カレー作り─4
「たぁ、よいしょ、せいやっ、ていっ」
多少腰が引けているものの、有泉は次に次にとじゃがいもを乱切りにしていく。
また緊張のせいか思わず声が出てしまうようで、切るたんびに掛け声を放っている。
「よし、これで最後ね。それっ」
その声と同時に、ようやくじゃがいも1つ分の作業を終えた。時間にして10分と少し。桜木の作業スピードと比べると格段に遅いが、俺の顔からは笑みがこぼれ落ちる。ぐへへへ、良い動画の素材を手にいれたぜ、と。
「はい、よくできました」
桜木はそう言葉をかけながら、切り分けられたじゃがいも達を水の張ったボールの中に入れていく。
「案外、楽勝でしたわ」
「ふ〜ん、そうですか。ならもう1つやってみますか?」
最後のじゃがいも片を、水面にポトンと落とした桜木は、悪戯な笑みでそう尋ねた。それに対し、同じくポトンと冷や汗を垂らす有泉。
「あ〜、いえ、遠慮しておきますわ」
「ふふ、そうですか? なら私が切っちゃいますね」
桜木も流石に料理初心者の有泉に無理強いする気はなかったようで、少し反応を楽しんだ後、手早くじゃがいもを切り始めた。
これの手際が良いの何の。
有泉の後だからか、余計に際立って見える。
ストンと切っては、ポトンと水に浸す。
有泉も感嘆したようにその手捌きを眺めている。
「うわ、本当に料理上手ですわね」
「昔からお料理を手伝う事が多かったからかな」
「へぇ、アヤメさんみたいな、こんな料理上手なお嫁さんが欲しいものですわね。私のお嫁さんになって欲しいくらいですわ」
「ふふ、それは嬉しいけど。凛花はもう少し料理の練習をしないとね」
「あはは、ま、まぁ、そう言われると何も言い返せませんわね」
雑談を交わしながらでも、桜木の包丁捌きは絶好調。こんな会話を交えながらでも、5分程度でじゃがいも5個の乱切りを終えてしまった。
「流石、アヤメさんですわ」
切り終えたじゃがいもを一旦水に浸している桜木に、有泉はパチパチと称賛の拍手を送っている。
そして桜木も満更ではない様子である。じゃがいもをポトンポトンと水に落としていく訳だが、ちょっとリズミカルだ。
「それと、次はトマトでしたわよね。さぁ、アヤメさん、この調子で全部切っちゃいましょう」
桜木の機嫌の良さに気がついた有泉の行動は非常に素早かった。
ササッと流しの前に移動し、網ボールに置かれていたトマト達を取り出すと、桜木の前にあるまな板の上にさりげなく配置したのだ。
そして自分は傍観者だと、トマトのあるまな板から距離を取る。有泉は、トマトを全部、桜木に切らせる作戦らしい。
「さぁさぁ桜木さん、トマトも、トマトを切って下さいませ」
いつもより演技っぽいお嬢様口調で、有泉は桜木をおだてる。
だが、桜木もアホじゃない。その魂胆を直ぐに見破ったのか、喜色満面な顔でトマトを1つ、まな板の端によけたのだ。
「はい、これが凛花の分ね?」
「えっと、私の分?」
「トマトも切ってみましょう、1つで大丈夫だから。楽しいよ」
「ぐぬぬ」
まな板の前にいる桜木から距離を取っていたため、有泉の苦悶の呟きは桜木には伝わっていない様子だった。
だが残念、俺の耳には、そしてカメラにはしっかり聞こえていたよ。くくく、『九条凛花、トマト全部切らせよう作戦に失敗』というテロップでも作って、その「ぐぬぬ」は使わせてもらうぞ。
「はい、じゃあ、気を取り直してっと。それで、トマトの切り方なんだけど、難しくはないから心配しないでね。これも適当に乱切りにしてもらうだけだから」
「左様ですか......」
『全部切らせよう作戦』が失敗した有泉は落ち込んだように声を小さくしたが、桜木は気にしない様子で説明を始める。
「まずはこう、ヘタの部分を切って。それで、後は適当に細かく切っていく感じね。どうせ煮込んで跡形もなくなるから、形は気にしないで良いからね」
「へぇ、じゃがいもよりは簡単そうね」
「でも、トマトって柔らかいから手を滑らせないように気をつけてね」
「はい、分かりましたわ」
トマトは小さめに、適当な形で切り分けられていく。じゃがいもの乱切りよりも制約が少なく、こちらの方が簡単そうである。これならば有泉でも楽勝だろう。
そうして、とりあえず1個切り終わった桜木に続いて、さっそく有泉の番になった。
トマトを横にして置き、ヘタの少し下に刃を添える。
「いきますわ」
その掛け声とともに、スーと包丁が落ちていく。そして刃がまな板に触れた瞬間、パカッとヘタの部分がまな板に倒れた。
「ほぉ〜」
初トマトという事で感動もひとしおな有泉。
これで彼女は気を良くしたのか、躊躇いもなく、次々に包丁を入れていく。じゃがいもの後という事もあり、一刀目よりも何倍も手慣れていた。
「せいっ、やぁ、とうっ......ひぇっ」
小気味良い掛け声が3回唱えられたものの、その直後に急に体を停止させた有泉は、眉を寄せながら、声にもならない悲鳴を上げた。
彼女の視線はトマトに集中している。また彼女の左手は、トマトのグチュッとした中身に触れており、包丁を握る右手の方は、プルプルと小刻みに震えていた。
「な、なに? このグチョグチョ。凄い鳥肌が立ちましたわ」
なるほど、トマトの柔らかい中身の感触が気持ち悪かったようだ。そのため鳥肌が立ち、思わず身震いしてしまったようである。
そして桜木は、そんな彼女を見て心配そうに声をかける。
「大丈夫?」
「えぇ、大丈夫ですわっ。少し驚いただけですから」
「なら良いけど、もしかしてトマト嫌いでした?」
「あぁ、いえ別に嫌いではありませんよ。でもこうやってしっかり中身を触るのは初めてで」
「そういうことね。なら、無理しなくて良いから、手だけは切らないようにね」
「はい、もちろんですわっ」
そう意気込み、有泉はグッと切りかけのトマトを掴む。そうすれば、中身がニュルリと飛び出した。
「うひっ」
そのニュルニュルとした中身を指全体で触れ、肩をブルリと震わせる。
まだ包丁での作業に慣れていない有泉は、手を滑らせないようにと、トマトを支える手に強く力を込めてしまうようだ。
そのため、またブリュッとトマトの中身が飛び出した。そしてそのドロドロとした中身を触れてしまう事で、再び小さな悲鳴を漏らすのだ。
「うひっ、あはっ、うほっ」
むむむ、これはちょっとセンシティブ。収益剥がれちゃわないか。変な動画だと疑われたないか。
リスナーは絶対に興奮して盛り上がるだろうが、metubeにbanされないか、それだけが心配になってくる。
「うぅぅ、これはちょっと、ヤバいかも、あひっ」
ぐうぅ、何かやましい物を撮影してるみたいだ。だが勘違いするな、ただの料理動画だからな。全年齢対象でド健全の。
も、もちろん、俺は何とも思っていないからな。思ってないぞ。なんたってトマトを切っているだけなんだから。それも有泉は同級生だぞ。なーんにも思ってない。なーんにも。
「はぁあ、はぁあ、はぁあ、トマトって凄い......」
大きく息を漏らしながら、何か意味深に感じる言葉を呟くのはやめて下さいませ。
あと、トマトは凄くないぞ。確かに美味しくはあるが、可笑しな意味に聞こえるからな。
「お、お疲れ様、後は私がやるから休んでいて大丈夫よ」
「はぁ、はぁ、ありがとう」
桜木は若干引き気味である。
彼女もまさか、トマトを切るだけでここまで感じる、いやっ、ゲフンゲフン、変な声を出すとは思っていなかっただろう。
まぁ俺としては、有泉にスライムを持たせたらどんな反応をするのだろうかとワクワクしたのだが、それは俺だけの秘密としよう。
こうして有泉に関してだけ、トマトを切るにあたり紆余曲折あったものの、桜木のフォローもあり、無事に有泉の番は終了したのだった。
そして次は、待ちに待った二階堂の番となるのであった。
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