第四章 第三節 野獣の独奏

 エカさんは俺を膝枕しながら途端に声のトーンを変えて話題を転換した。


「恒星はね、ピンキーパークの影響で楽器を始めたの」

「そうなんすか?」

「私たちがピンキーパークを結成したのは中1の時で、その頃の恒星はまだ小学生でよく私についてくるお姉ちゃん子だった。その時から自分も中学に上がったら楽器をやるって言ってて」


 微笑ましい姉弟だ。俺なんて男兄弟で育ったからむさ苦しい思い出しかない。


「思春期を迎えると愛想が無くなって、私と一緒に外を歩くのも嫌だって言い始めて、お姉ちゃん寂しいの」


 エカさんは可愛らしく泣き真似をして言った。


「ブラコンっすか?」

「えへへ。恒星がシスコンだと思ってたら、どうやら私がブラコンだったみたい」


 次のエカさんはおチャラけた様子だ。しかし面倒見のいいエカさんだから、それは弟に対するものがきっかけだったのだろうと思った。


「けど、ゴッドロックカフェには一緒に来ますよね?」

「うん。バイクには乗せてくれるの。フルフェイスのヘルメットを被るとね、自分の顔が隠れるからいいんだって」

「素直じゃないっすね」

「でしょ? 目的地が同じだから私としては通いやすくて助かってるんだけど。けど店に一緒に入るのは嫌だって言うから、私は時間をずらして近所を一周してからいつも入店してるんだよ」


 こんな綺麗なお姉さんを一緒に連れてなんて贅沢な。て言うか、ただの恥ずかしがり屋かよ。


「しかしなんでわざわざ個人練習でここを使うんすか?」

「うちって住宅密集地で小さな家じゃない?」

「はい」

「いつもはアンプにヘッドフォンで練習してるの」


 確かにそうしなければ家の人にも近所にも迷惑だろう。エカさんは現役当時パートがキーボードだからアンプほどの影響はなかったかもしれんが。


「前に一度バンドを組んだ時のスタジオ練習で、大きなアンプで遠慮なく大音量で演奏できたのが快感だったみたい。バイトもしてるからお小遣いは多少持ってるし」

「なるほど」


 確かに単車は持っているし、貸しスタジオ代を出せるのだから、高校生にしては金を持っている方なのだろう。


「他にも理由はあるんだけどね」

「ん? それは?」

「せっかくだから1つ秘密のいいこと教えてあげる」

「なんすか?」


 なんだろう、その意味深げな言い方は。悪戯っぽく笑うエカさん。俺は興味そそられる。


「ここならもしかしたらバーでヒナが飲んでて会えるかもって下心」

「ん? ん? どういうことっすか?」

「たぶん恒星はヒナのことがずっと好きだと思うんだよね」

「え! そうなんすか?」

「本人はいつも否定するけどたぶん間違いない。愛想が良かった頃はよくヒナのことを聞きたがったし、ライブではヒナの前ばかり確保してガン見だし、いつかヒナとセッションしたくてベースを始めたし、高校もヒナの足跡が残る西高を選んだし。まぁ、4歳違いだから在学は被らないんだけど」


 そうだった。そう言えば児玉恒星が着ている制服はヒナさんの母校だった。


「まぁ、悲しいかな、まだ出くわしたことはないんだけど。それにヒナは年下の男子に興味ないしね」


 エカさんは実弟の失恋まで暴露した。




 この翌営業日は開店と同時に珍しい来客があった。


「いらっしゃい。注文は?」

「生――」

「出せるわけねぇだろ!」


 あどけなさを残す美少女はカウンター席に座り、高校の制服姿で俺を見据える。ため息が出そうになるほど可愛いのに、同級生や年下の男子に対してはいつも気だるげだ。女子や目上の人に対してはそれなりの愛想を見せるから、俺からするととっつきにくい奴だ。


「――レモンサワー」

「ぐぅ……」


 俺は目の前に座る雲雀裕美に唸ってみせた。生ビールがダメなんじゃなくてアルコールがダメなんだ。生レモンサワーだって出せるわけがない。

 そう、彼女はダイヤモンドハーレム古都先輩の妹で、俺の高校の同級生雲雀裕美だ。姉に劣らずの容姿で学校ではかなりモテる。腐れ縁なのか俺は1年生に続き、今年の3年生も同じクラスだ。

 今の服装を度外視しても俺は彼女の年齢を知っているので、酒を注文されたことに呆れる。本当につかみどころのない奴だから、やりにくいことこの上ない。


「ポンコツバーテン」

「なんか言ったか?」

「別に。じゃぁ、レモネード」

「またお前はメニューにない注文を……」

「あるよ。私は一度もこの店にない商品を言ってない。レシピ帳見てみな?」


 なんでそんなに自信満々なんだ。なんだかムカつくからレシピ帳を広げて「ほらねぇだろ」って言ってやりたくなった。それで俺は背面にある棚の引き出しからレシピ帳を取り出した。そしてそれを雲雀に向けて言うのだ。


「ほら……ん? あった」


 完全に裏メニューじゃないか。こんなメニューがあったなんて知らなかった。


「ばーか。ちゃんと確認しろ」

「ぐぅ……」


 可愛いのは認めるが、まったく可愛げがない。とは言え今はお客様だから、俺はレシピ帳と一生懸命にらめっこをしながら作業をする。て言うか、なんで蜂蜜を入れるんだよ。

 そんな愚痴を抱きながらもなんとかレモネードを作り、俺は雲雀の前に置いた。因みに完成したレモネードの味見をした時、びっくりするほど美味かった。今度俺も飲んでみようと思う。


「なんで制服なんだ?」

「午前中に学校行ってからの、予備校の帰り」


 どうやら夏期補習と夏期講習に行っていたようだ。雲雀は学校の成績もそれなりだから、大学選びには困らないのだろう。


「今日は倉知君に用があって来た」

「ん? 俺に?」


 ただの寄り道ではなかったらしい。雲雀が俺に用事とはなんだ?


「唯ちゃんが倉知君の連絡先を知りたいって」

「え! 唯先輩が?」

「そう。それでラインを教えてもいい?」

「全然構わん」


 あまりにも意外な用件だったので面食らった。しかし相手が唯先輩なのでまったく問題はない。


「唯先輩が何の用だ?」

「そこまでは聞いてない」

「ふーん。て言うか、別にラインで聞いてくれても良かったんじゃねぇか?」


 受験生でもない夏休みの俺が学校で会うことはないが、俺たちは連絡先を知っている者同士だ。わざわざこの店に俺を訪ねる必要まではないと思った。


「まぁ、そうなんだけど。久しぶりにこの店に来たかったし」

「ふーん。毎度あざす」

「ここには家よりもお姉ちゃんのロックな名残が強い場所だから」


 雲雀はカウンター脇の壁にかかったコルクボードを見ながら言う。そこには先代店主大和さんとダイヤモンドハーレムの集合写真や、ダイヤモンドハーレムのメンバー個々が常連さんと撮った写真などが貼り付けられている。


 雲雀に目を戻すと彼女はレモネードを口に運んでいた。薄い唇からレモネードが雲雀の中に入っていく。

 雲雀は2年間クラスが同じで、そしてダイヤモンドハーレムが地元にいた時など、ライブ会場で顔を合わせることが多々あった。だから学校でも外でも会えばそれなりに話す。そして大体彼女は姉を想ったことを言うのだ。よほど古都先輩のことが好きらしい。


「今唯ちゃんに倉知君のラインを送っといたから」


 雲雀は既にグラスを置いていて、スマートフォンを操作していた。わざわざ作業の終了を伝えてくれる。


「わかった」

「ダイヤモンドハーレムは忙しいからいつ連絡が来るかはわからないよ。お姉ちゃんなんかよくメッセ見落とすし」

「それもわかった」


 とは言えそれは古都先輩のことだ。ダイヤモンドハーレムが忙しいのは承知のうえだが、唯先輩ならマメなイメージがあるので、雲雀からの連絡を見落とすことはないだろう。

 て言うか、芸能人と個人的な連絡先の交換か。なんだかそれに浮かれる自分がいる。唯先輩に惚れていた頃とは違った感情である。


 雲雀は1時間ほどの滞在で帰宅しようとした。しかしその日の客入りは早かった。と言っても雲雀に次ぐ2人目だが、その常連さんが18時頃に来た途端だった。


「うおー! 裕美ちゃんがいる!」

「はぁ……」


 雲雀がため息を吐いた理由。雲雀は常連さんに捕まって帰るに帰れなくなってしまったのだ。


「まぁ、模試の判定は余裕だったからいいけど」


 そんな可愛げのないことを言っていた。それに奢ってもらうことも確定じゃん。


 その常連さんは他の常連さんにも連絡をし、平日ながら続々と人が集まって、雲雀はすっかり囲まれてしまった。

 軽音楽をやっていない雲雀だが、姉妹故やはりどこか古都先輩の面影があるし、ただ存在するだけで常連さんから愛される。俺は存在するだけで恐れられる顔面だから、そんな雲雀が本当に羨ましかった。

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