2-5 賢者の夢
「絶妙な位置にバナナ置くんじゃねえよ!」
「うるさい。さっきジャンプ台の前でカミナリを落としたやつが何を言うか」
国民的キャラのレースゲーム。シャルルが欲しいと言ったので買ったはいいものの、全然腕が上がらないことにうんざりして放置したものだ。まさかまた出番が来るとは思わなかった。多人数でできるものは限られているから。
さて、今現在このリビングには二人しかいない。先ほどまで世間話があった部屋には、大の大人二人の叫び声がこだまするのみ。女性陣は寝室に向かった。おそらくシャルルが、男二人で話すことを察したのか、梨花を連れて行ったのだ。
「いやいや。さすがはナディア。空気が読める」
「単純に相手が面倒だったからかもしれないが」
そう言いつつ、赤の甲羅をバナナで防ぐ。
「で、空気が読めるなんて言うってことは、二人には何か話せないことがある?」
「いやなに。大したものではない」
カーブとともに体を曲げ、言葉を続ける。
「アメリカに生まれ、そのまま大学まで進学した経緯はさっき話したな」
「ああ。ケーキを食べながら嬉しそうに」
「そうか。嬉しそうに聞こえたか」
ふふ、と老人らしく静かに笑った。
「少し長くなるがいいか?」
「どうぞっと」
ドリフトでぎりぎりを攻めながら言った。
「私は昔からゲームが好きだった。日本の全盛期のゲームはかなりやったつもりだ。自分の分身が別の世界を駆け巡る、言わばRPGというものが特に好きだったな。そんなゲームをやっていく中、ある夢を持ち始めた。それがゲーム作りだ」
「ほう」
「実は大学でな。仲間を募ってインディーズゲームを作っているんだ」
「へえ。あの堅物そうな爺さんが、そこまでゲームにはまるとは」
「親がIT関係の仕事をしていて、幼い頃からパソコンと触れあったんだ。私が生まれるあたりで、ちょうどよく世界的に普及したからな」
おそらくは95のやつだろう。
「あんなクリエイティブな作業は初めてだった。自分で一から作り、自分で全ての設定を考える。これほど楽しいものはなかった。まさか遊ぶ側から作る側に回るとは思いもしなかった」
「こちらの世界に来なければ、知り得なかった特性だな」
「ああ、本当に。今は二十歳だが、実質的には八十以上は生きていることになる。そんな感性が鈍ったとも言える年に、はまるものが出てくるとは」
「それが二人で話したかったことか。別にいいじゃないかそれくらい。秘密にする必要ないって。シャルルはゲームを毛嫌いしていないぞ」
「別に深い意味などありゃせん。男同士だから話せることもある。夢とかな」
「夢?」
「私の夢は、あの世界をそっくりそのまま再現したゲームを作ることなんだ」
思いもかけない夢に、一瞬手を離してしまいそうになった。
「ほう、そう来たか」
「二つの大陸と二つの種族。これをある程度は再現したゲームを作りたい」
「これはぜひ応援したいな。しかし、一つ要望がある」
「なんだ?」
「ぜひ、ミルダウ族を悪者にしないでくれ」
軽く相手を追い越して言った。
「俺は魔王と呼ばれるのが嫌いだ。魔王と勇者なんて、単純な二律背反構造が嫌いだ。カルタナは勝手に立場を二つ作り、こちらを悪者にしてみせた。よりにもよって魔族なんて蔑称をつけた。そりゃ中には異形の者もいるが、大半は角が生えているなんて、ただの外見的特徴しか差が無いのに」
頭を振り言う。
「だからせめて、どちら側にも立たないゲームを作ってもらいたい。さながら銀河〇〇伝説みたいな感じで」
「ふむ。善処しよう。しかしその作品――」
「知ってるだろ? アカウントのアドレスをキルヒアイスにしてるくらいだからな」
「ああ、知ってる。大好きな作品だ。それを引き合いに出されたら、いよいよ偏ったものは作れなくなったな」
かすかに笑った。
「その代わり、ミルダウ族の内情もちゃんと教えてほしい」
「もちろんだ。二種族間の情報なんて、かなり制限されているだろうからな。せめてゲームの中くらいはうまくやれるように助力してやろう」
「ありがたい。二人にもいずれは話すだろう。協力者は多ければ多いほど情報は揃うだろうから、さらに仲間を集めないとな。私も生まれ変わりを探すのに尽力しないと」
思わずコントローラーを操作する手が止まる。追い越されたが、アイテムを使う気にはなれなかった。
「はい一位通過。ポイント合計でもわしの勝ち」
笑ったのも一瞬で、すぐにこちらを見やる。
「なんでアイテムを使わなかったんだ。普通に独走だったろうに」
「ああ、いや。それより、もうゲームはいいだろう」
「ん? まあ充分やったしな。別にいいぞ」
コントローラーで電源を消し、テーブルに置く。
「どうした? 何か話したいことでも」
空気が変わったのを察知したか、彼の口調もささやく感じになる。
「あまり口に出したくないことだが、二人には内緒にしてくれるか?」
「ああ、約束しよう」
こいつなら、わかってくれるかもしれない。手を組み、意を決して話した。
「他の生まれ変わりを探すことなんだが、俺は反対なんだ」
「ほう」
「厳密に言えば、恐いのかな。せっかくシャルルと普通の生活を営めるようになったのに、恨みを持つやつが現れて日常が壊されるのを考えるとな、やっぱり心配だ」
「燎王ともあろうやつが、ずいぶんと保守的な考えだな」
「おかしいか?」
「いや、全然。今日も危うい場面はあったしな。しかし私からしてみれば、生まれ変わりの法則もわかるかもしれない、という望みがあるからな」
なるほど。そういう考えもあるのか。
「ずいぶんと先進的な考え方だ」
「本当は政治家ではなく、研究者になりたかったんだ。そういう探究心は今もある。なぜ四人が生まれ変わったのか、他にも誰かいないのか。このあたりは気になるところだ。私ですら知らないアイライル会戦の真実も紐解いてみたい」
気になる。後者の方は特に気になる。なるのだが……。
「あえて厳しいことを言うのであれば、もし反対するなら、最初から画像を公開しなければよかった。どうしてナディア……いや、シャルルと相談しなかった?」
厳しい目つきがこちらに向けられる。
「それは……」
「もしその恐れがあるなら、なぜ彼女に作戦の危険性を教えなかったのか不思議でならない。平和主義で、一般的な人間関係など経験しなかった彼女だからこそ、こういう作戦を採ったのだろうが」
「まさしく、そのとおりだ。シャルルの楽しそうな顔を見て、無下にもできないと思ったんだ」
「一旦川を下り始めたら、船はそのまま流されていくだけだ。元の場所に戻ろうとしたところでどうすることもできん。しからば船を、たった今流れている船を、うまく操縦する方が先決ではないのか」
「……」
「これからの方針は、全員で話し合って決めよう。お前の考えも充分考慮すべきことだ。私だって今話したのが正しいなんて思っていない。むやみに拡散するのは危険だ」
「どっちつかずだなあ」
「解答のない問題だから仕方ない。だが、これだけは言える」
口を一旦閉じ、
「お前は何としてでも、シャルルを守れ」
すっと、流れるように言った。故に、簡単に心に染みた。
「所帯持ちが妻を守れなくてどうする。梨花ももちろん守るべきだろうが、シャルルはか弱いからな。ひとまず、何があっても守ることを約束しろ。一応は爺代わりとなっていた男からの言葉だ」
「……わかった」
「よろしい」
七歳も年下の男の風体だが、まとった雰囲気は長年生きた者のそれである。背負った重みを、様々な所作や言葉から感じる。
「それじゃあ、そろそろホテルに帰るかな」
「もう帰るか」
「さっき言った方針のことも考えなければいけないしな」
そう言い立ち上がる。
「明日は普通に仕事だから、できれば夜に来てくれ。夕食も用意する」
「ならホテルには断りを入れてくるか。シャルルの手料理が楽しみだわい」
ゲーム機を片付け、見送りのため玄関へ。
「あら、もう帰るの?」
足音を聞きつけたのか、部屋からシャルルが顔を出す。
「ああ、ちょっと情報をまとめに。明日は夕方に来る」
ジーンズに映える白のスニーカーの紐をきゅっと結ぶ。
「明日、ですか。ならカレーにでもしますかね」
「日本人はカレーが好きだな。楽しみにしてるよ。それじゃあ」
外見は爽やかなイケメン、中身は爺さんの威厳を保つ若者は、手を上げながら去って行った。
「いや、本当に違和感がすごいわね。ちゃんと若者をしている感じが」
「若返ったみたいなもんだから楽しいんだろ」
「それもそうかもね。でも、中身は変わってないみたい。本当に頭の切れる、頼れる人」
そう。まさしく俺の抱いた印象と同じだ。種族の色眼鏡で見たときは、ただのいけすかない爺さんだったが、それらを取っ払い会えば、なんとも柔軟な考えを持った快活な人物だった。
「考えをまとめるって、何をまとめるのかしら?」
「明日になったら話してくれるだろ」
「気になるなあ」
妻となった女性の顔をちらりと見た。守るべき人、か。説教されてしまったな。だがすんなりと心に入っていった。
そうだ。彼女だけは守ろう。不用意に触れるべきではないという方針は揺るがないが、彼女を守ること一点においては心に決めた。
まさか他種族の人間に、ここまで尊敬の念が湧いて出るとは。昔の俺が知ったら眉根でも寄せるのだろうか。
そう思い踵を返そうとした時だった。
……ん?
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
ちょっと首を傾げる彼女だったが、部屋へと戻っていく。それを見て、今一瞬だけ見えたものに、再び目を落とす。
先ほどラティオが尻をつけていた玄関マット。そのあたりに、小さな厚紙がぽとりと落ちているのに気づいたのだ。マットの灰色と似ているが、それは裏面だろう。
拾い上げてじっと見る。こちらには何も書かれていない。
そして表を見る。表は灰色と打って変わって鮮やかなピンク色と、これまた鮮やかな赤色でフォントが飾ってある。「Baby kids」なんて、意味が重複してそうな文字だった。
なんだこれは、なんて思いはすぐに吹き飛ばされた。地味に白く、小さく印刷された文字を見つけたからだ。
ただ一言、驚愕した。そこに書かれていたのは、
赤ちゃんパブ。
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