馬鹿だ

 傷つきながら牢を破り、意識を朦朧とさせながら手がかりを探し、血を流しながら森を走り抜け、勇者である霞はようやく魔王と相まみえる。


 魔法が切れ、全身に纏っていた光が消滅すると同時に、霞は膝をついた。大量に汗が吹き出し、息も荒く、全身をガクガクと痙攣させている。


「おい、常盤が殺されるってのはどう言うことだ?」


 アミスは額に汗を滲ませながら膝をつき、霞に視線を合わせる。彼女は痙攣する体をなんとか起こし、途切れながらもアミスに言葉を告げる。


「勇、君……今王国に、捕まって、処刑されそうに……なってるの」

「処刑!? お前ら勇者なんだろ? なんで処刑なんか──」


 アミスは激しい動揺に襲われる。そして同時に過去の記憶が頭の中に流れ始めた。

 斬り殺され、焼き殺された同族達。そして自身の目の前で首を落とされた妻。そんな記憶が、心の奥底に眠ったはずの復讐心を引き上げようとしている。


「オレは……クソ……!」


 目を瞑るとそこには小さな光と、それを飲み込まんとする大きな闇。闇はどんどんと広がり、ようやく灯された光はその輝きを失っていく。そしてとうとう闇一色に染まろうかといった瞬間──1つの光が彼の心に灯された。

 肩に温かみを感じ瞼を開けると、そこに置かれたのは、震え、活力がほとんど感じられない2つの手。しかし、その手からは不思議な暖かさと強さが感じられた。


「──おね……がい……! 勇君を、助けて……! 勇君は、あなたの弁明をして、捕まってるの……」

「弁明? 弁明って何を──あっ」


 アミスは思い出した。常盤勇正が堂々と言い放った『誤解を解く』と言う言葉。疑っていたわけではない。しかし、どこか冗談だろうという気持ちがアミスの中にはあった。


 しかし現実はどうか。常盤は実際に誤解を解こうとし、それにより今、彼の命は無情にも絶たれようとしている。そして目の前の少女は己の非力さに嘆きながらも自身を訪ねてきたのだ。それを理解した時、すでに彼の中の闇は失せ、身を乗り出していた。


「──どこだ?」

「……えっ?」


 霞は突然アミスから漏れ出した言葉に一瞬理解が追いつかなかった。その様子を見た彼は、再び言葉を紡ぎ出す。


「常盤はどこだと聞いているんだ! 早く教えてくれ! オレは、オレを信じてくれたあいつを、見捨てたくないんだ!」

「魔王……さん……っ! 処刑場です! 国にある、唯一の処刑場!」

「処刑場、よりにもよってあそこか……!」


 アミスは眉間に皺を寄せ、奥歯を噛み締めた。今から向かわなければならない場所は、彼にとってトラウマな場所。両親を殺され、妻を殺され、自身も1度は殺され、そして復讐を誓い復活した場所だ。つまり全てが終わり全てが始まった場所である。

 しかし、それは彼の足を踏みとどまらせるには至らない。


「わかった。案内頼めるか?」

「もちろんです!」


 力強く肯定の意を示した霞。そんな彼女にアミスは頷いた。そして、次に視線を向けたのはルシェだ。


「(どうする? ルシェをここには置いていけない。だが、もしそのせいで遅れたりしたら……)いや、今は考えている暇なんてない。──ルシェ! 早くこっちに来い! すぐ向かうぞ!」


 アミスの言葉に、少し物おじするルシェ。


「私、ついていって大丈夫?」


 申し訳なさそうに呟く少女は、おそらく自身のせいで遅れてしまうかもしれないと読んでしまったのだろうとアミスは理解する。そんな少女に、彼は自信溢れる表情で手を伸ばした。


「何言っている? 間に合うに決まっているだろう。オレは、魔王だぞ」

「……うん!」


 ルシェは満面の笑みを浮かべながらアミスの傍に抱きついた。そしてそのアミスは霞を片腕で持ち上げた。


「うわっ!」

「多少雑な運び方だが我慢してくれよ」

「はい、お願いします!」


 アミスは霞が通ってきた道を一瞥する。そしてその道が大きくひらけていることを確認すると、その方向に体を向け体勢を落とした。


「よし……いくぞ!」


 翼を生やし姿勢を落としたアミスは、地面に穴を開けるほどの力で後方に蹴り付け、勢いよく前方に発進した。

 魔法を使用した霞ほどでないにせよ、アミスの速度はとてつもないものだった。低滑空を続ける彼の通った後には、砂埃が大量に巻き上がり森の木々を覆い尽くした。


「(頼む、間に合ってくれ! これ以上、オレを信じてくれた奴を奪われてたまるか!)」


 祈るように眉間に皺を寄せ、彼が出せる最大の速度で処刑場へと飛び向かった。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 そしてその頃。王国の処刑場中央では常盤がギロチンにかけられ、衆目の目に晒されていた。

 彼を取り囲むようにわらわらと集まる国民。ギロチンに固定されている常盤の近くには下を向き、震え、血を流しながら剣の柄を握りしめるヴィクタ。そして王女イルメールはうすら笑いを浮かべながら常盤を見つめていた。


「どうですか常盤勇正さん? あなたのためにこんなにたくさんの国民が集まってくれましたよ。喜ばしいですよね!」

「ははっ、王女様の呼びかけはすごいですね……嫉妬しちゃいますよ」


 軽口を叩いた常盤だが、実際はほとんど余裕がない。昨日イルメールに敗北し、そこから何も口にすることもなく、治療すらされずにギロチンに固定されている。すでに彼に体は限界を迎えていた。


「(どうするかな……ヴィクタさんは多分頼れないし、魔力ももう残っていない。みんなは捕まっちゃってるし)……詰んだかな?」

「残念ですが、もう万一などあり得ません。あなた方は敷かれたレールを歩くしかないのですよ」


 イルメールは視線を常盤から国民に移し、大ぶりの仕草で言葉を投げかけた。


「みなさん! 最後この者に言いたいことがあれば吐き出しましょう! どんな言葉であろうと私は咎めたり致しません。正直に告げてあげてください。この──罪人に」


 最後の一言、これが国民の意識を完全に支配した。


「──さっさとくたばれエセ勇者!!」


 1人が言い放った常盤に対する負の言葉。それは先程イルメールが告げた一言と混ざり合い伝播した。


「そうだ! さっさと処刑されちまえ!!」

「魔王の味方をする奴なんざさっさとくたばっちまえ!」

「そうよ! 早く処刑されてよ売国奴!」


 伝播した負の言葉は瞬く間に会場中を覆い尽くした。常盤はこの光景に動揺する。


「なっ……なんだこれ?」

「あらあら、感謝やお見送りの言葉でも送ってくださるかと思ったのに、ひどい方達。ねぇ、罪人さんもそう思いますよね?」


 イルメールが撒いたもの、それは罪人という言葉だ。最後の最後で罪人であることを強調したことで常盤の味方をしていたものは発言を意識的に控えてしまった。さらに彼に対して好意的な印象を抱いていないものが声を出すことで、負の感情を抱いていた者が次々と発言しやすい環境を整えたのだ。


 こうなってしまえばあとは単純。人は何か1つ正当な理由があれば大勢に対し迎合してしまうものだ。例えそれが、人の生き死にが関わった場面だとしても。


「ふふふっ! ほんと、面白いくらい単純だこと──ん?」

「……なっ! お前たち……なんで……!」


 その時、処刑場入り口から数人の兵士と若者たちが現れた。その彼らにイルメール、そしてヴィクタは驚きの表情を浮かべる。

 ──真鍋たち勇者だ。大人しく投降した永守を除き、他の皆は疲弊し、ぼろぼろになりながら兵士たちに抱えられていた。


「海斗、みんな……!」

「すまねぇ、ゆう……もう少し粘れると思ったんだが……」

「あら、勇者様方。一体どうされたのですか?」


 イルメールの疑問に1人の兵士が応答する。


「報告いたします! 勇者様方が牢を破り脱獄、それに気づいた我々が駆けつけ、交戦となってしまいました。かなり手こずりましたが、このようになんとか捕縛に成功いたしました」

「あらそうでしたか。ご苦労様です。(私の光の牢を破った? でもどうやって……)まぁいいでしょう、どちらにせよどうにもなりません。ところで、霞様は?」


 勇者たちを見渡し、霞がいないことに気がついたイルメールは、兵士に尋ねた。


「はっ、霞様は脱獄直後に光に魔法で逃げられてしまいまして」

「なるほど、まぁあのスピードは仕方ないでしょう。どのみち何もできません」


 視線を再び常盤に戻した彼女は、国民にも聞こえる声量で彼に尋ねた。


「罪人、常盤勇正。あなたに今一度尋ねます。あなたは魔王をどう思っているのでか?」


 その質問に、常盤は当たり前の回答をするかのような表情で堂々と、そしてはっきりと言い放った。


「俺はアミスの誤解が解けて欲しいと思ってるし、全部あいつが悪いなんて全く思わない! あいつはあんたらが思っているような、悪人じゃない」

「……そうですか。ヴィクタ、少し早いですが始めましょうか。あなたがロープを切るのです」

「……っ! …………わかりました」


 ヴィクタは徐に剣を抜き、悲痛の表情を浮かべながら常盤を断ち切る刃を支えるロープに剣を当てた。


「……本当にすまない。どれもこれも、私が弱かったからだ。私がもっと強ければ、こんな取引なんかに応じる必要もないのに……」


 血を流すほど奥歯を噛み締めるヴィクタ。悲しみと怒りに満ちたその瞳は、まるで自分自身へと向けているようだった。


「ヴィクタさん、これ終わったあと、自分を責めたりしないでくださいね。ヴィクタさんが望んでこんなことしてるなんて、俺たち誰も思わないですから。だから、安心して斬ってください」

「常、盤……! …………私はお前のことを絶対に忘れない。君のような勇ましく、正しくあろうとした者のことを、私は一生忘れないよ」


 ヴィクタは深く息を吐く。目を強く瞑り、今一度剣をぎゅっと握りしめた。そして、目を見開くと同時に、剣を大きく振りかぶった。


 瞬間、死を覚悟した常盤は目を瞑る。そして、亡き父との約束を思い出した。


『強い弱いなど関係ない。常に自分で正しいと思った人を、勇気を持って味方してあげなさい。それが、勇正という名前の由来だ! この名前に胸を張れるような人間になってくれ。約束だぞ!』


「(父さん、俺、約束守れたよ。正しいと思ったものの味方になれたよ。だからさ、父さん……胸張っていいよね?)」」


 父との思い出を想起し、常盤はうっすらと笑みを浮かべた。直後、ヴィクタの悲しい雄叫びが会場中に響いた。


「──ぅア゛ァァぁぁぁぁぁあアアアアア゛!!!!」


 大きく振りかぶった刀身を嘆きの雄叫びと共に振り抜くヴィクタ。刀身とロープの距離は凄まじい速さで詰めていく。もはや自身で止めることは叶わない。

 そしてとうとう剣先がロープを切り裂き始め、上空の刃がぐらつき始めた。誰しもが常盤の死を確信した。それは当の常盤すらも例外ではない。


 完全にロープは断ち切れ、ギロチンの刃が常盤めがけ無情な速度で降り注ぐ。


 ──刹那


「── 焼尽地獄デフラガラーレ!」


 はるか上空より、黒い炎が常盤めがけて降り注いだ。

 近くにいたヴィクタは衝撃で吹き飛ばされ、その光景を少し離れて見ていたイルメールは驚愕の表情を浮かべる。


「……これは……一体何?」


 その場に居た者は立場に関わらず全員が驚愕していた。そしてそれは常盤も同様だ。けたたましい衝撃音が響いたかと思えば、辺りが黒の炎で包まれている。直後何かの着地音が彼の付近で発生し、その原因に、思わず彼は失笑を漏らした。


「……ははっ! ほんっと、馬鹿みたいにいい奴だな!」

「── 馬鹿だな、何言ってる? お前には負けるさ」


 黒い炎を巻き起こし、刃を溶かしながら、魔王アミスは笑みを浮かべた。

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