勝負の行方

 俺は今、挑戦状を叩きつけられている。


 食うか、食わないかの真剣勝負。


 俺の口ギリギリまでチーズケーキが乗ったフォークを近づける桜木。食べれるというところを見せてやりたい俺。それなのに羞恥心が俺の体を蝕んでいる。


 俺が桜木のフォークに乗ったチーズケーキを食べられれば俺の勝ち。食べられなければ俺の負けだ。


 もし食べられなかったら、『何? 恥ずかしいの? 間接キスが恥ずかしいとか? ふふ、中学生じゃないんだから』そう言われる気しかしない。


 それに桜木は俺が恥ずかしがって食べれないだろうと考えているはずだ。だからこそ、意表をついて、真顔で食ってやりたいのだ。


「ほれ、ほーれ」


 今も俺の唇の前で、小さく円を描くようにフォークを動かしている。俺が食えないだろうと高を括って、盛大に楽しんでやがる。


 こいつ、分からせてやりたい。めちゃくちゃ分からせてやりたい。


「何? 間接キスが恥ずかしいの?」


 やっぱり言ってきやがったか、この悪魔め。


 分かったよ、分かった。そんなに俺を煽るなら、俺だって負けてたまるか。お前は俺を怒らせた。もうどうにでもなってくれ。


「間接キス? 何が?」


 なるべくすっとぼけた表情を作りながら、片方の眉を上げてみせる。俺のこの言葉、桜木も予想していなかったようだ。笑顔だが、少し焦りの表情が見えた。俺はその事に満足しつつ、円を描くように動いているフォークに的を定める。


 だが、俺はここで止まらない。少し動揺を見せた桜木にさらに追い討ちをかけるのだ。


「桜木さん、食べにくいからフォーク動かさないで」


 俺の心臓は、向かいに座っている二階堂や桜木まで聞こえてしまっているのではと思うほどにうるさい。喉を走る血管がどくどくと喚いている。


 それなのに、俺は極々冷静に言ってのけたのだ。


 そうしてゆっくりと口を開ける。


 しかしその刹那、ブンッと音が鳴るくらいに素早い手つきで、桜木はフォークを持っている右手を引っ込めたのだ。


「ば、ばーか。ざ、残念、あげる訳ないでしょ?」


 明らかに言い淀みながら、そっぽを向くようにして、引っ込めたフォークを、パクリと口に運んだ。


「へ?」


 俺は想像すらしていなかった出来事に思わず声が漏れる。


「な、何その声? そんなに食べたかったの? ふふ、もしかして間接キスしたかったとか? でも残念、あげないんだから」


 フォークを唇に当てながら、そして少し赤らんだ耳をこちらに向けながら、桜木はそう言ってきた。


 ん? これは勝ったのか? 勝ったんだよな??


 それなのに喜べない、全く喜べない。勝負には勝ったが試合には負けたとはこの事だろうか。


「あぁ、いや、普通に美味かったから、もっと食べたかったなって」


 俺はなるべく声に抑揚をつけず、ただただ残念そうにそう話す。内心は心臓バクバクだが、バレる訳にはいかない。


「そ、そう、また今度作ってあげるわよ」


 そう言った桜木は、ゆっくりとこちらに顔を向ける。そうすれば、ちらりと俺と目が合う。先程の攻防戦があったからか、変に意識してしまう。それは桜木も一緒だったのだろう。サッと下を向いた。本人はチーズケーキを見るフリをしたのだろうが、明らかに顔を逸らすのが普通より素早かった。


「な、なによ?」


 そう言った桜木はパクリとチーズケーキを口に運んだ。流石に冷静さを取り戻したのか、その時には既に、いつもの表情に戻っていた。けれども少しだけ怒っているように見えるのは気のせいだろうか。


「い、いや、ごちそうさまでした」


「お、おそまつさまでした」


 俺は取り繕うように、ご馳走様と感謝の言葉を述べる。そして桜木もお粗末様と言葉を返してくる訳だが、終始二階堂は圧倒されたように口をパクパクさせているだけだった。




 ご褒美会は終盤、二階堂のまとめ動画の話になった。


「私の動画も作り終えたことだし、今度は愛莉の動画よね?」


「あぁ、そうだな。二階堂さんはどんな動画にして欲しいとかあるか?」


「えっと、特に考えてないかな。村瀬君の好きなように作ってくれたら嬉しいかな」


「へぇ、村瀬の好きなようね、ふふ」


 俺の好きな通りというのが、そんなにも可笑しいのだろうか。桜木はからかうような笑顔で俺と二階堂を交互に見ている。


「そんなおかしいか?」


「いえ、何でさ、村瀬が好きな通りに作った動画って事は、その動画に使われた部分が、村瀬にとって愛莉の好きな部分ってことになるでしょ?」


 いや待て、変な事を言うな。確かに俺は二階堂の動画を作るなら、彼女のセリフ枠で語っていた、あの可愛らしい妹ボイスは入れるだろう。そうすればだ、俺が二階堂の妹ボイスが好きなことがバレるという事になる。


 さっきまで全く気にしていなかったのに、桜木の発言のせいで、俺と二階堂に気まずい沈黙が流れる。


「ねぇ、モモちゃん」


 ムスっと赤い頬を膨らませた二階堂は、ジロリと桜木を睨んでいる。その表情を客観的に見れば、怒っている小動物のような、愛らしさがある。


「ごめんね、冗談冗談」


 そう言って両手を上げる桜木だが、反省しているようには見えない。


「まぁ、そんな冗談は置いといて、その愛莉の動画さ、なるべくなら25日に投稿したいんだよね?」


「どうしてだ?」


「今月の25日が兎木ノアの誕生日なのよ。だからこの日が良いかなって」


「なるほどな、なら頑張らないとな」


 そういう事なら、その日までに絶対に間に合わせなければならないだろう。今月の25日は、今からやく2週間後。非常に猶予は残っている。これは良い動画ができそうだ。


「2週間近くあるし時間的には大丈夫よね。カレンダーってある?」


 桜木にそう言われ、俺は作業机の上にあるカレンダーを手に取った。


「25日って事はこの日か。って、うわっ、試験が17と18日じゃん、すっかり忘れてた」


 俺はカレンダーを机に置き、25日に印を付けようとした時だった。17と18日の欄に、非常に不気味な文字が書かれていたのだ。その字は試験。最悪にして最恐の2文字。


「え? 嘘でしょ? そんな近かったっけ? 村瀬、冗談よね?」


「当たり前だろ、ほら」


 机に身を乗り出すように、焦った表情の桜木はカレンダーを覗き込む。そして彼女も見たのだろう。その悪魔の2文字を。


 彼女は力なく肩を落とすと、頬に手を当てて、絶望に満ちた表情を浮かべた。そして俺の顔も多分、真っ青に変化しているに違いない。


 俺と桜木は、東城アヤメの動画編集の件もあってか、すっかり忘れていたのだ。


「え? もう試験は1週間後だよ? 忘れてたの?」


「あぁ」


「そうよ」


 二階堂はしっかりと把握していたようで、心配そうな表情で俺達を覗き込んでくる。


 やめてくれ、同情しないでくれ。同情するなら知恵をくれっ。


「えっと、私が教えようか?」


「ほ、本当!? 愛莉は私より成績良いし、助かるよ」


 二階堂の提案もあり、桜木の顔はパァと花が咲く。だが俺の顔色は良くならない。どうしたものか、良い案が浮かんでこない。


 俺は大して頭が良い訳でもないし、徹夜確定といったところか。分からないところを誰かに教えてもらおうにも、中谷を中心としたオタク友達は、学力的に残念ながら頼りない。


 地獄の1週間になりそうだ。


 二階堂の動画作成もあるし、過労死しそう。


「ね、ねぇ、村瀬君は大丈夫?」


 不安がそのまま声に乗り、二階堂から俺へ放たれる。動画作成に関して、彼女を不安にさせる訳にもいかないし、ここは見栄を張るべきだろうか。


「あぁ、多分大丈夫だと思う。忘れてたのは俺が悪いしな」


 俺は首を手で揉みながらそう話す。




 パァン


 小さな破裂音が、急に目の前から聞こえてきたのだ。


 音の主は、二階堂。


 何故か二階堂が身を乗り出すようにして、机を軽く手で叩いたのだ。俺は何事かと彼女を見る。すると、普段学校にいる時のような、爽やかでキリッとした、凛々しい顔つきの彼女が目の前にいたのだ。


「む、村瀬君も良ければ、私が勉強を教えるよ」


 あぁ、かっこいい。かっこよすぎる。


 女子の中でもファンが多い二階堂だ。


 俺の心は乙女のように、キュンと音を鳴らしたのだった。

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