛妻弁当を開く。
「しかしよくあの人と普通に話せるな。妙に肝が据わっているというか」
「別にそこまで不思議じゃないと思うが……名波は?」
「まだ用事があるんだと」
「そうか」
まずはハンバーグを箸で取る。これは冷凍食品ではなく、妻の手作りだ。
「あの事件知ってるか? 外国で起きている事件」
口に入れたところで、本間が唐突に切り出してきた。
「足の腱を切る事件のことか?」
「そうそう。六件目だぜ。あれ怖いよな」
「そうか? 別に誰かが死んだわけじゃないし……まあ一時期騒ぎにはなったな。犯行の動画が公開されたのはちょっと異常だ」
事件は今年の二月、ポルトガルの田舎町から始まる。町外れに住む村民の一人が、足の腱を切られて倒れているのを発見された。出血はそれほど多くはなく、幸いにも一命を取り留めた。ここまでなら大した事件としては扱われないだろうが、後に世界を騒がせる事件となる。
犯行現場を映した動画が、世界中に公開されたのだ。
腱を切られた被害者が、犯人から逃げるため地面に這いずる様を、延々と撮られていたのだ。まるでその様子を嘲笑うかのように、立った状態の位置からなめ回すように撮っていたらしい。
「被害者の話によると、犯人は黒いコートを着て、フードを深く被っており顔は見えないとのこと。一人で帰路に就く暗い時間帯に襲われ、足を切られ、そのまま解放された」
「ずいぶん詳しいじゃねえか」
「いや、さすがに最初の二件は怖かったからな。シャルルの両親がフランスにいるし。でも、後の事件はずっと離れていったな」
「そう。それがミソ。俺が怖いと思ったところだ。最初はポルトガル。次はスペイン、次はハンガリー、そしてウクライナ。ここからヨーロッパだけだと思ったら、ロシアのモスクワ付近で被害。そして今回のインドだ」
「ほう……」
「犯人は、ずっと東に行ってるんだ」
言われてみて初めて気づいた。確かにだんだんと東に行っている。
「ま、たまたまかもしれないけどな」
「そりゃそうだろう。それより、今回だけやけに期間が空いたのが気になるな。ロシアまでは各二週間程度だったのに、今回は二カ月か」
「こうなると、日本に来るのも時間の問題かもな」
「驚かすなよ……」
言いつつも、国境をやすやすと越えられるのかと考えてみる。前の世界でも、サンラート大陸の国境間は厳重な警備をしていたと聞く。いわんや、情報や科学が発達したこの現代なら、さらに厳しいはず。
こんな話をしたもんだから、午後の仕事はちょっと身が入らなかった。別に手を抜いたわけではないが、どうもこの事件が頭に引っかかるのだ。書類制作をしている時、キーボードを叩いている時、ふとこの事件を思い出してしまう。
死亡者が出ていないにもかかわらず、ここまで不気味な事件というのもない。国内で起きた事件でもないのに、なんでここまで気になるのか自分でもわからない。
空と町が陰り出した頃、特に残業もなかったので早めに帰った。病み上がりだから気を遣われたのか、本当に仕事がなかったのか。今日は金曜日だが、本間も気を遣ってくれたらしく、快く送ってくれた。
大事を取っての車移動で帰宅。家にはシャルル、梨花、ラティオといつものメンバー。ラティオは普通にいるようになったな。
「ああ、お帰りなさい。今からちょうどご飯にするところ」
わずかばかりの匂いが鼻を働かせる。お、カレーの匂いだ。余り物のカレーで、おそらくドリアあたりでも作っているのだろうか。
シャルルはとたとたとキッチンの方へ。着替えを終えてリビングに行くと、二人が距離を空けて、会話もなくテレビを見て座っていた。
「おう」
「三人で何を話してた?」
「昔の思い出話ですよ」と梨花。
「何か収穫は?」
「いや、別になんもない。私と梨花がSNSであの国旗のパッチワークを公開したくらいか」
さてさて、これで英語圏まであの画像が出回ることになる。どうなるやら……まだためらう自分がいる。
「そういえば、私はお前のSNSを確認していない。画像は大丈夫か?」
「え、たぶん大丈夫だとは思うが……強いて言えば一個だけ怪しいものがあるかな」
「なんだ?」
「前に取引先の人と飲んだ時の写真。全員集合で撮った」
「とすると、店の内装や顔が出ていると言うことじゃないか。消しとけ消しとけ」
「でも相手方に『いいね』ももらってるし消しにくいな。結構な人数がいるからバレないとは思うが」
「わかった。確認するから」
と、ラティオが手を出す。件の画像を出し、スマホを預けた。
「内装で特定されることはないだろうが……ん?」
画像に目を落とした瞬間、急にラティオが固まった。信じられないものを見た、と言うような表情。眉にしわが寄っている。
「なんか……めっちゃ怖い人がいる」
「何の話?」
そう言い梨花ものぞき見た。彼女も瞬時に固まった。
「え? なんか一人だけ格闘ゲームの強キャラがいる」
度会さんのことだろう。席に座っているが、頭が周りの人より一つ飛び抜けている。
「この人カタギの人?」
「正真正銘カタギだよ。立派な社会人だよ」
「いや、それにしてはとんでもない威圧感」
数度、ラティオは頷いた。
「うん、このままでいいんじゃないかな。この人がアカウントの人だと勘違いすれば、相手もビビって手出しもしないだろう。うん」
なんだその話の落とし方は。まあ消すという面倒なことをせずに済んだのはよかった。比較的目立った場所にいるが、特定はされないだろう。あわよくば撮影者だと思われるはず。
「ジアルード……じゃなくて僚真さんは、この人と仲がいいんですか? 肩組んでるんですけど」
「ああ、度会さんって言うんだけど、昔から怖がられるのをすごく悩んでいたらしいんだ。そこで俺が一切怖がりもせず普通に接したら、やけに気に入ってくれてな」
「よく怖がらないな。私は自信がない」
ラティオは首を振る。
「燎王時代には色んなやつがいたからな。俺より数倍はでかいやつや、金剛力士像みたいな筋骨隆々のやつもいたし」
「なるほど。昔の経験からその胆力が備わったか」
「胆力というか、人を見る目が養われたんだ。見た目は怖いが、普通に接すれば何も害はないとか、そこらへんの線引きができるようになった。ただ、変に物怖じしないせいか変なトラブルに巻き込まれるが」
頬を思わず触る。臆病なのは長生きの秘訣というのは、○ルゴ13の言葉。
「じゃあ燎王の時は、ビビるような敵はいなかったわけか。あの時のお前より腕のある者などそうはいなかったからな」
「いや、一人だけいたな」
すぐにこれには返せた。
「底知れぬ恐怖を感じたやつは、一人いる」
「ほう。燎王が恐怖とな」
興味津々と言うように、ラティオは前屈みになってこちらを見る。
「あの時だ。アイライル会戦で、まさに決戦が始まった時のこと。ある一人の男と対峙したんだ」
「その男とは?」
ちょっと溜めて口にした。
「サザンカ・リヴァイツィーニ」
「サザンカ……」
梨花が復唱するみたいに呟いた。
「見た目はこっちで言えば、高校ぐらいの少年だ。だがまとっているオーラは、本当に不気味だった。つかみどころのない、深い深い闇のようなもの。あいつは、戦場であった中でも別格だと思う」
直接対決をしたわけではない。兵士が次々とやられるのを見かねて立ちふさがったところ、用は済んだとでも言うように、すぐさま脱兎のごとく去って行ったのだ。
生気の無い虚ろな目。ボロキレのような服装。なびく白(しろ)髪(かみ)。そして片手にはちゃちなナイフ。武器はただそれだけである。ただそれだけであるからこそ、恐ろしく機敏で、的確に相手の可動箇所を貫くのだろう。兵士が次々とやられ、動かなくなるのは異様な光景だった。
「そのサザンカじゃないですか? 昨日話してた健を切るやつって」
「梨花は知っているのか?」
「手口とか家族構成程度ですよ。確か、父、母、兄、弟の四人だったような」
「いや、小さい妹がもう一人いたはずだ」
と、ラティオが補足をした。
「ありゃ、それは知らなかった。まあとにかく、これらは全て殺し屋として育てられています。腕はもちろん立つのでしょうが、まさか燎王様をビビらせるほどとはね」
ここで話は打ち止め。料理が運ばれてきたからである。ちょっと込み入った話はあったが、料理が来たためすぐに思考を切り替える。大好物が使われた料理は例外なく大好物である。ただ予想に反し、ドリアではなくカレーうどんだった。
醤油ベースのつゆが絡む麺を食べる。やはりおいしい。次につゆを飲む。うん、小口切りのネギと合う味。
「……」
おいしい料理を食べているにもかかわらず、頭を占領するもやもやがあった。ちょっと場所取りますよ、ではなく、完全に占拠してふんぞり返るような図々しさで居座っている。
サザンカ・リヴァイツィーニ。直接戦ったわけでもないのに、どうしてこうも頭が離れないのか。月光を反射した交差する刃。捉えきれない、機敏な暗夜の影。それらが網膜に焼き付いているかのように、容易く思い出されるのだ。なのに、何かどろっとした夢見心地の感覚がある。この感覚、つい最近味わったような……なんだっけ。
ああ、そうか。あの足の腱を切る事件を思いふけっていた時と同じ心境だ。
そう思ったのは、容器を空にした時だった。
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