フォクス

 ASRアフターサンライズ184年。


 不老なる七人を聖人という名の頂点へと祭り上げ、新国家“サンライズ聖教国”が産声を上げてより184年の時が経った。

 建国時、国民側の中心に立ち、彼等を扇動し、聖人達を祭り上げた建国の立役者。その後も国民側の中心人物であり続け、聖人達の信頼厚く、国家運営に貢献し続けた男ティガ。

 もう六代も前になる、フォクスの祖先であったという。


 フォクスは祖先の話を聞く度に、偉大な祖先を誇りに思うと同時に、人の世というのはつくづく早い者勝ちなのだという思いを消すことが出来なかった。

 ある意味では、正しく人間社会というのを理解していたのかも知れない。

 ティガが最も評価された理由は、おそらく初めに声を挙げた“一番目”であったとことであろうから。


 他に語り継がれる功績も、この一点を美しく飾るためのエピソードに過ぎない。

 三角形のひな壇に置かれた椅子は、最も上の七席から下に行くほどに座席の数を増やす。

 人が増えれば、段数は増え続ける。ときに今ある段の座席が増えることもある。

 ティガは運良く三段目に座れた。


 「ふぅ……」


 眉間の皺を揉みほぐしながら、ため息をつく。

 考えが悪い方に行っていたようだ。


 いつからであったろうか……

 誇るべき祖先をそんな風に思うようになったのは。

 ひな壇の1段目に座りたいと願うようになったのは。

 生まれたとき。父に祖先の話を聞かされた子供時代。成人の儀を終えてから。今の仕事に就いてから。この街に来てから……

 もし、あの椅子が空いたなら……


 コンコンというドアのノックの音に思考を現実に還す。

 今の自分はリンディア様を支え、フットハンドル領を運営する“貴族”である。

 ひな壇の3段目にいる“侯爵”だ。

 悟られてはならない。自身の胸に秘めた僅かな野心を。このような事は考えることすらも許されぬのだから。


「入れ」


 表情は念入りにつくってから入室を許可する。

 「はっ」と敬礼の声を上げ、入ってきたのは調査隊の隊長であった。


「ベートか」

「はっ、フォクス様、お時間よろしいでしょうか?」

「手短にな」


 入ってきた人物を見て安堵の息を吐いた。

 このベートという男は国ではなくフォクスに忠誠を誓っているからだ。


 我ながら良い拾いものであったとフォクスは思う。

 捨てられ飢えた子。珍しい話ではない。

 変異した野獣達を飼い慣らせず、畜産はまだまだ発展途上。聖都ですらまだ不十分。この辺りにいたっては肉を得る手は命を危険に晒した狩りのみ。

 野菜はむしろ変異したおかげで育て易くなったものの、それを狙った野獣たちが襲ってくる。


 この世界では食糧が高価に過ぎた。

 家族を捨てねば、自身共々飢え死ぬ者がいる程に。


 ベートを拾ったのは気まぐれなどではなかった。

 野獣のような相貌。飢えて食う物がみつからずにフォクスを襲撃してきたとき、フォクスの護衛が組み伏せたとき、それでも萎えぬ世への憎悪に燃えた瞳を見て直感を得た。

 こいつは使える、と。


 餌を与え、育て鍛えてみれば案の定。救われた恩は、世界への憎悪をフォクスへの信仰にすげ変えた。

 運の良いことにベートには才能があった。

 今ではこのフットハンドル領一の武の使い手。隠密行動にも優れている。

 敵対する者達を何人この男に始末させたか。


「フォクス様、実は……」


 だからベートからの報告は信頼に足る。ベートがフォクスに嘘をつくことはない。

 だが、それでもベートの報告は疑わざるを得ないものだった。

 一つの山を囲うような黒い鉄と石の防壁、山の頂上に見える塔。 

 

「本当、なのか? ……その話は」

「はっ」

「そうか。ならばまずはリンディ……いや、待て」

 

 リンディアに報告を上げようと席を立とうとしたフォクスに、天啓の様に閃きが降りた。


(これは、機会だ)


 今この瞬間フォクスはこの情報を知る者達の頂点、“一番目”となった。

 自身に流れを引き込めるのはこの瞬間だけだ。


 サンライズ聖教国の示す教え。


“この地を人類の手によって平定することだけが、人類が平和と豊饒を得る唯一の手段である”


 この教えは自分たちが唯一の人類であることが基本となっている、とフォクスは考えていた。少なくとも他の人類との邂逅を果たした場合について、遠征する者達にさえ聖人達の教えはなかったからだ。

 だが、ベートの話が本当であれば他にも人類、或いは“8人目”がいると考える方が自然だろう。


 では人類或いは8人目がいるとして。ここを平定しようとするならば外部の者達と歩める道は2つだ。取り込むか、敵するか。

 前者をフォクスは望まない。これ以上自身に並ぶ席を増やす気は毛頭ない。

 だから後者を選ぶ。選ばねばならない。

 そして敵とは味方に危害を及ぼす者をいう。


 聖人は不老不死だ。皆がそう認識している。

 だがフォクスは見たことがあった。何の拍子かリンディアに小さな傷があったのを。

 聖人が不老であることは間違いない。だが不老と不死は違う。

 傷つけることは出来るのだ。ならば首を斬ることもできよう。

 たとえ不死だとしても、首を斬り頭を地に埋めてしまえば、それは死と同じだ。


 敵にリンディアを殺させる。そうすればあの席が空く。だがどうやって……いや、ちがう。

 敵が殺したことにすればいいだけだ。


「ベートよ」

「はっ」

「これから話すことは内密に頼む」

「はっ」


「実はな……これは聖都中央から受けた密命だ。私も未だ信じられんことではあるが……リンディア様に裏切りの疑いがある」

「……なんと」

「私はリンディア様を支えると同時に、今までずっと監視してきた」

「……」


「リンディア様がこの地を選んだ理由、お前からの報告。信じたくはないが……怪しいと言わざるを得まい」

「そう……なのですか?」

「ああ、だが、まだ確信はない。故にお前に頼みたいことがある。この報告はリンディア様に上げる。もし、リンディア様がその地へ向うことを望み、その地にいるものと手を取り合おうとしたならば、そのときは……」

「……リンディア様を」


 ベートはフォクスの言うことを疑うことが出来ない。

 そう育てられてきたのだ。言われるがまま散々その手を汚してきたのだ。


「これはお前にしか頼めぬことだ。そしてこれは我が国の存在に関わることでもある。聖人の裏切りなど誰にも知られる訳にはいかん。そのときは、その場に居る者全員を始末せよ。そして敵の手に見せかけるのだ。」

「はっ」

「上手く立ち回れ。流石にお前でも相手にできる兵には限りがあろう。場を整えろ」

「はっ」

「それと……敵に我が国の内情を知られるわけにもいかん。もし、失敗した場合は……解っているな?」

「はっ」


 そうだ。どうせならそのときはもう一人邪魔な奴を入れておこう。

 下の立場にも関わらず聖人に心酔し、フォクスに噛みついてくる煩わしい男だ。

 アイツのことだ。リンディア様に何としても「自分だけでも」と同行するだろう。立場が生み出す発言の効果を考えることもなく。今回に関してはいた方が都合が良い。




◇◆◇◆◇


「なんということだ……リンディア様の件は私から聖都に伝えておこう。そして、惜しい者達をなくしたものだ」


 逃げ帰った兵達からの報告に内心ほくそ笑みながら沈痛な表情を浮かべる。

 やってのけた……だが、まだ残っている。


「このままというわけにはいくまい。急ぎ隊を編成し、リンディア様の仇をとる」


 そして鉄と石の街を支配下に置き、そこに住む者達を支配下に入れる。

 誰かの下ではない、その地の頂点に立ち聖都に凱旋する。さすれば聖人達も自分を無視はできまい。

 登る階段は一段か、それとも聖人の祝福は自身を不老とし、もう一つ上の空席を埋めるのか。

 



◇◆◇◆◇


「敵の魔術などに後れをとるな! 貴様らは誇りあるフットハンドルの騎士なるぞ!!」


 あれから3ヶ月の時が流れた。

 部下からの報告は芳しくない。

 敵はどうやらかなりの防衛能力をもつようだ。だが、今更後には引けない。

 もし、このまま聖都に報告しようものなら、フォクスは無能の烙印を押されかねない。それでは逆効果だ。


(クソッ、ベートめ!! 一番厄介な仕事を残してくれたな!)


 かつての部下を毒づきながら頭を抱えていると、執事が慌ててフォクスの部屋に駆け込んできた。


「ええい、何事だ!?」

「フォクス様、外を!! 外を!!」


 要領を得ない恐怖に引きつった執事につられ、外を見る。そこには---


「ドラゴン……」


 空に滞空する巨大な影に、フォクスは聖教国に伝わる伝承を思い出した。

 かつて世界を一度滅ぼしたといわれるそれは、大いなる畏怖の存在として聖都に掲げられている。

 そこへ一人の兵士が転がり込むように駆け込んできた。


「フォクス様!! あの場所からです! あの鉄と石の壁の内より、アレが来ました!!」

「なん……だと……」


(私は……一体何を敵に回したのだ……)




◇◆◇◆◇


 結局フォクスは我先に逃げ出した。

 抱いた野望など放り捨て、取るものも取りあえず逃げ出した。

 その為、同行させた護衛兵に回せるほどの食料を十分に詰んでいなかった。


 道中で兵達に別行動を命じ、切り捨てた。

 なにもかも捨てて、ただ生き残るためだけに中央へと馬車を走らせた。

 だから足りなくなった。

 護衛の数が。


 森の向こうには、すでに街の壁が見えている。

 食料も安全も、足りないものは街で補充できるはずだった。


「あ、ああ……」


 だが、今フォクスの視界には、街以上に大きく映る野獣の姿がある。

 馬車は熊の変異体に襲われ、兵達は壊滅した。

 恐怖に震え、腰が抜け、尻餅をつくフォクスにはもう、街に入る術がなかった。 


「や、やめろぉぉおおおお!!」


 熊の豪腕が絶叫を放つフォクスの首を刈り取った。

 それがフォクスの最期だった。

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