第四章 第四節 野獣の独奏

 雲雀裕美の来店とは無関係だが、この日は河野さんも来店した。相変わらず河野さんはやじろべえのような歩き方をするので、見ていてそれが痛々しい。


「お前もジジイになったらすぐ足腰にくるんだから、今のうちからしっかり体力つけとけよ」


 よくそんなことを言う。しかし野暮な意見だ。スポーツはやっていない俺だが、この図体は贅肉ばかりではない。だから体力の程は心配ない。それでもやはり河野さんの歩き方を見ていると、足腰は鍛えておこうかとも思う。


 そんな河野さんはウイスキーのロックを飲みながら言う。予備校帰りの雲雀を目にして触発されたかのような質問だ。


「お前、夏休みは毎日出勤してて進路はどうするんだ?」

「ニートっすよ」


 自虐的に笑って答える。大体俺の進路質問にはニートだと答えるが、もちろん誰もがどこかでアルバイトをすることくらいわかっている。だから正確にはフリーターだ。


「お前、学校の成績は?」

「真ん中より少し後ろくらいっす」

「勿体ねぇなぁ」


 確かにそう思うのは納得できる。備糸高校はギリギリ進学校だから、俺くらいの成績なら行ける大学はある。選ぶほどはないが。予備校にも行かず、アルバイトやベースの演奏ばかりをしている俺だから、恵まれた成績だとも言える。


「大学行っとけよ」

「メジャー目指してるんで」

「別にメジャー目指してたって、メジャーアーティストだって大学は行けるだろ?」

「まぁ、そうっすけど」


 河野さんとこれほどまでに進路の話をする日がくるとは思ってもいなかった。とは言え河野さんは弁護士だから、学生時代は俺の想像に及ばない勉強をしてきたのだろう。もちろん社会人になってからもそれは継続しただろうし、そんな中で若い頃は音楽も現役だったのだから恐れ入る。


「メジャー一直線が悪いとは言わねぇが、視野を広げて大学は行っといた方が潰しがきくぞ?」

「どういうことっすか?」

「備糸高校とこの店のコラボから出たバンドが2つあるのは知ってるな?」

「はい。クラソニとダイヤモンドハーレムっすよね」


 クラソニは大和さん、響輝さん、泰雅さんが所属していたバンド、クラウディソニックの愛称だ。


「あぁ。どっちも大学は行った。で、どっちもメジャー内定した。ダイヤモンドハーレムはしっかりデビューもした」

「まぁ、そうっすけど」

「デビューしなかったクラソニの方だがな、大和と泰雅は音楽の仕事を続けてるから関係ねぇが、響輝は正に潰しがきいたんだよ」

「そうなんすか?」

「あぁ。デビューが頓挫して、親の紹介で拾った就職口だからコネ入社だし、高卒もいる工場の現場仕事だ。それでも中途半端な時期にも拘わらず、大卒だからって採用されたんだ」


 そんな経緯があったのかと初めて知ってちょっと驚いた。


「そうだったんすね」

「お前はもし、メジャーデビューできなくて音楽を仕事として諦めたらどうするんだ?」

「その時は……まぁ、どこかに就職っす」

「高卒でか?」

「んー……」

「もしその時連れ合いたい奴がいたら相手はお前についていこうと思うか?」

「う……」

「響輝だってちゃんとしたとこで会社員続けてるから、杏里との結婚も杏里の親から許されたんだぞ?」

「そうだったんすか……」


 響輝さんの話ではあるが、語り手が高齢の河野さんだからか妙に説得力がある。響輝さんに限らず多くの人を見てきているはずだから。


「家の経済事情だって問題ねぇんだろ? せっかく環境は整ってるんだからもっとよく考えろよ?」

「うっす」


 ほんの少しだけ検討してみようと思う。


 そしてやはり唯先輩からの連絡はすぐだった。夜遅めの時間帯にメッセージが届いたのだ。俺はその返事をしようと業務終了後にバックヤードでスマートフォンを開く。


『こないだは久しぶりに会えて楽しかった。けどゴメンね。お説教みたいな言い方になっちゃった。反省してます』


 恐縮そうな内容だった。こんなことを気にして連絡をくれたのか。唯先輩の優しさが染みた。しかしいけないのは俺なので唯先輩に気に病んでほしくなく、俺はあれこれ考えてやっとの思いで返信をした。


『こないだは来店ありがとうございます。気にしないでください。むしろ言ってくれてありがとうございます。気づかなかった自分がダメでした。エカさんにはちゃんと謝りました。これからは取り計らってくれた人への義理を通します』


 こんな文面で良かっただろうか。送信した俺は液晶画面をポカンと眺めていた。すると夜中にも拘わらず既読がついた。唯先輩は今読んでくれている。どんな反応が返ってくるだろうか。俺は落ち着かないままメッセージアプリを眺めた。

 すると突然液晶画面が変わった。同時にメッセージアプリの着信音も響く。心臓が飛び出るかと思った。なんと唯先輩は電話を寄越したのだ。


「もしもし!」


 気合を入れ過ぎたあまり、上ずった大きな声が出た。なぜ気合を入れているのだか、ほとほと自分が滑稽だ。すると電話口の向こうから『あはは』と朗らかに笑う唯先輩の声が聞こえた。


『こんばんは』

「こんばんは」


 唯先輩の挨拶になんとか落ち着いたトーンの挨拶を返す。尤も未だに緊張はしているが。唯先輩と電話で話すことがあるなんて、芸能人と電話で話すことがあるなんて、俺の人生にはありもしないことだと思っていたから。


『バイト終わったところ?』

「そうっす」

『お疲れさま』

「唯先輩は?」

『歌番組の収録があって、ちょっと前に帰って来て、今お風呂を済ませたところ』

「遅くまでお疲れ様です」


 唯先輩の風呂上がり、さぞ魅力的なのだろう。そんなイメージを膨らます。


『倉知君』

「はい」

『わかってくれて良かった』

「いえ……」


 なんの話だかはわかる。唯先輩が言っていた事の本質。やはり正解だったのだろう。唯先輩から許しを得たようで安堵する。


『だからってわけじゃないんだけど、倉知君に教えたい情報があって連絡したの』


 なんだろう。つまり今回唯先輩が俺と連絡を取りたかった理由はまだあった。


「どんな情報っすか?」

『私たちダイヤモンドハーレムが専属契約してるレーベルがあるんだけどね』

「ジャパニカンミュージックっすよね?」

『そうそう』

「ダイヤモンドハーレムの所属する芸能事務所がジャパニカン芸能で、どちらも親会社がジャパニカンホールディングスでしたっけ?」

『よく知ってるね』


 唯先輩にメジャーアーティストを目指したいと宣言してから俺は業界を知ろうと思った。その過程でダイヤモンドハーレムのことも調べていたのだ。


『今回ジャパニカンミュージックがホールディングスから独立した芸能事務所を新たに立ち上げるんだって』

「へー、そうなんすね」

『それでバンドを1組抱えたいから秋から冬にかけてオーディションをするそうなの』


 なるほど。それは魅力的なオーディションだ。何せ親会社が業界大手だからそれが強みだ。しかし俺には所属しているバンドが今末広バンドしかない。末広バンドは遊びの延長だからそのオーディションは縁のない話だ。


『個人オーディションにするらしいんだけど、倉知君どうかな?』

「え!」


 思わず目が見開いた。個人オーディション、それって……。


『パート毎にオーディションをやって、事務所主体でバンドを組むんだって。寄せ集めの形態にはなるけどメジャーデビューは確定。22歳以下って年齢制限があるけど、倉知君ならそれもクリアしてるし』

「受けます! ぜひ受けさせてください!」

『あはは。私がオーディションをするんじゃないよ』


 確かに。唯先輩に笑われてしまって恥ずかしい。食いつき過ぎたからちょっと落ち着こうと思う。


『良かった、興味持ってくれて』

「うっす!」

『じゃぁ、詳細はPDFでもらってるからラインで送っとくね?』

「お願いします!」


 願ってもない話であった。俄然気合が入る。唯先輩が気に掛けてくれていることも嬉しい。唯先輩と話せたことも嬉しい。


「うおおおおお!」


 俺はバックヤードで吠えた。防音施工がされた店だ。遠慮なんてしなかった。

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