カレー作りー2

「では次に、トマトとじゃがいもを切っていきましょうか」


「はい、分かりましたわ」


 既に撮影は開始しており、有泉もお嬢様然とした口調でそう話した。

 そんな有泉の言葉からは、自信や熱意を感じるものの、彼女の手は、まず何からすれば良いのかを問うように、台所の上を右往左往していた。


「なら、まずはトマトとじゃがいを洗いましょう。お願いしますね、凛花」


「えぇ、もちろんですわ」


 有泉の口調が、いつもの気怠そうなギャル風から一変しているのに気づき、美憂はまだ赤くなっている目元にティッシュを当てながら、ちらりとキッチンを覗いてきた。

 そうして美憂は、コクリと首を傾げると、隣で同様にこちらを観察していた二階堂の肩を叩き、耳打ちした。


 急に肩を叩かれてピクリと肩を震わせた二階堂だったが、美憂の言葉を聞き、納得した様子となり、今度は二階堂が、美憂の耳元まで口を近づけ、小さな声で話し始めた。


 二階堂に耳元で囁かれ、少し恥ずかしそうに耳や頬を赤くする美憂を微笑ましく眺めていれば、シンクからジャーッと水が流れる音が聞こえてきた。


「まずはトマトから洗いますわね」


 その一声に俺の視線はカメラの画面に向けられる。そうしてトマトを握る有泉の手を軽くズームした。


「これを使えば完璧ですわね」

 

「えっと、凛花? それを何に使うの?」


「何にって、トマトを洗うんですから、これを使った方がよろしいでしょう?」


 桜木はどことなく間延びする声でそう問うても、有泉は当然という様子で、キッチンの端にあったを持ち上げた。


 オレンジ色の液体が入った

 

 そのの中身をトマトにぶち撒けようとする有泉の姿に、俺は驚きを通り越し声も出ず、ただ呆然とにカメラのレンズを向けるだけ。

 そうしてピタリと、それにピントが合う。


「り、凛花!? それっ、食器洗い用の洗剤だから、かけちゃダメですよ!」


「えぇっ!?」


 桜木の焦る声に、頓狂な声で返した有泉。

 そんな彼女の手元に握られている、言い換えると食器洗い用洗剤は、逆さに持たれた状態で、体を強張らせる有泉に、ギュッと握り込まれていたのだ。


 すると、ネットリと容器から落ちていくオレンジ色の液体。それは、おおよそ人が口にして良い物には見えない。


 だが、運が良いとはこの事、垂れた洗剤は、ポトリとシンクに落ちたのだ。


 その瞬間、無機的なオレンジの香りがキッチンに漂った。


「凛花、これは食器洗い用だから、食べ物を洗うのには使っちゃダメなのよ」


「ま、マジ!? あっ、い、いえいえ、本当ですか? アヤメさん?」


「本当よ。野菜を洗える洗剤もあるけど、うちにあるやつは使っちゃダメなやつですから」


「そ、そうでしたのね。これを使えばさらに綺麗になると思ったのですけど」


「まぁ、綺麗になるかもだけど、体に悪いし、水洗いだけで大丈夫よ」


「わ、分かりましたわ。ありがとう。では、改めてトマトを洗いましょうか」


「そうね、初めて料理するのだから、こういう失敗もあって当然よ、気を取り直していきましょう」


 こうして改めてトマトが洗われる事になったが、有泉の手つきは非常に丁寧だった。

 経験が無い故の失敗はしたが、カレーを美味しく作りたいというやる気はヒシヒシと伝わってくるようだ。


「そうそう、ヘタの部分は汚れが多いからね」


「ですわね。綺麗に見えても案外汚れているものですわね」


 その後は何事もなくトマトを洗い終え、続いてじゃがいもを洗う事となった。

 ちなみにじゃがいもも有泉が洗う事となっている。なるべく簡単で安全な作業を多く担当させてあげようという配慮からだ。


「なら次はじゃがいもね。土汚れがひどいから丁寧にね」


「もちろんですわ」


 そうして今度は洗剤を取り出すという失敗をする事もなく、じゃがいもを水で洗い始めた。

 

 桜木の言葉通り、じゃがいもは土で大いに汚れており、それが有泉の手で綺麗に洗い流されていく。

 こうしてシンクには、土で茶色くなった水が流れていく訳だが、その光景を有泉もどこか誇らしげに眺めていた。

 そして同様に、綺麗になったじゃがいも達に目線を向け、嬉しそうに顔を綻ばせているのだ。


「丁寧に洗ってくれて有り難いわ」


「ふふん、当たり前ですわね」


「まぁ、さっきは凄い失敗をしそうになってたけどね」


「ちょ、ちょっとそれは言わない約束ですわよね」


 鼻を鳴らした有泉に、軽くジャブをかました桜木。

 有泉は大慌てでそれを制止する。そんな彼女の手元では、彼女の焦り具合を表すように、水がピチャピチャと飛び跳ねていた。


「そんな約束しましたっけ?」


「約束は...してませんけど。アヤメさんがそう言うと、後々編集し辛くなりますでしょ」


「編集って? あのシーンはカットしませんよ。トマトに洗剤をかけようとしたあのシーンは、しっかり動画に載せてもらいますから」


「いえいえ、やはりどこかに編集点を作ってですね、カットするべきですわよ」


 有泉め、先程の失敗を無かった事にするべく、俺に編集させる気だったようだ。

 だが、俺もあのシーンは載せる気満々だ。なんたって、側から見れば、あんなに面白いシーンはない。


 何かしらの手段で俺を懐柔する気なのか、チラリと有泉はこちらに目を向けるが、俺はカメラの画面を見るフリをして目を逸らす。


「いや、可愛らしい失敗でしたし、良いと思いますよ」


「わ、私はお嬢様キャ、ゲフンゲフン、お嬢様ですから、そんな恥ずかしい姿は使用人達には見せられませんわ」


 ちなみに使用人とは有泉演じる九条凛花のファン達の総称である。


「この前のホラー配信の時に思ったのだけど、使用人さん達は、凛花の残念なところを楽しみにしてると思うわよ」


「ざ、残念なとこって...」


「マジ? とかヤバイ? みたいな感じで驚いていたところよ」


「あ、ああ、あれは驚いたが故のですわ。ですわよね使用人達? 使用人達は凛々しい私が良いですものね? そうですわよね?」


 何度も自身のファンに問いかける有泉の手は、綺麗になったじゃがいもを握りながら、荒ぶるようにブンブンと振るわれていた。

 顔は映せないものの、その振り回される手からは彼女の可愛らしさが前面に醸し出されているようだった。


「ほら凛花、もうじゃがいもも洗い終えましたし、次は切ってみましょうか」


「え? あ、そうですわね。先にお手本を見せてもらってよろしいですか?」


「もちろんです。先にじゃがいもを切りますね」


「よろしくお願いしますわ」


 トマトとじゃがいもを洗い終わった2人は、ついに切る過程に突入した。

 ここでは安全面も考慮して、まずは桜木から包丁を握る事になった。


 桜木はピーラーを手に取ると、まずはじゃがいもの皮を取る作業に入る。手の動きは非常に慣れたもので、有泉に説明を加えながらでも、手早く皮剥きは進んでいく。


「ピーラーだから、手を切る事もないでしょうけど、気をつけてね」


「ふむふむ」


「やり方は簡単、この刃のついた部分で、こうやって皮を剥く感じね」


「分かりましたわ」


 そうして丸々1個綺麗に皮を向けば、黄金にも似た綺麗なじゃがいもの表面が露わになる。

 だけれども、そんな表面には、黒っぽい斑点のようなものがポツポツと残っていた。

 言わずもがな、この黒い斑点はじゃがいもの芽である。確実に取り除かねばならない。


「皮を剥き終わったら、次はこの凹んだ黒い部分を取り除くわよ」


「なるほど、それも」


 桜木はピーラーの側面に付属しているじゃがいもの芽取り用のでっぱりを駆使して、器用に黒い斑点をえぐり取っていく。


「この黒いのは絶対に取り忘れないでね」


 じゃがいもの芽を食べると食中毒になる恐れがある。そのため桜木も念を押して注意した。

 その桜木の言葉に、納得したように有泉も深く頷いた。


「そうやって味が染み込みやすくする訳ですわね」


「えっと、どういう事?」


「そうやって窪みを作る事で、煮込んだ際に味が染み込みやすくなるように工夫しているんですわよね?」


「えっと、これは...」


 えぐるようにしてじゃがいもの芽を取っている理由が、味の染み込みやすさだと勘違いした有泉は、勝手に納得したような顔になり、そう言葉を発した。

 その言葉は、じゃがいもの芽を取るのが当たり前の行動であり、常識だと考えていた桜木にとって、虚を突く行為だったようで、彼女は言葉を詰まらせてしまう。

 

 そんな唖然とする桜木を見て、しまったと顔を歪ませた有泉は、慌てて自身の言葉を繕った。


「あっ、いえいえ違いましたわね。見栄えですわよね、見栄え。黒いのが残っていると見た目が悪いですもの」


「確かに見栄えも悪いけど、この黒い部分は毒なのよ」


「ど、毒!?」


 有泉はそう驚愕した様子で言葉を漏らした後、続け様に、聞こえるか聞こえないかの声量で、「ポテチは...」とボソッと呟いた。

 

「えっと、これはじゃがいもの芽って言って、ソラニンっていう毒素があるのよ」


「じゃがいもの芽...」


「そうよ、食べると腹痛とか吐き気とかになる危険があるからね」


「そんな...。危険な食べ物だったなんて」


 唖然とした様子で、じゃがいもを見つめる有泉。その目には、どこか絶望感が漂っている。


「もしかして、普段食べてるポテチとかは?」


「大丈夫よ、ちゃんと処理してあるから」


「ほんと? 良かった〜」


 不意に訪れた安心感から、有泉はいつものような緩いギャル口調でそう答えてしまう。

 しかしその直後、自分の話し言葉が緩んでしまった事に気がついた有泉は、すかさず咳払いを一回。


「ゴホン、良かったですわ。安心いたしました」


「自分でじゃがいも料理を作る時は気をつけてね」


「良い事を知りました。ありがとうございます」


「いや、私も安心したよ。まさか知らないとは思っていなかったから」


「えっと、じゃがいもの芽って常識なのかしら?」


「まぁ、そうね。小学生でも知ってるかも」


「そんな...。くっ、こ、ここもカットして欲しいわね」


 そう言って俺の方を振り返る有泉。俺は必死に顔を背け、カメラを確認しているフリに徹する。


「凛花、じゃがいもの芽って、小学生の時に家庭科で習わなかった?」


「えっと、確か、にがりを使って豆腐を作る授業をした記憶はあるけれど、じゃがいもの芽は覚えていないわね」

 

「ふふ、かなりピンポイントな部分だけ覚えてるのね」


 こうした一連の2人の問答に、これから作業する事になる有泉に対して一抹の不安は残るものだが、習うより慣れろ。

 有泉は桜木からじゃがいもを1つ手渡され、実際に皮剥きと芽を取る作業を手伝う事となった。


 いくらじゃがいもの芽の存在を知らなかった有泉といえど、全てピーラーで行える簡単な作業だ。

 

 そして桜木が隣で指導してくれるお陰もあり、失敗という失敗もなく、工程は終盤を迎えた。


「そうそう上手い上手い、流石に何個もやれば慣れてきた?」


「そうね、こんなに簡単だとは思わなかったわ」


「ピーラーって便利だもの。これが包丁になっても同じ事ができる?」


「こ、これを包丁でですか? 無理ですわ、特にこの芽を取る作業なんて、包丁では絶対にできませんもの」


 ピーラーではなく包丁を使う事に、信じられないといういう様子で難色を示す有泉。

 しかし、桜木は事もなげに包丁を手に取ると、器用に芽を取り除いていった。


「こうして刃元を使えば、ほら、綺麗に取れるのよ」


「なるほど、凄いわね」


「ありがとう。それで、もし料理に興味が湧いたら、他の料理も今度一緒に作ってみない? 色々と教えてあげられる事もあるわよ」


「本当? それなら、お言葉に甘えて教えてもらいたいわね」


「ふふ、もちろん大歓迎よ」


 こうして初挑戦ながらも、有泉は料理を楽しみながら、カレー作りを手伝っていくのであった。



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