2-6 不穏な空気

「おお、まさかナディアがここまで料理上手だとは」

「辛いものが苦手なのは覚えていたから、口には合ってるのも要因かも」

「それはありがたい。王族の出にもかかわらず、他人にきちんと配慮できるのはやっぱりナディアくらいじゃ」


 全然会話が頭に入ってこない。仲むつまじい会話なのに、片っぽの男が変な店に行ったと思うと集中できない。名刺にあんな堂々と赤ちゃんパブなんて書くものなのか? 知らんけど、見つかるリスクありまくりじゃないか。何を考えてんだここのオーナーは! いらん心労を抱えてしまったじゃないか。てか一番悪いのは、卓を挟んで目の前にいる男だよ。


 シャルルを守れなんて格好いいことを言ったくせに……お前は節度を守れよ。


「あ、そうだ。梨花と……シャルル。二人に話したいことがある」

「なんでしょう?」

「これからも、同じような生まれ変わりを探すつもりではいるんだな?」

「あ、はい。そのつもりです」

「同じく」


 手の代わりに梨花はスプーンを上げた。


「それについては私も協力しようと思う。一応フォロワー数は多いし、何より日本以外の地域にも広がるのはいいだろ?」

「ええ。日本にも二人いるくらいですから、アメリカの規模になればもっといるかもしれません」

「そこでだ。協力するにあたって、これから起こるかもしれない事態に備えようではないか」

「起こるかもしれない事態、ですか?」

「簡単な話、生まれ変わる人物が、全員話がわかる善人とは限らん。危険人物の可能性も充分あるわけだ」

「これは……考えていたことですね」


「私という例もあるし。だけど、話してわかり合えることもあるわけで」と梨花。


「そこでいい方法がある。SNSを通じ、相手の素性をより精査できる状況に持ち込む方法がな」

「その方法とは?」


 一旦口を閉じ、溜めに溜めて言った。


「まず、こちらの素性を隠せ」


 お前はいかがわしい店に行った痕跡を隠せよ。


「住所も消した方がいい。公開している画像も徹底的にチェックして、住所を絞らせないようにしよう。特に蓮見町と書かれた電信柱が写ったもの。あれは特に消すべきだし、これからも止めた方がいい。なあ僚真」

「あ、はい」

「こうすることでどうなるか。あの国旗を見て返事をくれた人間の情報を、一方的に集めることができるんだ。返事をくれた時点で、あなたは誰ですかと聞く。そうすれば相手は答えるしかなく、一方的に相手の情報を得る状況に持ち込めるはずだ。まずはこちらからイニシアティブをとる。相手のプロフィールや過去の投稿も確かめて、危険思想のない人間かを確かめる。それである程度保証がきくなと思ったら、今度は普通にこちらから明かす」

「なるほど。ですが、相手が手の内を明かさない場合は?」

「その時は何も言わないまでだ。相手だって自分と同じ境遇にあるかもしれない人物とは会いたいはず。相手の意見を、そう無下にはできんだろう」


 やべえ。めっちゃ素晴らしい策を披露しているのにもかかわらず、赤ちゃんパブの衝撃が未だに忘れられない。さっきから堂に入ったスピーチをしている目の前の男が、変な店に行ってるかと思うと、笑いとやるせなさがこみ上げてくる。


「英語なら私を通せ、知らない外国語でも私を通せ。一応英語は、弱いヒルムル語みたいなものだからな」

「うーん、言語が分かれているのがほんと不憫。めんどくさい。それなら国語と英語の勉強を一本化して勉強できるのに」

「むしろ言語が分かれていないクラクルスがおかしかったのかもな」


 梨花も含めて普通に会話をしている三人を尻目に、俺はもう会話する気にもなれなかった。とにかく頭がいっぱい。大の大人が生まれたままの姿にオムツでも履いて、おしゃぶりでも咥えて椅子に座っているのかと考えると、どうしても思考が遊離してしまう。


「あ、全員食べ終わった? なら片付けましょう。続きの話はそれから」

「じゃあ私も」


 二人が皿を重ね、キッチンへと向かう。ラティオはそれを見てから、手を組み、両肘をついてこちらを見た。ああ、こっちが変なことに気づいたか。

 たっぷり五秒くらい待って、彼は言った。


「お前、さっきから様子がおかしいぞ」


 おかしいのはお前の性的嗜好だよ。


 無論、口に出しては言わなかった。しかしあの名刺を落としたことを気づかないかね。あんなやましいやつ、普通は気づくと思うのだが……ん?

 この瞬間、あるひらめきが頭の中を駆け巡った。


 これは、漫画でもよくあるパターン。いわゆるアン〇ャッシュパターンじゃないのか。エン〇の神様を中学時代かぶりつくように見ていた俺としては、このパターンにすぐ気づけなかったのは恥ずかしい。


 そうだよ。ただ名刺があるだけで店に行ったとは限らないじゃないか。誰かにもらったのかもしれない。そもそも落ちるような場所にこんなものを入れているわけがない。そう思い、気が動転してなぜか尻ポケットに入れておいたままの名刺を取り出し、すっと机に滑らせる。


「あの、これなんだが――」


 出した瞬間、亜光速の速さで名刺を奪われた。わずかな希望は、一秒もかからず打ち砕かれた。


 汗をかいている。頭のどこかに水源でもあるのかと思うくらいに流れている。目もあちこちに泳ぎ、口はすぼめたまま硬直していた。


 もう真実かどうかは明らかだった。


「行ったのか」

「いや、違う」

「その反応で行ってないはおかしいだろ。行ったんだろ。なあ?」

「何を言うか。わしは日本語を話せないし、読めないんだぞ? 仮にこんな店に行ったところで真っ当なサービスが受けられるわけがない」


 名刺を机に置き、強調するようにとんとんと指を突く。たまに老人言葉が混在している時があるが、それは無視。


「昨日ネットで調べてみたよ。そうしたらオーナーがアメリカ人なんだとさ」

「へあ!」

「普通の店ならともかく、こういう店が全く外国人に配慮していないとは思えない。いざとなればオーナーが出てくればいいからな」

「ち、違う。これは店の宣伝として配られたものだ。まだこっちに着いたばかりで駅に向かっている途中、配られて……」

「これは宣伝用ではなく、指名された相手が客に渡す名刺だぞ」


 出張で都会に行った時は必ずキャバクラに通い詰める、本間栄治くんの入れ知恵である。


「あ、あ……」


 言い逃れできないとみるや、この世の終わりみたいに頭を抱える。


「賢者も形無しだな。慌てるとボロが出る出る」

「ミスなんだ……ポケットに入れたままなのを忘れていたんだ」

「だとしたらもうちょっと注意すべきだったな」

「そうだな……本当に……なんてバカなミスを」


 頭を抱えながら、沼に沈むように、机に頭を下げ続ける。やがてゴンっと音が鳴った。


「シャルルはこっちに来て裁縫や料理に目覚めたが、お前は何に目覚めてんだよ」

「うう……仕方がなかったんじゃ。日本に行った友人からニッチなパブの話を聞いて面白半分で行ったら、予想外にはまって……三回ほど」

「三回!」


 情報の衝撃に身を乗り出す。


「ああ、三回」

「お前、来日して真っすぐここまで来たんじゃないのかよ」

「いや、生まれ変わりがいるのは確信していたから、その前に試そうと思って東京に泊まったんじゃ。いや、もうこれはすごい」


 抱えていた頭をゆっくりと戻し、


「別世界に来たのに、また夢のような別世界に行ってしまった」

「うるせえよ!」


 もしこれが本当に二十歳の若者だったとしたら、人の性的嗜好なんて色々あるよねで済まされるが、相手はじじいである。カルタナ族でも中々の地位にいる、昨日まで老練な雰囲気を醸し出していたじじいである。全く割り切ることができない。だってじじいがさ、オムツ履いて……ん?


 これって介護じゃね? 今の時代はお年寄りもオムツを穿く時代だから、倫理的には問題なくね? だとしたら割り切れ……いやいや。真っ当なお年寄りはオムツ履いてバブバブとは言わないよ。


「とんでもない失態を目の当たりにしたな」

「ここまできたら観念するしかない。もうバレてしまったんだからな」


 緊張して力みまくっていた体を弛め、深いため息。落ち着くなよ。こっちはまだ整理できねえんだよ。


「この事を知ったら、ナディア嬢は泣くぞ」


 ここで、あえて相手が使っていた呼称で言ってみる。


「想像してみるんだ。この事を知った彼女のことを」

「……」

「泣くぞ。すぐ泣くぞ。絶対泣くぞ。ほーら泣くぞ」


 FF好きのやつからしたら身に覚えのあるセリフだろう。


「やめてくれ……彼女には言わないで」

「いや、言うつもりはないぞ。俺だってシャルルがショックを受けるのを見たくはない。名刺はビリビリに破いて捨てればバレないだろうし、このまま二人が口を噤めば問題はない。後は証拠はないな? 何も」

「ああ、名刺以外はポイントカードしかもらってない。それは財布にしっかり入っているから大丈夫」

「お得に通おうとしてんじゃねえよ」

「お前たちを訪ねに日本に来る度に行くつもりだ」

「全然懲りてないなこいつ」

「店に行くくらいは了承してくれい。さすがに今回の失態みたいなことはもうしないから」

「……まあ行くのは別にいいよ。バレなければな」


 再度溜め息。


「シャルルを守れと言われたが、まずお前の痴態から守らなければいけないとはな」

「……すまない」

「ちょっと、さっきから喧嘩でもしてるの?」


 心臓が飛び出そうになり、慌てて目の前の名刺をつかむ。


「ああ、シャルル。なんでもない。ちょっとゲームのことで口論になってだな」

「はあ、全く。ズールさんがゲームにはまるとは思いもしなかったです」


 違うやべえ物にもはまってるんですけどね。そう思いつつ、なぜか取ってしまったパンドラの箱を、ポケットにしまった。


 梨花も来て、再び先ほどのように席に着く。ラティオの精神状態が心配だったが、なんとか日常会話に入るくらいはできたようだ。込み入った話ではなくなったため、テレビを点けてニュースを流し見する。六時台なので県内ニュースだ。


「SNSの画像のチェックの件なんですけど、普段はそこまで投稿もしないので、時間は掛からないと思います」

「じゃあさっそく今やろう」


 俺とシャルル、ラティオとスマホを開く。


「あ、そうだ僚真。アカウント名もジアルードにはしない方がいいかもな」

「ああ、そうだった。ちゃんと変えないと。梨花はアカウントあるか?」


 と、手持ち無沙汰の彼女に聞いてみる。


「一応ありますよ」

「だったら拡散手伝ってくれよ」

「大してフォロワーいませんよ?」

「ないよりはマシ」

「なあんか引っかかる言い方」


 彼女も指スライドをする集団に加わる。


「だけどあれですよね。本当に危険人物だったら連絡もせずに来るかも」

「さすがにそこまでの危険人物はいない……ラティオはどう思う?」

「バルネットくらいか? 私が死んだ後のことはさっぱりだから、考えたらきりがないな」

「ええ、考えてもきりがないですよ。それに、バルネットさんは悪い人ではないです。味方には優しいです」

「それは悪かった。ともかく、あいつみたいな戦闘狂がこちらに来たら大変かもな。それにジアルードも恨んでるだろうよ。だが、こちらにはシャルルがいるでな。むしろ彼なら説得できるだろう」

「……うーん」

「あと危険人物といえば、あの殺し屋一家だな」


 ラティオの一言に、全員の指が止まった。まるで誰かが停止ボタンでも押したようだ。


「リヴァイツィーニ家かあ。諜報員の私でも全貌はつかめなかった一家。謎の一家」


 カルタナ側、サンラート大陸東に居を構える殺し屋一家。その名声、ないし悪評は、私たちの方にも届いている。


 あの家族か。実は先の大戦で、直接対決はしなかったものの、見かけたことがある。残忍で、凶暴で、恐ろしいほどの実力で、金さえ積めばどんな仕事でもこなすという極悪一家だ。


 こちらに生まれ変わっているなら……どうなるだろうな。染みついた血の臭いは、生まれ変わった程度で落ちるだろうか。


「手口については知ってますよ。実力もさることながら、快楽主義者でもあるんです」

「それは聞いたことないな」


 梨花に向き直る。


「リヴァイツィー二家の中にかなり変わったやつがいましてね。足の健だけを切って放っておくやつがいるんですよ」

「足の健?」

「健を切れば、その場に倒れるしかない。移動もろくにできない。その様を見てニタニタと笑いながら見るんですって」


 サイコパスというか、狂人というか。もしこの世にいたら、大量殺人鬼の歴史に名前が刻まれそうな惨劇が起きそうだ。


「怖いなあ。万が一こっちに来ても、殺戮や支配欲などに目覚めなければいいが」


 そう考えると、新たな性の目覚めは別に大したことはないんじゃないかと思った。危険思想を持っている人間も、歯止めが利かない人間も等しく生まれるとしたら、やはり接触は危険ではないのか。またその考えに返ってしまう。


 しかしシャルルだけは守ると決めている。これだけは揺るがないようにしよう。


 仮に、仮にそういった思想を持っていたとしても、せめて平和な国に生まれて丸くなれと願った。この世界には無数に選択肢があるのだから。無用な争いも努力も、もうしたくはない。


 点けていたテレビから、最新のニュースが流れた。県内ニュースから全国ニュースを挟んだものだった。


「速報です。インドのファリダバドで、足の腱を切られる傷害事件が起こりました。同様の事件はこれで六件目となります」

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