1-6 夫婦の真実

 前世の世界クラクルスでは、二つの種族が争っていた。まずは前ナディアことシャルルが住むパルミナードがある東のサンラート大陸。ここに住んでいるのがカルタナ族と呼ばれる種族だ。こちらは今の現代人と容姿が近い。


 そしてもう一方、サンラートと対を成して、海を挟んで西側にあるムーオルン大陸。こちらにミルダウ族と呼ばれる種族が住む。よくゲームやファンタジーに登場する魔人や亜人などと特徴が似ている。俺たちが住んでいたのはこちら側だ。


 魔王ジアルードと、その配下のカーリン・ウェナン。


 カルタナ族は俺を魔王などとのたまっているが、単純に種族の王である。そんな俺の部下であったカーリンは、全9席で構成される軍団長のうちの一人である。序列は5位で、斥候や諜報などを主に活動していた軍団長である。そのため基本的に表には名前は知られてない。現代で言うエージェント的なものだ。


「わからない……」


 彼女の洞察力、推察力をもってしても、今の状況は解決できないらしい。まあ、当然と言えば当然か。


「おかしいですよ。カルタナ族とミルダウ族の、それぞれトップクラスの人間が相容れるなんて」

「あら、トップクラスなんてそんな」

「別に褒めてないっての」

「落ち着け。ここはもうクラクルスとは別世界だ。なぜ昔の立場になって話し合わなきゃならん」


 コーラを一口飲んで言った。うむ。だいぶ酔いは収まってきた。


「そ、それはそうですが。でもでも、やっぱりおかしいですよ。敵対する種族同士の結婚なんて。だってジアルード様が必死で外交を回復させようとして、それを無下にし続けた連中ですよ。親書は当たり前のように突っ返され、使者も痛めつけられて帰ってきて、要望書なんかも検閲で弾かれていたらしいですからね」

「……昔の話だよ」


 涙ぐましい努力は、そのまま涙が落ちるような現状へと変わった。あまり思い出したくはない。


「カルタナ族は、私たちミルダウ族を下に見ているんですよ。そんな種族間の恨み憎しみがあるにもかかわらず、二人は現世で割り切ったんですか?」

「現世ですんなり会えたのは、前世での約束があったからだな」

「え? 前世から」

「城で初めて会って、色々と語り合ったんだ」

「私がアイライルで待機していた時の話ですか? 勇者のパーティーがジアルード様の居城に乗り込んだとは聞いたんですが、その後にですか?」

「そうだ」

「他の仲間や、勇者は?」

「そこらへんを話すとちょっと長くなるかもしれんが、聞いてくれるか」

「はい」


 俺とシャルル……いや、ナディア。彼女との話を始めるには、あのくっさいくっさい勇者の口説き文句があった、一階のエントランスでの出来事を思い出さなければならない。


 あの時俺は、魔術を組み込んだコウモリ、現代で言う監視カメラを通してやり取りを聞いていた。そしたらまあこんな状況で、死線の契りなんてものを繰り出すのだから驚きである。


「その時は普通に勇者を慕っていたの。潜入が得意な仲間が必死に仕掛けを探している間に告白? と思った。嬉しい気持ちと、空気読めないなという気持ちが半々」


 仲間が戻ってきてついに謁見の間、彼らで言うところのラスボスが鎮座する部屋に入ってきたのだ。


「そこから戦いが始まるわけですね」


 シュッシュッと、梨花がシャドーボクシング。


「いや、まずは話し合った」

「へ?」


 刹那、空気とパンチが止まる。


「ここで争うことの不毛さ、これからの余波、あいつらの目的について話してみた」

「流れですぐ戦うのかと思いましたよ。さすが穏健派」

「しかし、相手は話を聞いてくれなかった。まるで戦うことが目的であるかのように」


 そうしてナディアを含めた勇者たちは、各々の武器を構えた。


「話は決裂して戦った。俺は殺す気はなかったから、せめて相手の闘争心を削ぐように戦った。しかし、相手の方も手を抜いているのがわかった。明らかにおかしい戦いの中しばらくすると、予想外なことが起こった」

「予想外なこと?」

「勇者が逃げたんだよ」

「はあ?」


 梨花は困惑顔。


「どうにも手応えがないと思い始めた頃、急に勇者が逃げやがったんだ。おそらく、最初から戦う気などなく、撤退するのが目的だったようだ」

「ええ……」

「戦っている最中、しかも気づかれないようにだぞ。気がついたら仲間までいなくなっていた」


 カーリンの顔はわけがわからないと言った顔。あの時の俺やナディアと同じく、呆然としている。


 だってそうだろう。勇んで来たやつらが急に消えたんだぞ。死線の契りなんてした相手がとんずらしたんだぞ。それに勇者のみならず、後の仲間も忽然と消えた。少量の煙幕をまき、大した目くらましにならないにも関わらず、二人も謁見の間から姿を消したのだ。後に残ったのは、俺と、一人取り残されたナディアだけである。

 RPGのラストでヒロインを置いて逃げるようなものだ。そんな展開があってたまるか。


「目的が全くわかりませんね」

「一応憶測みたいなのは、話し合ってみたんだがな……」

「話し合った、ですか」

「一人残った女性と争う必要はないだろう」

「そりゃそうですが、よく話し合えましたね」

「最初は偏見しかなくてね……私も若かった。でも、話してすぐにわかったの。この人は話に聞いた残虐な魔王ではないと」

「そこからはだいぶ話し込んだな。勇者たちの目的、俺の考え方、世界のあり方、俺たちミルダウ族についての誤解。書物などを通していろいろ話した。本当に……」


 ちょっと遠くを見つめて、


「楽しかったな」


 自然と表情が綻んだ。


「ええ、本当に」


 シャルルもおそらく同じ表情。


「敵であるカルタナ族と、ここまで密に話せるとは思わなかった。部屋を与え、一夜明けてもまた話は続いた。本当に幸せな時間が続いていた。しかし、そんな時間は長くは続かない。敵の襲来を知らせる鐘の音が聞こえたのだ」

「私が最前線でピリピリしている時に、そんないちゃこらしていたのか」


 返す言葉もない。実はそこで死線の契りなんて小っ恥ずかしいことをしたのだが……それはまた別の話。


「許してくれ。アイライルの方は戦力的に問題ないと思ったんだよ」

「わかってます。冗談です。私も含めたみんなが、あの展開にはびっくりしてましたからね」

「まさか船で来るとはな」

「はい。海側三カ国の軍が全終結ですよ」

「その知らせを受けて、俺たち二人もアイライルに赴いた。そして予想以上の激化した戦いの果て、命尽きた」


 ふうっと息を吐く。


「これが全容だ。長くなってしまったが、これでもかいつまんだ程度だ」

「なるほど。二人の仲がいいのはなんとなくわかりました。まさかナディアまで戦場に立っているとは」

「私の聖法は人を治すもの。人を助けるためであり、決して人を殺めたりはしなかった」

「もちろん、敵味方問わずに治療をした。ナディアが生きていることをあちら側に示すためでもあり、単純に人助けがしたいからだ。俺はその護衛をした」

「……」

「なあ、カーリン。今の話を聞いてもわかるとおり、ナディアはお前が思うような人じゃない。それにミルダウ族への理解を示してくれていた。二人で戦場に立ったのもそのためだ。争いを止めようとな」

「……」

「だから、今までの恨みを彼女にぶつけないでくれないか。今はシャルルと梨花、ともに新たな関係を築き上げていかないか」

「……」

「頼む」


 そう言い、頭を下げた。


「ちょ、ちょっと待ってください! 頭を下げないでください」

「シャルルの事は、どうかそんな目で見ないでほしい。頼む」

「……頭を上げてください」


 カーリンはふうっと息を吐き、小柄な体を揺らした。


「私もこの世界に生まれて十六年が経とうとしています。もう昔のことなど忘れ去りたいです。ただ、ただ今までの仕打ち、そして拷問があるとね。うまく気持ちをまとめることができません」

「拷問?」

「私、幽閉されていたんです。他ならぬパルミナードの牢獄にね」


 えっ、と思わず声が漏れた。


「捕まっていたのか……」

「はい。会戦が始まる直前のことです。情報網が厄介なため、最初から狙われていたとしか考えられませんね」


 なるほど。だから戦地では見かけなかったのか。


「お前ほどのやつが、易々と捕まるとはな」

「相手は名の通った賢者でした。その策略と魔法で、ね。そして何年も牢屋に閉じ込められました」


 何年……どうだろう。一概には言えないだろうが、俺たちの年齢差を考えると、相当な年数閉じ込められたのだろう。


「……」

「恨みしかないですよ。最後は衰弱しながら、兵士の顔を睨めつけてやりましたよ。最後の最後まで、憎々しくね。だけど」


 ちらりと、シャルルの方を見た。


「あなたは私が見てきたカルタナ族とはまるで違う。それに、私を捕まえ、拷問をしたわけじゃない」

「……」

「頭ではわかっています。わかっていますが……折り合いを付けるのは、もう少し時間が掛かるかもしれません」

「いや、それでいい。いいんだ。今まで辛かったな。拷問で死ぬなんてな」

「ん?」


 彼女はなぜか首をかしげた。


「拷問なんて、痛くもかゆくもなかったですよ」


 あっけらかんと言った。


「どういうことだ?」

「痛がってたふりはしてましたけどね。飯は一応出るし、別にそこまで牢屋暮らしは辛くなかったです。ただ、密室で過ごす時間だけは果てない海のように広がっていたんです。それだけはきつかった。なんて言うんでしたっけ。こう、大海が果てない感じを。ぼう……ぼう」


茫洋ぼうよう?」とシャルルが助け船を出す。


「そう。それ。茫洋たる年月に心を浸食されそうでしたね」


 全然格好がつかないのを無視して話を続ける。


「じゃあ、死因は?」

「死因はキノコに当たって死んだんです」

「ええ……」

「最後は呆気なかったですね。毒にやられながら、苦しみはしましたが最後はコロンと」


 ううむ。なんとも言えん最後。


「さて」


 錬成陣なしで錬金術を使うみたいに、梨花がパンと両手を叩いた。


「こんな話はもういいでしょう。思い出すのは正直辛い。長年閉じ込められていましたので、アイライル会戦やそれ以降の世界の情勢とかはさっぱり知りません。ですので」


 片目を開く。


「今の話をしましょうよ。今」

「……ああ」


 そうだな。思い出話はこれくらいにしておこう。


「今の仕事は何を?」

「織物製造の会社に勤めている」

「そこの社長ですか?」

「んなわけないだろ。ただの社員だよ」

「ええ、つまんない。ジアルード様だったらもっと高い位置の役職に就いていてもいいのに」

「もう偉い地位はこりごりなんだ。普通に生きて、普通に暮らす。これがどれほど素晴らしいことかわかるか?」

「まあ、そうですね。普通ってこんなに素晴らしいんですね」


 あのカーリンが、こんなはにかんだ笑顔を見せるなんて……いや、彼女は真鍋梨花だったな。カーリンに梨花。なんと覚えやすい。


「そういうお前はどうなんだ?」

「いや、もうピチピチの女子高生をやらせてもらってますよ」

「なんだよやらせてもらってるって」

「単純に言えば、平々凡々な学生をやっています」

「平凡、か。いい言葉だ」

「そうですよね。何もない日常が素晴らしいです」


 二人しかいなかった生まれ変わりが一人増えた。今の日常が壊れるかもしれないと危惧したが、彼女に会えたのはこの上ない幸せだった。これからもそうなってほしい。できれば何もあってくれるなと思うばかりだ。


 ……特に勇者とは会いたくもない。いるかどうかはわからんが、いたらとてつもなく面倒なことになるだろう。


 魔王の日常ではない。新しい仲間が加わった神代僚真の日常が、これから先も平穏に続いていくことを願おう。

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