過去
俺の心臓は、空回りするように虚しい音を上げている。
「騙してたって、どういうことだ?」
前に有泉、後ろに桜木。どこを見て何を話せば良いのかまるで分からない。ただ熱く鼓動していた心臓が、虚しい空回りしているだけ。
「麗奈も私も、演技してたの」
麗奈とは有泉のことだろう。桜木は有泉にちらりと目をやり、そう話したのだ。
演技って、全部嘘だって何なんだよ。頭が全くついていかない。
「ごめんなさい真斗君、貴方を
一気に体から熱が消える。
空虚さと寂しさが半分。
単純に良かったと思う気持ちが半分。嘘だということは、二階堂が配信者だとバレることもないだろうから。
「桜木は俺を信じてくれてなかったのか? ここ1ヶ月近く一緒にやってきて。それに、わざわざ有泉さんまで使って」
「私が馬鹿だったわ、本当にごめんなさい」
「その、桜木さんが首謀した訳じゃないんです。私も一緒に......」
俺が信じられなくて、こんな下らないことをしたのは理解できた。しかし、有泉の言っていることが理解できない。
桜木がこんな下らない計画を企てたのなら理解できる。しかし、一緒にとはどういう意味だ? 有泉はそんなにも二階堂や桜木と仲が良かったのだろうか。
「実は私、天之川高校放送部の、九条凛花なんです」
あぁ、本当に頭が爆発しそうだ。この見た目ギャルの有泉が九条か。にわかには信じられない。しかし、今の彼女の生真面目な口調を鑑みれば、納得もできようか。
もう、何かどうでも良くなってくる。桜木も有泉も、興味が失せる。今はただ、二階堂に不利益が生じないかだけが心配なのだ。
大丈夫だとは思うが、今の真っ白な俺の頭には、言葉で伝えてもらわなければ理解できないのだ。
「で、もちろん、嘘だってことは、二階堂さんの情報が、ネットとか学校に広まることは無いってことだな?」
「うん...」
桜木は静かに頷いた。
なんだって自分でこんなことをしておいて、桜木は勝手に落ち込んでるんだ。苦しいのは俺なのに。
「有泉が九条凛花だってことは理解した。それでこんな下らないことを一緒に計画したこともな」
そう言えば、有泉は辛そうに下を向く。しかし桜木は、下を向きながらも首を横に振り、ボソリと呟いた。
「く、下らなくはないの」
微かに震える声は彼女の葛藤を表しているようだ。聞いている俺までも、心臓が苦しくなる。
だがこれだけは聞かなければならない。そうしなければ、俺の心にある虚しさも悲しさも、全てが消えることがない。
今日は兎木ノアの誕生日だっていうのに、マネージャーとしてこんな悲しい思いをしたまま過ごしたくはない。
正直、こんなに信じてもらえていなかったなんて悲しくて仕方ないんだ。
所詮1ヶ月の付き合いといえばそれだけだろう。
だけど、マネージャーとして、クラスメイトとして、それなりの時間を共有してきたのだ。
桜木に初めて校舎裏に呼ばれた時、彼女が勘違いして俺にキツく当たってきたことがあった。そしてそれが間違いだったと気づいても、彼女は謝りもしなかったのだ。あの時はそれだけの関係だったかもしれない。
だが今は違うと信じたい。一言めに謝った桜木。今も辛そうにしている桜木。何か理由があって欲しいと思うのは当然だろう。
俺は藁に縋るように、細い蜘蛛の糸を手繰り寄せるように、恐る恐る桜木に声をかける。
「なぁ、理由があるんだろ? だったら教えてくれ。頼むよ」
正直、昨日まであった、マネージャーとしてのやる気は消え失せた。もう、マネージャーなんて辞めてしまいたい、そう思ってしまう程に。
だからどうか、どうか俺の心を引き止めてくれ。
「その...」
弱々しく呟いた桜木は、俺と有泉を交互に見やった。そうすれば有泉は、一回コクリと頷いた後、桜木に声をかけた。
「愛莉も真斗君に伝えて良いって言ってたし、大丈夫だよ」
意味深な言葉を投げかける有泉に背を押される形で、桜木はパッと顔を上げた。彼女の顔はいつものようなおっとりとした顔ではなく、何かを決意した強い心情が溢れていた。
「村瀬、本当にごめんね。だから、ちょっと聞いて欲しいことがあるの。すごい大事な話。別に私達を許してとは言わない。だけど、どうか聞いて欲しい」
真っ直ぐとした目でそう話す桜木に、俺も背筋が伸びた。その真剣な眼差しを見てしまえば、断れるはずがないだろう。
「あぁ、もちろん、聞くよ」
「ありがとう、ならあそこで話しましょう。良い話じゃないし、誰にも聞かれたくないから」
そう言って指差した場所は、今立っている場所より上にある、屋上に通じる踊り場。確かにあそこであれば人が来ることもないだろう。
俺は桜木を伴い、その踊り場に向かう。
そうすれば有泉は、逆に階段を降りてくる。そしてすれ違い様、俺と桜木に声をかけてきた。
「私は誰か来ないか見張ってるね」
「麗奈、よろしく」
そこまでするということは、本当に聞かれたくない話のようだ。そして彼女達の声色を考えれば、話したくもないし、聞きたくもない話であることが、何となく理解できた。
踊り場についた俺は、階段の一番上の段に腰掛ける。そうすれば桜木も俺の隣に座った。
ショッピングモールで、ベンチに座ってクレープを食べたあの時なんかよりも、随分遠く座る桜木。数秒間流れる沈黙は、非常に居心地が悪い。
真正面に設けられた大きな窓からは、昼時ということもあり、尖った日差しが差し込んでいる。俺はその窓から、ゆっくりと流れる雲を見つめた。
「愛莉の話なの」
「あぁ」
その短いやり取りの後、桜木は重苦しい口調で話し始めた。
「まずね。愛莉は今、兎木ノアってキャラクターで生配信をしてるけど、あのキャラが一人目じゃないのよ」
前置きとして語られたその内容に、嫌な予感しか感じない。そんな予感を否定したいが、桜木の表情はどこまでも辛そうで、どこまでも真っ直ぐだ。
「前はね、グループじゃなくて個人で活動してたのよ。名前は皐月モモ。今に比べれば人気も少なかったけど、凄い楽しそうに活動してたわ」
「今の姿を見れば分かる」
「うん、だけど、辞めなくちゃならなくなったの。本当にふざけた理由。ストーカーよ」
「なるほど」
俺がその話を聞いたところで、過去に起こった悲劇が覆るわけでもない。だからこそ、俺はただ歯を食いしばり、手をキツく握りしめるしかなかった。
「それも同級生のね。本当に気持ち悪いわよね」
桜木が俺との初対面、あんなにも俺を警戒し、キツく当たっていたのは、その事件のせいだったのかもしれない。
あの時は腹が立ったものだが、なるほど、そういう過去があったのか。
「そいつは最初。愛莉が配信活動をしてるのを知っても、何もしてこなかったわ。逆に応援してたくらい」
そうしてゴクリと唾を飲んだ桜木。そして深呼吸をして話を続けた。
「そいつが愛莉に告白したのよ。で、愛莉はそいつを振った。それからよ、あんな可笑しくなったのは」
「なるほど、それでストーカー行為をし始めたってことか」
「ストーカー行為だけならまだ良かったのよ。ストーカー行為だけでもキモかったけど、あいつは顔写真とか電話番号とか拡散しやがったのよ」
「あぁ」
俺は声にならない悲鳴が口から漏れた。何も言葉が言えなかったのだ。二階堂を慮って、ただ不快になるだけ。そうして苦しげに相槌を打つだけ。
「で、こうして私たちが、村瀬に下らないことをした理由だけど......」
「いや、下らなくは...。 そんなことがあったなら、2人がそんなに疑い深くなるのも理解できるし...」
こんな事件に巻き込まれた過去を知れば、必要以上に神経質になる気持ちは理解できる。確かに彼女達に疑われたのは辛く悲しい。しかし下らないと切り捨てるのは浅慮であろう。
「良いのよ、村瀬は何も悪くないもの。1ヶ月、必死にマネージャーしてくれて、愛莉の次くらいには一緒にいたのに、私が馬鹿だったの、ごめんなさい」
自嘲気味にそう言う桜木に、いつものような覇気はない。
「それで、私と有泉が村瀬を騙してしまった理由よ。そいつが、そのストーカーが、こっちに来たって連絡が入ったのよ」
吐き捨てるようにそう言った桜木は、顔を落とし、拳を強く握りしめていた。
そんな彼女の拳は真っ赤で、その怒りや後悔が顕著に現れているようだった。
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