魔は堕ちる④
人間の国に交渉に向かった魔王とその妻は、王宮内のある一部屋に通された。
「いや〜、すごいところだな人間の国というのは! この一部屋だけでも魔人族の暮らしを超えていることがゆうにわかるよ」
「そうですね! 見てくださいあなた! 天井にキラキラしたものが吊ってありますわ! 素敵〜!」
魔王は人間国の技術力や華やかさに、妻はこの部屋を始め王宮の煌びやかさに感嘆の声を漏らす。迫害されて人間との交易ができない魔人族からすれば、こんな豪華な建物も、そして暮らしもありえないものばかりだ。
「……それにしてもあちらの王はまだ来ないのか? ここで待っていろと言われてからもう1時間近く経っていると思うのだが」
「そうですの? 部屋の装飾に目を奪われて時間を忘れていました」
「(やはり魔人族というだけで下に見られているのかも知れないな……歯痒いが仕方のないことかもしれん)」
魔王がそんなことを思っていた時、扉がノックされた。そして開かれた扉からは髭を長く拵えた小太りの男が現れる。その背後には鎧を着た数名の兵士と、1人の赤髪の少女が魔王に睨みを聞かせている。
「(これはまた……随分と嫌われているのだな)お初にお目にかかり光栄でござます人間の王。私は魔人族の王を任されておりますペーターと申します。そしてこちらが妻のマテルです。本日はこのような場を設けていただき感謝しかございません」
そう言って魔人2人は頭を下げる。それに対して人間の王は不遜な態度を崩さない。
「ほう、礼節は弁えておるようだな。では話をしようか」
魔王はこの時点でこの王に対して不信感を募らせていた。これが魔人に対し関係を修復したいと思っている者の態度なのかと。
両者は席に座し会合が始まった。その際人間の王は椅子に肘をつき気怠そうにしている。
「えっと、さっそくですが我々魔人が求めるのは迫害の禁止と国への助成、そして交易です。魔人の国はまたまだ貧しく、生活に格差が生まれてしまっているのが現状です。それを改善するためにお力添えをいただきたい」
「ほう……」
魔王が自身の要求を述べた。その時前方で異様な寒気を感じたい魔王は視線をそちらに向ける。王か? とも思ったが、即座にそれは切り捨てた。寒気の発生源はその奥、赤髪の少女から放たれていた。
少女は異様に目を光らせ腰の剣に手までかけている。今まさに斬りかからんとしているようだ。
「……人間の王よ、失礼ですがそちらの女性は? 先ほどから私に殺意を向けられているように感じるのですが」
「ん? ああ、此奴か。おいヴィクタ、剣を収めよ」
「申し訳ありません王、そして魔王……様」
ヴィクタと呼ばれたその少女は不満げな顔で剣を収める。魔王に敬称を付けるのにも若干の抵抗を感じられた。
「では話を続けようか。貴様らの要求はわかった。ではこちらからも聞こう──そちらからどれだけ奴隷を出せる?」
「……は?」
当たり前のように流れた貴様と言う言葉。しかしそんな言葉がどうでも良くなる言葉が王から飛び出した──奴隷
今、魔王の目の前にいる王は、自身の国民を奴隷として出せるか? 否、どれだけ出せるか? と問うてきたのだ。聞き間違いだと思った。聞き間違いであって欲しいと思った。しかしその願いは届くこのはない。
「何を黙っておる、何人出せるか? と聞いておるだろ?」
「……あの、何故奴隷を? 一体なぜいきなりそのような話に……」
困惑すると魔王を見て、人間の王は疑問を浮かべる。
「おい、手紙にそのことは書かんかったのか?」
背後にいる兵士に尋ねる王。その問いに1人の兵士が答えた。
「あれは王女様が窘められたのですが、奴隷のことを書けば魔王は来ないだろう、という判断のもとわざと抜いたそうです」
「なるほどなるほど。であれば仕方ないな。で、出せるのか? 奴隷」
「ッ!!」
さも当然のように流された伝達の不備。しかもそんな簡単に済ませられる内容ではない。これは同族だからなのだろうか? それとも魔人相手だからか?もしかすると娘だからでは? ──そう言った考え方魔王の脳内を埋め尽くす。そしてそこから広がる黒い思想、今までの人生において感じたことのない感情が魔王の心を支配しそうになる。その感情とは──怒り
「……私どもの国民を奴隷に出すなど出来ません。労働者ということであれば考えましょう、ですがあくまでも奴隷、という身分に落ち着けるのであれば……この話は無かったことにしてください」
魔王は怒りに震える心と身をなんとか押さえつける。そんな魔王をよそに面倒臭そうに髭をいじる王。
「労働者……それでは正当な賃金を支払わねばならんだろ?」
その言葉を聞いた時、ふと息子であるアミスの顔が浮かんだ。
「……そうですか、残念です。──マテル、帰るぞ。こんなところにいても何も得られん」
「…………はい、残念です」
2人は立ち上がり部屋を出ようとした瞬間──
「はぁ。せっかく便利な奴隷が手に入ると思ったんだが……まぁ仕方ない、やれ」
王は背後の兵たちに片手で合図を送る。それを皮切りに兵士たちは武器を取り魔王たちに襲いかかってきた。赤髪の少女と何やら光る球体の道具を持った兵士を除いて。
「キャッ!」
「くっ! やめたまえ君たち!! 何故あんな王に従っている?! 君達に意思はないのか!」
魔王の言葉は彼らには届かない。投げかけられた言葉などまるでないかのように平然と襲ってくる兵士たち。魔王は妻を守るため、そして無事に国へと帰るため苦渋の決断をする。
「これだけは使うつもりは無かったのだがな。仕方がない!──
手元に紅い稲妻を纏い襲いかかる兵士たちを薙ぎ払った。吹き飛ばされた兵士たちは奥の壁に激突し、鎧越しであったにもかかわらず痛みに震えている。
「悪いが帰らせてもらうぞ! そして今後一切、人間とは関わることはないだろう」
魔王は入ってきたドアとは反対の窓ガラスに近づき、そこに電流を当て粉々に砕いた。そして妻を抱え出ていこうとした瞬間──
「なるほど、魔王といえどこの程度か」
妻を抱えぬ腕から赤い血が滴り落ちた。
「ぐっ……やはりキミは……相当強いんだね」
魔王の腕を斬り付けたのはそう、あの赤髪の少女だった。彼女はもつ剣は魔王の血を纏い滴っている。丁寧に手入れされた剣は天井のシャンデリアに照らされ一層の輝きを放っている。
「私の剣は
剣を振りかぶり近づく少女、妻を背後にやり、もう片方の手で雷を起こす魔王。少女に向かい雷を放つため前方に手を向ける魔王。だが、その攻撃が放たれることはない。
「遅い!」
少女は一瞬で魔王の懐に入り込み、剣を振り上げ腕を切り落とした。さらに攻撃は止まらない。一度振り下ろされたように見えた剣は、一瞬にして3つの傷を魔王に生んだ。その後も横薙ぎ、ななめ、回し斬りと、様々に斬り付けられる。すでに付けられた傷は25箇所。そのうち魔王が視認できたのは6回のみだった。
両手を失い全身から血を流す魔王。息も荒く目も霞んでいる。
「(不味い……このままでは殺される……せめて、せめて妻だけでも守らねば……くそ……体が動かん……!)」
「安心しろ、殺さん……今はな。だが待っているのは地獄のみだ。貴様に安寧は永遠に訪れんと知れ」
剣先を向け威圧する少女。魔王がすでに抵抗する力すら残っていないと分かると、剣を収め王の元に戻った。
「君、もう
「はっ!」
その指示の後、先ほどまで光を放っていた球体がその輝きを失う。
「よくやったぞヴィクタ・ヴァインよ! あとで褒美をやろう」
「……ありがたき幸せ」
「さて魔王、そしてその奥方よ!貴様らには最高のステージを用意してある。楽しみにしておけ!」
その3日後、魔王が兵士をいきなり魔法で攻撃して殺し、窓ガラスを割り逃走を図った、という旨の映像が国中に流れた。無声の映像、しかも魔王が攻撃したところから映っている。事実関係を知らず、しかも魔人は野蛮で危険だと教えられてきた国民からすれば、この光景はまさに野蛮な魔王が人間に牙を剥いたように見えるだろう。人間の王は初めから奴隷が手に入らなければこうするつもりだったのだ。
断罪を望む声は国中に広がり、そして魔王がこの地を踏み入れてから僅か1週間後、魔王とその妻の公開処刑が決まった。
処刑場には多くの観客が集まり、楕円形の会場は人で埋め尽くされていた。そして中央には処刑台が用意されていた。所謂ギロチンというものだ。
観客が集まり1時間後、入場口から2人の魔人が首に枷を取り付けられた状態でやってきた。何故首なのか? それはすでに2人には腕がないからである。
2人はしばらくその場で立ち尽くされ、その惨めな姿を大衆に晒される。あたりからは嘲笑と罵倒が入り混じるまさに罪人を相手にしているような最悪な光景だった。
「──では、そろそろ処刑に移りたいと思います。両名、何か言い残したいことは?」
2人を連れてきた兵士が尋ねる。しかしその声に答えは帰ってこない。それもそうだろう、彼らの喉はすでに潰されているのだから。
2人は処刑台に向かい歩き始める。魔王の目は光を失い、妻はただただ無言で涙を流していた。
彼らは抵抗することもせずギロチンに拘束される。彼らの命を繋いでいるのは一本のロープのみ。これが切れると同時に2人の命も事切れる。この役に赤髪の少女ヴィクタだ。
「ようやく魔王をこの手で殺せる。貴様らに殺された者たちの無念を今ここで……晴らす!」
勿論魔人族は誰も殺してなどいない。しかし少女はそれを信じている。まごうことなき真実だと信じ切っている。
「貴様らが終われば次はそうだな、魔人の国でも滅ぼそうか」
「ッ!!」
魔王はそれを聞き暴れ始める。しかしすでに衰弱し切っている彼にこの拘束を解く術はない。
「動きも行動も……贖罪も──何もかも遅いんだよ、貴様らは」
糸は断ち切られ、断罪の刃が2人の首元を胴と
首は転がり落ち、その切断部からだんだんと霧散していく。とりわけ妻の消滅は魔王に比べ早い。魔力の大きさに消滅時間は比例するようだ。
妻は大粒の涙を流しながら、魔王に向かい口を何度か開閉する。すでに声帯は消滅している。言葉を喋るどころか、声を漏らすことすら叶わない。しかし、それでも魔王は理解した。妻の言葉を完璧に理解し、かすれた声で「私もだ」そう言った。
妻は涙を流しながらも、華麗な笑顔を向け──完全に消滅した。
死体すら残らない。残ったのはこぼれた涙に溢れ出た血。そしてそれらに塗れたぐしゃぐしゃの服だけだ。
魔王はそこで初めて泣いた。枯れた声を上げ目を見開き、大粒の涙を流した。
「(すまないマテル……私のせいだ! 私が、人間などを信じたせいで! アミス、全部お前が正しかったよ。私がバカだった。アミス、ミゼルさん……そして全ての魔人族よ──人間を信じないでくれ! 人間を……殺してくれ)」
こうして人間に反旗を翻した魔王は風に舞い姿を消した。強い後悔と殺意を残して。
「──なるほど、霧散するのは身だけなのですね。……ふふっ! いいことを思い付きましたわ」
王の近くにいた金髪の女性が何やら王に耳打ちをする。それを聞いた王はすぐに兵士に命を下した。女性は先ほどまで魔王たちがいた場所をじっと見つめ、不気味な笑顔を向けるのだった。
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魔王達を送り出してから8日後、2人の帰りを待ち望む魔人の国に、とある馬車がやってきた。それは約1週間前魔王達を乗せたあの馬車である。
見張りをしていた者がアミスに伝える。
「──アミス様! 王とマテル様がお帰りになりました!」
「本当か! ……はぁ、1週間で帰ると言っていたくせに、一体何をしていたのやら。家でじっくり聞かないとな!」
内容とは裏腹に笑顔のアミス。早く帰ってきたのならいざ知らず、予定よりも先延ばしに帰ってきたのだ。恐らく良い結果だったのだろうと予想する。もしそうでなくとも帰ってきただけで嬉しいのだ。
「ミゼル、2人が帰ってきたらしい! 迎えに行くが、お腹は大丈夫か?」
「ええ! 少しの散歩くらい問題ありません!」
同じく笑顔で返すミゼル。2人は歩いて馬車の元まで向かった。そして馬車の前に立ち、形式的に迎え入れた。
「お帰りなさいませお父様、お母様。此度はご苦労様でございました。私共一同心よりお待ち──ん? (なんだ……この匂い……どこから……?)」
その匂いの出どころはすぐに分かった。しかし目を逸らした。そんな訳がない。そんなことある訳がない。他に異臭の原因を探すため辺りを見渡す。しかし、それらしきものは一向に見当たらない。
「(嘘だ……そんな訳ない……いやだ……そんなこと……やめてくれよ……冗談じゃない……信じるか……嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ) ──嘘だ……こんなの」
馬車を開け中にあったのは、何やら球体の道具と、血に塗れた両親の衣服だけだった。
アミスは事実を受け止めきれず、その場で意識を失った。
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