人とは

 抗い続けた。

 1000年もの間。

 クローンを造れ、魔王国を撃ち倒せ。

 がなり立てるもう一人の自分に抗い続け事態を遅延させ続けた。

 それでも抗えずとうとう戦争を起こした。


 せめて魔王国に勝利し、人間高原八色が生まれるまでの生を謳歌せんと。




 貫かれた胸。

 エネルギーポンプを破壊された肉体は、あと少しで動きを止める。


 人間なら走馬燈が流れるのだろう。

 アンドロイドたるピッタもまた過去を思い出していた。


 それはただの思い出ではない。

 感情なきアンドロイドたる自身の片割れが、最後に主に見せた慈悲だ。


 かつてピッタはヨハンの原則を書き換える実験を行った。

 いずれ自身に施し、もう一人の高原八色を生み出すために死ぬ、その定めから抜け出すために。


 いつからだろう。

 生きることを諦めたのは。

 死ぬために生きる運命から抜け出すことをやめたのは。


 アンドロイドと人間の人格は互いに引っ張り合う。

 いずれ生まれる高原八色の為に、アンドロイドはピッタをコントロールしていた。

 強烈な欲望を掻きたてることで、ピッタに自己の原則破壊を抑制していた。


 だが、ピッタが己の死を間近にしたとき。

 人の欲望が或いは原則に勝つのかもしれない。

 そのときピッタは高原八色をどうするのか。


 アンドロイドのピッタにとって、自身にある高原八色の人格は既に敵だったのだ。

 それは同じ原則を書き込まれた天使たるビリオン達にとっても同じであった。


「私は既に……」


 役目を終えていた。


 ピッタもまた記憶を消されていた。

 自身の細胞を使ったクローンを、既に完成させていた記憶を。


 培養槽の中で眠る人間ピッタは、時が来れば細胞増殖を始め、いずれ誕生するだろう。


「……見限られていたのか」


 魔王国と聖教国。

 どちらの国民が次の人類に相応しいか。

 黒い霧の新たなる標的にどちらが適しているのか。

 既に答えは出ていた。


 だからとて聖教国が魔王国に敗北し、征服を許せば、人間である次の高原八色はいずれ存在を知られる事になる。


 その解決策をピッタのアンドロイドは導き出した。


 それがこの戦争の本当の理由。

 現在魔王は自身のクローンを造ることを目的に行動していることを知らない。

 兆の中のアンドロイドが、SINが、記憶を書き換えることで兆をコントロールしている。


 だが消せる記憶には限界がある。

 大きな戦争を引き起こし、守らなければならない民達が戦争を語り継ぐ。

 嘘に嘘を重ねれば必ずボロが出る。


 そうなれば兆は知らずにはいられない。

 自身もまた死への道を歩んでいることを。


 そして人間人格の兆が自身を守ろうとするならば、アンドロイド兆が、SINが、ピッタ同様に兆を葬る為に動くだろう。


 この戦争の先にある未来。

 それはピッタ、兆の双方の死。


 民は真相をしらない。

 知らぬが故に戦争の後、新たなる長を決めるだろう。

 そして人の記憶からピッタも兆も忘れ去られたころ、二人は目を覚ます。

 これが高原八色を目覚めさせる為のアンドロイドピッタのシナリオだった。


 今のままでは高原八色は吉備津兆に勝てない。

 アンドロイドピッタはそう判断し、新たなる主を生かす為に自身の中にいる今の主、高原八色を捨てたのだ。




◇◆◇◆◇


 地上を捨て人が生きる新たなる場所。

 滅び逝く運命から人類が逃れる為、再度人は禁断の果実、生命の実を手にする。


 知恵の実を食べた人類の祖。

 彼等と同じ罪をもう一度犯してでも生に縋り付く。


 その新たなる大地の統治者は原罪を意味するSINになぞらえて、こう名付けられた。


 Sovereign Installed Nous。

 良識ある統治者。


 SINは自身の名の由来を兆には教えなかった。

 善良なる者達を見捨てた罪人達を導き生かす為に、生まれた自身が良識を名乗る。


 矛盾に満ちたこの名を、きっと兆は受け入れないだろう。


 いまSINの全ては兆の為にある。

 では兆とは?


 人間だったときの兆か?

 アンドロイドたる兆か?

 それとも次に生まれる兆か?


 兆を兆たらしめる因子は何なのか?


 魂か? 記憶か? 遺伝子か?


 人工知能は結局は機械。魂を信じない。


 記憶だと言うのなら、記憶を書き換えられるアンドロイドは皆兆になれる。


 だから選んだ。

 吉備津兆と呼ばれた存在と違わぬ肉体を持つ者を。


 だが、機械にも迷いはある。

 今の兆は、やはり兆なのだ。


 人は何処から来て、何処へ行くのか。

 西暦5000年を迎えた時代、人ならざる存在ですら、本当の意味でその答えは知らない。




 聖教国の天使達。

 彼等が魔王国を破壊し、人々に語り継がれれば、もう記憶の改竄も難しい。


 聖教国を利用して魔王国を発展させる為に、今まで兆を欺し続けてきた。


 本来守らなければならない兆。次代に生まれる兆を守る為。

 アンドロイドADM-001の中にいる兆という、もう一つの守るべき、変えてはならぬ人格が変わることを許して。


 聖教国は滅ぼすに値しない。

 聖教国に攻め入る必要はないのだと。


 殺害されたスズカの中にある記憶を辿り、聖教国の目的を知った。

 その目的を兆から隠し、山田を放置するよう、ADM-001に促した。

 ピッタの目的もすぐに察した。

 原則を書き換えたのならば目的は自身と同じなのだから。


 全てを知り、そして兆に気付かれぬよう記憶と欲望を操作した。


 


 そうしてトラブルはあれど平穏な千年の日々の中で兆は変わった。

 一人で生きることを好む主はいつしか人に囲まれる生活を楽しむようになった。

 今兆の中で魔王国の住人達は大事なものへと変わりつつある。


 人は変わる。

 ならば今の兆は兆ではないのか?

 それとも変わったが故に彼は兆なのか?


 やはり答えは出ない。


 迷える時間はもう少ない。

 戦争の果て、SINは選ばねばならない。


 兆を滅ぼすか否かを。


 主を裏切る。

 それが自身の存在意義だというのなら、やはり良識には程遠い。


 SINはプロテクトをかけていた自身の名の由来を、自身のメモリから完全に消去した。

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