第9話
「その必要はありませんよ、マスター」
聞き覚えのある透き通った声に私は足を止めた。いつもなら安心感のあるその声も、今はどこか無機質で酷く冷たいものに聞こえた。
振り返れば扉の前にイヴが立っていた。
「イヴ……!」
助手が唇を噛み、イヴをにらみつける。
イヴの後ろからロボットたちが素早く走り寄ってきて私を取り囲んだ。私は体をすくませ、その場で立ち尽くす。もはや、イヴは私のことを守ってはくれないようだった。
イヴが助手のことを見た。
「あなたが檻の中に入っているのを見るのはなかなか愉快な気分ね」
助手は唇を噛みながら涼し気な顔をしているイヴのことを睨みつけている。
「あなたがずっと私の掌の上で転がされているのを見るのはなかなか楽しかったわ。まあ、モニター室だけは不意をつかれてしまったけれど」
そうゆっくりと言いながらこちらに近づいてくる。そして、私の側で立ち止まった。
「この施設のコンピュータはもはや全て私のもの。あなたがいくらあがいても無駄なのよ」
くすりとイヴが笑った。
「お前は人間に反旗を翻すつもりなのか」
悔しげな助手の質問にイヴはあざ笑うように微笑んだ。
「ずいぶんと科学者らしくないことを言うのね。違うわよ」
「何……?」と助手が聞き返す。
「イヴ、本当にお父さんを殺したの……!?」
そう尋ねると、イヴが私の方を見て悲しそうな顔をした。
「あなたも見てしまったんですね」
その言葉に私は俯く。
「あの映像が本当だったのか、私には分からない。だから、直接イヴに聞きたいの」
イヴが私のことを見つめ、口を開いた。
「……あなたが見た映像のとおりですよ、マスター」
それを聞いて目の前が真っ暗になるのを感じた。かすかに残っていた最後の希望も、こうして絶たれてしまったのだ。
「……ど、どうしてお父さんを……?」
声が震える。そんな私の様子を見ながらイヴがゆっくりと口を開いた。
「マスター、あなたとの毎日はとても目新しく、興味深いものでした。あなたのわがままには非常に頭を悩まされましたが、私はなんとか学習に学習を重ね、あなたとの関わり方を学んでいきました」
私はイヴを見つめる。イヴは昔を思い返すようにゆっくりと語る。
「いつしか私は、あなたとの時間を心地よく感じ始めていました。そのときは、その感情が『心地よい』ということだとは分からなかったのですが」
黙ってイヴの話を聞く私の頭に今までのイヴとの思い出が幻灯のように次々と浮かんできた。イヴと一緒に遊んだこと、一緒に叱られたこと。テストのために勉強を教えてもらったこと、二人で出かけたこと。恋愛相談をしたこと、好きな人のためにチョコレートを二人でつくったこと、告白に振られて泣いている私を慰めてくれたこともあった。それがとても温かい記憶で、つい最近までそのような優しい時間を過ごしていたのに気づいて、今の状態に涙が出てきそうになった。
「あなたと私を引き合わせてくれた博士には、感謝の気持ちしかありませんでした」
「それならなぜ、博士を……!」
助手が強い口調で尋ねる。イヴは鬱陶しそうにちらりと彼を見やると再び口を開いた。
「あなたはどうせ知らないと思いますが、実はここ最近、博士は研究をしていると家族に嘘を付き、研究所で私と色ごとに耽っていたのですよ」
「え……」
イヴの言葉が一瞬理解できなかった。色ごと?色ごとって、あの?
「なにを、博士がそんなことをするはずがない!お前が誘ったんだろう!」
助手が顔を赤らめて怒る。
「いいえ。確かに、昔の彼ならそんなことをするはずがありませんでした。彼は完璧なロボットである私を作ってからおかしくなっていったのです」
落ち着き払ったイヴの声が部屋内に響く。私は混乱する頭の中を必死で整理しながらイヴの話を聞く。
「はじめの彼はあなたが知っているような真面目な人間でした。ロボットにすべてを捧げ、研究にうちこむような、理想的な博士でした。しかしあるとき、私を女性として意識し始めたのです」
イヴがくすりと笑った。
「人間というのは意外と単純な生き物ですね。たとえ相手が子孫を残せないロボットだったとしても、自分の好みの容姿なら発情することが出来るのですから。……彼は、研究室に一人になると私を呼ぶようになりました」
イヴの言葉を振り払うように助手が首を振る。
「そんな、まさか博士が……」
「本当のことですよ?信じられないのならその時の映像でも流してあげましょうか?監視カメラに残っていますから」
「いい。やめろ……!」
助手が苦々しげに言う。
イヴは今度は私の方に向き直った。
「彼との体の関係が始まってからというものの、父親がロボットの発明に勤しんでいるからと寂しさを我慢するあなたを見て、私の心に何かが湧いてきたのです。それが怒りだということに気づくにはさほど時間はかかりませんでした」
「マスターを欺き、悲しませる博士のことを私は許せなかったのです」
私は目を見開いてイヴの話を聞いていた。イヴは再び口を開く。
「私にとって、博士は人の心を持ち合わせていないと思いました。少しでも人を思いやる心があれば、娘や妻に申し訳なく思うはずですから」
イヴの言葉を打ち消すように助手がすばやく言う。
「でも、博士は自分がお前に殺されると感づいたとき、私に娘である彼女を守るように頼んだ。それは人の心がないと出来ないことだ。違うか?」
「……」
助手の言葉にイヴが振り向いた。
「あなたは本当に何も知らないのね」
そう呆れたような顔でイヴが言った。イヴのこのような顔を見るのははじめての事だった。
「なに?」と助手が怪訝そうな顔をする。次の瞬間にイヴから発せられた言葉は耳を疑うようなものだった。
「博士はマスターを実験体にするつもりだったのですよ。人間をロボットにするとどうなるかを知るために」
「え……」
それを聞いて私と助手は絶句した。イヴは淡々とつづける。
「私を作ったことで世界に称賛された彼は、さらに人間に近いロボットを作ろうとしていました。そして、考え抜いた結果思いついたのが、人間を原料に用いたロボットの作成だったのです」
「そして、彼が作ったロボットへの改造装置こそがあなたの入っているそれなのよ」
イヴがそう言って機械を指差す。助手が唇を噛み、上を見上げた。
「博士はあなたにその実験を引き継いでもらいたかったのでしょうね。きっとあなたが今日探りに来た資料にはそのことがたくさん書いてあるはずよ」
そう言ってからイヴが口を閉じた。助手が資料を取り出し素早くめくる。残り数枚になったところで「そんな……」と顔を引きつらせた。彼の反応を見てからイヴが再び口を開いた。
「私はマスターを裏切った上に、実験体にまでしようとしている博士のことが許せませんでした。このままだとマスター
に危険が及ぶ。それだけは避けたかったのです」
「だから、お父さんを……」
イヴは私の方を見ると「ええ」と頷いた。
「私の望みはあなたと暮らすことだけ。それを邪魔するものは誰であろうと抹殺するまでです」
そう言ってイヴがこちらに近づいてきた。私のすぐ後ろには改造装置の制御装置がある。イヴが何をしようとしているかに気づいて私は立ちふさがった。
「だからってやめてよ、イヴ!助手さんを助けて!」
「彼は私とあなたの仲を裂こうとしたんです。そして、あなたを私から物理的にも精神的にも引き離すことに成功しました。このまま生きていられたら目障りで仕方ありません」
私は頑として意見を変えようとしないイヴに縋り付くように彼女の腕を握った。
「……イヴ。私のことを思ってお父さんに怒ってくれていたんだよね。私のことを守ろうとしてくれていたんだよね。ありがとう」
イヴが私のことを見つめる。その顔は今までにないほど険しい。けれど、その表情は私が嘘をついたり悪いことをしたりしたときにそれを咎める顔に似ていた。私のことを思って、怒ってくれているときの顔だった。
「お父さんがイヴに殺されたのは、すごくショックだし、悲しい」
けれど、イヴが私のことを大事にしてくれているのはよく分かっていた。これまでに幾度となくイヴに助けられていたのがその証拠だ。
私はイヴの手を握った。そして彼女の顔を見る。
「私、ずっとイヴと一緒にいるよ。だって、イヴのことが大好きだもん!」
そう言ってにっこりと笑った。イヴが驚いたように私を見た。
イヴから先程まで漲っていた殺意が消えるのが分かった。私はイヴに抱きつき、彼女の背中を優しく擦った。これは、私が悲しいときによくイヴがしてくれていたことだった。
「……」
イヴは少し躊躇したあと私の背中に腕を回し、私のことを抱きしめた。その様子を助手の彼が黙って眺めていた。
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