第9話 第2部「くるみ割り人形」 リハーサル
朝、明子が稽古場に行くとすでに久美を中心になって車座になって20人位の女性団員が集まっていた。
この中に久美の長女、明美もいる団員としては3年目だが今年から教師の仲間入りをした。明美は実力はあるのだが身長が160cm未満で入りたいバレエ団にはいれず淺櫻バレエにきた。これからもっと上手くなりオーディションで落としたバレエ団を見返してそのカンパニーにソリスト以上で移籍してやると思っている。とても勝気なバレリーナによくいるタイプの子だ。
もちろん久美が主宰するバレエ教室では教えをしていたのだが、これからは他の教室もまわることになる。明美の明は明子から一字を取っている。久美の旦那は底抜けにいい人で普通の勤め人だ。よく長女の名前を自分とはあまりかかわりのない人からつけさせたと思うのだが次女の名前は自分がつけたようだ。
明子が「おはよう」と声をかけると話し合いを中断して一斉に立ち上がり
「おはようございます。」
とあいさつを返す。
「ご苦労様」と言い傍らに座る。
何気ない朝の習慣、そしてこれから始まるレッスン。明子にとってとても大事な時間だ。
ストレッチ、体幹トレーニング、トウシューズの点検など退屈で根気のいることでも彼女には楽しくすごせる。だから続けられているのだ。
徐々に団員たちが集まっていく。山口詩織の姿がない。話し合いが終わって近づいてきた久美に明子が「詩織は?」
久美は稽古場を見渡し「休みですね。彼女は私のレッスンあまり来ませんから」
今日は久美の教えの日だ。団員クラスは上の先生たちが交代で教えている。その中に久美もいる。団員は基本は毎日くるのだが自分に合わない先生の日は休みがちになる。
詩織と久美はあまり合わない。
レッスンは他のオープンクラスを受けてきてリハーサルだけに参加するダンサーも少なくない。今日のプリマのリハーサルは明子だ。他のプリマはその周りで同じ動きをして練習するのだが詩織は自分のプリマの日は休まないが、他の日は休みがちだ。
青山は彼女だけは黙認している。
明子が詩織のことをあまり良く思わないのはこのことが原因だ。練習にひたむきではないのだ。日本だけでなく他の国のプリンシパルも誰よりも練習をして勤勉だ。この世界をしらない人たちは天才のように生まれもって踊れると思っているかもしれないがいくら持って生まれても練習なくして天才には絶対なれない。しかし、詩織のように練習嫌いでプリンシパルに上り詰める人たちも僅かにいる。
明子がロイヤルにゲスト出演したときもある有名プリマのレッスンする姿を見なかった。
ストレッチと体幹トレーニングでリハをし本番もそのままやっていた。
「くるみ割り人形」の公演数は地方8そのうち関東圏の埼玉と神奈川、東京4で12回だ。
今までだと地方公演はほとんどが明子だった。東京から離れれば離れるほど明子でなければチケットが売れなかった。ところが詩織が入ると地方公演でも詩織の日は客席がうまるようになった。徐々に地方も詩織の日になり今回は明子と半々の3回だ。意識しないようにと思えば思うほど明子にとって詩織の存在は大きくなっていた。ライバルというには年の差があり過ぎる、この気持ちの治めどころがわからない。そしてリハ初日のレッスンにいないのだ。
こういう時は道を探す。彼を見ると落ち着く。もっと大きいかと思ったが190cm弱だ。200cmを越えているように見えたのだか、錯覚だ。手足が長いのでより大きく感じるのだ。
道はいつも穏やかで声を荒げたとこを見たことがない。青山とは真逆だ。いつも声が大きく威圧的なことしか言っていない。青山が来る前にレッスンを始めて欲しい。彼も現役を離れたのでレッスンは休みがちだ。
久美の「おはようございます。始めます」
の声でレッスン開始。久美がプリエの順番をみせる。バレエのレッスンはバーから始まる。付け根、膝、足首の関節を解していき最後に一番大きな動きのグラン・バット・マンでしめる。久美の組み方はシンプルで明子は好きだ。そもそも団員はもう大人である程度経験もつんできているので手取り足取り教わる段階は終わっているので身体を解し筋肉を目覚めさせ維持していくので組み方や指導はそんなに必要ない。むしろ自分との会話だ。
とかく留学経験があると外人のレッスンを受けたがる。日本でも外人の教師が教えるオープンクラスが増えている。
レッスンが終わるころに青山が入ってくる。
「おはようごぞいます」
と団員たちが一斉にあいさつする。
「おはよう」
と青山も頭を下げ返す。彼もどんなに横柄でもレッスンの曲の合間に入ってきてちゃんとあいさつをする。これはできないとこの業界では生きていけない。
「くるみ割り人形」は再演を繰り返しているので古い団員は演出振付がすでに入っている。新しく入った団員ゲストはまずはビデオを見て振りを覚える。細かくわからないところは古い団員に聞き振りを入れていく。
今年、青山は曲を足したいと思っている。パトリス・バールが2幕でランチベリーの「くるみ割り人形」全曲CDにある曲で王子の登場に使っていたものと、「眠れる森の美女」のシンデレラの曲だ。シンデレラの方はノイマイヤーが曲をカットしプリマのヴァリアシオンにしている。少しでも改定しオリジナリティーを出したいのだ。
王子登場の曲はグラン・パ・ド・ドゥの中にドロッセルマイヤーのヴァリアシオンとして入れ、シンデレラは全曲カットせずに使い2幕の幕開きにしようという構想だ。どちらも
ドロッセルマイヤーを若いキャストにしたので躍らせようとしている。青山は重鎮男性ダンサーともめたので他も排除しようとしている。テクニックができなければ去れだ。
「くるみ割り人形」の話は変えようがなく、全く違うストーリーでなければ、くるみ割り人形から王子になった彼が王様ねずみをクララの助けでやっつけてそのお礼にお菓子の国に招待し楽しい時間を過ごし彼女が家に帰るという感じ。ヌレエフはドロッセルマイヤーと王子が同じ人が演じたり、ロイヤルはくるみの人形がドロッセルマイヤーの甥だったり、クララが目覚めてお母さんをみつけてその胸に飛び込んだり、フライングの技術をいかして空に舞い上がったりとかなどいろいろしてるが話は単純。そのバレエ団の技量で各国の踊りが盛り上がり演出と芝居で個性を盛り込む。
ベルリン、オーストラリアン、アドベンナチャーモーションピクチャーズなどのようにまったく違う台本を青山も思考したみたいだが王道のストーリーは変えずに振付と演出で新しさを出せないかとの結論のようだ。
雪で1幕が終わり2幕で海底(藻)で始まり、お菓子の国になるときに「眠れる森の美女」のシンデレラでドロッセルマイヤーを登場させ最後にアラセゴン・ターンをするとお菓子の国になり曲調がかわったところで新しいキャラクターのクリスマスの妖精なるものでお菓子の国が始まり、「くるみ割り人形」の音楽になる。まずはここが大きく変わる場面だ。
青山は再演の作品は毎日のように通しをするのが通常だが今日は2幕から始め変更箇所をやろうとする。
「道」と片岡道をよびドロッセルマイヤーの振付をしようとすると
「おまえらもだよ」とドロッセルマイヤーを演じる残りの2人を手招きしながら
「一緒にやるに決まっているだろうが」と叱責しながら踊りだす。
いつもこんな感じで1人を読んだらその役をやるものは集合する。たまにその1人だけをよんでいることもあり、その時は逆の叱責。
「金魚の糞みたくっついてくるな」
まったくめんどくさい人だ。創作者はこんな感じだとカッコつけているようだ。稽古場のピリピリ感をだしたいのだ。
フォーチュン王子がシンデレラに靴を履かせるまでの音楽がドロッセルマイヤーのヴァリアシオンのようにつくり最後にアラセゴンターンで海底の柄紗が後が明るくなりお菓子の国が現れて紗が開いていく。ドロッセルマイヤーはシェネをしながら退場していく。
青山は男性パートの振付はスムーズだ。あっという間にパを渡した。
お菓子の国になるとここで新しいキャラクターを登場させる。6人からなるクリスマスの妖精だ。衣裳は横浜の美術館で「ドガ展」があった際に、バレエ用品メーカーがドガの絵から再現した「レッスン」の衣裳だ。青山が「ドガ展」を見に行った時に気に入り、売りに出すとの話を聞きその場で予約したのだ。一枚一枚布を染めて作っていて見た目よりもとても軽く踊りやすい。
青山の振付は女性パートになっても割とスムーズだ。よく考えてきたのだろう。作品全部を変えるわけではなく、一曲だけなのだから。パはどことなくノイマイヤーのものと似ている。でも違うという感じ。そもそもノイマイヤーはプリマ1人で踊るパートにし、青山は6人で踊っているのだ。同じパがあっても場所の入れ替わりなどをして複雑にみえる。彼の得意な手法でいいとこどりだ。
各国の踊りは再演なのでそのまま通していく。
「毎回、心をこめて!」と芝居を段取っていると青山が叱るくらいだ。
金平糖のパ・ド・ドゥになっても詩織は現れない。
真ん中で明子と本倉ペアで始めようと歩いて中央に登場すると他の3組も同じように登場するまるで「ライモンダ」のようだが本番は一組だ。その中で詩織がいないので王子役1人だけの
沢村も若手のホープだ。淺櫻バレエ団系列の地方のバレエ団の出身だ。毎日レッスンするためにそのバレエ団の教室を掛け持ちして通うほどのレッスン好きだ。まあバレエ団の主役を踊るのだからそのくらいは当たり前だ。
クララと金平糖が同一のプリマで行うワイノーネン版だがグラン・パ・ド・ドゥはロイヤル版だ。
沢村は詩織と組む時よりかなりプリエを深くし下からサポートもリフトもしなければならないが、それでもスムーズにアダジオは流れていく。彼は明美を自分の手の中で扱いやすいのだ。
明美はそれだけ沢村に自分を委ねるのだがその分、自我が弱く面白みに欠けるものになるがクララの金平糖なのでとても女の子ぽくってチャーミングにみえる。この役のパ・ド・ドゥならば明美はとても良いと明子は思っている。
グラン・パ・ド・ドゥのコーダの前にドロッセルマイヤーのヴァリアシオンを入れる。
また、青山の振付はスムーズに流れる。全体にバッチュをするパが多いが、ダンサーが大柄なのにあえて細かいパを入れたことでアンチテーゼの要素のように速い動きをさせることで面白みを出そうとしたようだ。
グラン・パ・ド・ドゥが終わり、全体のコーダの始まりは金平糖の2人と入れ替わりにドロッセルマイヤーが登場しトゥウルダブルアンレール5番で下りると音楽がスタート。ここでもドロッセルマイヤーが軽やかに踊る。各国の踊りが続きクララこと金平糖を数人の男性で持ち上げるとコーダが終了しクリスマスツリーがある客間に戻る構成だ。
ここで数人が早着替えをする客人にもどるのだ。まだ酒を飲みたのしんでいる者、酔いつぶれ眠ってしまうもの、談笑しているものなどになる。その中でソファーに眠っている金平糖から着替えたクララが現れる。ソファーの回りをクリスマスの妖精6人が囲み開くとドロッセルマイヤーが眠っているクララを抱きかかえている。彼女をソファーにそのまま置くと妖精とドロッセルマイヤーは静かにいなくなる。
目覚めるクララの傍らにくるみ割り人形が置かれている。彼女がくるみ割り人形を抱きかかえあたりを見回すと、お母さんがいる。クララが走りだしお母さんの胸に跳び込むと静かに幕が下りていく。青山の演出はとにかく舞台上に少しでも多くの人を配置しようとす。1人のパワーを信用していないのだ。得に一般のお客はダンサーをほとんどしらない。無名に近い存在でポツンといられてもなにも感じない寂しく思うだけだ。
今日から約一ヶ月半「くるみ割り人形」の通し稽古の開始だ。刺激のない地味な作業なのだがこれをすることで新たな自信になり作品が自分のものになっていく。身体は忘れん坊だ。特に筋肉は衰え、忘れていく。心身を目覚めさせていく過程なのだ。
明子は舞台も好きなのだが、レッスン、リハーサルもそれと匹敵するくらい大好きだ。毎朝、起きて稽古場に向かうのが当たり前なのだ。
11月半ばの仙台公演がらスタートだ。
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