緊張しい

 午前9時30分。


 桜木の自室に俺達4人は集合していた。


 有泉も二階堂も、桜木の部屋に何度も通っていたようで、既に定位置が完成されている。そんな彼女達は、当たり前のようにそれぞれの位置に腰を落ち着け、慣れた手つきでテレビをつけた。


 対しては俺は初めて入った部屋、それも桜木の自室という事もあり、何となく居心地の悪さを感じつつ、手持ち無沙汰で収録を行うキッチンを眺めていた。


 キッチンにはカメラを固定するためのスタンドアームが、組み立て途中で無造作に放置されているものの、それ以外は非常に整理整頓されていた。

 汚れ1つ見当たらない、綺麗に掃除されたステンレス製の天板。コンロでさえも、油汚れが目に入らない。


 そんな綺麗なキッチンだからこそ、袋に半分突っ込まれた状態で放置されたスタンドアームは、異様さを放っていた。

 そして英語と中国語だけの説明書も開かれたまま置き捨てられているのを見ると、組み立て途中で諦めたのだろうと理解できた。


 そんなスタンドアームを俺が構造を確認するために触っていれば、髪の毛先をクルクルと弄っている桜木に声をかけられたのだ。


「準備の為に30分くらい早く集まったけど、昨日のうちに殆ど済ませちゃったのよね。まぁ、それ以外だけど」


 そう話す桜木の視線は、俺が触るスタンドアームに注がれている。


「これどこで買ったんだ?」


「アマソンよ。一番安かったから買ってみたのだけど、アームは硬いし説明書も読めないで、諦めたの」


 スマホやカメラを固定するためのスタンドアームだ。かなりの重さにも耐えられるように、アームは硬めに設計されている。

 アームを動かして確認してみても、確かに曲げるのにかなりの力が必要そうだった。力の弱い子供や女性には苦しい部分があるだろう。


 それに説明書が読めないというのは同感だ。英語文もあるため文の端々は理解できるものの、専門的な用語も多く、理解するのに時間がかかりそうだった。


「本当だ、アーム結構固いな。それと、説明書の方は、面倒だが英語もあるし、スマホで翻訳しながらやれば組み立てられるだろう。なぁ、俺が組み立てちゃって大丈夫か?」


「そう、それならぜひお願いしたいわ。私、こういう組み立てたりするの苦手で」


「少し複雑な構造だし、力作業になるだろう、できなくても仕方ないよ」


「ありがとう、ならよろしく頼むわね」


 そう言って桜木は、説明書を持ち上げると、同時に懐からスマホを取り出した。


「私が翻訳するから、分からない部分があったら聞いてちょうだい」


「りょーかい」


 桜木が率先して翻訳係を務めてくれたお陰で、俺も組み立て作業に専念できる。


 スタンドアームの構造は少し複雑だったものの、ドライバーのような工具も必要なく、作業自体は簡単だった。

 何となくだが組み立て方も理解できたし、作業はどんどんと進んでいく。


 だが、失敗するのも嫌なので、念のため翻訳係の桜木に説明書の確認を行う事とした。


「なぁ、このネジみたいなやつで、ここを固定すれば良いのか?」


 俺は、ネジの根本の部分が黒いプラスチックに覆われ、回しやすく加工されているネジのような物を桜木に見せつける。


「そのネジね。どこだろう、絵か写真でもあれば分かりやすいんだけど、ちょっと待ってね」


 俺も説明書を見てみたが、気持ち悪くなる程に文字がびっしりと書かれているだけ。それがまた翻訳を苦労させる。


「えーと、BパーツとCパーツをはめて。それでっと、うーん、これは何って単語かしら。えーと、大きい方の化粧ネジ?」


「化粧ネジ? それがこれの事だろうか?」


「ちょっと待ってね。検索してみるわ。えっと、けしょうねじっと。えーと、そう! それね。それの大きい方」


「おっ、了解。これの大きい方を使うんだな」


 スマホで検索して出てきた化粧ネジの外容と、俺が今手に持っていたネジのそれが同様であったのを確認し、その化粧ネジとやらの大きい方でアームのパーツを固定する。


「そうそう、早いわね。私だけだったら絶対に無理だったわ」


「流石に説明書に絵も写真もないってのは不親切だもんな」


「そう、それにそのアーム、タブレットも固定できるくらい強度があるって書かれてたんだけど、まさかここまで硬いとは思っていなかったわ」


「それに潤滑油みたいなので少しベトベトしてるしな。アマソンのレビュー見なかったのか?」

 

「見たわよ。あまり評価は高くなかったけど、最安値だったのよね。セール中で1000円もしなかったのよ」


「それはめちゃくちゃ安いな。まぁ、硬い分にはアームの安定性も増すし、まだ安物買いの銭失いにならなかっただけマシだな」


「そうね。それに村瀬に頼めたから良かったわ。村瀬がいなかったら、組み立てられないままクローゼット行きだったもの」


「はは、それなら良かった」


 こんな会話をしている間も手は進み、俺は最後のネジを締めていた。

 そんな頃には既に桜木の翻訳係の仕事も必要がなくなり、彼女は所在ない様子で説明書の紙の端を指で弄っていた。


 桜木は暇だったからだろうか、いつもより落ち着きがないように見える。

 そんな彼女は疲れたようにキッチンに寄りかかっている。そして手には説明書があり、それを開いてはいるものの、視線はコンロや俺の手元、はたまた向かいの壁へと彷徨っているのだ。


 そんな桜木が不意に胃の辺りを摩っているのが見えた事で、そのソワソワとした落ち着きの無さが、緊張からきているものだと察した。

 俺もテスト前など、緊張するとモジモジと足を動かしてしまう癖があるので、何となく気持ちは分かる。


「なぁ桜木さん、撮影の時は、このアームスタンドの固定カメラで手元を撮影して、俺の手持ちカメラが随時鍋やまな板の状況を撮影していく感じで良いんだよな?」


「ん? そうね。そうなるかしら」


「そうすると俺って結構大役だよな。緊張してきたわ」


「そうな気を張る事もないわよ。後で編集もできるしね」


「そうは言ってもさ、やっぱり桜木シェフの華麗な包丁捌きを撮り逃す訳にはいかないからな」


「もぉ、華麗な包丁捌きって、そんな上手くないわよ」


 そう言った桜木は、弄っていた説明書をキッチンの上に置くと、気張ったように腕組みをした。


「そうか? リスナーさん達も結構期待してたぞ。ファンには料理上手って有名だろ?」


「まぁ、下手ではないと思うけど、そんな期待されても困るわね」


 そう言って桜木は、照れ臭そうに自身の爪や指に視線を向けた。


「俺もバッチリ緊張してきたんだが、桜木さんも緊張するのか?」


「はぁ、私だって人並みに緊張くらいするわよ。そう、今だってね」


 疲れたように軽く息を吐いた桜木はそう話せば、先程見た時と同じように、軽く胃のあたりを手で摩っている。


「なぁ、大丈夫か? 体調悪かったら無理するなよ」


「ふふ、ありがとう、でも大丈夫よ。少し胃がキリキリするだけだから」


「少しって、胃に穴があくなんて言うし、気をつけろよ」


「大袈裟よ、胃腸薬も飲んだし、胃痛にも慣れてるし平気平気」


「慣れてるって、緊張するとすぐ胃にくるタイプなのか?」


「まぁ、そうね。最近になってからだけど、体質的に緊張すると、胃が痛くなりやすいのよ。ただそれだけ」


「そうか、なら良いんだが」


「もぉ、大丈夫だから。それに、もうそれ完成したんでしょ? なら早く設置しましょ」

 

 寄りかかっていたキッチンから勢いよく腰を離した桜木は、俺が既に完成させていたスタンドアームを指差し、声を大きくしてそう告げた。


「おう、分かったよ。どこら辺に置けば良い?」


「そうね、材料切る時の手元映したいから、ここにしてもらえる」


 そんな桜木の指示もあり、キッチンの天板を上手く映せるように工夫して、俺はスタンドアームを設置した。


 そうしていれば、先程の桜木の声を聞いた有泉と二階堂もキッチンを確認しにこちらにやって来た。


「へ〜、そんなのあるんだ〜。それ、ベットに固定してスマホ付ければ、両手あいた状態で映画とか見れて超便利じゃ〜ん」


「レイちゃん、どうせポテチ食べやすくなるななんて考えてるんでしょ?」


「ギクッ、よく分かったね」


「寝ながらポテチなんて食べてたら、レイちゃん、それこそ牛になっちゃうよ」


「もぉ、アイっち、怖い事言わないでよ〜」


 そう話した有泉の顔は少し青ざめているし、本人も食べ過ぎているのを自覚しているようだ。


 そんな2人の会話はさておき、神経質そうにスタンドアームを調整していた桜木は、どうにか納得できるアングルを見つけられたようで、満足そうにこちらを振り返った。


「ねぇ、村瀬も2人も、後は用意するものとかないわよね?」


「おう、俺は大丈夫だぞ」


「私も大丈夫だよ」


「うちは最初からスマホしか持ってきてないし、平気〜」


「そう、なら美憂ちゃん呼んできて、すぐに始めましょう。ねぇ、村瀬、美憂ちゃん呼んできてもらって良いかしら」


「おう、勿論」


 こうして俺は一旦自宅に戻った訳だが、リビングで待っていた美憂はテレビにも目を向けず、ソワソワとした様子で時計を眺めていた。


 俺はそんな美憂の様子を見て、10時集合よりも10分だけ早く呼ぶ事ができた事を満足に思いつつ、美憂を桜木の部屋に連れて行ったのだった。





 

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