第8話 白鳥の湖 エピローグ
明子が目覚めたら病室だった。
カーテンコールをしながら気を失ったのだ。
白い部屋で布団から何もかも真っ白に見えた。
明子は精神病院かと思う。映画でこうゆう部屋がよく精神に異常をきたした人が入っているイメージ、すべてが白で色がない。
「白鳥の湖」の舞台はすべてが夢か自分がおかしくなり見たものだ、だから入れられたのだ。
傍らの椅子に久美がうたたねしながらチョコんと座っている。
明子は手をのばし久美を揺り動かす。
久美は目覚めながら、
「起きました。良かった。」
久美は明子の手を握り
「もう、大丈夫。過労です。それと絞りすぎ。おいしいものを食べに行きましょ。」
「頭は大丈夫なのね。」
「え、なにが?」
「だから、ここ精神病院じゃ」
「何のこと?」
「舞台」
「ああ、あれは現実です。私も感激しました。夢のような体験でした。頭がおかしくなったわけじゃありません。」
「そう、では何だったのだろう。」
「わかりません。がんばって、がんばって努力、努力の奇蹟。」
「そう」
と明子は答えたが、奇蹟は起こらないものだと思っている。
バレエは奇蹟やファンタジーはない。毎日の努力、努力しかないのだ。才能があるないなどと努力をしないものがたわごとのように言う。
もしバレエの才能があるとするなら、それは毎日、努力できる精神力と体力だ。
努力、忍耐、継続。究極のアナログ世界なのだから今は死語のことばかりだ。
気持ちの方は誰よりも好きなので辛いと思ったことがない。体力は健康に生んでくれた両親に感謝しかない。五体満足でいつまでも踊っていられる。
最近は左足の膝がとくに悪いのだがこうしてまだしがみついていられるのは若いときの鍛錬のおかげた。
「久美、明日退院できる。」
「2、3日はだめですね。」
「レッスンしたいんだけど。」
「それはもう少し無理ですね。」
「そう」
「のんびりしましょ」
「うん」
明子はレッスンをしなければ不安なのだ精神安定剤のようなものだ。せめてバーだけでもできればいいな。目をあければ横になっていられないのだ。
12月は「くるみ割り人形」の公演が待っている。
他の作品と違い「くるみ」のツアーは女性団員が元気になる。
「白鳥の湖」のツアーだと体力的にもハードで白ものは気持ちが落ち込む。女性団員の誰かが具合が悪くなりリタイヤする子が度々いるのだが、「くるみ」だと滅多にいない。
楽しいのだ。
明子も毎年の恒例のこのツアーが大好きだ。
片岡道のことを思う。彼は誰だったのだろう。
「道君はいつからバレエ団にいたっけ?」
と明子が久美に聞くと
「半年くらい前からじゃないかな。もうちょっと後かな少なくともこの白鳥の振付が3ヶ月前から入らないと新演出だったのでメンバーには入れなかったはずです。」
と久美も彼が入ってきたのがあいまいだ。とくに男性はゲストも多いので入れ替わりが激しい。
「どんな子」
「まじめな子です。。それと素直。私の注意もよく聞いてくれる。踊りをみればわかると思うけど癖がなくていいダンサーですよね。」
「そうね」
「穏やかでいい子です。」
「うん」
道のことを調べるつもりもないが、自分の子であるわかけがない。でも成長していたらあんな好青年になってくれたかな。
明子は、とても素晴らしい体験をしただけでいいんじゃないかと思っている。
藤川康介は原稿用紙の前に座り考えをまとめようとしていた。今日で何度目だろう。舞台系の新聞に淺櫻バレエの「白鳥の湖」の評論を依頼されていて何を書こうか迷っていた。言葉のないバレエの世界を言葉で批評するのだ。まあナンセンスだ。観なければわからない。いい舞台だったので、素晴らしかっただけでいいんじないか。
まあうまくまとめなければ。
今は片岡道のことでいっぱいだ。
どんな人間なのだろう。レッスンを見てみたい。人として性格は、女が好き、男が好き、両刀。変なことまで思ってしまう。仕草や踊りを観るとゲイには見えなかった。どうだろう。最近はわからない。道のことを中心に評論をまとめようと思っている。
できるだけ良い文章を書きたい。少しでも今の淺櫻バレエ団を知ってもらい次の公演のチケットが売れてより多くの人に観てもらいたい。
しかし藤川は今回の「白鳥の湖」が全部同じ演出だったのだろうか。東京公演は全部で3回だった。明子の年齢も考えて最後のソワレだけだった。道のロットバルトもその日だけだった。あんな魔法のような舞台が連日続いていたのだろけうか。そもそも年を取っているプリマは明子だけで、初日は今売り出し中の詩織で、2日目は新人、そして楽の明子。他の日をみていないので、この日のことを書けばいいだけなのだがきになった。他の日をみた知り合いがいないか思いを巡らせる。誰かいないかなと思っているとスマホが鳴る。三田からだ。
「はい」
「俺だけどさ」
「俺じゃわからないよ」
「表示でてるだろ」
「ああ」
「結末、どうだった。知らせてくれないからさ」
「ああ、そうか」
「連絡くれよ。あてにしてるんだからさ」
「もう、批評書いたんだろ」
「まあな。あとは結末がわかれば完成。頼むぜ」
「なんて言ったらいいかな、観なければわからないかな」
「なんだそれ」
「本当の感想」
「お前の感想じゃないの。誰が死んで、天に召されたか。あるいはやっつけてめでたし、めでたしだろ」
「三田なら結末がわからなくてもうまくラストはこんなんじゃないかなって、匂わせて書けばいいんじゃないか。」
「まあ、そうだけど教えてくれてもいいじゃない」
「ちょっと言葉では説明が難しい」
「じゃお前どうするんだよ」
「だから困ってるんだよ。言葉に表したくない」
「フーン、呆れるぜ。言葉が仕事だろうが」
「そうだけどな。それよりあの舞台、他の日に観たやつ知らない」
「藤川、自分の後輩の明日香なら観てるんじゃない。バレエ好きだし」
「ああ、そうだ」
藤川は大学の2年後輩で
「結末」
「ああ」
「今、おまえに明日香のこと教えただろ。はやく」
「しょうがないな」
とできるだけ手短におきたことだけを箇条書きのように説明をする。
次の日の夜に明日香から電話が来た。藤川が前の日にメッセージを残していたのでかけてくれたのだ。慌ててでようとしてスマホを落としそうになりながらタッチする。
「藤川さんですか。お久しぶりです明日香です。」
「いやーどうもどうも久ぶり、突然電話しちゃってごめんね」
「いえ、大丈夫です。話なんですか」
「バレエ好きだったよね」
「はい」
「最近も観てる」
「はい、山口詩織が日本に帰ってきていてやっとこの間、観れました」
「白鳥、淺櫻バレエ団の?」
「はい」
「やったー」といいそうになるのを堪えて、
「どうだった」
「良かったです。山口詩織は前から好きだったので、彼女の全幕が観れたのはラッキーでした。それに主要メンバーが若返っていてフレッシュで楽しめました」
「演出は」
「うーん、悪くなかったと思います。古典の白鳥ですから代わり映えなく」
「じゃあ、変わったいままでにないストーリーはなかった」
「はい、バレエですから。ダンサーはとっても良かったと思います。」
「なにか不思議なこともなかった。ドロップの中に入ってしまうとか」
「え、そんなことはなかったです。2幕は
「柄紗か、湖の柄紗ね」
「はい、湖のドロップかと思ったら後に照明をあてると柄紗が透けて岩場が現れました」
「ふーん、あと突然、白のチュチュが黒になったり、ドレスになったりしなかった」
「袖にはいってですよね。ああそれは着替えがはやいなと思いました。みんな、パッとでてくるので」
「着替えじゃなくて舞台の上で魔法かマジックのように」
「ええそんなことはないです。どうゆうことですか?」
「いやいや、意味なんかないよそのまんま。舞台上で変わるんだ。見てると徐々に、どうやっているかはわからないんだけど」
「ないです。さっきも言いましたけど着替えに袖に入ってます」
「ラストで白鳥たち全員がドレス姿になってロットバルトの魔法がとけて人間にもどっていったよね」
「はい、あそこは良かったです。オデットはよく人間にもどったという演出はあったと思うですが、白鳥みんなが人になっていくのは圧巻でした」
「そこそこ、舞台の上で徐々に変わっていかなかった」
「いえ、ですから何人かに分けて交代で袖に入って着替えてでてきました」
「そうか、・・・」
藤川、一瞬言葉をうしない。
「ありがとう。また連絡していいかな。今度、食事でもしながらバレエの話しようよ」
「本当ですか。うれしい。今、私のまわりでバレエを知っている人いなくて誰とも話ができないんです」
「じゃ、今度会おう」
「はい」
とまた連絡することを約束して電話を切る。
藤川は電話を切ったあと自分の観たものはなんだったのだろう。まぼろし。集団催眠。そんなことはない絶対に現実におきたすばらしい舞台だ。
今、確かなことは次の舞台を観にいくことだ。明日香を誘い、分かち合える人と観たらどうだろうとわくわくする。
片岡道隆も数日不思議な感覚に落ちていた。不快ではなく訳が分からないのだが心地いい。本当の意味での心のリフレッシュができストレス解消になった。患者に寄り添いすぎると、治せなかったときのショックや治せても前とは違う生活になってしまうことが自分もつらくなってしまう。やはり少しの距離をおくことで冷静に判断ができ患者にとってもそのほうがいいと思っていたが、そんなことを考えるのではなく、単純に寄り添えばいいんだと思いが変わった。「白鳥の湖」を観てそんなことになるとは、わからない。
先日、同僚がある患者の話をしてきた。奥さんが乳がんの治療中でその旦那さんに待合で会ったときに
「最近、どうですか?変わりありませんか?」
と声をかけると、その夫は
「先生、実は」
と切り出した。
夫の話によると今、住んでいる両隣の年寄たちの旦那の方がそろって癌で1人は胃癌から肺にもう1人は前立腺癌だそうだ。胃癌から肺の旦那の方が手術から抗がん剤治療になり、1つの治療が終わり次の抗がん剤になるときに自宅で夜中に急変し救急車で運ばれたが、そのまま息を引き取った。隣組でお通夜、葬式の相談になり、受付、駐車場などの係きめをし前立腺癌の夫もそんなに落ち込むことなく別れたのだが、その次の朝、介護施設の職員の玄関を叩く音で表にでると、救急車が到着しそのあとに消防車、パトカーと続く。警官が窓を割り中に入り2人の遺体を発見する。
練炭自殺だった。70を過ぎた老夫婦だったので前立腺癌の夫はその日、病院で癌の検診があり、少しボケの来た女房を介護施設に預ける予約をしていたのだが、約束の時間になっても現れず、不審に思った職員が自宅を訪ねたということだ。
同僚の医師はこの話を乳がんの奥さんがいる夫から聞かされて、1人で抱えていられなくなり、片岡に聞いてもらったということらしい。
最初、片岡は普通の世間話として聞いてなんとも思っていなかったが、同僚の医師はそれだけ患者に寄り添っていたんだなと思う。同僚はその夫の立場になって考えてしまったのだろう。長年近所付き合いのあった人たちが癌で、自分の女房も癌でその1人が介護と癌で自殺をしてしまった。どうな思いなんだろう。当事者しかわからないはずなのに、同僚は思い詰めてしまった。いい医者だ。自分もそうあるべきだ。
道は、自分の親族の中で関係するものはいなかった。
道は道という存在のままで私の中にほっとして暖かい存在でいればいいと道隆は思う。また「くるみ割り人形」を観にいこう。
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