証明の左手

 イルメールの魔法により捕縛されてしまった勇者たちとヴィクタは、とある牢獄に閉じ込められていた。

 彼らの体を縛り付けていた糸はすでに解かれており、その牢獄には何故か鉄格子が存在していない。


「くそっ、なんなんだあの王女は! ありゃなんの魔法だよ」


 イルメールの魔法を理解していない勇者たち。そのうちの相良が頭をかきながら小言をぼやいた。

 その疑念に対し、全身から血を流し息を切らしているヴィクタが返答した。


「あいつの魔法は、韜光晦迹インビジブル。触れたものを透明に、する魔法だ。あい、つは……それで光の糸を透明にして、攻撃しているんだ」


 そしてゆっくりと牢獄の出入り口を指さす。


「だから、恐らくそこにも、糸が張ってあるんだろうな」


 相良は淺岡に目で合図を送り、それを受け取った彼は出入り口に軽く魔法を放った。すると放たれた火球は何かに切られたように分裂し、爆散した。


「うっわ、マジだぜ相良。こりゃ出れねぇ」

「チッ! あいつマジで勇正のこと処刑するつもりかよ」


 奥歯を噛み締め、眉間に皺を寄せながら壁を叩きつける相良。とその時、魔力の暴走により倒れていた霞が目を覚ました。


「……ぅ……ここ、は?」


 以前血は流れているものの、どうやら暴走はおさまっているようだ。

 意識の戻った霞に濱崎が急いで近づく。


「癒愛! よかった〜、心配したんだかんね!」

「か、楓? あたし何が……」


 暴走していたため状況を理解できていない霞に、濱崎が事情を説明する。そして常盤が捕えられ傷つけられたことを思い出したらしく、ひどく顔を歪ませた。


「そっ、か……あたし何もできなかったんだね。情けないよ」

「癒愛……」


 彼女は体育座りになり、足に顔を埋めうなだれていると、複数人の足音と共に1人の女性の声が響いた。


「どうも勇者様方。それとヴィクタ」


 現れたのは王女イルメール。背後に複数人護衛を連れている。

 平然と現れた彼女に相良は食ってかかる。


「おいテメェこら、よくもまあ平然とこれたもんだなおい!」

「相良様、憤りになられる気持ちはわかりますよ。ですがこれは正義なのです。名声あるものが魔王信者になった、これは国民をあらぬ方向へと扇動してしまう可能性がありますし、実際そうなりました。違いますか?」


 微笑を浮かべるイルメール。その余裕ある様子がさらに相良の怒りを焚きつけた。


「テメェらが勝手に呼んどいてなんだそれはって言ってんだ。大体テメェらが魔人を迫害しなけりゃ──」

「──マサ、ちょっとどいてや」


 何者かに相良はいきなり側面の壁に突き飛ばされ、背中を打った。誰だと顔を上げた瞬間、感じたことない強烈な突風が凄まじい衝撃音と共に牢獄内にて吹き荒れた。


「んなっ、風?! ってことは……」

「アレ……ス?」


 勇者たちの中で風属性はアレックスのみ。つまりこの風は彼が引き起こしたのだとはすぐに分かった。しかし淺岡が疑問符をつけたことに誰も違和感を感じないほど、今の彼はまっすぐ1点、怒りの眼差しでイルメールを睨みつけていた。


「すごいですね、瀬川様の魔法の威力は。ですが残念、風を私に向けて放ったようですが、糸は貫通しませんでしたね」


 先程の衝撃音、これはアレックスが風魔法を叩きつけたことによるものだった。


「御託はええんよ。おれが言いたいのは、さっさとユウを解放しろってことだけだ。じゃないと──殺すぞ」


 普段のおちゃらけている彼からは想像できない言葉遣い。それほどまでに彼の中には怒りが滞留していた。右手に風を集め、第2刃を用意している。


「おいアレス! ここでやったら牢獄ん中で風が吹き荒れるんだよ! だからやめろ!」


 淺岡の声に反応し、その場で考え込むように硬直するアレックス。そして今一度強くイルメールを睨みつけると、手元の風を消滅させた。


「……すまん、カズ」

「あら? やはりやめられてしまうのですね。私としてはもう一度くらい拝見したかったのですが」


 微笑みながら煽る彼女に再び風を出し始めるアレックスだが、ヴィクタがそれを止めた。そしてもはや敬意など全く表さず質問をする。


「で、なんのようだイルメール? 私たちの様子を見にきたわけではあるまい」

「あら、随分乱暴な言い方ね、寂しいわ。そんな言い方をするなら、騎士団の捜索を打ち切ろうかしら」


 その言葉に一瞬眉間に皺を寄せるヴィクタだが、すぐに平静を取り戻した。


「彼らなら大丈夫だ。私は生きていると信じている」

「あらそう。(材料に使ったこと言おうかしら? いや、ここで言っても面白くないわね)まぁいいわ。私がきたのはヴィクタ、貴方に提案をするためよ」

「提案?」


 イルメールは大きく口角を上げ、楽しそうに声を上擦らせ答えた。


「貴方がギロチンの糸を切るの! そうすれば貴方の罪を不問にし、残りの勇者様方の身の安全を確保するわ」

「──ッ! 貴様ァ!」


 剣を抜きイルメールに向かい突き刺したヴィクタだが、その刃は剣先の僅か数ミリ程度しか顔を出さなかった。


「残念。それくらい細かく編み込んであるのよ。ところで今の行動は拒否という認識でいいのかしら?」

「当たり前だ! 誰が自分の保身の為教え子の首を切るか!」

「じゃあ、その教え子の為だったら?」


 イルメールの回答に理解が追いつかず困惑するヴィクタ。それもそうだろう、教え子のために教え子を殺せと言われているのだ。


「一体、何を……」

「このまま常盤勇正の処刑を行い、その後勇者様方を解放したとして、国民は大人しく受け入れるでしょうか? 罪人の仲間、それも1度はその罪人を助けようとした仲間です。国民からの非難は必至、こうなっては我々にできることはありません。死人に罪を着せなければ、ね」


 ここまで聞き理解できていない勇者たち。それに対し、ヴィクタは王女の理解し、唖然とする。


「まさか、常盤に全ての罪を着せようというのか?」

「正解です! さすがヴィクタ、聡いですね! 彼の魔法は洗脳で、ヴィクタや他の勇者様は操られていたことにすれば、彼らも納得するでしょう? どう、いい考えだと思ったのだけど」


 なんの悪びれもなく、心からいい考えだと思っていそうな表情で提言するイルメールに、愕然とする一同。そんな中、霞は激昂しながら光の格子に掴みかかった。


「ふざけないで。勇君をそんな風に貶めるくらいなら、あたしは死を選ぶ!!」


 魔法すらもかじき返すほどの格子を全力で握っていることにより手のひらから大量の血を噴き出す霞。痛みなど全く感じていないようだ。


「あらあら、そこまで言われるのですね。すごい愛情ですこと。じゃあ方法を変えましょうか」


 そう言って距離を取り始めたイルメールは徐に指を動かし始めた。


「ごめんねヴィクタ、先に謝っておくわ」

「何を……」


 瞬間、ヴィクタの右手は格子を突き刺す剣を引き抜き、そして──左手首を切り落とした。


「ガァァァァッァァ、あ″ぅア゛……ぐァッ……」


 躊躇なく振り下ろされた左手からは大量に血が流れ、ヴィクタはその痛みから声を上げ、なんとかその声を抑えようと必死に奥歯を噛み締める。

 息は荒く、噛み締め続ける口元から流れる涎が、流れる血に混ざり流れていく。


「どうヴィクタ、痛い? 痛いわよね、辛いわよね。だけど大丈夫、貴方はほとんど左手を使わないじゃない! あ、そうだヴィクタ、1つ教えてあげる」


 そう言ってイルメールはヴィクタに顔を近づけ、彼女にしか聞こえない声量でそっと呟いた。


「──これ、次逆らったら勇者の首にやるわよ? いやよねぇ、自分の大切な教え子を、9人も切らなきゃいけないなんて。でも今ならなんと1人殺すだけで全部やらよ! お得でしょ?」


 この時ヴィクタは理解した。最初から自分に選択肢などなかったのだと。目の前の悪魔に、自分は遊ばれていたのだと。


 ヴィクタは剣を納め、徐に立ち上がる。それを見たイルメールは、微笑みながら落ちた手を縫合する。


「ヴィ、ヴィクタさん……?」


 霞の声は届かず、王女が一時的に開けた穴からゆっくりと出ていくヴィクタ。そして彼女は今にも消え去りそうな目を向け、か細い声を彼らに放った。


「ごめんね、私が弱かったせいだ。私が弱いから、全部、ダメになってしまった。これが、先生としての最後の言葉だ。どうか君たちは自分を恨まないでくれ。何もできなかったと、悲観しないでくれ。悪いのは私や、この世界だ。どうか君たちは──私にならないでくれ」


 そう言い残した彼女は、もやは涙すら流すことができぬまま、ゆっくりと、ゆっくりと処刑場に歩いて行った。


「ふふっ、いい子ねヴィクタ。約束は守るわ! あ、そうだ勇者様方、あと1時間ほどで終わりますので、少々のお待ちを! それでは」


 そう言い残し、彼女はとても軽い足取りで処刑場へと足を運んだ。

 誰も言葉を発する事ができなかった。声は聞こえず、そこにはただ赤き液体が流れいく音だけが静かに反響していた。

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