前途多難な買い出し

 俺はカートの持ち手に肘を乗せ、頬杖をつきながら桜木の様子を眺めている。

 この俺の行動というのは、退屈している訳ではなく、彼女に対する感心の表れだ。


 それというのも、彼女は今、真剣に鶏肉を選んでいるのだ。俺からしたら、どれも同じに見えるのだが、彼女なりの拘りがあるようなのだ。

 そんな彼女の姿からは、料理を作る人間が持つ真心のようなものが色濃く見えてくる。だからこそ、俺はいつも何気なく食べていた料理を思い浮かべ、変な感慨にふけってしまったのだ。


「桜木、鶏肉ってどれも同じに見えるが、違いとかあるのか?」


 彼女はかなり真剣に食材を選んでいたようで、俺の言葉にピクリと肩を震わせた。


「ん? えっとね。ドリップの有無は大切かしらね?」


「えーと、ドリップ? コーヒーのあれか?」


「ふふ、違うわよ。ほら、ちょっとパックを傾けてみると分かるんだけど、赤い液体が溜まってるでしょ?」


 俺の答えはかなり的外れだったようで、彼女はクスリと笑ってみせると、俺の方に、右手で持っていたパックを近づけてきた。

 そのパックを少し傾けた桜木だが、そうすると彼女が言っていたように、パックの端にピンク色っぽい液体が溜まり始めたのだ。


「これがドリップよ。鮮度が良い鶏肉はこの液体が少ないのよ」


「は〜、なるほどな〜。全然気にしたことなかったわ」


「それで、ほら。こっちの方がドリップ少ないでしょ?」


 そう言うと、今度は左手に持っていたパックを見せてくる。それを確認してみれば、確かにピンクの液体が殆ど出ていなかった。


「他にもお肉の色とか、毛穴の盛り上がり具合とかも大切なのよ」


「へ〜、食材選ぶのも大変なんだな」


「そうね。味に大きな違いが出るかは分からないけど、気持ち的にね」


 彼女はそう言い、ドリップとやらが少ない左手の方のパックをカゴに入れた。


 そんな会話を桜木としていれば、後ろから爪楊枝を持った二階堂と有泉が遅れてやってきた。

 2人とも口をモグモグと動かしているし、さてはウインナーの試食コーナーを満喫してきたのだろう。


「いや〜、スーパーはマジパナイね。無料でご飯も食べれちゃうだもん」


「もぉ、レイちゃん、あれは試食だからね。何回も食べようとして試食の女の人に注意されたでしょ」


「あはは、そうだった、そうだった」


 たまに試食コーナーを何回も行き来し、複数回試食品を食べようとする子供を見た事があったが、まさか有泉が同じ事をするとは。

 まぁ、初めてのスーパーで盛り上がっていた事だろうし、尚且つ試食コーナーのルールも知らなかったに違いない。その事情を考えれば、仕方ない事なのかもしれない。


「もー、あんまり騒がないでね。周りの迷惑になるから」


 桜木はやれやれといった様子で、まるで子供に言い聞かせるお母さんのような口調でそう言えば、有泉は能天気に返事をした。


 そんな有泉は、カゴの中の商品が増えた事に気がついたようだ。

 彼女は、目をキラキラとさせながら、初めて見るであろうそれを覗き込んだ。それとは勿論、鶏肉の入ったパックである。


「ねぇ〜モモモモ、これ何〜?」


「ん? これは、鶏肉だけど」


「トリ肉?」


「そうよ、鶏肉」


「ほ〜、これがトリ肉ね〜」


 まるで大好きなオモチャを前にした子供のように目を輝かせる有泉。彼女はパックを手に持つと、左右に傾けながら、興味深そうにそれを眺めている。


「それでモモモモ、トリ肉って何の肉なの〜?」


「へ?」


 有泉からのまさかの質問に、桜木の口からは間抜けな音が漏れた。目を丸くして、ポカンと口を開ける桜木。

 それは俺も二階堂も同じ。皆が一様に、有泉に対して、可哀想なものを見るような視線を送っていた。


「え? 何々? そんな変なこと言った?」


「変も何も、鶏肉よ鶏肉。ほら、ここにもそう書いてあるでしょ?」


「え? トリ肉でしょ? だから何の鳥なの? ほら、ここにもトリ肉って書いてあるし」


 桜木はパックに貼られたシールを指差してそう話す。

 そのシールにはしっかりと『若どりもも肉』と書いてあるのだが、逆に有泉は、同じくそのシールを指差しながら、そう話したのだ。


 そこまでくれば合点がいった。

 俺達は先程から『とりにく』と発言していたが、俺らの中でその言葉は『鶏肉』と変換されていた。しかし、彼女の頭の中では『鳥肉』とでも変換されていたのだろう。

 だからこそ、先ほどの彼女の発言のように、『鳥肉』は何の肉だと疑問に思ったに違いない。


「あっとな、有泉さん。これはにわとりの肉だぞ」


「あ〜、鶏ね、そうだったんだ。も〜、それなら最初からそう教えてくれれば良いのに〜」


 俺は苦笑いを浮かべながら、ゆっくりとした口調で有泉に教えてやる。

 そうすれば、彼女も納得がいった様子で、何回か首を縦に振って見せた。そして同時に、鶏の肉なら鶏の肉だと早く教えてくれよと、非難するように少し頬を膨らませていた。


 そんな彼女の表情を見て、桜木は呆れたように言葉を返す。


「鶏肉が鶏の肉だっていうのは、多分小学生でも知っているくらいには常識よ。逆に何の肉だと思っていたの?」


「え〜、鴨とかアヒルとか、あとシャモとか名古屋コーチンとか」


 至極真面目そうに答える有泉。


 確かに、鴨やアヒルは食べるし、どちらかと言えば高級食材だろう。例とすれば北京ダックがあるし、お嬢様な有泉からすれば、鶏肉よりも馴染み深い鳥だったのかもしれない。

 しかし軍鶏しゃもや名古屋コーチンは紛う事なき鶏肉だ。

 というか、鶏肉という名称より、軍鶏や名古屋コーチンという名前の方が馴染み深いとは。

  

「あのね、麗奈。鴨は分かるわ、鴨のローストは美味しいものね。それにアヒルも分かるわ。北京ダックは有名だものね。でもね、軍鶏や名古屋コーチンはれっきとした鶏なのよ」


「え〜!! マジ!? だからか、何か似てるなって思ってたんだよね。あれも鶏だったんだ〜」


 その常識離れした会話に、周りで聞いている奥様方の視線が痛い。


「あぁそうだぞ。軍鶏も名古屋コーチンも鶏の1つ品種だ。松坂牛と神戸牛みたいなもんだよ。名前は違えど、どちらも牛肉だろ?」


「ほぉわ〜、なるほどね〜。昨日松坂牛のステーキ食べたしピンときたわ〜。マサっち説明上手いな〜」


 お嬢様な有泉にも分かりやすいように、オージービーフやタスマニアビーフという名称は避け、和牛の名前を連ねた訳だが、正解だったようだ。

 それより、昨日松坂牛のステーキ食べたとか羨ましすぎるぞ。


「ね、ね〜。皆んな、次に行こう次に。ほら何か注目されてるし」

 

 二階堂は俺と桜木の方に一歩近づく、キョロキョロと周りを見ながらそう言った。

 そう言われて目だけで周囲を見てみれば、嫌な意味で注目を浴びているのは明確だった。


「そ、そうね愛莉。なら、次は野菜だからこっちよ。ほら、早く行きましょ」


 桜木も同じく周りの視線に気がついたようで、俺の押すカートを軽く引っ張るようにして前に進んでいく。


 こうして前途多難な買い出しは進んでいくのであった。

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