魔は堕ちる⑤
「──ぅん……ッ! ……オレは一体……」
目を覚ましたアミスは辺りを見渡す。そこはいつも自分が寝ている寝室だった。
アミスは痛む頭を押さえながら直前何があったか必死に思い出す。その時、鼻腔に残留していた異臭で全てを思い出す。
「そうだ……父さん……母さん……嘘だ……そんな訳ない!!」
寝室から勢いよく飛び出し、外に出る。あれが自分の勘違いでありますように。そう願いながら彼は走った。ミゼルの後ろ姿を発見する。
「……ミゼル……なぁ、教えてくれ……馬車には何も……ない、よな?」
夫の声に反応し、顔を向けるミゼル。その顔を見てアミスは全てを悟った。そして──間の抜けた声を漏らす。
「──あ」
振り返ったミゼルの目は虚になっており、そこに一切の光が窺えない。喚くこともせず、ただただ一筋の涙を垂れ流すことしか出来ていない。
「……アミス……様。これは……なんですか? なんで……ですか? 何かしたんですか? 私たちが……魔人が何かしたんですか? 謝ったら許してくれるでしょうか? 謝ったら……2人は帰ってくるでしょうか?」
ミゼルは現実を受け止めきれず壊れてしまっている。そんな妻を見てアミスはひどい後悔に襲われる。
「(ミゼルがこんなになってしまっている時オレは何をしてた? なんで……こんなミゼルをほって眠っていたんだ! オレまで現実から目を逸らしている場合じゃなかったんだ。守らないと、ミゼルを……そしてこの国の民を! それが……父さんとの約束だから)」
アミスはミゼルを強く抱きしめる。もう二度と離さないと言わんばかりに。強く、強く抱きしめた。
瞬間、ミゼルの必死に堰き止めていた涙腺が崩壊し、ぐしゃぐしゃに顔を歪ませながら大量の涙を流した。
「もう……二度とミゼルにそんな顔させない! オレは王になって、みんなを守るから。これ以上……誰かを死なせてたまるか……!!」
その言葉は優しく、そして残酷にミゼルを現実へと押し戻した。大粒の涙を流し、誰かの目を気にすることなく、子供のように大声で泣き叫んだ。
「あ……あぁ……アミ……アミスさまぁ……ゔぅ…… ────ッ!!!!」
そこからどれだけの時間が経ったか分からない。何分か、はたまた何時間か。その間ひたすら泣き続け、抱きしめ続けた。
──ようやく落ち着いたミゼルは、申し訳なさそうに正座していた。顔を伏せ、下唇を噛み締めている。
「……申し訳ありません、本当に泣きたいのは、アミス様なはずなのに。私……」
「気にするな……ってのは無理だよな。だけど、すぐじゃなくていい、オレと、そしてみんなで……ゆっくりと一緒に乗り越えて行こう……!」
自身も傷心しているはずのアミスだが、出来る限りの笑顔をミゼルに見せる。そんな彼を見てミゼルは自分の胸にアミスを抱き寄せた。
「……ちょっとくらい、泣いていいんじゃないですか? 今は……誰も見てませんから」
突然のことに目を見開くアミス。その直後、与えられた優しさで泣きそうになった。だが、なんとか踏みとどまり顔を上げる。
「……大丈夫、オレは……キミたちが笑ってくれるだけで救われるから。今生きているみんな、そしてこれから生まれてくるみんなのために、オレは頑張るよ。だから……力を貸してくれ! 情けないけど……オレは……キミがいないとダメだから」
弱々しくも聞こえるその言葉、まるで依存を宣言するようなその言葉だが、今のミゼルにはそれが救いでもあった。
「(今の私にも、アミス様のためにできることがあるんだ! 私を救ってくれた英雄を──私を必要としてくれるこの方を、私は一生かけて支えたい。力を貸してくれ? 答えなんて、10年も前から決まってる) ──はい!勿論です!」
2人はお互い強く抱きしめ合う。目の前からいなくならないように、お互いの存在を確かめ合うように。
そしてその後、2人は魔人たち全員を集めた。民衆は様々なことでザワザワとしている。何事かと知らぬ者、発見した現場におりそれを広める者、涙を流し嗚咽をする者。それ全てがアミスの言葉を待っている。アミスとミゼルは木製の台に上り、言葉を紡ぎ始めた。
「みんな、よく集まってくれた。知っているものも多いだろうが、人間国に向かっていた我が父と母は…………人間に、殺された」
その残酷な言葉に、事を知らぬものは唖然とする。そしてアミスとミゼルの辛そうな顔や、周囲の泣き声から、これは事実なのだと理解する。民衆から発せられる嗚咽声は、国中に響き渡り空気を揺らす。アミスは、両親は本当に愛されていたのだと実感する。当然悲しい。だが同時に少し嬉しいという感情も現れる。
しばらく経ちようやく民衆は落ち着きを取り戻した。しかし当然気持ちは沈んだままだ。アミスの初仕事はこの空気を変えること。絶望で埋め尽くされたこの現状に、たった一欠片でも希望を照らすことが彼の、王の仕事だ。
「みんな、2人は死んだ。そして父の命により、今この瞬間からキミらの命はオレが背負う。オレが──王だ」
民衆はザワザワと声を上げる。皆一様に不安な顔をしている。アミスもそれを感じ取ったが、どうするべきか分からずにいる。と、ここで1人の魔人がアミスに対し意見を述べた。
「あの、アミス様……みんなアミス様が王になることに反対してるんじゃないんです。ただ……みんな不安で」
「……ああ、分かってる」
アミスは手を掲げる。そして少しばかり深呼吸をし、空に向かい爆撃を放った。
「
アミスから放たれた蒼炎が、けたたましい音を立て爆発する。その場にいる全員の意識がアミスに向いた。
「みんな、聞いてくれ。今日からはオレがこの国の王だ。オレはみんなのためにこの身を捧げるつもりだ。できることはなんでもやる! ……だが、オレはまだまだ未熟で若造だ。1人じゃ何もできない弱者だ。だから、皆の力を貸して欲しい。父さんのようにうまく出来ないオレだけど、そんなオレに、力を貸してくれ! いや、力を貸してください! お願いします!」
アミスは深々と頭を下げた。王としての威厳はないだろう。こんなお願いをすれば今後命令なんて聞いてもらえなくなるかもしれない。だがそれでも、そのリスクよりも、アミスは国民と共にある事を選んだ。
「アミス様……ッ! お願いします!」
ミゼルも共に頭を下げる。王族2人が揃って民衆に頭を下げるその様は、見方によっては異様だろう。しかし、この国でそれは違う。
「──おいお前ら、アミス様に頭下げさせて、恥ずかしくないのか?」
「そうよ! 2人は私たちのために頭をお下げになってるのよ!」
「そもそも一番辛いのはアミス様だろうに……なのに我々に頭を下げるなんて……」
そしてあちらこちらからパチパチと音がし始める。それは次第に伝播していき、ついにはその場にいる全員が手を何度も重ねている。
「……これは……?」
顔を上げ、動揺しているアミス。そこに町の長老がアミスたちのいる台に登ってきた。その顔は穏やかで、先ほどまで嗚咽を漏らしていた集団にいたとは思えないほどだ。
「アミス様、ミゼル様、もう顔を下げんでください。あなた方の優しさはよ〜く伝わりました。儂等は大切な王を失い混乱しておりました、そして絶望しておりました。しかしアミス様はそんな儂等の心に文字通り火を灯してくださった。協力してくれ? 違うでしょう、協力させてください! これは、儂等魔人族の総意です」
前を向くと、皆一様に笑っている。穏やかに、目の前の2人に全幅の信頼を寄せて。
「……みんな、オレでいいのか? オレに命を預けられるのか?」
「儂等全員の命、貴方様方にお預け致します──王よ!」
町長が頭を下げる。それと同時に目の前の民衆も頭を下げ始めた。そしてわずか一瞬にして、顔の見えるものは居なくなった。
「……ははっ、なんだこれ……やばい泣きそうだ」
「胸、入りますか?」
「……いや、大丈夫だ! ──みんな、ありがとう!改めて、オレがこの国の新しい王、アミスだ! オレは皆と一緒に国を作っていきたいと思っている。そのために協力、頼んだぞ!」
「「おおーーーーーーーー!!!!!」」
国民全員が手を掲げ、新たな王の誕生を祝う。この光景を前に、アミスは改めて違うのだった。
「(オレはみんなを守る。この素晴らしい人たちを、死なせてなるものか! 父さん、母さん、見ててくれ! オレとミゼル、そしてすべての魔人族を──)」
意気揚々と高らかに新たな魔王が誕生する。浮かれていた。だからなのか、彼らは忘れていた。帰ってきた馬車の中には、形見の服以外にもう一つ何かがあった事を──
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「──ヴィクタ団長、魔人族の国にて、新たな魔王が誕生したようです」
ここは人間の国アウフェーラ。鎧を見に纏った赤髪の少女が、球体の道具を持った兵士にそう告げられる。
「……そうか、ご苦労。そうだ、王に謁見許可を頂いてきてくれないか。話があるんだ」
「は! かしこまりました!」
兵士が部屋から退出し、扉の閉じる音がする。それと同時に少女が剣を抜いた音を放つ。
「……魔王、か。大人しく崩壊しておけばいいものを。仕方ない、そちらがそうくるのであれば私も行動に移そう。下等で薄汚い魔人という種は──根絶やしだ」
不自然なほどの怒りを孕んだ光が、魔人族の喉元を掻っ切らんとしている。残念ながら彼らがそれに気づく由は、ない。
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