遅刻

 やらかした。完全にやらかした。


 俺は走りながらいつもの通学路を進んでいく。


 理由は簡単。今の時刻は9時30分。1時間目は9時開始。盛大に寝坊してしまったのだ。


 昨日の夜、張り切りすぎて、兎木ノアの動画編集を深夜まで続けてしまったのだ。そのお陰で動画は完成した。だがその代償はデカすぎる。俺は遅刻ギリギリがモットーで、遅刻はしたくないのだ。


 怒られるのはどうで良いが、授業途中に教室に入るのが辛い。いっせいにこちらに視線が寄ってくるのだ。考えただけでも恥ずかしい。


 そうしてようやく、校門へたどり着く。校庭では体育の授業が既に行われている。俺のクラスは確か1時間目は社会。うちの担任の、あのスキンヘッドの強面教師、飯田先生の授業だ。ぐわぁ、怒られる気しかしない。


 校門の横の小さいドアを開き中に入る。そのまま下駄箱のある昇降口に向かう。


 するとその昇降口の横に設置されている水道に3人の人影があるのに気がついた。最初は体育教師がいるのではと身構えたものの、体育着を着ているし生徒だろう。


 なるべくその3人に見つからないように、静かに昇降口に向かったが、その中に1人、見慣れた人物がいたのだ。その人物は二階堂。水道に足をかけ、辛そうに膝に水をかけていた。


 その二階堂を見ている2人に見覚えはないが、心配そうに声をかけている。


「大丈夫〜? マジで心配なんだけど? 結構その傷ヤバくない?」


 ピンクがかった茶色の髪をシュシュで結んだ、ザ・ギャルが1人。体育着をズボンにしまわず、ダラリと出している姿は、不真面目さを感じる。


「二階堂さん本当に大丈夫? 保健室行ける?」


 眼鏡をかけ、いかにも真面目そうな女の子が1人。フワッとまとめたサイドテールが、彼女の優しさを表しているようだ。


 どうするべきか。俺と二階堂は周りからすれば赤の他人。助けてあげたいが、周りにこの2人がいる以上、声をかけにくい。


 そうしてこっそりと昇降口に向かっていったが、やはり目が合ってしまう。


 助けてと物語る悲痛そうな顔。そんな顔で見られてしまえば、無視などできるはずがない。これは何か声をかけるべきだ。そう思い立ち、一回深く息を吸う。


 しかし同じく俺の存在に気がついた、片方のギャルっぽい女の子が、俺が発言するよりも早く、声をかけてきたのだ。


「おぉ、良いところにいるね〜。アイっちを保健室に運ぶの手伝ってほしいんだよね。結構この子の傷ヤバくてさ〜」


 やはり陽キャはすごい。見知らぬ相手にでも気軽に話しかけてきやがる。だが助かった。向こうから声をかけられたのならば、話しかけやすい。


「別に大丈夫だけど、どうしたの?」


「いや、足捻って膝も擦り剥いちゃって、それに手をついた拍子で右腕まで痛めちゃったみたいでさ、本当に運ぶの大変なんだよね〜」


「ちょっと有泉ありいずみさん、私と貴方で二階堂さんを運べば良いでしょ?」


「いや、腕貸してあげるのは良いけど、アイっち腕痛そうだったし。私とカオリちゃんじゃ、アイっち背負って保健室までは行けないでしょ?」


「確かにそうだけど、二階堂さんはそれで大丈夫?」


「はい、私はそれで大丈夫です。三ツ橋さん、心配してくれてありがとう」


 有泉と三ツ橋の2人は、どうすべきか話し合っているようだった。しかし二階堂が了承したことによって、三ツ橋も納得したようだ。


「それなら良いけど。貴方もごめんね。多分遅刻でしょ? 急いでるのに止めちゃって」


 三ツ橋は俺の事情を何となく把握していたようで、俺に頼んでしまったことを謝ってくる。確かに遅刻は大変だが、もうここまで遅れたなら、5分でも10分でも、これ以上遅くなっても変わらないだろう。


「いや、大丈夫だよ、それより早く連れて行こうか」


「マジありがとね」


 俺はそう言って二階堂に近づく。


「じゃぁ、アイっち背負って保健室まで行こう」


 俺は有泉の声に合わせて、二階堂に背を向け膝をつく。そうすれば痛めていない方の腕を支えられ、補助を受けた状態で、ヨロヨロと二階堂が近づいてくる。


「ごめんね」


 申し訳なさそうに震えた声で話す二階堂に、こちらも胸が痛くなる。俺はなるべく元気な声で、気にしていない風で声をかける。


「別に大丈夫だよ。ほら、早く保健室行こうか」


 そう言えば、俺の肩に二階堂の手が触れる。先程まで水を触れていたからだろうか、手は非常に冷たい。俺は差し出された足に腕を回し、彼女が落ちないように固定する。


「じゃぁ、持ち上げるぞ」


「はい......」


「いくぞ、よいしょっと」


 二階堂は、それこそ人形のように軽い。しかし、部活もまともにやっていない俺の足腰は、多少プルプルと震えている。


「おぉ、大丈夫? ヤバくない?」


「ちょっと、一回降ろす?」


 2人は俺の姿を見てアワアワと二階堂を支えている。


「あぁ、大丈夫だよ。一応そのまま支えといてもらえると助かるわ。よし、それじゃ行こう」


 一歩一歩、転ばないように慎重に足を進める。二階堂は怖いのか恥ずかしいのか、彼女の腕はぐっと俺の肩を掴む。


 胸が背中に当たっているからか、彼女の心音までが伝わってくるようだ。遅刻して焦っていたせいで火照っていた体に、さらに熱が帯びる。


「だ、大丈夫? 重くない?」


 こそばゆい吐息を吐きながら、微かに聞こえる小さな声で、二階堂は言葉をかけてくる。


 俺は思わずドキリと心臓が震える。


 彼女は俺に恥ずかしそうに、体重について聞いてくる。それに対する答えが不安なのだろう。俺の腰を挟むように位置する彼女の足にキュッと力が入った。


 本当に心臓に悪いことをしてきやがる。そして俺の返す言葉は1つ。


「大丈夫、軽い軽い」


 俺は、有泉と三ツ橋の2人に聞こえないような小さな声で、言葉を返す。秘密の会話、2人だけの空間のように感じる。


 そして俺の答えを聞き安心したのか、首にかけていた彼女の腕や、腰に位置していた足から、フッと力が抜けた。


 俺は瞬間的に二階堂が落っこちると感じ、足を掴む腕にギュッと力を入れる。そうすれば、ずり落ちそうになっていた彼女の足が固定され、彼女の腕にもギュッと力が入った。


 普通に危なかった。こんなところで二階堂を落としてしまったら、笑い事ではすまない。


「ご、ごめん、力が抜けちゃった」


 少し声が大きくなった二階堂が、焦ったようにそう声をかけてくる。


「いや、大丈夫だよ。それより、腕に力入れちゃったけど、足痛くないか?」


「うん、大丈夫」


 先程までのコソコソ話ではなく、他の2人にも聞こえる声量で話したせいか、2人は不思議そうにこちらに声をかけてくるが、俺はただ「何でもないと」言葉を返した。


 そうして保健室についた。その後の事は保健室の先生と、有泉と三ツ橋の2人に任せ、俺は教室に向かう。


「あ、ありがとう」


「マジで助かったわ、ありがとうね〜」


「本当にありがとう」


 保健室から出る前に3人からお礼を言われ、俺は照れながらはにかんだ。


 人助けは気持ちが良い。軽くなった足で、ウキウキと教室は向かっていた俺だったが、その数分後、教室に入った時、スキンヘッドの飯田先生から、盛大に叱られたのは言うまでもない。

 



 そうして昼休み。弁当を持参している中谷達に教室で待ってもらい、俺は食堂に弁当を買いに行った。


 唐揚げ弁当、ハンバーグ弁当、オムライス弁当。クソ、選べない。唐揚げ弁当だけでもソースの種類が7種以上あるのだ。


 俺は弁当を眺めながら、ウンウンと考えていれば、唐突に肩を叩かれたのだ。


 不意に強めに叩かれたせいで、俺は「うぉ」という情けない声を出しながら振り返った。


「へぶっ」


 そして次に出た声は、口を突かれ吐き出された、惨めな呟き。よくある悪戯だ。肩を叩き、振り返らせ、その頬を突っつくやつ。


 今も頬をクリクリと突っついてくる細い指。ネイルにより綺麗に光る爪。


 悪戯を仕掛けてきた相手は、朝会ったあの有泉というギャル風の女の子だった。


「あぼ、なんでじょうか?」


 今もクスクスと笑いながら、頬を突っついてくる彼女に、心臓をバクバクされながら声をかける。


「本当に今朝はありがとね〜。マサッちのおかげで助かったよ」


「マサッち?」


「あれ? 下の名前、真斗じゃなかったっけ?」


「そうだけど」


「なんだ、じゃぁマサッちじゃん」


 このギャル、めちゃくちゃ距離が近い。物理的なことではなく。精神的な意味で。パーソナルスペースを土足で踏まれている気分だ。


「えっと、急にびっくりしたんだけど、どうしたんだ?」


「これ! 今朝のお礼に奢ってあげるから、一緒に食べよ〜」


 そう言う彼女は、右手にポテトフライを持ちながらそう提案してくる。誘ってくれるのは非常に、非常に嬉しいが、急すぎる。心も時間も準備していない。


「えっと、今から?」


「もっち〜、今からだよ。マサッちを見つけたから、一緒にご飯食べようと思って、友達の誘い断ってきちゃったんだよね〜」


 わざわざ友達の誘いを断ってこないで下さいませ、そこまでの価値は俺にありません。それに、そこまでされたら、俺が断れない。


 まぁ、別に有泉とご飯を食べるのが嫌なわけではない。中谷達には悪いが、一緒に食べることにしよう。


「それは嬉しいけど、その友達には悪いことしたな」


「も〜、別に気にしなくて大丈夫だって。ほらほら、早くご飯買って食べよ〜」


「お、おう、食べよ〜」


 彼女のグイグイ具合に、俺までペースが持ってかれる。俺も思わず彼女の口調を真似してしまった。


「ヤバイ、マサッちおもしろ〜」


 こうして俺は弁当ではなく唐揚げ定食を購入し、有泉と一緒に食堂でご飯を食べることになったのであった。


 


 


 

 

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