カレー作り─3
「り、凛花っ。その持ち方危ないから、こう、こうよ」
桜木は必死な形相で有泉に訴える。
それというのも、有泉の包丁の握り方が怖すぎたのだ。包丁を両手で、しかも逆手で握りしめるなんて、サスペンスドラマの殺害シーンくらいでしか見たことないぞ。
だが気持ちは分かる。彼女は包丁を初めて握ったようだし、かなり緊張しているに違いないからだ。
しかし怪我をする訳にはいかない。
彼女は桜木の言葉に忠実に従いながら、まるで爆弾でも取り扱っているかのように、ゆっくりと持ち方を正している。
「えっと、こう、こうかしら」
「そうね。それで良いわ。はぁ、もぉ、びっくりしたわよ。凛花に包丁で刺されるんじゃないかと思ったわ」
「そ、そんな事する訳ないじゃない。ね、猫の手に集中しすぎて、すっかり握り方を忘れていたのよ」
有泉は猫の手に集中し過ぎたなんてポンコツな言い訳を、至極当たり前だろうという口ぶりで話した。
そんな彼女に桜木は完全に困り顔。これから実際にじゃがいもを切ってもらう訳だから、かなり不安に感じているのだろう。
「じゃあ、まずは私がやるから、ちゃんと見ててね」
「勿論よ、見逃さないわ」
桜木はじゃがいもを一個まな板の上に乗せた。有泉はその動作を、言葉通り目を凝らして眺めている。
「それで、皮を剥いたじゃがいもは滑りやすいから気をつけてね。猫の手も大切だけど、ツルンって滑ったら危ないから」
「なるほど、猫の手も万能じゃないのね」
桜木はじゃがいもを真っ二つにするため、刃をじゃがいもの中心に添える。そして次の瞬間には、ストンと良い音を立てながら、じゃがいもは綺麗な断面を作り一刀両断された。
桜木はこの撮影のために包丁を研ぎに研ぎまくったようで、切れ味がエグい。
俺は真っ二つになったじゃがいもを見ながら、生唾をゴクリと飲み込む。あんな切れ味の良い包丁で、もし手を滑らせたら......。
ぎゃぁぁぁぁ、想像しただけでグロい。
もぅ、こんな事なら子供用の、白いプラスチック製の包丁を買っておけば良かった。
「切り方としては乱切りだから、難しくはないわね。あと1つの大きさはだいたいこれぐらいね」
じゃがいも達はトントンとリズム良く切り分けられていく。
そんな哀れなじゃがいも達の姿を、有泉は戦々恐々と見つめている。なんたってそのじゃがいもが切り終えられれば、次はとうとう有泉の番なのだ。
初包丁で初流血なんて笑えないし、相当気を詰めている事だろう。
「はい、こんな感じよ。大丈夫?」
「えっと、作業自体は難しくないですし、できると思いますわ」
「そう? それなら良いけど、手だけは切らないでね。ゆ〜くりで良いから」
「そう、ですわね。ま、まぁ、手を切っても私の血が隠し味だと思ってください」
「ぐ、怖い事言わないでよね、まったく」
これには桜木も顔をしかめる。
カレーの隠し味が同級生の血なんて、そりゃあ冗談じゃない。血なんて隠し味にするの、それこそヤバいヤンデレくらいなものだろう。
「では、いきますわよ」
左手でしっかりじゃがいもを固定し、慎重な手つきで刃をじゃがいもの中心に当てる。
心なしか有泉の手が震えているように見える。
怖い、怖い、怖すぎる。
大丈夫か? 大丈夫なのか?
血、ブッシャーーーーなんてどっかの梨の妖精みたいな事にはならないでくれよ。
「すぅ〜〜〜」
動画にもしっかりと録音される有泉の呼吸音。
その音が止んだ時、場を静寂が包む。それこそ、隣にいる有泉の心音が聞こえてくるんじゃないかと思う程に。
「どりゃああぁぉぁぉ!!」
そして放たれた有泉の雄叫びはキッチン中、いや部屋中を、ないしはアパートの外まで響いたかもしれない。
その気合いの入った声は、まるで竜を両断するドラゴンスレイヤーのごとき気迫がこもっていた。だが、残念ながら相手はじゃがいも。動きもしないし、世界に厄災を振り撒くこともない、只々美味しいじゃがいもさんである。
そしてじゃがいもを切った時の音も、小さくストンと鳴っただけ。ドシャャアァァァでも、グシャャアァァァァでもなく、ストン。
それに、その危機迫る有泉の様子からは想像もできない程に、絵面は地味だったのだ。だが、彼女は真っ二つにされたじゃがいもを見て満足そうに、大きく息を漏らしたのである。
「ふぅ〜〜、やったわね」
一仕事終えたみたいな感じを演出しているが、じゃがいもを2つに切っただけだ。
上機嫌で胸を張り、私は成し遂げたぞと、額を拭う彼女だが、まだ何も終わっていない。
魔王討伐した後みたいな顔をしているが、スライムすら倒していない。例えて言うなら、スライムに1ダメージ与えたくらいなものだ。
「す、凄いわ、その調子で頑張りましょう」
仕事を終えて、そのまま退出していきそうな雰囲気の有泉に、若干口角をピキつかせた桜木先生だったが、そこはモチベ上げをかかさない。
やる気を出させるため、そして料理を好きになってもらうため、明るい口調で有泉を褒め称えた。
だが、有泉はといえば、「はえ?」という表情で桜木を見返した。まだやるの? みたいな顔である。
「気持ちは分かるけど、頑張って1つは終わらせましょう」
「ぐっ、分かりましたわ」
「はい、頑張って」
桜木先生の笑顔の圧は強い。まるで某RPGゲームに出てくる、ばくだ○岩だ。まぁ、こう思ったのは事実だが、この感想は墓場まで持っていこう。爆発されては敵わない。
「も〜、こんなの、心臓がいくつあっても足りませんわね」
2つに切り分けられたじゃがいもを見て、有泉はそう重く呟いた。
そして真っ二つにした片方のじゃがいもを手に取り、そうしてまたゆっくりと包丁を握る。
じゃがいもの乱切りが先に終わるか、有泉の心臓が先に爆散するか、生死を賭けた戦い(笑)が、ここに尋常に開始したのである。
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