承久の乱と弟
……これは何かの間違いだ、そうに決まっている。
「鎌倉軍十九万が京に迫って来ています!」
誰一人、天皇であった者の命令に従おうとしないのか。奴らは気がふれているのか、そうとしか思えない。
「内通者はいないのか!」
「それがまるでおらず…………」
返答はいちいち残酷だった。
頼朝の妻だか何だか知らないが、たかがあんな尼一人のせいでこちらの計画が全て台無しになったと言うのか。
「どうするもこうするも……こちらの兵はどれだけだ!」
父もこのありえない状況に愕然としていた。足を踏み鳴らし、御所の中で吠えまくっている。
幕府全体ならばともかく、義時に付く者など千人もいないだろうと私も父も思っていた。それが現実は十九万である。
一方、こちらの兵である北面の武士たちの総数は一万数千。どうやって戦えと言うのだろうか。
東夷、実際そう言って野蛮視して来た連中だが、野蛮と言う事は恐れを知らないと言う事でもある。
しかし、だからと言って朝廷の威光より尼一人の口舌によって行動を決めるほどとは思わなかった。
「……で、私にどういう答えをして欲しいんだ、お前と父上は?」
「なんでこんなことになったのか聞きたいだけです!」
兄も兄で完全に投げ槍だった。此度の義挙からすっかり疎外して来たからむくれているのは仕方がないが、それにしても随分な言い草である。
「武士連中が我らに従うが幸せか北条に従うが幸せか考えた結果、北条を選んだ。それだけの話だろう?それで、今さらだがもし武士たちが我らに従い、その結果北条家を滅ぼす事ができたとしたとしたら、父上は彼らに何をくれてやるつもりだったのだ?お前なら知っているだろう」
「兄上は我々に、武士に報酬を保証してやるべきだったとでも言ってるんですか?我らに味方すれば官職や土地をくれてやるという約束を取り付けておくべきだったとでも?」
「やってなかったのか?」
たかが朝廷の警護人に過ぎない武士に、一天万乗の皇位にあった者が媚びろとでも言っているのか。それでは権威も何もあった物ではない。我らは天皇家であり、天下を治める存在なのだ。
その天皇であった者の命令が、報酬の保証もなしには機能しないほどに弱化している、それが現実だとでも言うのか?
「上皇の命令はいつからこんなに軽くなったんですか?」
「いや、機能していない訳でもない、だが此度はあの女の方が武士共の心を強くつかんでいたと言うだけの話だ」
兄は取り繕うかのようにそう言ったが、北条政子に征夷大将軍の妻・母と言う肩書きがあった所で、今はただの尼である事に変わりはない。その尼一人に皇位にあった人間二人が下した命令を反故にさせる力があった、兄はそう言いたいらしい。
「このままだと幕府に負け、朝廷は幕府のほしいままにされるぞ。朝廷すらも支配するようになれば、幕府はいよいよ安泰になるだろうな」
「何なんですかそれは!」
まったく平然とした顔で、兄はさらにこちらの心をえぐりにかかる。
この国が武士に支配されると言うのか?冗談じゃない!
この国には確かに、武士による政権が二度ほど存在していた。しかしそれは、平清盛・源頼朝という家柄も実力も並外れた人間ありきの政権じゃないのか!
平氏政権が清盛の死後まもなく瓦解したように、頼朝の幕府政権も頼朝の死と共に内紛を繰り返し、もはや瓦解寸前のはずではないのか。
その瓦解寸前のはずの幕府と言う機構を使い、家柄も実力も大した事のない北条とか言う田舎侍がこの国を、この朝廷を思いのままにするとでも言うのだろうか。
そんなふざけた話などあってたまるものか!
「父上の事だ、何らかの手段は用意してあるのだろう?黙って信じよ」
兄はそう言ったきり口を噤んだ。
武士たちに朝廷が、この国が支配されてもいいのかと言う叫びを上げる気すらもう起きなくなっていた。
兄は昔からそうだ。自分が天皇であり、天皇であったと言う事を全くわかっていない。ただただ武士共が振りかざす刃が恐ろしいのだ。
しかしだ、そんな臆病な人間にまで相談を持ちかけるほど、私は追い詰められていると言うのか。それもまた、果てしなく嘆かわしく情けない話だ。とっとと降伏すればいいと言わなかっただけでも上出来な人間に……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます