第3話 白鳥の湖 第2幕 終演後ロビー
今の出来事に気持ちの整理がつかないまま、ただ、ただ感激し興奮したままロビーに溢れだす。涙がこぼれる者もいれば饒舌になっている者、
「俺も思ってたんだよね。ロットバルトの魔法って人を白鳥に変えるだけなのって」
なにも語らず茫然している者、なにか口にしなければ落ち着かない者、すこし異常な状態だった。
3幕、4幕への期待は皆に共通していた。今の高ぶりを抑えなければ観る方の体力がもたないと感じている。
片岡道隆はその中ですこし感じかたが違っていた。
「すくわれた。」
片岡は外科医だ。今日も手術のあと駆け付けた。チャイコフスキーの音楽と躍動するバレリーナたちをみるだけでもいつも救われる。自分の世界とはかけはなれているからいいのだ。今日のように達成感のない術後はなおさらだ。取れきれなかった腫瘍。まだ希望がないわけではないが難しい。抗がん剤がきくこと、放射線、ホルモン療法。自分の手から離れたところでたすけてくれればいいと願うばかりだ。でももっとできなかったかと片岡はいつも思う。うまくいったときでもそうなのだから自分は救われないと片岡は感じている。
バレエとの出会いは明子だ。
2人がまだ若かったころに当時付き合っていた彼女にバレエに誘われた。
「くるみ割り人形」だった。楽しかった。外科医になりたてのころだったので、その時もすくわれたと感じた。その彼女は明子とバレエ教室が同じで知り合いだったので終演後楽屋を訪ねた。
片岡が外科医だと明子が知ると
「関節のお医者さん、とくに膝の名医いません。」
と聞いてきた。こんなささいなことで明子と片岡はひかれあう。
片岡は早速、仙台にいる同期の整形外科の医師を紹介しようと明子と待ち合わせる。
明子は「私を仙台まで通わせるの?」
どうしてこの人はこう思ったのか、面白い。
片岡は「新幹線ですぐだよ。」
そんなかんじだ。
しかし、数ヶ月後、膝の靭帯を痛めたとき仙台の病院に入院することになる。
片岡は何度も見舞いにきてくれる。
明子は「大丈夫だから」
と片岡を逆に心配になり言うのだが
「新幹線ですぐだよ」
と片岡は平気だ。
2人のデート場所で仙台が多かったのはこの時期に一番会うことができたからだ。
明子は当時結婚していたので2人の関係は不倫だ。明子と青山はすでに別居状態で青山は代わる代わる若い団員を自分付きという愛人がいた。明子も他の男性と付き合うのは黙認されていた。
片岡はそれから明子の舞台を観るようになる。片岡が結婚し子供ができてもその習慣はかわらない。この世の救いなのだから。
今日の舞台はまだ2幕なのだが格別だ。若々しい王子がまあ良かったのだが、2幕の途中からの魔法だ。そうとしかいいようがない。
頭の中に語り掛けられ、明子が若返り、平面の中で踊り、最後は分身の術?
もうわけがわからない。でもすばらしかった。このストーリーと演出はみたことがない。初めて青山のことを見直した。
ロットバルトが誰なのかパンフレットをひらく。1枚別の紙が同封され今日のキャストが載っている。
淺櫻バレエ団はこの役は年配の男性ダンサーが演じ衣裳を大きくしてあまり踊らない芝居の役だったのだが今回変えてきた。踊りまわり若いダンサーが演じている。
私の名前に似ている。初めて聞く名だ。大抜擢なのだろうか?
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