2-3 宿敵相対す

 機を見たかのように、ガチャリと玄関の扉が開く音がした。そしてシャルルのただいまと、ガサガサとビニールが擦れる音が聞こえた。音の方は扉の前を通り、仕切りのあるダイニングの方へと消えていった。


「お客さま?」


 手ぶらのシャルルが扉を開ける。梨花はいない、か。これは好都合だ。


「ナディア……君が、ナディアか」


 ラティオが彼女を見てつぶやく。


「え?」


 ふいを突かれ、シャルルの表情も動作もぴたりと止まる。


「ヒルムル語……そしてその名前を知っているということは、カルタナ族の生まれ変わりの人?」

「ああ、そうじゃ。わしだ。ズール・イグニスだ」

「ズールさん!」


 途端に彼女の表情が驚愕のものに変わり、両手で口を押さえる。


「いやはやびっくりだわい。一目でこの子はナディアとわかった。姿こそ変われど、まとった雰囲気はおいそれと変わらんのう」

「ああ……そのしゃべり方はまさしくズールさん」


 徐にシャルルは彼に抱きついた。一瞬嫉妬を覚えてしまっていたが、元の爺さん口調になっているからかすぐに思い直す。


「まさかこちらの世界でも会えるなんて」

「よく生まれ変わってくれた……本当に、お前さんが戦死したと聞いた時は、胸が引き裂かれそうだったわい」


 交わされる言葉、雰囲気は、生き別れた父子のそれである。


「二人はそんなに親密な関係なのか?」

「おっと、すまない。つい再会に浸ってしまった」


 大げさな動作で、体を離す。


「いや、それは構わないよ。しかし、まるで父と娘の再会だ」

「孫娘、と言った方が当たっているかもな」

「小さい頃、座学を学びにサルマルクを訪れたことがあって、その時によくしてもらったの」

「子供などいなかったから、余計に可愛がっていたな」


 なるほど。二人がここまで再会を喜ぶのも納得がいった。


「だけどあんなお爺ちゃんがこんな若い人になってるなんて、本当に違和感があるわね。小日向〇世が若返って別人になったみたいな変な感じ」

「またその名前か……」


 ふふふと、シャルルは上品に笑っている。気心も知れているのだろう。


「二人にとっては喜ばしい再会だろうが、問題は……もう一方だな」


 ズール、もといラティオが険しい表情になる。


「ズールさんは、カーリンという人を知っていますか?」

「ああ、知っている」

「なら呼びます? 来客があったから部屋にいてもらっているのだけれど」

「……やむを得まい」


 彼の後悔の色が見て取れる。さて、これからどうなるか……。

 シャルルがリビングを出て、すぐに戻ってきた。その横には、怪訝そうな顔で部屋に入る梨花。


「あらやだイケメン」


 しかし、すぐに顔がほころんだ。


「え、どなたです? このイケメン」

「ついさっき連絡が取れた生まれ変わりだ」

「え?」

「彼の名前は……ズール・イグニス」


 先までの表情はすぐに消え去り、殺意の目を向ける。力を入れるように一歩目を踏み出した時点でまずいと思い、すぐに間に割って入り肩を押さえた。


「落ち着け」

「どいてくださいよ。こいつは私を監獄に連れ込んだ張本人なんですから!」


 思わず顔が引きつる。


「拷問なんかくそどうでもいいけど、密閉された部屋での暮らしは精神的に辛かった! ジアルード様が死んだと報告され、それからはずっと後悔の日々だった。どうしたら助けられたか、どう情報を集めていたらこの悲劇は回避されたかをずっと考えていた!」


 強ばっていた体から、徐々に力が抜けていく。


「シャルルさんはもう許したつもりです。ですが、さすがに牢屋に連れて行って、拷問した張本人は許すことは――」

「ちょ、ちょっといいか」

「なんだ! まだ私が話している途中でしょうが!」

「私はお前を牢屋に連れて行ってなどいない。ましてや拷問なんて」


 ……ん?

 食い違っている。ちょっとおかしいぞ。


「え、あんたじゃない?」

「確かに捕まえたのは私が率いた軍だ。お前が張り巡らせた情報網を恐れて、お上からお前を捕らえろと指示を出されたんだ。しかしその後の処遇を決めたのは、もっと別のやつだ」


 なおも変な空気は流れる。


「おそらくそれは黎目れいもくのアンドレットだ。私は暗目」

「……なにその中二病みたいな肩書きは」

「四賢人が目の異名を取っているのは知っているけど、暗目は初めて聞いたわ」


 諜報員も近しい人も知らない異名とは。


「と、とにかく、あんたを手に掛けたのは別だ。別の人間だ。私は捕まえた以上のことは関与していない」


 梨花はちょっと拍子抜けたような表情。先ほどの殺意はない。ジェンガを崩さないみたいに、肩からゆっくりと手を離す。


「いや、まあ恨まれるのは当然だ。そうなった原因を作ったのは、まさしく私の軍なのだからな」

「……」

「許してもらえるなんて思っていない。私を恨みたくば恨め」


 腕を組み、目を閉じた。


「殴りたきゃ殴れ」


 何度目かの沈黙。

 ベランダにカラスが一羽、ちょうど影となり、梨花の足下付近に落ちている。あっちこっちに首を動かしきょろきょろしている。落ち着きがない動き、右往左往。

 そしてそのカラスが飛びたつのと同時、まさに同時。腕を振り上げることなく、ほぼノーモーションで静かな部屋に音を鳴らした。


 バチン!


「いってー!」


 殴るのか。この空気で殴るのか。


「今お前からは、こう言っとけば殴られずに和解に持ち込めるかもという打算的な考えが見て取れた。だから殴ってみた」

「……なくはないです」

「ほら見ろ」


 ふうっと、梨花は息を吐く。


「だけど、今のでだいぶすっきりした。えっと、不用意に殴って申し訳ない」

「不用意どころじゃない……」

「私の中には火がある。ちょっとやそっとじゃ消えない、あんたたちに点けられた火がな。だけどそれを抑える努力も続けるつもりだ。怒りは、本当に実行者にのみぶつけることにするから」


 今度はラティオが、はあっと息を吐く。こちらは呆れたような、安堵したようなもの。


「これも当然の報いなのかもな。しょうがない」


 と、頬をさする。


「しかし、あの無駄を全て削ぎ落としたようなカーリンが、今や普通のジャパニーズJKになってるとはな」

「驚き具合ではこっちの方が上だよ。爺さんが急にイケメンになってるから。あれだね。小日向〇世が若返ってチャラくなったような違和感」

「ねえどんだけ似てんのその人。さっきからやたらと引き合いに出されてるんだけど。そもそも誰なんだよ」


「ある時は腹の底が見えないおじさん役。ある時は優しいおじさん役。またある時は憎たらしいくらいの悪役」

「実に多岐にわたる役柄をこなすマルチな俳優さんだよ」


 夫婦そろって言った。


「そ、そう……」

「変なノリは置いておいて、せっかく和解したんだ」


 チラリと、時計を見た。


「昼食にしよう」


 ラティオはバツの悪そうな顔をした。


「いいのか?」

「別に遠慮することはないさ。俺はすでに許してるし、梨花だって割り切っているし」

「仲良しこよしは勘弁願いたいですけどね。恨みをぶつけるなと言われてるだけで、仲良くしろとは言われてませんから」


 ……間違ったことは言ってないな。


「込み入った話は、また後でだ」

「込み入った話ってなんです?」

「それは昼食後にする。さて」


 梨花と同じくきょとんとするシャルルに顔を向ける。


「さすがに四人分の食材はないよね?」

「ん? まあ、さすがにないかな」

「なら外で食べよう。話はそれからだ」


 指をちょいちょいと動かし、外へ向かう。二人は事情も知らずともついてきた。


「梨花は着替えなくていいのか?」

「制服で問題ないです」

「もうちょっと着飾るくらいはしろ」

「制服は冠婚葬祭に使える最強の防具です」


 二人は近くに、ラティオは二歩くらい後ろをついていく形。日差しの暑い中、契約駐車場に停めてある愛車に向かう。将来を見越して買ったワゴン。なんと最大で七人も乗れる優れものだ。


「嫌っす。こいつと隣は嫌っす」


 と、梨花がわがままを言ったので、彼女は助手席に、シャルルとラティオが一つ後ろに。皮肉にも二種族を分けた形で出発する。


「さてラティオ。何が食べたい?」


 バックミラーを調整して言った。


「そりゃあ日本に来たんだから寿司。回転寿司」

「ちょうどいいな。有名なチェーン店が近くにある。まず梨花はたらふく食え。俺の奢りだ」

「やったー」

「ラティオはどうする?」

「世話になるつもりはない。数日分の旅費なら確保してあるから」

「七歳も大人な相手に遠慮するなよ」


 時折エアコンに手を当てて冷やしながら、バックミラーに目をやる。


「大学生だが、一応稼ぎはあるんだ」

「意固地だねえ。爺さんの考えで暮らしているとめんどくさいぞ」

「うっせ」

「そういえば」


 ここでシャルルが口を開く。


「ズールさんは、私たちが戦死した後、亡くなったんですよね?」

「ああ、そうだ」

「なら、私たちが死んだ七年後に亡くなったということでしょうか?」


 ああ、それは俺も聞きたかったことだ。ナイス。さすが我が妻。


「七年というのは、こちらの世界の基準だ。ちょっと待ってくれ。今計算する……ええと、ナディアが戦死したのはいつだ?」


蕾期らいきの56、だったはずです」


 日本に四季というものがあるが、あちらの世界には四期なんて名前のものがある。木々が蕾を持つ蕾期、試練を与える雨期、そしてそれを乗り越え実をつける成(じょう)期(き)、そして草木が枯れ、新たな命を受け継ぎ眠る凍(とう)期(き)。これは二種族共通である。


「あちらで一年は三四五日。一日の時間はおよそ二十。そこから導き出されると……うん、こちらで計算すればちょうど七年ほどの期間だな」


 さすがは賢者。計算が速い。


「秒や分の概念が近くて助かったな。おそらく大きくは間違っていない」

「それじゃあ、私の死期の計算も」


 次いで梨花の死んだ日を聞き、それもすぐさま計算して見せた。


「アイライル会戦の後、およそ十二年後に死んだことになるな。こちらも大体は合ってると思うぞ」


「じゃあやっぱり、死んだ後すぐにこちらに生まれ変わるのでしょうか?」とシャルル。


「おそらくは、な。多少はラグはあると思うが」


 俺が初めてこの世界を認知したのは、死んでからすぐのように感じた。だが親から聞くと、布に包まれている時に漏らしたのは、生後半年の事だったらしい。意識はだいぶ飛んでいる。


「そうなると、クラクルスで死んだ人は全員こちらに生まれる?」と梨花。


「いや、それはないだろう」

「どうして?」

「もしそうだとしたら、今まで一切あの世界の名残を見聞きしなかったことに説明がつかない。それにジアルードやナディアが拡散した国旗の画像に、もっと反応があってもいいはずだ」

「なるほど」


 と、相づちを打つ。これには納得。


「いるとしても、ごく限られているのかもな。生まれ変わる法則も何もわからないが」

「四人だけの情報じゃあ足りなすぎるな……さて」


 見えてきた。テレビにもバンバンCMを垂れ流している回転寿司店が。


「見えたぞ。あれだ」

「ほう、あれが」

「珍しいか?」

「そりゃあな。字がいまいちわからんが、象形文字を思わせる文字だ」


 ただ単に「すし」って達筆に書かれてあるだけだ。


「店でヒルムル語は禁止な。知り合いがいるかもしれないし」

「わかった。なら本格的な話は帰ってからか」

「本格的な話?」


 女性陣がそろって反応した。ちょうどいいから、ここで聞きたい話を明確にしておこう。


「飯食い終わって一段落したら、特に二つの話を聞きたい。アイライル会戦がなぜ起こったのか、そして」


 一拍おいて言った。


「なぜ勇者たちは、ナディアを置いて逃げたのか」

「ふむ……そっちもか」


 バックミラー越しのラティオは思案顔。


「ああ、いいだろう。長くなるが、その二つの話は一応つながっている」

「つながっているのか……」

「ああ、昼食を取りながら、何から話すか考えるかの」


 満杯の駐車場を探し、ようやく出て行く車を発見し停める。行列が駐車場まで延びており、その最後尾に並んだ。日陰がなく暑い。


「お」


 梨花が何かに気づいたように指を差す。


「あれ、小日向〇世ですよ」


 一瞬何を言ってるのかと思ったが、なるほど。店の自動ドア付近に映画の告知ポスターがある。シャルルがラティオに耳打ちをする。


「あれが……」


 頭を前に突き出し、目を細める。


「うん。あれだな。お前たちは役柄がどうとか言っていたが」


 恨めしくこちらを見やる。


「お前ら頭で判断しただろ?」


 こくりと、三人同時に頷いた。

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