2-2 新たな訪問者
思わず腰を上げた。間違いない。見間違えるわけがない。ローマ字で丁寧に「パルミナード」と書かれているじゃないか。
「これは……」
とすると相手は、生まれ変わりか。すかさずイエスと送ってみる。すぐに返事が来た。
(where in yamagatacity do you live now?)
やたらと具体的だ。梨花と同じく画像をたどり、近くに来ているのか。
さすがに住所を一般公開するのはまずいので、フォローをしてもらい、DMで個人間でしか見えないやり取りを行う。最後はサンキューとだけ返信があり、そこから連絡は途絶えた。
……思わぬ時に新たな生まれ変わりか。色んなことを考えた後だから、何か運命めいた、作為的なものを感じてしまう。高揚なのか、恐れなのかわからないが、どきどきと脈打つとともに緊張してしまう。おそらくは後者の方が強いが……来訪者を待つしかない。
その間、相手のSNSのプロフィールを見てみる。名前はラティオ。これが本名かはわからない。性別は男。住所はアメリカ、とだけある。留学生でもない限りはアメリカ人だ。
果たして彼は敵か、味方か。一応は警戒しておくべきか。最初にお前は誰かと尋ねた方がいいな。英語でなくていい。生まれ変わりならヒルムル語が通じるはずだ。
しかしこのアカウントのアドレス。キル……キルヒ……まさかこれは。
ある気づきがあった瞬間、見計らったようにインターホンが鳴る。
思わずビクッとしてしまった。こんなに早く来るものか。十分も掛かっていないじゃないか。慌てて玄関に向かい、そっと足を忍ばせて魚眼レンズを覗き込む。
いるな。明らかにさっきやり取りをしていた人物が、扉の前にいる。
さらっと横に流したような金髪に、なんともまあ端正な顔。違和感がない程度につり上がった目が、ちょうどよく力強い目になっている。きつい感じがしない。
意を決し、扉を開ける。目の前の人物と対峙。背はそれほど変わらない。白のシャツにデニムのジャケット、緑と茶を混ぜたような色のジーンズという服装。
「あんたは、魔王ジアルードだな?」
唐突なヒルムル語。アカウント名はそのままだから、相手方はすぐに察しはつくはず。すかさずこちらも昔の言語を使った。
「ああ、そのとおりだ。あんたは?」
「さて、誰だろうね」
「は?」
外開きの扉から一瞬手を離してしまいそうになった。
「私は誰でしょう」
「俺を魔王と言っているから、カルタナ族なんだろう……なんでクイズ形式?」
「名前をすぐに明かしたら、殺される可能性があるからな」
そう言い、かすかに笑った。若者らしい、張りのある通った声だ。それでいて抑揚や声のトーンも配慮されている。話し方で思い当たる人物はいない。
「俺を何だと思ってるんだ。お前こそ、いちいち前世の恨みを持ち越していないだろうな?」
「それは心配ない。今さら誰も恨んでなどいない」
得意げに笑って見せたが、
「よし。なら上がってくれ」
そこで相手は拍子抜けしたみたいな顔になる。
「……いいのか?」
「別に構わない。それとも何か。かつて恐れていた魔王が、こんなにフレンドリーに接しているのが驚きか?」
「いや、そういうわけではない」
「じゃあ上がれ。お茶くらいは出すから」
彼は若干ためらったものの、すぐに中に入った。ジアルードとわかって来ているのだから、過剰な恐れはないだろう。
リビングへ案内する。蒸し暑かった空間から、冷たい空気がひんやりと体を包み込む空間へ。何も音のない、ベランダの柵が影を落とす午前の部屋。静止したような時間が、密室を思わせた。
「さて、まずは現実の自己紹介からしよう」
麦茶を持ってくると、さっそく話を始める。
「俺の名前は神代僚真。山形県米沢市に生まれた二十七歳だ」
「こちらの名前はラティオ・ブルームン。アメリカのカリフォルニア州生まれ。二十歳だ」
話し方が、見た目の若さとは違ってやたら大人びている。なんか違和感。
「お前が指摘したとおり、俺はジアルードだ」
「アカウントで見たから知ってる。で、その頬の傷はなんだ?」
「これは気にするな。ちょっと怪我しただけだ。そんなのよりお前の正体を教えろ」
ちょっとぶっきらぼうに言った。
「別に隠すものでもないから言おう。前世の私は本名より、暗(あん)目(もく)の賢者と言った方がわかりやすいだろう」
「暗目の賢者!」
思わず身を乗り出した。
「……全然知らない」
「あれ?」
しばし沈黙と冷気に包まれる。
「おかしいな。ミルダウ族の方で伝わってないのか」
「なんだその中二病くさい異名は。ただ賢者って言うとあれか。サルマルクの賢者の塔か?」
「そう。それだ」
サルマルクは、パルミナードの北に位置する国だ。ここも王政ではあるのだが、実質実権を握っていたのは、賢者の塔に住む四賢人だった。
「私は四賢人の一人。ズール・イグニスだ」
「ズール・イグニスか」
腕を組み、
「……全然知らない」
「え?」
「さすがに冗談だよ」
一応面識はある。とは言っても、テーブル交渉の場でちょっと顔を合わせただけだが。
「賢者ズールといえば、中央にも一目置かれ、戦線の指揮や大陸会議の重役にも抜擢される人物だった。賢者の塔の最高権力者にして、稀代の天才」
「よせやい。照れる」
「別に褒めてるわけじゃねえよ。で、今は何をやっている」
「今は普通の大学生をしている」
大学生、か。あのローブに身を包んだヨボヨボのじいさんが、今時の服装、スクールカーストの上位に余裕で食い込んでそうな雰囲気とは。見た目も加わって、さらにギャップに目まいしそうだ。
「あれだな。小日向〇世と思っていたのが若返って別人になったみたいな感じだ」
「……誰?」
「日本の俳優さんだぞ」
「ふうん……ところでお前の方は、仕事は何をやっている?」
「今は普通の会社員だ。営業をしている」
「魔王が営業ねえ。前世じゃ考えられない」
「考えられないのはこっちもだぞ。あの爺さんが普通の大学生なんて。何か野望でもあるのか? 世界征服とか」
「んなもんはない。この世界に迎合し、将来は起業でもしようかと思ってる」
普通にこの世界に迎合している。
「挑戦的だなあ」
「逆に言えばお前は堅実だな。これに関しては、前世からじゃないか」
「前世からだと?」
「そうそう。堅実で誠実なやつだなあとは思ってた。親書を何度も送り、貿易についての要望書も送り、使者を送りと、やたら熱心だなという印象だ。歴代の魔王とはひと味違うやつだ」
心のこもってない言葉を、ここまですらすら言えるのか。
「本当のところは?」
ニヤリと笑い言った。
「変なやつだと思ったよ」
やっぱりな。
「悪いが、まだ前世で賢者だった頃は、何か策略でもあるんじゃないかと疑っていたよ。鉱石と食糧の一部という小さな貿易に、どんだけ労力を費やすんだと思った」
「別に策略なんてないさ。今となってはどうでもいいが」
こめかみを指でかく。
「こっちには策略はなかった。なかったが、カルタナ側はこの経路を存分に使ったようで」
わざとらしく言う。相手の眉がぴくりと動いた。
そう。この経路でミルダウ側の港や砦がある場所は、アイライルと言うのだ。
「はは……会ったばかりなのに、あの戦の話をするのか?」
「不躾なのは自覚しているよ。今さら前世で何をやられたかをほじくり出して、恨みを晴らす気もない。だがミルダウ族にとって、俺にとっては、大事なことだ。知る権利くらいはあるはず」
「そりゃそうだな」
「賢者だったお前だ。軍の中枢を担っていただろうし、作戦の全容を知っているだろうしな」
ここで彼は深呼吸をする。まるで天井を透かして空を見るように、顔を上げた。
「当たらずとも遠からず、かな」
「どういう意味だ?」
「作戦には参加していた。だが、中枢の立場でもないし、作戦を決めていたわけではない」
「ふうん……」
顔を戻し言った。
「言い訳にはならんが、アイライル会戦を企てたのは、全て中央の聖都シュルキガルだ」
やはり、か。
カルタナ族のサンラート大陸には国はいくつかあるが、それを全て束ねる形で権力を持っているのが教会。その総本山である聖都シュルキガルだ。サンラート大陸にある計五カ国が囲むように中央に位置し取りまとめる、まさにカルタナ族の中央と呼ぶべき国である。
「中央が戦争を引き起こしていたのは当然か。サルマルク、パルミナード、そして魔法皇国ライセーンの三カ国も動かせるなど、中央しかいるわけがない」
「そうだな」
「災厄は全て魔王のせい、病気も魔王のせい、魔物がいるのも魔王のせい。そうやって俺にレッテルを貼り続けてきたクソ国家か」
「返す言葉もない」
「別にお前を責めてるつもりはないから安心しろ。ただ、唯一生まれ変わっても消化できない恨みがあるとすれば、中央の連中くらいか。特にトップの聖王とか言うやつ」
「ふふふ……私も会ってみたらぶん殴りたいくらいだね。あいつが政権を握ってから途端におかしくなった」
不敵な笑みを浮かべた。歩調を合わせたなどではなく、純粋な恨みが見て取れた。
「さて、政治的な話はともかくとして、一番聞きたいのはアイライル会戦がどうして起こったか。ぜひ賢者様にお聞きたい」
「ちっ、わかりやすい挑発を」
苛立たしげに頭を掻く。
「割と長くなるぞ」
「どのくらいだ?」
「一時間以上は確実に」
さすがにぱっと済ませられるものでもないらしい。
「長いな。なら、他の人間が帰ってくるまで待った方がいいな」
「他?」
「実は、俺の他にも生まれ変わりが二人いる」
聞くやいなや、体を近づける。
「何だって? それは一体誰だ」
「一人はナディア・カルタナ・サザンピア」
「ナディア!」
今まで落ち着いた彼が、唐突に声を張り上げた。
「ナディア嬢か! そうか、彼女もこちらの世界におるのか!」
「知っているのか?」
「知っておるも何も、小さい頃からの付き合いだわい。唯一の友好国でもあったわけだしな。帰ってくるということは、もしや結婚しておるのか?」
「あ、ああ。こっちで結婚している」
急な老人言葉に戸惑いつつ答える。
「そうかそうか」
「魔王と結婚してるのはいいのか?」
「別にいいんじゃ。こっちに恨みや軋轢を持ち込むなどわしの主義に反する。こっちでは幸せに暮らしておるか……」
言葉を切り、ごほんと咳払い。
「ああ、すまない。ヒルムル語で話すと、どうも昔の話し方が出てしまう」
「いいんじゃないか?」
「嫌だ。せっかく第二の人生が歩めているんだから、じじい要素を引き継ぐ必要もない」
いやいやするように、首を横に振る。
「しかしこっちでもナディア嬢と会えるのは嬉しいな。で、もう一人は?」
「カーリンって言うんだけど――」
そこで言葉を止めた。名前を出した途端、彼のきりっとした目が不自然なくらい見開かれたからだ。
「カ、カーリン……」
「知っているのか?」
先ほどとは打って変わって目が泳ぎ、口をもごもごさせている。
「知ってるも何も、あいつを捕まえたのは私が率いた軍だからな」
「うわ……」
そうだ。暗目の賢者……賢者か。天を仰いだ。ああ、また修羅場が始まるな。
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