カレー作りー1

 一人暮らし用のアパートに設置されたキッチンに、人が3人も並ぶとかなり手狭に感じる。


 その3人のうちの1人が俺。カメラを手に持ち準備万端。

 そして俺の隣に立つ桜木も、やる気満々という様子で玉ねぎを手にしている。そしてそんな桜木の隣に、美憂が立っている。


 本当は二階堂も有泉も揃って料理スタートしたかったのだが、5人が並ぶにはこのキッチンは狭すぎた。

 一人暮らし用アパートのキッチンでは、2人が同時に作業するのが限界だったのだ。

 それなのに、隣でカメラを握っている俺もいるものだから、キッチン前はかなり混雑している。

 

 だが、決して二階堂と有泉が料理に参加しないという訳ではない。

 桜木と美憂のペアが終われば、次に桜木と有泉、その次に桜木と二階堂というように、順繰りで作業を進めていくのだ。

 今回の料理企画の提案者が桜木という事もあり、桜木は固定である。


 そして、そんな混み合うキッチンにいる美憂は、何故か俺に訝しげな視線を送ってくる。

 多分だが、カメラを持ち桜木の手元を映している俺を意味深に思っているのだろう。


「あ〜とな、美憂。言ったとは思うが、Pwitterの動画用の撮影だから、そんな気にしなくて大丈夫だからな」


「うん、それは聞いてたけど、結構ガチなんだね。こっちにもカメラあるし」


 美憂はそう言ってスタンドアームに固定されたカメラに目を向けた。


「あぁ、桜木さんって料理上手だろ。だからかなりの人が桜木さんの動画を期待しててな。だからバッチリ撮り逃しのないようにって」


「へ〜、そうなんだ。やっぱり桜木先輩って凄いんですね」


「ふふ、ありがとね美憂ちゃん」


 俺と話していた時よりも一層笑みを大きくして桜木を持ち上げる美憂。そんな美憂の言葉に、桜木も満更でもなさそうに笑っている。


「それでな、美憂。実は桜木さんって料理ブログみたいなのもやっててな。そこ用の動画も兼ねて撮影するから、桜木さんとか二階堂さんとか、名前は出さないようにして欲しいんだ」


「え? 桜木先輩って料理ブログなんてやってるんですか? 凄いです!」


「まぁ、趣味の範囲よ」


「私にもそのブログをぜひ教えて下さい」


「えっと、そうね。また今度教えてあげるわね」


「本当ですか、ありがとうございます!」


 実名を出さないで欲しいがための嘘だったのに、美憂は目を輝かせながら、存在もしない料理ブログを期待しているようだった。


 実名を出さないで欲しいだけなら、もっと良い言い訳もあったかもしれない。明らかにしくじった。

 美憂を見ていると良心が痛む。


 というか、困惑した表情でありもしない料理ブログを見せてあげると宣言してしまった桜木は、焦った表情をチラリとこちらへ向けてくる。


「ねぇ、村瀬、いや、名字だと美憂ちゃんと被っちゃうわね。えっと、真斗君。料理ブログの話は今は良いとして、私達はそのブログで仮の名前を使ってるから、それも一応教えておかないとよね」


「桜木先輩、仮の名前ですか?」


「そう、ブログって色々な人が見るから、本名じゃなくて、仮の名前で活動してるのよ」


「なるほど、そういう事ですか。個人情報保護的なやつですね」


「そうね。ちなみに私はアヤメって名前ね。それで、愛莉はノア。麗奈は凛花ね」


「はい、なるほど、桜木先輩はアヤメ先輩。二階堂先輩はノア先輩。有泉先輩は凛花先輩と、分かりました」


「美憂、まぁ、動画は後で編集できるから、間違えて本名を言っちゃっても気にしなくて大丈夫だからな」


「うん、分かったよお兄ちゃん。それで、お兄ちゃんは何て呼べば良いの?」


「えっ、俺か? 俺は、なるべく呼ばない感じで」


「えっと、呼ばないって?」


「あ、いや、俺は撮影係だからさ...」


 俺が言い淀んだいる様子を不思議そうに見つめてくる美憂だったが、隣の桜木は名案が浮かんだようで、顎に触れていた人差し指をピタリと俺に向けてきた。


「真斗君の事を呼ばないといけない時は、マネージャーって言えば良いのよ」


「まぁ、そうだが、いないものと思ってくれた方が有り難いんだが」


「えっと、まぁ、お兄ちゃんの事はなるべく呼ばない感じにするね。なんかお兄ちゃんをマネージャーって呼ぶの変な感じだし」


「あぁ、そうしてくれると助かるよ」


 マネージャーと呼べば良いという提案が美憂に受け入れられなかった事で、どこかシュンとした様子の桜木。だが、面倒くさそうだし見なかった事にしよう。


 そして料理動画の編集方針なんだが、美憂の声はカットする事になっている。

 なんせファンは美憂の存在など知らないのだ。

もし動画に美憂の声がのれば、それはもはや心霊動画騒ぎだ。なんたって、知らない女の子の声が動画から聞こえる事になるのだから。


 それなら堂々と美憂の声をのせ、新しいキャラクターとして登場させる事も出来たが、そんな事をするならば美憂の許可は必須だろう。

 現状として、美憂にはVtuber活動の事は伏せているので、そんな策は用いようがない。


 そういう事情もあり、せめて編集しやすいように、美憂にはキャラ名で皆んなを呼んでもらう事になったのだ。


 そうは言っても、別に動画なので後で編集できるし、実名を呼ばれたところでカットすれば良いだけなのだが、編集ミスという事もあり得るため、念のためだ。

 それに、普通に考えて桜木達が急に知らない名前で呼び合っていたら美憂も不思議がるだろう。

 だからこそ、美憂にはキャラ名だけでも、教えておく必要があったのだ。  


 桜木の料理ブログを美憂が信じてしまった手前、罪悪感は感じるものの、仕方のない嘘だったと今は目を瞑って欲しい。


「それなら、諸々の準備もできたし、後は手袋をつけてと。それで、マネージャーはカメラの準備大丈夫?」


 Vtuberという事で、世界観をなるべく守ろうと、手の露出は避けようという話になっていた。

 そのため、桜木達は厚手のゴム手袋をつけて料理を行う事になったのだ。


 そのため彼女はゴム手袋を身に付けると、包丁に手を触れ、俺の方をチラリと振り返った。

 俺も後は録画開始ボタンを押すだけ。

 俺は彼女の目を見据えコクリと頷いた。


「おう、大丈夫だぞ」

 

「なら始めましょう」


「了解。じゃぁいくぞ、3、2、1」


 ピロリン。


 撮影開始の音がカメラから鳴る。


「では、カレー作りですが、まずは玉ねぎから切っていきましょうか」


「えっ、あっ、はい」


 カメラもあり、どこか緊張した様子の美憂は、一拍子遅れてそう返事をした。


「まずは皮剥きね」


 桜木は慣れた手つきで玉ねぎをまな板の上に乗せると、玉ねぎの頭と根元の部分を切り下ろした。そうすれば、トン、トンと、小気味良い音がまな板から聞こえてくる。


 美憂に関しては、最初は見るだけ。小さなまな板の上で2人で作業できる訳もないからだ。

 だけれども、美憂は真剣な様子で桜木の手元を見つめていた。手際の良い包丁捌きに、どこか目を輝かせているようだ。


 そうして皮を剥けば、パリパリパリと乾いた音がキッチンに木霊する。

 そうして桜木は、丸裸になった玉ねぎを、最後の一撃を加えるが如く、スタンと真っ二つに切り分けた。


「じゃ、切っていきますね」


 トントントン、トントントン。


 桜木の手の動きがスムーズなだけに、リズム良く包丁の音が聞こえてくる。

 

 だが、そんな料理人然とした桜木の手を止めるため、とある悪魔が忍び寄っていた。

 その名は硫化アリル。化学的な名前をしているその悪魔の能力、それは自身を斬り付けてきた相手に、涙を流させる力。

 玉ねぎを切ったことがある者ならば、誰もが体験させられる、抗いようのない悪魔だった。


「くっ、うっ〜」


 先程よりも遅くなった手捌き。その理由を顕著に表すように、桜木の目には涙の粒が溜まっていた。

 そうして彼女は、苦悶するように声を漏らす。


 悔しそうに目を赤くする桜木。

 その顔を撮影したい。その珍しい表情を動画に収めたい。そんな雑念が俺の頭に浮かび上がるが、そんなマネはできない。


 未だ手元を映すだけの画面を見ているフリをしながら、バレないように桜木の顔を覗くだけ。


「うわ〜。これだから玉ねぎは嫌いなのよ、もう!」


 苛立たしげにそう話した桜木。それでも手は止まらない。サクリ、サクリと、玉ねぎを切る音がゆっくりと聞こえてくる。


「大丈夫ですか? さ、アヤメ先輩!」


「うぅ、大丈夫よ」


 弱々しく吐き捨てられた言葉。そうして一縷の涙が頬を伝っていく。


「涙が出なくなる切り方なんてのを、調べて試してみたけど、やっぱり涙は出るものよね」


「えっ? 涙が出ない方法ってあるんですか?」


「くぅ、ま、まぁ、あるにはあるわよ。」


 そうして桜木はキッチン横にあったキッチンペーパーを手にして、目元を軽く拭った。


「例えば、水につけながら切ったり、あらかじめ冷蔵庫で冷やしておくとかかしら。他に切り方を工夫するとすれば、手早く切るようにしたり、滑らせて切るようにしたりするとかかな。後は切れ味の良い包丁を使ったりだとか」


「それって結構効果あるんですか?」


「あんまり実感できないわね。結局、今もこうして涙が出てる訳だし」

 

「なるほど、気休め程度って感じなんですね」


「ふふ、そういう事ね」


 桜木はそう言った後、一回深呼吸をして再び玉ねぎを切り始めた。

 桜木としても、先程自身が述べたいた、涙が出ないための秘策を試しているようだったが、いかんせん涙が止まる事はなかった。

 

 そうして玉ねぎを1つ半みじん切りにした桜木は、ホッとしたように息を大きく吐いた後、美憂と選手交代を行った。


 この玉ねぎのみじん切りは、1つ半を桜木が、もう1つ半を美憂が行うことになっているのだ。そのため、苦行ともいえる玉ねぎみじん切りを終えた桜木は、安心した様子で美憂に包丁を渡した。


「えっと、上手くできるかは分かりませんが、やりますね」


 その声と同時に美憂は玉ねぎを切り始めた。


 美憂の料理シーンを動画に組み込む訳にもいかないので、俺はここでカメラを一度停止した。

 そした撮影した動画のチェックをするためにも、俺は1度キッチンから離れ、リビングに向かう。


 そんなリビングの入り口では、桜木が料理を開始した時から落ち着かない様子で二階堂と有泉の2人がこちらを覗き込んでいた訳だが、美憂の料理の番になった今もその姿は変わらない。

 今の美憂は桜木に色々とコツを教えてもらいながら料理をしているのだが、そんな光景を2人は微笑ましく眺めているのだ。


「ねぇ、マサッち、動画ちゃんと撮れた?」


「おう、バッチリだぞ」


「ねぇ、どんな感じに撮れたの? 気になるし、ちょっと見せて〜」


「うん、いいぞ、ほら」


 有泉はリビングに向かおうとする俺の後を追い、横から覗き込むようにして、俺の手元にあったカメラを確認した。


「うわ、結構綺麗に撮れてるじゃん。なんかめちゃくちゃ画質良いし、普通に緊張してきたんだけど」


「確かに、見られながらとか、撮られながらとかだと余計緊張するよな」


「私はじゃがいもとトマト係なんだけど、大丈夫かな〜。食べたことはいっぱいあるけど、切るなんて初めてなんよね〜」


「まぁ、とりあえず桜木さんのお手本を見習いながら、焦らずゆっくりやれば大丈夫だよ。あと、手だけは切らないように気を付けろよ」


「あれだよね、知ってるよ。ほら、猫の手だよね、猫の手〜」


 そう言って有泉は、丸め込んだ手を肩ほどまで上げて、ニマッと笑いながら、その手を俺に見せつけてくる。その姿はまるで招き猫のようだ。


 俺はそんな有泉の猫ポーズに「そうだな」と頷けば、彼女は自身の丸め込んだ手を安心したように眺めるのだった。


 こうしてリビングに向かった俺と有泉は、撮影した動画を見始た。そして桜木の動画を全て確認した数分後には、美憂の方もみじん切りが終わったようだ。


 キッチンから疲れた様子の美憂が出てくれば、その目には大粒の涙が溜まっていた。美憂も例に漏れず、玉ねぎにやられたらしい。


「うぅ、有泉先輩、じゃなくて凛花先輩、あとお兄ちゃんも、アヤメ先輩が呼んでるよ」


「おう、ありがとう美憂。大丈夫か?」


「大丈夫、玉ねぎ切っただけだし」


 そう言いながら、美憂はクシャクシャになったティッシュで目元を拭っている。


「私も一休みしたらまたキッチンの様子を見に戻るかは、お兄ちゃんは撮影頑張ってね」


「おう、ありがとな、美憂」


 美憂は涙が落ち着くまで、リビングで休憩するようだ。


 そんな美憂とすれ違うようにして、俺と有泉はキッチンに入る。

 するとそこには、トマトをまな板に乗せている桜木の姿があった。


「ふふ、来たわね凛花。初めてでしょうけど、2人で頑張りましょうね」


 こうして料理初心者の初カレー作りという、第二幕に突入するのであった。




 


 

 

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