第3話
ロボットがいないか左右を確認してから廊下に出る。音を立ててロボットに気づかれないように慎重に歩みを進めた。
「ここ、ずいぶんと広いんだね」
小声でイヴに話しかける。
「ええ。ロボットを作るにはいろいろな機械が必要だそうですからね。それらを置いておくための部屋がたくさんいるのでしょう」
なるほどと私は相槌を打つ。
「イヴはここにはよく来てたの?」
「勿論です。ここは私の生まれた場所であり、家でもありますから。私はここでよく博士の研究の手伝いをしていましたよ」
「そっか……。ねえ、研究所のお父さんってどんな感じだった?」
父が研究所でどのように活動していたか私は全く知らない。気になって尋ねてみると、イヴが黙った。私はイヴを見つめたまま返事を待つ。
「……自分にも他人にもとても厳しい人でしたよ。納得がいくまでなんども試行錯誤を繰り返す。夜になっても朝になっても食事も睡眠もほとんどとらない、ということもしょっちゅうありました。……そんな感じでしたから、彼の世話はとても大変でした」
「あはは、そうなんだ」
イヴの言葉に笑いながら私は父の姿に思いを馳せた。
(お父さん、頑張り屋だったんだなあ)
私も見習わないと、と自分に活を入れる。
「私もお父さんみたいに頑張ろうっと」
「頑張るのはいいことですが、完全に博士のようになられるのは困りますね。さすがに最低限の食事と睡眠はとってもらわないと」
「さすがにそれくらいはするよ〜」と笑いながら答えると、突然目の前に無理矢理がらくたが繋ぎ合わされたような不格好な鉄の塊が現れた。あちこちから配線が飛び出し、目がピカピカと光っている。
「わっ!?」
思わず後ろに飛び退く。ロボットとも言い難いそれは、ガチャガチャと耳障りな音を立てながら腕を振り回しこちらに近づいてきた。
(どうしよう、見つかっちゃった!)
「マスター!下がってください!」
イヴがすばやく前に飛び出し、ロボットを蹴り飛ばした。ロボットは電子音の悲鳴を上げつつ勢いよく壁に叩きつけられた。それはしばらく何かを呟いたあと、腕をだらりと下げ、煙を出して動かなくなった。
「あー、びっくりした……」
ロボットが壊れたのを見て私はほっと胸をなでおろす。
「マスター、怪我はありませんか?」
イヴが心配そうに尻もちをついた私の前にしゃがみこむ。
「うん、私は平気。でも、イヴは?」
私は腰が抜けたのを恥ずかしく思いながら慌てて立ち上がる。
「平気です。ほら、早くここを抜けましょう」
そう言ってイヴが手を差し伸べる。この手を握れということだろうか。
「うん」
私は、イヴに守ってもらうだけで自分は何もできなかった不甲斐なさを痛切に感じながら彼女の手を握った。そしてまるで親に連れられて歩く子供のように、イヴの後ろをついていった。
「それにしても、ここの研究所内にいた人、まだ見つからないな……」
私はポツリとつぶやく。先程から研究所内には自分たちの足音以外では物音一つ聞こえなかった。
「本当に人間だったのか疑わしいところですけどね」
イヴの言葉に考え込む。
「ねえ、イヴほど精巧にできてるロボットってここにはいないんだよね?」
「ええ、勿論。私は博士の最高傑作ですから」
窓に映った影はとてもスムーズに動いていた。あんな動き、人間かイヴくらい精巧なロボットしか出来ない。しかし、そのようなロボットがイヴしかいないのだったらやっぱり人間のような……と思っていると、ピカッとまばゆい光が光った。
「なに?」
はっとして上を見れば、機械音で『侵入者発見』と声がした。直後上からシャッターが落ちてきた。
「あっ!イヴ!危ない!」
反射的にイヴをつきとばす。シャッターは大きな音を立てて私とイヴを隔てた。
「マスター、大丈夫ですか?」
向こうでイヴの声がする。
「うん。でも、離れ離れになっちゃったね……」
自分が一人になったのがわかって急に不安になってくる。
「防衛プログラムの制御室に行けばこれを開けられるはずです」
落ち着き払ったイヴの言葉が私を安心させた。
「わかった!制御装置は二階にあるんだよね?まず階段を探してみる。イヴはそっちの探索をお願い」
「分かりました。マスター、くれぐれもお気をつけて」
イヴの言葉に私は大きな声で返事をすると回れ右をした。
一人はちょっと不安だけど、ここで立ち止まっているわけにもいかない。
(よーし、頑張るぞ!)
そう意気込むと、私は階段を探して歩き出した。
「……さて」
マスターの足音が聞こえなくなったあと、私は呟いた。そしてゆっくりと歩き出す。
ここに来るのは久しぶりというわけでもないが、電気がついていないからか、研究所はなんだか別の施設のように見えた。私はゆっくりと歩みを進める。
玄関から一番奥にある扉を開けると、ごちゃごちゃと書類が床に散乱しているのが見えた。まったく、自分の部屋の掃除くらいしてほしいものだ、と私はため息をつく。
床に落ちている書類のいくつかは紅く染まっていた。それが博士の血であることは言わずとも分かった。私はそれらを横目にゆっくりとロッカーに近づく。
ロッカーを開けばいつ着たものか分からないような服が大量にハンガーに吊り下がっているのが見えた。
一番奥の服のポケットをあさる。手に硬い感触がして、私はその薄い板のようなものを掴んだ。
現れた薄黄色のカードキーをポケットにしまい、部屋を出る。そして、一階で唯一施錠されていた部屋に向かった。
カードキーを押し当て、解錠音がなったあと中に入る。
先程の部屋とは違い、そこは整然とした部屋だった。端においてある机の引き出しに手をかける。その中から古びた革の手帳が現れた。
「……」
私は黙ってその手帳を持ち上げページをめくった。そこには走り書きのような読みにくい字で、こう書いてあった。
『今までで最も素晴らしいロボットを作った。人間と見間違えるほどの出来だ。私の研究の集大成として、こんなにも美しいロボットを作れるとは。私は彼女を"イヴ"と名付けた』
手帳には各ページに数行ごとに文がしたためられていた。私は文字を目で追いながらぱらぱらとめくる。
『娘にイヴを見せたら非常に喜んでいた。今日は一緒にお出かけに行くらしい。イヴに搭載した言語プログラムとディープラーニングによる学習機能は正常に動いている。娘や妻から得たデータをどんどん活用して、いつか人間と話していると錯覚するほどまでになってほしい』
そこからさらにページをめくる。
『妻はロボットを「感情がないから嫌い」だと嫌悪する。それは違う。ロボットは感情がないからこそいいのだ。ロボットに感情など必要ないだろう』
「……」
私は黙ってページをめくる。しばらく間が空いたあと、白いページの中にぽつんと文字が書かれたページがあるのを見つけた。
『最近、私のパソコンのパスワードがたまに変わっていることがある。助手に聞いても誰も変えていないという』
『買い出しに行こうとしたら扉が開かなかった。どうやらイヴがいたずらで私を研究所内に閉じ込めたらしい。私が作った防衛プログラムを私の説明なしにいじれたものはイヴが初めてだ』
私はどんどんページをめくっていく。少しずつその手が速くなっていくのを感じた。
『イヴが何か悪いことを企んでいるような気がする。何か取り返しのつかないことが起こる前に、イヴが介入できないようなプログラムを用意しておかなければ』
「……」
私は最後のページまで読んだあと、パタンと手帳を閉じた。そして、それを静かにポケットにしまいこんだ。
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