第2話 白鳥の湖 第2幕 客席

 隣の席の評論家仲間の三田は1幕のトロワまでしかもたなかった。熟睡だ。いびきを掻かないだけでもましだろう。

 藤川ふじかわ 康介こうすけはなんの期待もせずに劇場に入った。

「まぁー、いつ終わるかわからない雪瀬明子を観るのも悪くない。それが今日かもしれない。」

変な期待だが今の淺櫻あさくらバレエ団にはそのぐらいしか面白みがない。

 青山哲大の母親の淺櫻道子が戦後に始めたバレエ団でそのあとを青山が引き継いだ。

淺櫻も母親の旧姓で雪瀬もバレエでは旧姓のまま芸名のようにしている。

 1幕は、何の変哲もなくすぎていった。可もなく不可もない。しいて新演出と言うならばプロローグがついたぐらいだ。下手な生演奏を幕を閉じた状態より誤魔化せて楽しめる。これは少し流行りみたいなもので、アメリカンバレエシアターやパリオペもやるようになった。いわゆるブルメイステル版だ。

 中身はプロローグがブルメイステルなら1幕はボリショイのグリゴロービッチ版の焼き直し、若いジークフリード王子にした彼のテクニックが面白い。では楽しめたってこと?

 それだから、隣の三田は気持ちよく寝にはいった。

 三田は文才にたけているので観てきたかのようにうまく褒め称える批評を書く。だから招待、接待も多く藤川よりもお呼びがかかる。オリジナリティーがないと思った瞬間つまらなくなったのだろう寝てしまう。

 藤川はバレエが好きな分だけ熱くなる正直に思いのたけをぶつけたいのだが、そんな評論をしたらどこからも呼ばれなくなる。日本のバレエ団がボリショイ、マリンスキー、パリオペのようにできるわけがない。

 パリオペでこの間引退した男性エトワールのことを膝がででいてテクニックもたいしたことないと批評してもどこからも苦情はなく仕事にも影響ないが日本のバレエ団でそんなことをしたらまずそのバレエ団からは二度と呼ばれない。他の団もうわさが流れると敬遠される。

 名ばかりの日本ロイヤルバレエ団が外国人の振付家ばかりの作品をしてしかも日本人ダンサーたち良いところを引き出す演出振付をするのではなくそのままもってきてやっている。だだでさえステージごとのギャラしか出さないのに、高額の振付料を振付家とその助手たちに助成金で払ってしまう。また名ばかりの芸術監督ならばいらない。芸術監督になった日本人が演出振付をすればその分の浮いたお金で少しでもダンサーたちに振り分ければいいのにと思うのだが、今度新しく芸術監督も自分がいた国の振付家をよんで日本初上陸と銘打って「白鳥の湖」を上演する。どこが日本のバレエ団なんだろう。客を呼べない演出家ならばくび。演出振付ができない芸術監督はいらない。日本人で客を呼べる演出振付家はいないじゃないかと言うやつは人を育てようと思ったこともない。まずは日本ロイヤルが本当の日本のバレエ団にならなければ変わらない。政治に強い人たちが残っているだけだ。海外の振付者作品で客席を一杯にしてもダンサーたちは潤わない。このようなことをコラムに載せようと思った時期もあったが藤川は自分でボツにした。彼も目先の金が欲しいのだ。

 その点、淺櫻バレエはすべての演出振付を良くても悪くても青山がやっている。彼の古典の作品はいいとこどりだ。だからどこかで観たことがある。古典だからといってしまえばそれまでだ。白鳥の2幕はほとんど変えようがない。スステコや4羽を個性的に変えた団もあったが、どうしても元のものを越えないので違和感だけになる。

 1幕の終わりから2幕の始まりのときにロットバルトを登場させ割と軽めの衣裳で踊るのを見たとき2幕もグリゴロービッチだなと藤川は感じた。

 結末をどうするのだろうプロローグがあったのでブルメイスティルのように湖の中からジークフリード王子が人に戻ったオデットを抱きかかえて現れてめでためでたしで終わるのか、グリゴロービッチで代表される多くのロシヤ版のように勧善懲悪でロットバルトを愛の力で倒して終わるのか、しかしボリショイは新装オープンしたときに結末を変えてきた。それも真似するのだろうか。オリジナリティーがないなと思っているとオデットが登場する。

 出できたアラベスクからのグリッサード・グランパディシャで藤川は

「今日か」

と呟く。ここまで老け込んでしまったか。2幕ももたないんじゃないか。

 明子の動きがすべてスローモーションのようだ。彼女の白鳥を初めて観たときの感動はどこにもない。登場したときのオーラで胸をうたれ、表現力、テクニックはもちろんだがだだ走るだけで客席が沸き、自然と涙が溢れた。小柄な身体が舞台の端から端まで閃光のように駆け抜ける。演奏が速くて間に合わないんじゃないかと心配してもすべて明子は軽く到達しそれだけでも客をくぎづけにした。

 やはりバレエはテクニックと若さがなければ存在感や表現力も伝わらない。残酷だ。

ノルマーのキツイバレエ団でCFや雑誌にでるほどお顔と上半身のきれいなバレリーナがいたのだが、いかにせんテクニックがない。彼女の母親が財力と政治力があり公演のチケットをすべて買い上げ主役をやりテレビでも踊らせたりした。司会の演出家兼タレントが褒めちぎっていた。テレビってここまで嘘なのかと呆れた。

 今の明子をどう批評しようと考えるほどだめだ。

 このだめな状況をロットバルトと王子が絡み踊りだすと一変するやはり若さだ。間とか表現はまだまだと思うのだが二人が力のかぎり跳んで走る姿は圧巻だ。魅了される。そしてこの暖かさはなにと思う。良く本物のダンサーを観たとの感覚だ。まるで舞台があかるくなり温もりがジワッとくる感じ。誰だロットバルトか?

 アッという間にロットバルトが白鳥たちを呼びステテコが始まる。

 小柄な白鳥たちから出で来るすこしでも身長がバラバラに見えないようにするためだ。ここ最近日本のバレエ団でもオーディションで身長制限があるバレエ団がでできた。女性160だったり163だったりする。ナンセンスだ。国内のコンクールで上位にくる子たちがまだまだ小柄が多いのが現実なのにオーディションだけ身長制限をしている。ならばコンクールで身長が大きい子に加点をするべきだ。どうしても身長が伸びている子供たちは筋肉、内蔵、骨などが小柄の子供より成長が追い付かづ弱い。コンクールの結果で挫折する子供たちがいるのだから小柄でテクニックのある子たちがいざ自分の希望するバレエ団を受けようとするとオーディションすら受けられない。また、強力なコネがあると身長は関係なくなる。まあ日本はそんなものだ。忖度の世界。

 日本では割と大きい方のカンパニーの淺櫻バレエ団は身長制限をしていない。小柄でも体型がバランスよく、テクニックがしっかりしているダンサーを選んでいる。役柄で大柄小柄も必要だと青山が思っている。その結果、白物のコールドバレエが身長バラバラ。

青山はそれもテクニックと表現でカバーしろと指導している。

 2幕も舞台装置で覆い踊るスペースが狭くなっている。その中を横6列、縦4列のクラシックチュチュを着た白鳥たちが踊る。半分ぶつかっているでしょうとなる動きたが これが青山の狙いで迫力のある白鳥たちになっている。なんてたって日本のバレリーナ(女性)たちはレベルが高く根性がある。給料がなくても踊っているのだから。

 白鳥たちがポーズで止まり、ジークフリード王子がオデットを探す。

 4羽が走り出て王子の前を通りすぎ止まる。3羽が出る。

 いよいよオデットだ走れるのか。と藤川は心配する。

 オデットは歩いている。早く動かなければならないところも歩いている。指揮者はそれに合わせてくれている。音楽までも、もたもたしている。

 「もう終わりませんか?」

客がセコンドならほとんどの人がタオルを投げただろう。バレエは格闘技だ。空手の神様がニューヨークで武者修行したときウエイトを同じにしたらキックはバレエダンサーが1番速く、パワーもあると言っていた。

 明子はどうするのだろう。と退場する姿を観ながら思ってしまう。

これからが見せ場だ。

 舞台では白鳥たちのワルツが始まっている。とまたあの感覚だ。明るく暖かい。ロットバルトだ。ここのシーンで彼はいないはずだ。しかも語っていないのに語っている。不思議な感覚だ。言葉がないのにストーリーが伝わってくる。もの凄い表現力?演出?

 そのままアダジオに入っていく。

 驚き、もうわからない。

 今日で終わりだと思っていたオデットが・・・

 明子の踊りに感動して他のことはまったく気にならない。感激、感動だ。バレエには言葉がない。藤川のように言葉だけに頼っているとこの世界に圧倒される。パンフレットでストーリーを紹介しているが本当ならばそんなものはいらない。踊りと音楽の空間に浸り楽しむのだ。言葉は必要ない。

 いろんな思いがもうフッとんでいるが明子のオデットが本当にきれいだ。若々しい。

若々しい?そんなものではない。若い。完全に若返っている。しかしどうしてという思いはおこらない。だだ浸っていたい今この瞬間を、終わってしまう。

 もう4羽だ。日本のバレエ団でこの踊りがきれいだと思ったことがない。確かによく揃って練習をしてきたとわかるが根本の足の柔らかさに欠ける。人として稀有の存在でなければ、でも今日は楽しめる。お揃いの甲パットをいれているのだが踊りがいいい。

 3羽もだ。湖の中央に大きな岩場がありその上にロットバルドがいる。2mはあるかと思うほどに大きい。ベジャールのボレロのようにステップを踏み飛び跳ねている。最初は映像かと思ったがそこにいる。ドロップの湖の中にだ。

 オデットのヴァリアシオンは圧巻だった。客席は、水を打ったように静まり咳払いもきこえない。隣の三田の寝息が音楽の合間に聞こえるようだ。岩の上のロットバルトはオデットの踊りを邪魔せず、ハモッテいる。

ハイデとクラガンのダブルボレロだ。

「ブラボー」「ブラボー」客席が拍手をしながら立ち上がっていく。まだ幕の途中なのに興奮を抑えられない。藤川も拍手しながら立ち上がっていた。ロットバルトは羽根をとじ岩と同化し客席が静まるのをまっている。

 客席を静めるようにジークフリードが登場する。2幕で男性ヴァリアシオンを入れているのだ。ヌレエフ版だとアダジオの音が続き王子が踊りだすのだが、最近のオペラ座のように分けてある。ルグリが芸術監督をしているバレエ団はヌレエフ版をやそのままやっている。やはり若いというのはいい。このヴァリアシオンはジャンプばかりなので特にいい。

 コーダに進み白鳥たちも踊りだす。白鳥たちの踊りまで良く見える。だめなバレエ団で真ん中だけを海外からゲスト出演させて良くみせているのとは違い白物なのに1人1人が本来あってはならない個性がみえそれが一糸乱れない動きで圧倒してくる。すばらしい。

 情景になりオデットとジークフリードが舞台で絡んでいると湖中央の岩場でロットバルトが4羽の中からオデットと背格好が同じ白鳥を選び岩場に招きオデットの姿に変え、湖に突き落とす。オデットは跳び上がり一瞬で岩場の上に戻ると白から黒に変わっている。

 オディールの登場だ。

 舞台の上には二人の明子がいる。

 幕が静かに閉じていく。

 一瞬の静けさ、なにがおきたのかわからず、唖然としている。

 嵐は後ろから押し寄せた。ブラボーにならない叫び、そしてスタンディングオベレーション。まだ終わっていないのに。

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