勉強会
放課後になり、下駄箱を開ける。今日は動画編集を教える日でもないので、メモ書きは入っていない。二日連続で桜木のメモが入っている訳もなく、1人で下校する。
昨日の話し合いで、明日が初めての勉強会の日に決定している。だからこそ明日の放課後には桜木のメモを見ることになるだろう。
無事に帰宅した俺は、中谷から借りた漫画を読みつつ風呂までの時間を過ごした。その後は風呂に入り夕飯を食べ、時刻はもう22時を過ぎていた。
すると隣から微かな女性の声が聞こえ始めた。俺が注意しに行ったこともあってか、一昨日よりかなり声量を控えているようだ。
声の主は勿論二階堂だろう。素の時の、特に桜木のような仲の良い友人と話している時の口調に似た二階堂の声。隣から微かに同級生の、それも学校1の美女と名高い女子生徒の素の声が聞こえてくるというのは、中々にむず痒い。
俺は悪いと思いながらもスマホを開き、metubeを起動する。そのまま兎木ノアと検索してみれば、やはり彼女は生放送を行なっていた。
今気づいた事だが、兎木ノアは彼女を含めて数名の配信者が所属するVtuberグループに属しているようだ。そのグループに入る配信者の殆どが登録者数が3、4万人もいるので、かなり人気のグループなのだろう。
そして俺は兎木ノアの生放送を見てみようかと考えたが、気恥ずかしさもあり躊躇いが出る。もし彼女の生放送を見てしまえば、明日の勉強会で変に意識してしまいそうな気がしてならなかったからだ。
ならばと、せめて最近投稿された動画だけでも一目見てみようと、数日前にアップされた動画を開いた。そうすればスマホからは、二階堂の可愛らしい声が響いてくる。
俺は急いで音量を下げ、イヤホンを挿す。隣にスマホの音声が聞こえるという事はないだろうが、何か恥ずかしい。
動画の視聴回数は5000回程。動画投稿を挫折した身である俺からしたら桁違いの再生回数だ。だが、少しだけbad評価が多いのが気になった。
metubeには動画を評価できる機能がついている。それがgoodボタンとbadボタンだ。良い動画であればそのgood評価が多く、不評が多ければbad評価が多くなる。
badが多い理由が気になって感想を見てみれば、その理由が露わになる。
『う〜ん、声は可愛いけど編集下手だなw』
『ゲキダサ編集お疲れ様です』
『編集微妙だけどこれから頑張れば良いだろ!!』
コメント欄ではファン同士での喧嘩が起きてしまっているほどに荒れている。それにアンチと言われる人も多くのコメントを残しているようで、二階堂を知っている俺からしたら、心が痛くて見ていられない。
そんな酷評されている動画だったが、うん、ちょっと、流石に、ね。編集が雑というか、効果音のタイミングも合っていない。
なんで楽しそうな雰囲気の時に、おどろおどろしいフォント使ってるんだ。それにまず音量が小さすぎる。てか、サムネ雑すぎだろ。
「これはちょっと、言われてることも理解できるな」
思わず批判コメントに同意するように独り言を言ってしまうくらいには、動画は残念な出来だったのだ。
基礎しか教える事はできないと思っていたけど、こんなに酷いなら、俺でも役に立ちそうだ。桜木も動画編集を教えてほしいと言っていたし、二階堂が厳しかったとしても、桜木が頑張ってくれるだろう。
こんなに多くの批判コメを二階堂が見て、彼女が心を痛めるのは見るに耐えない。どうか桜木が動画編集やイラスト作成をマスターして、バックアップしてあげてほしい。
俺は動画編集を教えることに俄然やる気が出てきた。そして本棚から数冊の参考書を取って、明日教えてあげる部分をピックアップしていったのだった。
翌日の学校。
午前も午後も特に何もなく、いつも通り中谷を筆頭としたオタク友達と一緒に過ごし、放課後を迎えた。
俺はドキドキしながら下駄箱を開ければ、そこに紙切れが一枚。秘密のやり取りをしているようでワクワクする。内容は簡潔で『後で村瀬ん家行くから、先に帰ってて 桜木』とだけ。
内心一緒に下校できるのではと期待していたが、勿論ダメだったようだ。それでも俺は、自宅に再び2人が訪れることが確定しているので、かなり浮き足立っている。
昨日の夜に参考書を読み漁っていたこともあり、多少自室は乱れていた。汚い部屋に呼ぶのは失礼だし、早めに帰宅して整理整頓しておくのが吉だろう。そして俺は、半ば急ぎ足で帰路に着くのだった。
『女子の同級生と一緒に勉強会』、ワードだけでも良い響きだ。俺だってかなり心待ちにしていた。どうやって教えようとか、どう工夫しようとか。
なのに今の俺の自室には、諦めムードとともに、どんよりとした負のオーラが漂っていた。
「このフォント可愛いのに、なんでみんな分かってくれないの......」
二階堂は自身が可愛いと思って動画に組み込んだフォントが不評すぎて、完全に萎えている。そりゃ、角張ったフォルムのくせに、何故かケバい虹色をしたフォントって、ダサくないか?
「エスケープボタンってどこ? 日本語で言ってよ、もー」
桜木に関しては完全な機械音痴。キーボードを右手の人差し指だけで押している姿は、田舎の祖父母のそれだ。
「じゃぁ、次は効果音入れてみようか?」
俺がそう言って自分のパソコンを操作しようとすれば、俺のモニターを覗こうと、二階堂はかなり近くまで寄ってくる。花の香りか柑橘系の香りか、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
思わず手を止めてしまいそうになるが、桜木に不審がられても困る。しかしそんな桜木は、今は机の上で突っ伏してしまっている。
「まずはこの画面で、使用する効果音を選んでっと」
「ふむふむ」
二階堂は何か真剣にメモを取っている。真面目なところは本当に好感が持てる。大変なのは分かるが、桜木も見習ってほしい限りだ。
「で、効果音を付けたい部分に、こうやって配置っと」
「ほおほお」
いやいや、集中してるのは分かるが、ちょっと近すぎる。完全に肩が触れているのだ。二階堂は気にしていないだろうが、俺の心臓は破裂してしまいそうだ。
だが、かなり近くまで寄ってこられていた事もあり、メモ帳の中身がちらりと見えた。可愛らしいウサギやネコの落書きがチラホラ。
「あのー、二階堂さん、やっぱり難しいかな?」
「う、うん......」
「なるほど、そのネコの絵可愛いね」
俺は難しそうな顔をする二階堂を少し虐めてやりたくなった。メモ帳を指差し、ネコの絵を描いていたことを指摘したのだ。
「え!? あの、これは!? その、か、可愛い? あ、ありがとう」
可愛いのは本当だが、褒められたことをそんなに嬉しがられても困る。どちらかと言うと皮肉で言ったつもりだったのだが。
二階堂は恥ずかしそうにメモ帳を後ろに隠した。
「村瀬〜、私も愛莉も元々パソコンとか苦手なんだよね〜、愛莉がサボって落書きしてたのは許してやって〜」
絶賛サボり中の桜木が言うセリフではないだろう。
「モモちゃん!? べ、別にサボってた訳じゃないんだよ村瀬君......」
「まぁ、動画編集とかイラストは初心者には難しいから仕方ないよ。だから2人とももっと頑張ろう」
「はぁ〜、スマホで全部できれば良いのにな」
桜木は完全に諦めているようだし、二階堂もどこかやる気が出ないようだ。
「配信者なら動画編集は通らなきゃならない道だろ。俺が代わりにやってやれれば良いけど、そうもいかないんだから、ほら、頑張れって」
俺が励ますような言葉を述べた途端、バッと桜木が顔を上げた。俺の激励がそんなに効いたのかと一瞬思いかけたが、桜木は悪巧みをしてそうな嫌な笑みを浮かべていた。
「ねぇ、村瀬、あんたが代わりに動画編集してくれない? 愛莉もそれが良いよね?」
「え!? そ、そうだね。村瀬君なら私達の事情を知ってるし、頼めるのは村瀬君くらいだし」
いや、待て待て。急に話の展開がおかしくないか?
勉強会のはずだったのに、今の2人は、どうにかして動画編集を俺に押し付けられないかと、変な方向に思考が逸れてしまったのだった。
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