1-4 疑惑の訪問者
何気ない主婦の平日。といっても彼女は楽をしているわけではなく、ひたすらにパソコンの作業にいそしんでいた。
シャルル・ロゼット。前世では一国の姫ではあったが、今はそれとかけ離れた生活をしている。知り合いから頼まれたフランス語や日本語翻訳の仕事をし、ネットのフリーマーケットに出品した自身のパッチワークの売り上げを見る。一段落したら、家の掃除を行う。
時期によってまちまちだが、姫時代とは違った忙しなさがあった。自分で考え、自分で足を動かす。
だが、充足感は目一杯に感じていた。あの息苦しい生活はもう過去の話。今は意中の人と平穏な生活をし、自分のやりがいのある仕事をする。これほど素晴らしい生活はなかった。
彼からメッセージが来た時は本当に驚いた。もしかしてと頭に思うことはあっても、行動はできずにいた。よもや自分と同じように生まれ変わりしていたとは思わなかった。しかもほぼ同時期にだ。これは運命と思い、その後はとんとん拍子で話は進んだ。国籍の違いは大した問題ではなかった。前世の身分や種族の差に比べたら、こちらの偏見など、一部の特殊な人種を除けば軽い軽い。そうして手に入れた平和な家庭で、彼に尽くし尽くされ、これからも生きていくと思うと幸せで胸がいっぱいになる。
仕事と家事も一段落つき、シャルルはリビングのソファに腰掛ける。目の前にはガラスのテーブルとテレビ。そして下には、映画鑑賞にも利用するゲーム機。まただ。また自分の悪いくせが出てきた。
DVD。憎きDVD……。
いや、悪いのはDVDではない。もちろん自分だ。どうしてか、こういう物忘れが極端にひどいことがある。パルミナードにいる頃もあったな……なまじ外面だけはいいだけに、使用人に驚かれることも多々あった。
夫には申し訳ない。ほんっとに申し訳ない。
その
スマホが震える音が聞こえる。もうとっくに使い慣れた文明の利器を操作すると、夫であるジアルード・ミルダウ・レステレス、もとい神代僚真から連絡が来ていた。
(今日は同僚と飲みに行ってくるので、夕食はいりません。帰るのは八時くらいです)
丁寧な文字をシャルルは見る。おそらく同僚はいつもの二人だろう。よく家に飲みに来る人たちだ。了解、と返事を打ち一息吐く。
そうなると料理は残り物でいいか。カレーは明日にしよう。出しかけた食材を戻し、昨日の残り物を温めて、ダイニングで夕食を取る。テレビを見ながら食事をするので、あまりこちらは使わない。食べ終えるとシンクに行き片付け、ひとまず今日の家事は終了となる。
掃除は玄関、自室、ダイニング、仕切り扉の向こうのリビングは簡単に済ませておいた。浴室……は、大きいのをこの前やったばかりだ。特にすることはない。五階にある2LDKは、充分住みやすい環境と言えよう。リビングに戻ると、28℃設定のエアコンも含めて過ごしやすい。
しかし、自分に家事の才能があったとは思わなかった。まさかここまで細かい作業にやり甲斐を感じるとは。ゲームのレベル上げみたいなものかしら、なんて思う。
前世の内にそのことに気づかなかったのは、偏に格式高い立場に生まれたからだ。
パルミナード王国の第二王女として生まれた彼女の毎日は、外交のために費やされた。所作礼儀の作法指導、諸国への訪問、謁見、謁見、謁見……いや、もうこれが地獄だった。外面を取り繕うのはとても大変。一歩間違えれば外交問題、ないし軋(あつ)轢(れき)が生じる可能性もある。絶対に気を抜けないのだ。町内会や近所付き合いが娯楽にすら思えるほど。いや、実際に娯楽となっているのだ。権力が絡まない会話は楽しい。
人と他愛ない話をするのが大好き。家事や料理が得意。こちらの世界に来なければ知らなかった自分が、今ここにいる。あの窮屈な城から、自由なマンション一室に身を移し、初めてわかったことだ。
だからだろう。だから他の生まれ変わりに会いたいと、提案したのだろう。パッチワークの教室に通い、ある日ふと思いついたのだ。そこから会ってみたいと、徐々に思いは膨らんでいき、五カ月前に胸の内を夫に明かしたのだ。基本的に人好きなのだ。
前世からも予兆はあった。窮屈な頃は、父が嫌いで、姉が嫌いで、自分の人付き合いが制限されていた立場が嫌だったんだっけ。若かったな……父のように逃げたくなかったんだろうなあ。
今と同じくらいの年齢の自分を若かったと言う、傍から見ればとんちんかんな思い出に耽っていたシャルル。そんな彼女を現実に引き戻す音が聞こえた。
ピンポーン。
ベルの音だ。誰だろう。こんな時間に珍しい。シャルルは腰を上げ、玄関へ向かった。いつもするように、玄関の魚眼レンズを覗いた。
「ん?」
思わず声に疑問符がついた。向こうには予想外の人物がいたからだ。
半袖白シャツとベスト、チェックのスカート。これは……高校生?
魚眼レンズでわかりにくいけど、普通の女の子のように見受けられる。でも、この制服は近くの高校の制服とは違う。見たこともない。
近場でもない女子高生が、我が家に一体何の用だろう。相手は女子、ということでチェーンは外して扉を開ける。
「あ……」
彼女は一瞬驚いた顔をした。レンズからは見えなかったが、なぜかキャリーバッグが脇にある。
「ええと……ウェアアーユーハズバンド――」
「日本語で構いませんよ」
拙い言葉に、慣れた言葉で返した。
「あ、そうですか。ええと、ここは神代僚真さんのお宅で間違いないですか?」
「はい。そうですが……どちら様?」
「私、
やはり聞いたことはない。
「梨に花の?」
「そう、それです。えっとですね。僚真さんは今ご在宅ですか?」
「ごめんなさい。主人はまだ帰ってきていません」
「主人……」
一瞬だけ戸惑った表情を見せたが、すぐに表情を戻す。
「いない、ですか。ちょっと話を聞きたかったのですが」
「話? 伝言なら私が預かりますが」
「あ、いや。直接話したいんです。直接」
んん? いまいち用事がわからない。しかし、このまま帰してしまうのも忍びない。
「一応、主人には連絡をして早く帰らせますが」
少々迷いながらも、シャルルはそう決断した。
「いいんですか?」
「いいですよ。あなたさえよければ」
「時間なら全然いいです。あの人と話せるならいくらでも待ちます」
あの人……ずいぶん親しい感じ。
キャリーバッグは玄関に置いてもらった。申し訳なさそうに靴を脱ぐ彼女をリビングに案内する。夫に訪問客がいるから帰るよう連絡をした。
ゲーム機はちゃんとしまってある。ダイニングに続く扉も閉まっている。席に案内し、彼女は恐る恐るといった感じで座る。
「今日暑かったでしょう。麦茶かコーラならすぐ用意するけど」
緊張しているようなので、あえてくだけた口調で言った。
「コーラ? あ、はい。では麦茶でお願いします」
この恐縮している感じ、悪い子ではなさそうだ。僚真に連絡をし、麦茶入りのコップを持って戻ると、相対して座った。
ショートの黒髪はおかっぱになっており、赤いヘアバンドが目立つ。小柄ではあるが、運動部に所属しているような子だと、シャルルは第一印象をもった。まつげは長く、目は大きい。鼻は小さいが、それが可愛らしさをプラスしているという感じ。高校一年生くらいだろうか。
「えっと、主人にどういう用事があってここに?」
「それはちょっと……」
「ちょっと?」
「ご本人でないと、話が通じないと思うので」
煮え切らない態度だ。
「主人と面識が?」
「いえ、ないです」
「わからない。そもそも、どうしてここがわかったの?」
「ご主人のSNSのアカウントからわかりました」
「SNS?」
「はい。プロフィールには山形県山形市とありまして、そして過去の画像を遡ってみたら、ここ蓮見町だとわかりました。写真に電信柱の住所があったので。その後、近辺でこのあたりにパッチワークが上手い人がいないかと聞いて回ったんです」
探偵かな?
「そ、そこまで調べてまで」
「ああ、意味がわからないですよね。すみません。お話しできないわけではなく、しても意味がわからないと思うので」
さらに煮え切らない態度。ん? いや待てよ。パッチワークって今言ったよね。もしかしたら……。
彼女は生まれ変わり?
そう勘づいた瞬間、色んな疑問がシャルルの頭の中で氷解した。ああ、そうか。彼女は同じく生まれ変わったジアルードを訪ねてきたんだ。僚真の方のアカウント名は今、英語表記になったが変わらずジアルードとなっている。だからすぐにわかったんだ。直接確かめに出向いた、という感じか。
なあんだ。そういうことか。だったら私も生まれ変わりですと言えばいいじゃないか。
「……」
だが、言葉が出なかった。
何だろう。何かが声帯にストップを掛けている。声に出したくても出せない……嫌な予感が瞬時によぎったのだ。考える間もなく、違和感の正体がすぐにわかった。
彼女はジアルード、もしくは私に敵対する人物かもしれない。そんな疑念が、喉を詰まらせていたのだ。
そ、そうだ。よくよく考えてみれば、必ずしもこちらに好意的な人物が生まれ変わっているとは限らないわけだ。特に私はパルミナードの王族だ。恨みを買っている可能性がある。
ようし。探りを入れてやろう。僚真も勘づかなかったこの危惧。自分で自分を褒めたい。後で彼にも教えよう。
そう思い襟を正す。ごくりと喉を鳴らすと同時に、探りを入れる緊迫したやり取りを開始する。
幕が、今上がった。
「出身は?」
「東京です」
「ここまで長かったでしょう」
「夏休みの期間でしたし、部活は所属していないんで余裕はありましたが、やっぱり距離が長いですね。新幹線は酔ってしまいまして」
「あら、大丈夫?」
「はい。もう落ち着きました。三時間くらい前に到着したので」
「やっぱりよくわからない。そこまでしてここに来る意味が」
「ええと、さっきも言ったとおりです。言ってもわかりません」
「……そう。ところで、パッチワークを聞いてこの場所がわかったって、どういうこと?」
「はい。パッチワークを趣味にしている人を知らないかと、色々と聞いて回ったんです。するとすぐに僚真さんとシャルルさんのことが話に出ましたよ。とっても裁縫が上手な外国人の方がいるって」
「ありがたいけど、私が聞きたいのはそうじゃなくて、なぜパッチワークの画像を見てここに来ようと思ったの?」
「いやいや。パッチワークで来たわけではないですよ。ははは」
「……」
「それより、すごくいいデザインですよね。あれ」
「ああ、ありがとう」
「私は素人ですけど、かなりいい布を使っていると思います」
「これはお目が高い。あの布は、故郷のフランスから母が送ってくれた上質な絹なの」
「は、はあ」
「着物の端とか、余った布で創作するのが基本ではあるんだけど、今回は思い切って高い絹を使うことにしたの」
「ああいうのって、綿とか入れてクッションにするとか聞いたことあるんですけど」
「綿を入れるのはキルトね。今回のはデザイン重視だから飾る用に作った」
「へえ」
「さすがにあれをクッションにするのは憚られるわ。だって国旗をお尻に敷くのはちょっと」
「国旗?」
あっ。
「あれが国旗ってわかるということは、あなたも生まれ変わり?」
言っちゃった。話し好きだからつい。
「……はい」
「ならどうして話さないんですか! ジアルード様だけかと思ったら夫婦そろってなんて、すごく嬉しいのに」
恐縮して縮こまっていた体が、がばっと立ち上がった。
「いや、黙っていたわけじゃなくて」
「本当に自分以外にも生まれ変わりがいるんだ。シャルルさん、シャルルさんは前世はどんな人だったんですか?」
キラキラした目で言ってきた。どうしよう。これからどうしよう。
「ぜ、前世」
シャルルは考えた。時折バグるにバグる頭で考えた。目をあちこちに動かし、仮定をあちこちに動かし、導き出した結論は一つ。
「ウェルコンド国の、一市民。名前はミゲル」
いつも通っているコンビニの店員さんの名前を借り、当たり障りのない嘘を混ぜることだった。
「ウェルコンド? サンラート大陸東に位置するあの島国ですか」
「そう、そう」
「へえ、あそこ……」
身構えていたが、梨花はにこっと笑う。
「そうですかそうですか。あそこは織物が名産なので納得です」
ほっと一息。
「いやあよかった。あの国旗のとおり、パルミナードの王族とかだったら
うわああああ! 王族を敵視している人種か!
一息つけない! 危ない危ない! あまりの緊張に思わず歯を食いしばる。
「そ、そんなわけないでしょ。ところであなたは?」
「私の前の名前は、カーリン・ウェナンです」
座り直して言った。聞いたことがない名前だ。
「どこの国の人?」
「まあそんな事はいいじゃないですか。それよりジアルード様のお話を聞きたいのですが」
「彼の事について?」
「はい。て言うか、彼はジアルード様で間違いないんですよね!」
「ええ、そうよ」
「じゃあ教えてください! ぜひ!」
ジアルードを慕っている。となれば……。
「わかった」
それなら彼を待った方がいいだろう。これが賢明。話を引き延ばす前に、さらに念押しの連絡。
(あのパッチワークを見て訪ねてきた人がいる。急いで帰ってきて)
スマホを置き、話を続ける。ここから、第二幕の始まりだ。
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