カレー作り─5

 有泉と交代で、二階堂がキッチンに入ってきた。


 緊張しているのか、足取りは少しギコチナイ。そんな彼女の肩を、桜木はポンポンと優しく叩く。


「ノア、頑張ってね」


「う、うん! もちろんだよ」


 多少、体は強張っているものの、やる気十分なようだ。

 既に兎木ノアとなっている二階堂は、拳を胸の前で力強く握り、フンフンと鼻を鳴らした。


 そして撮影の準備をしながら、2人の様子を心配げに見つめていた俺の方へ、二階堂は体を翻す。そして胸の前の拳を再びブンブンと力強く振った。


「頑張るね!」


「あぁ、応援してるぞ」


「うん、ありがとう!」


 俺を安心させるためか、二階堂はそう言って、ニッカリと元気に笑って見せた。

 

 そして二階堂は姿勢を戻すと、料理の準備に取りかかる。


 先程剥いたじゃがいもの皮を含めた生ゴミを捨て、ピーラーを軽く洗う。

 そしてまな板の上にへばりついたトマトの液を綺麗に洗い流した。


 ちなみに二階堂は、最初にニンジンを切り、そして主役の鶏肉を切り分ける予定となっている。


 まぁ、二階堂は一人暮らしという事で自炊経験も豊富である。

 それに以前、彼女の手作りのお弁当を少し分けてもらった事もあったが、その時のおかず達の美味びみなこと美味びみなこと。

 それ故、料理に関して特に心配する事はないだろう。


「頑張ってね〜」


「ノア先輩頑張って下さ〜い」


 キッチンの入り口でこちらの様子を見守っていた有泉と美憂からも、応援の声が飛んでくる。

 これは頼もしい。


 だが、そんな暖かい声援とは裏腹に、まな板を水で洗っていた二階堂の手は、プルプルと震え出したのだ。

 流れる水をピシャピシャと弾く手、口はポカンと開き、少し唇が白くなっているようにも見える。


「そ、そういえば、美憂ちゃんもいたんだね」


 二階堂は眉を寄せながら、桜木にそう呟いた。


「えっと、愛莉。それがどうしたの?」

 

「いや、だって、美憂ちゃんには私がノアになってるとこ見られるの初めてだし、何か緊張してきちゃって」


「あー、なるほど、そういう事ね」


 桜木はどうしたものかと、俺に目で問いかけてくる。


 確かに、以前動画鑑賞会と称し、俺は兎木ノアの動画を二階堂の前で見た事があった。

 その時の彼女の動揺っぷりったら凄まじいのなんの。


 そのため俺は何か理由をつけて美憂をここから遠ざけるべきかとも考えた。

 だが、これからの事も考えて、二階堂にはこのまま頑張ってもらう事に決めた。


 今後、Vtuberとして活動し成功していけば、あまり面識のないVtuberの方々、または企業の方々と一緒に仕事する機会も出てくるだろう。


 そうなった時、恥ずかしいから案件を断りますという訳にはいかないだろうという考えだ。


 そのためにも、場慣れや、緊張に慣れてもらうため、またあがり症を克服してもらうためにも、荒治療にはなるが、美憂に兎木ノアの姿を見てもらう事に決めたのだ。


「まぁ、今後の事も考えて、見られるのには慣れておくべきだと思うぞ。だから、そうだな、なるべく美憂の事は気にしないようにしながら頑張れ」


 その俺の言葉に、二階堂は肩をビクリと震わせながら振り返った。


「えっ、そ、そんな......」


 『ガーン』という効果音が聞こえてきたのではと錯覚する程に絶望的な顔をする二階堂。

 小刻みに顔を左右に振り、無理だ無理だと表現している。


 また彼女は助けを求めるため桜木の方に振り返った。しかし桜木から返ってきた言葉は俺に賛成するものだった。


「ねぇ、愛莉もこれから活動していけば色んな人とコラボしたり、色んな人とお仕事をする機会がやってくるわ。そうなった時に、恥ずかしいから、緊張するから出来ませんじゃ勿体ないでしょ? ちょっとずつ慣れていく事が大切よ」


「そう、だけど......」


 桜木の言葉を聞き、俯く二階堂。

 二階堂も自分のあがり症や人見知りを治したいからこそ、ひどく葛藤しているようだ。


 そんな彼女の姿を見て嬉しそうにクスリと笑った桜木は、そっと彼女の耳元に近づき、小さく囁いた。


「ふふ、それに、美憂ちゃんともっと仲良くなりたいんでしょ? それなら頑張ってるとこ見てもらわないと」


 その言葉に、二階堂はスッと顔を上げる。


「あと、最初は村瀬に見られるのも緊張してたじゃない。だけど今はもうすっかり慣れたし。それに、村瀬に見られるのに慣れてから、愛莉のあがり症も前より良くなったと思うしね。だから頑張りましょう。慣れよ慣れ」


 確かに今思えば、二階堂のあがり症は、俺と彼女達が出会った初期の頃と比べれば良くなっているように感じる。


 慣れもあるだろうが、最初は目すら合わせられなかった美憂とも今は普通に話せるようになってきてるしな。


 その事実を桜木に気づかされ、二階堂もやる気が湧いてきたのか、彼女は一回大きく深呼吸をした。


「ふぅ、うん、そうだね、ありがとうモモちゃん。それに村瀬君もありがとう、頑張ってみるよ」


「おう、二階堂さんなら大丈夫だよ、頑張って」


「ふふ、そうね。ならほら、お昼になる前に完成させたいから、早速作りましょうか」


 こうして二階堂の料理作りが始まった。

 

 いつもより顔が赤いし、目に力が入っている様子が、彼女の緊張具合を表している。

 だが俺にできるのは祈り、応援するだけ。怪我だけはしないように、頑張ってくれ。


 しかしそう心配してみたが、二階堂も伊達に一人暮らしをしていない。

 いくら緊張しているとはいえ、手際がめちゃくちゃ良い。有泉の後だからか、さらにそれが強調される。


 まぁ、いつもより言葉数が少なかったり、口調が乱れたりはしたが、仕方ないだろう。

 逆に、美憂が見ている前で、ここまで兎木ノアになっているのだから、大きな成長だと言えよう。


 まぁ、それでも時間が経つにつれ、二階堂は美憂がいる環境にも慣れてきたようで、最後の方は、いつもの兎木ノアとなりながら、ハキハキと話せるようになっていた。


 そんな風にいつもとは雰囲気が変わり、キャピキャピとした様子の二階堂を見て、美憂は驚きの表情と共に有泉と話していた。


 だが、美憂はそんな楽しそうな二階堂の姿を見て、幻滅するどころか、ワクワクと心躍らせているように見えた。

 二階堂の美憂と仲良くなりたいという望みに光がさしたようにも思えた瞬間である。


 そして二階堂と桜木の手際の良さもあり、特出すべき失敗もおこらず無事に彼女の出番は終わった。


 これで下準備も終わり、実際にカレー作りを行う事になる。

 するとここからは桜木の独壇場である。自称カレーマニアの桜木の手腕が問われるところである。


 

 


 


 

 


 

 

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