有泉

「この学校の学食って結構美味しいよね〜。私の家で出されるご飯より美味しい気がするしね〜」


 今、俺は有泉と昼食をともにしている。周りの目が少し鋭い気がするが、見なかったことにしよう。


「流石にお母さんの料理と比較しちゃダメでしょ」


「いや、お母さんじゃないよ、お手伝いさんみたいな人だよ」


 お手伝いさんに作ってもらうとか、どんなお金持ちだ。確かにうちの学校は偏差値が比較的高く、中高一貫校なのだ。俺や二階堂、桜木は高校からの転入だが、中学からこの学校に通っている生徒の大体は、いわゆるお金持ち。


 有泉も多分、中学からここの学生で、かなりのお金持ちなのだろう。


「有泉さんって中学からここなの?」


「ん? そうだよ、中学からここ。校則緩くてほんと助かるわ」


 やはりそうだった。身につけているイヤリングやネックレスも高級そうだし、お嬢様なのだろう。


 それに校則が緩くて助かるのは同感だ。それでもみんな真面目だし、スマホを授業中にいじったり、ましてや有泉のような奇抜な髪色をしている人物は少ない。だからピンク系の茶髪に染めてる有泉は例外なのだ。


 俺的にはヤンキーみたいで怖い。


「校則緩いのは俺も助かってるわ。学ランの第二ボタンまで外しても怒られないしな」


「やってること可愛い〜」


 俺の中学は第一ボタンを開けただけで怒られたんだ。だからここの高校に入って、第二ボタンを初めて開けた時は、何故か悪いことをしている気分でワクワクしたものだ。


「でさ〜。マサッちとアイっちって仲良いの?」


 その質問に思わずヒヤリとする。多分、朝の感じでは二階堂と有泉はそれなりに仲が良さそうだった。それに二階堂が俺について話した可能性もある。


 だが、ここは念のため、全くの無関係を装うのが吉だろう。墓穴を掘っても不味いし、絶対に二階堂や桜木のことがバレる訳にはいかない。


「ん? 二階堂さんは有名だから知ってたけど、話したのは今朝が初めてかな」


「え!? マジで? 結構仲良さそうだったから、友達なのかと思ってた」


「いやいや、友達ではないかな」


 彼女を友達ではないとキッパリ言い切るのは酷に感じるが、ここは我慢しよう。


 そんな有泉は俺と同じ唐揚げ定食を美味しそうに食べている。そして俺の返答を聞きながら、食べかけの小さな唐揚げを、パクリと口に放り込んだ。


「んぅ、美味しい。私とアイっちは、4月から仲良くてね。何回も家に遊びに行ったこともあるんだよ。ふっふっふ、良いでしょ〜」


 有泉が二階堂の家に? ということは、あのアパートに訪れたということだろう。あの人見知りの二階堂が家に招くということは、かなり仲が良いのだろう。


 それに、家に招いたということは、配信機材は見られなかったのだろうか。まぁ仲が良いし、すでに有泉が、二階堂がVtuberをしてる件について知っている可能性もあるだろう。


「そんなに仲が良いんだ。二階堂さんの家か? まぁ、羨ましいっちゃ羨ましいな」


 羨ましいというのは本心中の本心。羨ましいっちゃ羨ましいどころか、かーなーりー、羨ましい。


「それでさー、私見ちゃったんだよね。アイっちの秘密を」


 その瞬間、心臓を握りしめられるような苦しさを感じる。その原因は『秘密』という単語。


 そう言って、ニヤニヤと笑いながら、有泉は唐揚げを一口食べた。


「ん〜。美味しい。」


 何が言いたいんだ、有泉は。


 嫌な汗が背中を流れる。湿ったワイシャツが背中に触れ、気持ち悪い不快感を感じる。


「秘密って?」


 俺は確かめるようにそう尋ねるが、有泉はあいも変わらずヘラヘラと笑っている。


 そしてその笑顔のまま、近寄ってこい、と俺に手で合図を出してくる。招き猫のようにフリフリと手を振る様子は無邪気だが、俺には不気味に感じた。


 そして俺と向かい合って座る有泉に対し、テーブルの中央まで、身を乗り出すようにして頭を差し出した瞬間。ふっと顔を近づけてきた有泉が、先程よりも低くなった声で、ボソリと呟いた。


「マサッちは何か二階堂さんの噂知らないかなって」


 有泉から『二階堂さん』なんていう書き慣れない言葉が聞こえ、思わず唾を飲み込んだ。ゴクリと気味悪く鳴る喉。


「ふぅ〜」


 固まっていた俺の耳に、有泉は息を吹きかけてきたのだ。ビクリと体を震わせ、息を吹きかけられた右耳を押さえながら、俺は椅子に座る。


「ちょっと〜、マサッち顔近かったよ。ヤバイんだけど」


「お、おい」


「何? どうしたのマサッち? もしかして照れてるの?」


 俺の表情を楽しんでいるのか、有泉はヘラヘラといつものように笑っているだけ。


「さっきのはどういう意味だ?」


「息を吹きかけた意味?」

 

「違う」


 俺は声をなるべく抑え、周りに聞こえないように言葉を返す。有泉はすっとぼけるように話しているが、確信犯だろう。


「えっとねー、私さー、マサッちの家の場所知ってるんだよねー」

 

 どこか抑揚の感じない声でそう言う有泉。彼女のその言葉を聞き、嫌な予感が的中した気がした。


「だから、どうし──」


「ふぅ、ご馳走様でした。ほら、マサッちも食べ終わってるし、ちょっと散歩しない?」


 俺が話そうとしたのを遮り、有泉はお盆を持って立ち上がった。まだ椅子に座る俺を、見下ろすようにして笑いかけてくる有泉。得も言われない不快感が全身を襲う。


 そして俺は言葉を返すこともなく、食器を片付け。彼女について食堂を退出した。


 前を歩く彼女は何も話さない。


 音楽室や美術室のある、人気のない廊下。さらにそこにある階段を昇る。そして到着したのは、ジメジメとした踊り場。


 毎日の掃除も疎かになっているのか、地面には埃が溜まっている。


「ねぇ、マサッち」


 そう言って振り返った有泉は、唐突に俺の腕を掴んだ。


「私のお願いを聞いてほしいの」


 そうして俺の腕は彼女に引っ張られる。そうすれば俺と彼女との距離は格段に近づく。彼女の吐息すら感じる程に近い。


 熱くなる体。爆音を鳴らす心臓。だがその原因は恐怖と不安。


「お願いを聞いてくれたら、何でも言うこと聞いてあげるんだけどな〜」


 そう言って大きく開いた胸元を、さらに広げてくる。肌が多く露出した胸元は、相手を欲情させるに十分だろう。それなのに、俺が抱く感情は恐ろしさ。


「う〜ん」


 芳しくない反応を示す俺に、少し不快そうに眉を寄せた彼女は、俺の首の後ろに手を回してくる。


 蛇のように巻きついてくる彼女の細い腕。冷たくこそばゆい。そうして、俺の首の後ろを触った彼女の手にゆっくりと力が入っていく。


 頭が前に押され、彼女の顔もこちらに近づいてくる。そして半ば吐息を押し付けるようにして、大人っぽい、低く妖艶な声が脳に響いてきた。


「二階堂さんって結構邪魔なんだよね。だからさ、色々事情を知ってそうなマサッちに手伝ってほしいんだけどな」


 俺はどうすれば良いのか、全く案が浮かばない。頭が働かず、ただ彼女の声を聞くだけ。下手なことをすれば、二階堂や桜木に被害が及ぶ気がするのだ。


「何か、二階堂さんに関する衝撃の事実とかってあったりしない?」


 囁くように話す有泉。だが、ここだけは譲れない。絶対に話す訳にはいかない。彼女がどこまで知っているのかは分からないが、絶対に。


「何も知らない」


「ねぇ、教えてくれたら、たっぷりお礼するけど」


 そう言って自身の胸を軽く触る有泉。そんな安い手に乗るわけがない。


 二階堂と桜木がどれほど真剣に活動しているのかを見てきたのだ。そう簡単に裏切れる程、俺は馬鹿な人間じゃない。


「知らないって言ってるだろ?」


「ふ〜ん、まぁ良いや」


 俺の態度が気に入らなかったのか、どこか興味を失ったような有泉。彼女は俺の首を抑えていた腕を離し、体を引いた。 


 俺はなるべく冷静を装いつつ、崩れた制服を直すようにして、前のめりになっていた体を戻した。


「まぁ、知ってるから良いんだけどね〜」


「何がだよ?」


 意味深にそう語る有泉に、落ち着いた口調でそう尋ねる。しかし、続いて彼女から出てきた言葉は俺の問いなど全く無視していた。そうして彼女は、勝手に話を進めていくのだ。


「隣から二階堂さんの声、聞こえてくるでしょ? それを録音してきてほしいんだよね〜」


 確信犯。こいつは全てを知っている。何が目的なのだろうか。ただ単純に嫉妬や妬みで、二階堂を陥れたいだけなのだろうか。


「何のことだ?」


「ネットの人達も、その方が信じてくれると思うんだよね〜」


「おい!!」


 俺は思わずそこで声が出た。もしかしてこいつは、二階堂をネットで晒すつもりなのではないだろうか。それは彼女が最も恐れること。桜木も許すはずがないだろう。


「録音して、金曜の夕方までにこのアドレス宛に動画よろしくね〜」


 そう言ってパサリと地面に落とされる紙切れ。そこにはメールアドレスらしきものが書かれていた。


 どうするべきなのか。彼女は確信があるようだ。だが止まる方法がない。ここで強引な手段をとって、彼女を怒らせる訳にもいかない。どうすれば良いのだ。


 俺の唇は、不安と恐れでフルフルと震えていた。



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