1-3 燎王の日常
山形県山形市の
会社についてさっそくお仕事。営業用のプレゼンテーションの書類を作り、電話での営業。昼間に愛妻弁当をありがたくいただき、午後へと続いていく。晴れやかな夏の青空は、次第に橙色に染まっていく。社会人になって五年ほど経てば、いかに夏の長い昼でも、時間の経過は早く感じる。
「おい神代。今晩飲みに行かないか?」
帰り支度をしていると、同僚の
「だからいつも言ってるだろ。基本的に飲みは週末くらいにしてくれって。困るんだよ」
「つれないこと言わないでくれよ」
「ともかくダメだ。特に今日はダメだ」
そう言って立ち上がる。
「今日は何があるんだ?」
「DVD」
「は?」
「というわけで、それじゃあ」
腕時計が五時を指していることを確認し、さっさと会社を出た。日が沈みかけた時間のせいか、まだ空気は暑い。愛用の自転車に乗り、中心街を滑走して風に当たる。次第に黒みを帯びはじめた町を行く。
「イラシャイマセー」
途中コンビニに寄る。ビールを一缶取りレジへ。
「イツモノ。イツモノヒト」
「どうも」
最近働き始めた、若いフィリピン人の店員が会計をしてくれた。俺よりもだいぶ背が小さく、ぱっちりとした二重と無邪気な笑顔。そのせいで、若いというより幼く見える。
「アリガトゴザマシター」
ほっこりしながら店を後にする。冷たいビニール袋をひっさげ、またペダルを漕いで町を行く。
「おや、お帰りですか?」
マンションの駐輪場に着くと、隣人とちょうど鉢合わせた。
「あ、はい。そちらは今から?」
「はい。今日は酒が届く日ですので、いつもより早めに」
彼は
「今日は新しい酒が届くのです。新メニューが追加されますので、ぜひお越しください」
「いいですね。本間のやつが飲みに行こう行こううるさくって。たぶん近いうちに行きますよ」
「ふふ、本間さんも相変わらずですね。では、お待ちしております」
隣人との会話を終え、五階への階段を上がっていった。
これが現代に住む、俺の日常だ。仕事がなければ定時にできるだけ帰り、コンビニで酒を買い、知り合いとの他愛ない会話。
そう、そんな毎日。昔では考えられない毎日。人民の先頭に立ち、希望にもならなくてもいい。なんとも気軽な立ち位置で生活をさせてもらっている。
「ただいま」
家に入り、度の入っていない銀縁メガネを外す。
「お帰りなさい」
「DVDは?」
「帰ってきて開口一番にそれなの? ええ、返しましたとも。馬鹿にしないでよ」
ふくれっ面を作る彼女。そう言って前にも一週間返却滞納をしていたのはどちら様ですか?
「はは、悪い悪い」
もちろん本音は心の内に閉まっておく。
映像のサブスクサービスと契約しているが、そこにないやつを見たい時に妻はDVDを借りる。その回数は昔より減ったが、今でも時々ある。だから困る。
「今日はローストビーフのサラダよ。近くのスーパーで安かったの」
「お、いいね。ビールにも合いそうだ」
すぐに部屋着に着替えて食卓につく。朝と同じくいただきますをして、同じく向かい合って食べ始める。違うのは、プシュッという爽やかな音が加わったことくらいか。
「ローストビーフは買ってきたものだけど、ドレッシングはちゃんと自分で作ったの」
「はあ、これが自家製か。肉にも野菜にもすごく合う」
これは当然本音である。ちょっとピリリとくる辛み、全体を構成するちょうどいいしょっぱみは素晴らしい。
「今日のお昼にローストビーフ丼を紹介している番組があって、それで買ってきたのよ」
「なるほど」
「ねえ、ローストビーフ丼ってどう思う?」
嚥下してから言った。
「存在意義がわからない」
「ふふ、私と同じ意見」
「別に好きな人は好きでいいんだ。だけど俺からしたら、普通に別々に食べろよといつも思う」
「値段も割と高い物ね。あれだったら他のものを食べた方がいい」
「確かに。だがシャルルの作った丼なら食べてもいい」
「あらやだ嬉しい」
これはお世辞でもなんでもなく、シャルルが料理上手なことを知っているからこそ言えるのだ。さっきのドレッシングにしても、料理人として普通に大成しそうな腕である。料理だけではなく、家事全般、掃除やお金の勘定なんかもきちんとできる素晴らしい伴侶だ。たまに天然ボケを炸裂するが、そこもかわいいというスパイスが加わっている。さっきのドレッシングみたいに。
そしてもう一つ女性らしい趣味、パッチワークといった裁縫の腕もなかなかだ。ちらりと目をやると、テレビ横の棚に、作りかけのものが置いてあった。先ほどまで作っていたらしい。
「そういえば、例の件はどうなってる」
ふと思いだし、水を向ける。シャルルは口に運びかけていた箸を戻し、俺と同じ方向を見た。
「パッチワークのやつ?」
「そう」
「公開して五カ月経つけど、私の方はまだ返事は来てないかな」
もうあれから五カ月か。その当時のことを振り返る。
(私たちと同じ生まれ変わりを探しましょう)
まだこたつがあった寒い時期のこと。テレビを見ている時に、膝を詰めてシャルルは切り出した。
(きゅ、急だな)
(私、いいこと思いついたの。パッチワークを使うの)
(パッチワーク? 去年くらいから始めたやつか)
(これから説明するけど、協力してくれるよね? ね?)
あまり乗り気ではなかったが、彼女の熱意にあてられ、渋々協力した。
しかし当然ながら、生まれ変わりを探すのは並大抵のことではない。俺たちのようにSNSをしている保証もないし、仮にやっていたとしても、前世と別の名前だったらアウトだ。そもそも知っている人間とも限らない。だからこそ今までやらなかったわけだが、彼女は何やら妙策を思いついたらしい。あの会話の通り、パッチワークを使った策だ。
飯中で行儀が悪いが、自分のSNSを見てみる。そこには策の要であるパッチワークの画像が、でかでかと公開されている。
左に青、右に緑の布が縫われており、長方形の赤枠で囲われている。緑には黄色の三角形が計五つ。一つ一つの向きはバラバラで、まるで儀式でもやるみたいに五芒星の模様で配置されている、珍妙な模様だ。
この模様はアートではなく、れっきとしたモデルがある。彼女が前世に住んでいたパルミナード王国の国旗なのだ。
この地球には存在しない模様のため、一般人から見たら芸術的なパッチワークにしか見えない。しかし俺たちのような、前世の世界であるクラクルスに住んでいた者には、すぐさま何を表しているかわかる。
主要国家であるパルミナードは、味方はもちろん、敵国ですら知っている、良い意味でも悪い意味でも、世界に名を知られた国家だ。
だからこの国旗をSNSで公開すれば、他の生まれ変わりが返事をくれるのではないか。シャルルはそう考えたらしい。
(今までめぼしい名前の人を検索してみたけど、収穫がなかった。だから諦めていたけど、こっちから生まれ変わりだと主張すれば気づく人もいるはず!)
彼女は乗り気だった。他の人にも会えるかもしれないと楽しそうにしていた。
反面、俺は乗り気ではなかった。今の幸せな生活がずっと続けばいいと思っていたから、正直そんな冒険はしなくてもいいのにと、心の中では思っていた。それに……。
こちらに生まれ変わりがいたとしても、友好的な関係を築けるとは限らない。特にこの懸念が大きい。倫理も道徳も遅れているあの世界から、どんな思想がやってくるかわかったもんじゃない。さらにパルミナードといえば、昔は侵略や理不尽な貿易などで周辺国を苦しめた歴史がある。それがあって、昔やんちゃをしていた男が社長になったみたいに大国家として君臨していたわけだが、恨みに思う人間は当然多くいる。同種族であるカルタナ族の中ですらだ。ましてやそれが王族だとしたら……。
「返事が来るのが楽しみね」
「ああ、楽しみだ」
本音を隠し、そう言い繕った。
食事は終わり、夜の時間。特にすることもなく、見るテレビがないとシャルルは早々に風呂に入ってベッドに入った。十時くらいに寝るとは、なんとも寝付きがいい。
「さて、と。じゃあやりますか」
伸びをし、一息吐く。
たまにこういう風に妻が早寝することがある。そういった平日には必ずやることがあるのだ。
それは当然ながらゲーム。
社会人になった今でもやっている。こればかりはやめられないが、大学時代に比べたらずっとプレイ時間は減らしている。
風呂にまず入り、上がりたての火照った体をコーラで冷やし、さっそくリビングのテレビの前に陣取る。ゲーム機はここにある。別に禁止にされているわけではないが、平日の夜にゲームをやる後ろめたさが若干ある。もちろん日付が変わるまではしない。ちょっと、ちょっとだけだから。最初の森の面をクリアするだけでいいから。
そう思いソフトパッケージを持ち、先日やっていた別のゲームを取り出そうと本体のスイッチを押す。
……おや?
出てきたのはCD媒体だ。しかし、見慣れたものではない。ゲームとは違う、何か別のもの。何だこれは、とよく見てみて、正解がわかった。
……ああ、これは。
DVDか。
◆
「本当にごめんなさい」
シャルルがすごく申し訳なさそうに謝る。
昨日は即座にDVDを返しに行った。部屋着の成人が生身のCDを持って店に行く姿は、傍から見たらさぞ滑稽だっただろう。
「次からは気をつけてよ。ちゃんと中身を確認しなきゃ」
「いや、まさか入れっぱなしだとは」
昨日ゲームをやろうと起動していなかったら、確実に気づかず延滞料金が掛かっていた。
「とは言っても、店側も悪いな。中身が入ってませんよって連絡すればいいのに」
まさかわざと気づかないふりをしていたんじゃないか? なんて邪推するのはよくないな。気を取り直し鏡に向かう。
寝ぐせ、ついてる。よし。
絶妙に似合わない銀縁メガネ。よし。
二十七の覇気の無い顔。よし。
「今度からは気をつける。本当に。というか、DVDをもう見ないようにしましょう。ネット配信で我慢するから」
妻が自分の弱点を補う提案をしてくれた。よし。
そんな別の意味で慌ただしい朝。今日もいつものように自転車で通勤する。いつもの業務、いつもの空気。やはり時間を早く感じる。
そうして早くも九時間が経過した花の金曜日。たまにある土曜出勤もないため、今日は特に気兼ねなく帰れそうだ。
そう思っていると、後ろからカツ、カツ、と軽やかな足音が聞こえてきた。
「神代さん。これ、よろしくお願いします」
女子社員から書類を渡される。
「うん」
「前に頼んでた件は――」
「もうやったよ」
「いつも助かります」
「いやいや」
特に目を合わすこと無く、用事を乗り切った。
その次にドッ、ドッ、と少し重い足音。これは……。
「神代さん。これ、よろしくお願いします」
「い・や・だ。自分でやれ」
目を上げてみると、やっぱり本間だった。
「つれないねえ」
「お前の中で流行ってるのかそれは」
「女性社員の仕事は手伝うくせに」
「必要な案件だからだ。それ以上でもそれ以下でもない」
やれやれ、なんてオーバーに肩をすくめた。
「しかしお前は、女性社員と話すときはそっけないよな」
「そっけないって。別に普通に対応しているだけだが」
「そうか? やたら冷たいって評判だぞ」
「心外だな。まあ、そんくらいの評価の方が助かる。面倒がなくていい」
目線を合わすこと無く、仕事をこなしていく。
「相変わらずだな……まあいいや。今夜どう?」
「お前はそれしか言えないのか」
「なんだよ。今日は週末だぜ。週末ならいいって言ったのはお前だぜ」
そういう約束してたな。しかも巻下さんにも言った手前無下にはできない。頭を掻き、
「わかったよ。今日ぐらいは付き合ってやろう。名(な)波(なみ)は?」
「あいつは忙しいんじゃねえかな。それにどうせ絡み酒になるぞ。酒がまずくなるぞ。なんせあいつは――」
「ふうん。酒がまずくなるか」
ぎょっとした本間の影に、猫背の男が恨めしそうな顔で立っていた。
「げ!」
「悪かったな。今までの酒はまずかったのか。今まで損させた分弁償してやろうか」
「いやいや! いいんだ。いい。それより今日はお前も飲もうぜ」
これはさらに絡み酒が進みそうだ。どうせまた彼女ができないとか、俺が羨ましいとか絡まれるんだ。まあ、慣れっこだが。
二人は課が違えど同期。性格はバラバラだが、割とウマが合う。前世でも仲間というものはいたのだが、気兼ねない仕事仲間はこれが初である。対等な友人関係は、コーラやカレーとはまた違った洒落たものだった。
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