桜木桃華

「そのストーカーが、こっちに来たって連絡が入ったのよ」


 そう話す桜木は、下を向き拳をこれでもかと握りしめている。


「なぁ、こっちに来たってのは?」


「地元にいる友達に聞いたの。理由は分からないけど、そいつが地元を飛び出て東京の方に来るって」


 ここは埼玉。しかし、うちの高校がある場所は比較的東京に近い。だが、ピンポイントで住所がバレるという事はないだろう。いや、そう願いたい。


「そいつがどんな奴か知らないが、一応警戒しておくべきだな」


「愛莉が不登校になって、こっちに来て以来、あいつはすっかり愛莉のことを諦めたと思っていたの。それなのにあいつが地元を飛び出す前、愛莉が諦めきれないとか言っていたらしいの。それが心配で」


 二階堂が不登校か。ということは、北海道からこっちの高校に来た理由というのも、その不登校が原因になっているのだろう。


 話を聞いているだけで悍しい。そんなに酷い目にあっていたなんて。


「そいつが地元を飛び出したのっていつなんだ?」


「それが一昨日の夜。丁度村瀬との買い物が終わった後よ」


 なるほど、合致した。桜木が俺を騙すような真似をした理由。確かに信じきれなかったのは事実かもしれない。それでも、そのストーカーがこっちに来たという話を聞いて、居ても立っても居られなくなってしまったのだろう。


「やっぱり、下らなくなんてなかったな。桜木が心配になった理由は理解できる」


「あいつと村瀬が違うことなんて、とっくに気づいていた筈なのに、本当にごめ──」


「もう謝らなくて良い。二階堂さんには桜木さんが必要なんだ。しっかりしろ」


 落ち込む桜木の肩を叩き、顔を上げた彼女の顔をしっかり見つめそう訴える。


 そうすればどこか頬を赤くした桜木は、プイッと顔を背けてしまう。


「あ、当たり前でしょ。愛莉は天然だしね。私がついていてあげないと....。その、ありがとう」


 どこか調子を取り戻してきた桜木に何だかホッとする。やはり桜木はこうでないと。塩らしいのは似合わない。


「で、まだそのストーカー野郎には諸々バレてないんだろ?」


 そう質問すれば、顔を背けていた桜木も、真剣な表情でこちらへ向き直す。


「分からない。住所とか電話番号とかは大丈夫だと思う。でも、兎木ノアが愛莉だってバレてるかは分からない」


「前の皐月モモってキャラと、今の兎木ノアの声って、やっぱり同じなのか?」


「あの頃より多少声変わりもしたし、パッと聞いても皐月モモが兎木ノアだって分からないと思う。エゴサしても気付いている人はいなかったし」


「そうか、ならまだ安心か」


「今としては有り難いけど、皐月モモの登録者数は100人と少しくらいだったからね。あのキャラを知っている人も少ないと思うし」


 手放しで喜べないが、それは確かに有り難い。しかし、ストーカー野郎に顔写真や電話番号を拡散されたと言っていた。確かにバレる可能性は少なくても、バレた時の被害は大きい気がする。


「それで、中学の時にばら撒かれた写真とか電話番号ってどうなったんだ?」


「それは大丈夫だと思う。写真に関しては、警察の他に、専門家っぽい人にも頼んだみたいだから、もうネット上には残っていないの。電話番号も変更したみたいだし、そこは大丈夫だと思う」


「そうか、でも、そいつが兎木ノアの正体を知れば、今の写真じゃなくても、卒アルとかの昔の写真をばら撒かれる可能性もあるのか」


「そうね。まぁ、流石に兎木ノアが愛莉だって証拠もないし、信じてもらえるとは思えないけどね」


 確かに嫌がらせで写真をばら撒かれることはあるかもしれないが、それが兎木ノアの中の人だと言われても、証拠が無ければ信じないだろう。


 だが、嫌がらせをされるのは困る。過去に写真や電話番号を拡散した馬鹿野郎なのだ。何をきっかけに何をしでかすか分からない。


「そいつって、今は二階堂さんの写真とか拡散してないんだろ?」


「それは勿論。一応中学の時のその一件で、警察沙汰にもなってかなり大変だったらしいし。今は全く問題はないんだけど、やっぱり怖いのよね」


「確かにな」


 俺達ができるのは、どうにか二階堂の正体がそいつにバレないように工夫して、かつ変に刺激しないこと。言葉にするのは簡単だが、非常に難しい。


 俺はどうするべきか、ジッと正面にある窓の外を眺めながら考える。


 ゆっくり流れる雲を眺めながら、先程より柔らかくなった日差しを眺めながら、ウンウンと考えてみる。


「あの、村瀬......」


 桜木の声を聞き我に戻る。そうして左を向けば、俺を不安そうに眺める彼女の姿があった。


「その、まだ怒ってるの?」


 桜木は良い解決策が見つからないことを不安に思っているのだと考えていたが、どうやら別の理由で不安そうに眉を寄せていたようだ。


「怒ってないよ、良い解決策はないかなってな」


「あの、村瀬、本当にありがとね」


 何だかまたしおらしくなる桜木。しかし彼女にも俺に伝えたいことがあるのだろう。俺はただ黙って彼女の言葉を待った。


「村瀬は私達のために真剣にマネージャーとして働いてくれたのに、こんな酷いマネをしちゃったこと、本当に申し訳なく思っているわ」


「あぁ」


「それに最初に校舎裏に呼んだ時、酷いことをしたわよね、それも──」


「あぁ、だから謝らなくて大丈夫だ。この話を聞けば、二階堂が配信者だって知った俺を異様に疑うのは納得できる」


「それでも──」


「大丈夫だ、分かってるから」


「あの時はまだ村瀬を信じられなかったし、それに恥ずかしくて──」


「あぁ、分かってる」


 まるで吐き出すように心の内を曝け出す桜木。俺はそんな彼女に優しく微笑む。


 彼女は頑張ってきたのだろう。中学で酷い目にあった二階堂を守ろうと相当頑張ってきたのだろう。

 二階堂と一緒の学校に通うために必死に勉強し、親元を離れ一緒にこちらに越してきて。機械音痴なのに頑張ってVtuberなんかして。


 なるべく心配をかけないように強がる桜木のことだ。かなり不安や苦悩を溜め込みながら努力してきたに違いない。


 俺は今日、2人に騙されて悲しかった。それでも得られたものは十分に大きい。それは二階堂の過去。そして桜木の信頼。


「こんなのは身勝手だと思うけど、村瀬が頑なに愛莉を守ろうとしてくれてた姿、本当に嬉しくて。それなのに私は──」


「あぁ、大丈夫だ」


 そして全てを吐き出した最後。目に少しばかり涙を浮かべた桜木は、真っ直ぐとこちらを見つめ返してきた。


 何か桜木とは見つめ合うことが多かった気がする。最初の時も、からかわれた時も、でも今だけは、それらの時とは比べものにならない、澄んだ瞳をしていた。


「自己中な発言だけど、私は今日で村瀬を、愛莉の次くらいには信じられる人間なんだって確信できた」


「はは、じゃぁ有泉さんよりも信に置かれたって事かな?」


 今度は俺が、桜木をからかうように、頑張って悪魔的な笑みを作る。そうすれば桜木はハニカミながら、言葉を続けた。


「ふふ、そうね、麗奈よりもかも。だから村瀬、どうか......」


 そうして決意を決めるように、覚悟を決めるように、桜木は大きく深呼吸をして、続けて言葉を発した。


「こんな私を許してほしい」


 不安そうに上目遣いでそう尋ねてくる桜木。


 答えなんてとっくに決まっているのだから、こうして改まって聞かなくても良いだろうに。だが、これも桜木のケジメの付け方なのだろう。確かに、言葉で伝えてもらった方が納得できることもある。


 だからこそ俺は、言い淀むことなく、堂々と笑顔で答えてやった。


「もちろんだ」


 その言葉を聞いて笑った桜木の顔は、いつもより綺麗だった。

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