テスト返却
土日は兎木ノアの誕生日記念動画の作成に励んだ。一日中彼女の声を聞き続けたせいか、高校へ向かっている今も、何だが彼女の溌剌とした声が耳に響いている気がする。
動画の進捗は十分。余裕を持って完成させられそうだ。
それも大事なのだが、今日は月曜。試験明け初めての登校。本日は試験の返却日なのだ。試験の手応え的には自信はある。自信はあるのだが、やはり緊張する。
そのせいもあってか、今日は早めに家を出た。
到着後、ソワソワと自分の席に座っていれば、中谷がこちらに近づいてきた。
「おぉ、村瀬。今日は早いな」
「おはよう。何か今日は早く目覚めてな」
「それよりさ、お前まだVtuberハマってないのか?」
この質問を中谷にされたのは何度目だろう。確かに面白いと思ったものを、他人に勧めたい気持ちは分かるが、流石に毎回返答していると面倒になってくる。
俺はちらりと右の席を確認すれば、桜木の姿はなかった。
まぁ、『お前に勧められたから見てみたよ』くらいのニュアンスなら大丈夫だろう。これだけで俺と彼女達の関係が露見する要素は一つもない。それに何度もこう勧められては、流石に見てないと嘘をつくのも可哀想だ。
「あぁ、ちらっとだけど見たよ」
「おぉ、マジか!! なら金曜やってた九条凛花って子の生配信見た? 影牢っていうホラーゲームやってたんだけどさ」
お、おう、その話か。Pwitterにも下位だがトレンド入りするくらいには話題になっていたし、中谷も勿論見たようだ。
別に見たことを肯定しても、特に問題はないだろう。
「えっと、長い黒髪の子だっけ? 見たよ」
「あれ、マジで面白かったよな!! 前から見てたけど、ホラーゲームでまさかあんな感じになると思ってなかったわ。リアタイで見てて本当に良かった」
俺が見ていたことが余程嬉しかったのだろう。声量が増し、口早にそう語った。最近見始めた俺でも、あの微妙なキャラの崩れ具合は面白かったし、ファンである中谷の気持ちを汲み取れば、ここまで興奮する理由も理解できる。
「いつもお嬢様口調だったから、驚いた勢いでヤバイとか、こいつとか、言い始めて、最初はヒヤヒヤしたけど、普通に良かったわ。思わずスパチャしちゃったしね」
おぉ、中谷のやつ、スパチャまでしたのか。昨日はかなりの人数がスパチャしてたし、あの中の誰が中谷だったのだろうか。ミートスパゲッティとか織田信長とかではないだろうな。
こうして朝の時間を中谷とオタク談議をして過ごしたのだった。
そうしてテストの返却が始まる。
今日一日で、合計で3科目のテストが返された。出来はまずまず、中谷の点数と比較すれば、かなり良い位置にいる気がする。
こうしてテスト返却の一日目が終了した。
そして次の日、今日でテスト返却最終日。今日で残りの4科目が返され、合計点数を知ることができる。
俺は緊張の中で各時間を過ごした。
そうして放課後、俺の心臓は今もバクバクと動いている。なんたってテストが全部返されたのだ。なんたって試験の合計点が露わになったのだ。
俺は微かに震えている。そして若干の涙を目に浮かばせながら、心ここにあらずで帰り支度をしていた。
その理由は簡単。喜びだ。
良し、良し、良し、良し、かなり良い点数だ。殆どの教科で平均点数をぶっちぎったのだ。友達と点数を見比べれば、全体に対する俺の順位が、上位に君臨するであろうことは推察できた。
これは、これはあの桜木に勝てる気がする。
俺は半ば血走った目で、右から感じる視線を捉える。
この殺気にも似た視線は、桜木だろう。一緒に二階堂に教えてもらっていた身だ。彼女も俺に対する対抗心を持っているに違いない。
だが、教室では声はかけない。何事もないようにバックを持ち、素知らぬ顔で出口に向かう。
俺のその行動に合わせるように、教室の出口に向かう桜木。
そうして目と目が合う。
桜木は笑顔、俺は無表情。それなのにバチバチと火花が散っているのが分かる。
そのまま俺は下駄箱に向かうが、桜木は二階堂と帰るためだろうか、下駄箱には向かわず、二階堂の教室の前で立ち止まった。
そして俺だけ下駄箱に着く。そのまま俺の靴を取り出そうと、下駄箱のドアを開けた時だった。俺の下駄箱の中から、ちらりと一枚の紙が落ちてきたのだ。
『試験の復習したいから、愛莉と一緒に村瀬ん家行くわね』
桜木が書いたものだろう。いつの間に仕込んだのだろうか。彼女の署名は無いが、愛莉と書いてあるし、桜木で間違いないだろう。署名の手間すら惜しむとは、焦りなのか自信なのか。
そうして1時間後、俺が既に家で待機していれば、インターホンが鳴らされた。もちろん押したのは桜木。
「おじゃまします」
何も知らない二階堂は、いつものように俺の部屋へ向かっていく。
「ふふ、おじゃまするわね」
「はは、いらっしゃい」
龍と虎。犬と猿。桜木と俺。今ここに、合計点数を攻撃力とした、世紀の一大決戦が始まったのだった。
出された飲み物やお菓子はテーブルの隅に置かれ、二階堂は椅子に座り、部屋の隅で俺達を眺めている。そしてテーブルに向かうように座った俺と桜木。
二階堂にいたっては、何が始まるのか理解しておらず、首を傾げながらオレンジジュースをくぴくぴと飲んでいる。
そんな彼女を視界の端に捉えながら、俺の心の中で螺貝が鳴る。まずはジャブだ。俺は様子を見るように桜木に声をかける。
「桜木さんは自信ある?」
「自信も何も、村瀬に負ける気はしないんだよね」
満面の笑顔でサラッと毒を吐く桜木。ぐふっ、まぁ、軽いジャブだ。引いてたまるか。
「随分な自信だな。俺も不思議と負ける気がしない」
「ふ〜ん、じゃぁ、負けたらどうするの?」
来たか、こういう答えにくい質問。ここはすぐには返答せず、出方を窺ったほうが良いだろう。
「いやいや、そっちこそ負けたらどうするんだ?」
質問を質問で返すのは反則な気がするが、丸め込まれるのも嫌だし、仕方ないだろう。だが、その質問返しを見越していたかのように、さらに小悪魔な笑顔を深くしながら、何ともないように彼女は言い放った。
「村瀬の好きなこと、何でも一つ聞いてあげるわよ」
な、何でも一つ!? あんなことやこんなこと、そんなことまで、いやいや、取らぬ狸の皮算用、無駄な妄想はやめよう。今すべきことは、表情を隠しながら、その挑発にわざと乗ってやるだけ。
「あぁ、俺だってそのつもりだ」
もう、引くに引かない。負けるに負けられない。いや、負ける気はない。
「じゃぁ、100の位から発表ね」
その桜木の発言でようやく事の事情が理解できたのか、目をパチパチとさせた二階堂は、持っていたグラスを机に置いた。そして前のめりになりながら、俺と桜木の2人を交互に見始めたのだ。
「あぁ100の位だな。じゃぁ、せーので発表だな」
「分かったわ」
そして俺は思い切って号令をかける。
「じゃぁ、いくぞ、せーの!!」
「5ね!!」
「5だ!!」
俺達の気迫のこもった発言に、「うおぉ」と二階堂の吐息が漏れた。
俺の首を流れる血管がドクドクと音を鳴らしている。もちろん100の位なんかで決着がつくとは思っていなかったが、俺の体は暑く熱を浴びる。
「じゃぁ、次は1の位ね」
「あぁ、いくぞ、せーの!!」
「4よ!!」
「3だ!!」
俺の頬からポタリと汗が滴るのを感じる。静寂に包まれる空間。その中で「うぅぅ」という、辛そうな小さな呟きだけが木霊する。それは二階堂の声。彼女は両手を胸の前で握りしめ、目を瞑って、何かを願っているようだ。
大丈夫だ。まだ負けてない。1の位で負けたからといって、まだ勝敗は決まっていないのだ。10の位で勝てば、何ということはない。
「じ、じゃぁ、10の位ね」
「あ、ああ、いくぞ、せーーーの!!」
「8よ!!」
「7だ!!」
同時に発した言葉だが、テーブルの向こう側から、俺の数より大きい『8』という数字が確実に聞こえてきた。
焦点が震え、目の前が真っ暗になる。
落ち込む気分。だが、正面からは華やかな声が聞こえてくる。
「や、やったー!! やったよ愛莉! 愛莉のおかげ、本当にありがとう!!」
「え!? え!! あ、モモちゃんが勝ったの!? お、おめでとう、おめでとう!!」
2人の歓声が目の前から聞こえてくるのだ。お互いにハイタッチをしたために聞こえる小さな破裂音は、俺の精神をチクチクと攻撃してくるようだ。
負けた、負けたのか。僅差だが、負けたのか。
体から一気に力が抜け、テーブルに突っ伏す。
「ね〜、村瀬、負けたら何だっけ?」
その声が聞こえ、俺の体は思わずピクリと痙攣する。獲物を遊びながら仕留める、シャチに睨ませたアザラシの気分だ。
俺はゆっくりと顔をあげながら、自嘲気味の苦笑いが顔に浮かぶ。
「じ、冗談じゃないすか、桜木さん」
俺の言葉を聞いた桜木は、片方の眉毛を上げ、小悪魔から悪魔に進化した、さらに嫌らしい笑みを浮かべながら、こちらを見下ろしてくる。
「そんなこと言うんだ? 愛莉も聞いてたでしょ?」
「えっと、何でもするって約束?」
「愛莉も、流石に約束を破るのは酷いと思わない?」
「う、うん、そうだね」
2人のその会話に、鳩尾にストレートを食らったかのような衝撃を受ける。何でもするのは怖いが、確かに約束を破れば人手なしだ。
ここは身を粉にしてでも、桜木の無理強いを受け入れるべきなのかもしれない。
「分かりました。何でも聞きます」
「ふふ、よく言えました」
そうして合計点数勝負は、俺の敗北という形で幕を閉じた。
そして2人の帰り際、二階堂に先に帰っていて、とお願いした桜木。何か嫌な予感しかしない。あんなお願いを聞いた後だ。煮るのか焼かれるのか、俺はまな板の上に乗ったウナギと同じ。
「何でもするんでしょ?」
「も、もちろん」
「で、兎木ノアの誕生日動画って終わりそうなの?」
話題に関係なさそうな質問が、ふいに放たれた。俺は意味が理解できなかったが、期日としては余裕であることを彼女に伝えた。
「いや、余裕はあるけど」
「なら、明日買い物について来て、財布と荷物持ちね」
財布と荷物持ち!? 荷物持ちは分かる。だが財布は勘弁して欲しい。俺は別に金持ちという訳ではない。そんなにお金をたかられても困る。
「財布って?」
「愛莉にお礼のプレゼントをしたいから、半々でお金出し合おうと思ってね。何? 恐喝されるとでも思った?」
クスクスと笑う桜木だが、俺は胸を撫で下ろす。だが、これが『何でも』というお願いなのだろうか? そうであったなら、思っていたよりも何倍もユルユルだ。俺は恐る恐る、確かめるようにその事について触れてみた。
「これが、何でものお願いで良いんだよな?」
「はぁ? 違うに決まってるでしょ」
で、ですよねー。
こうして俺は、明日の放課後、桜木とのショッピングが決定したのだった。
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