第2話
すっかり日が暮れた道をイヴと二人で歩く。体に触れる夜風が涼しくて心地よかった。
葬儀場から家への道は、途中でいつも駅から帰ってくる道に合流する。見慣れた景色のはずだが、今日はなんだか違う場所のように見えた。
Y字路に差し掛かったとき、私は足を止めた。
「……あ、イヴ。今日はこっちから帰ってもいい?」
「そっちは遠回りになりますよ」とイヴがたしなめるように言う。
「お父さんの研究所に寄って行きたいんだ。お父さんが生きてる頃は近づけさせてもらえなかったからさ」
「……向こうは民家も少ないので人通りもなく、危険ですよ」
諌めるようにイヴが言う。
「お願い!ちょっとだけだから!」
そう手を合わせて懇願するとイヴがやれやれといったようにため息をついた。
「……少しだけですよ」
「ありがとう、イヴ!」
そう言って笑うとイヴの手を引き、私はずんずんと歩いて行った。
「ここがお父さんの研究所……」
ぼんやりと暗闇に浮かび上がる白いすっきりとした建物を見上げる。
(ここでお父さんはロボットの研究をしてたんだ……)
彼の仕事場での姿に思いを馳せながら私は研究所の外観を眺めた。
「マスター、もう満足しましたか?ほら、帰りますよ」
「うん……」
名残惜しげに視線を巡らせていると、二階の窓に人影が映ったのが見えた。
(誰かいる!?)
私はすでに歩きだしているイヴを置いて玄関に近づいた。振り返ったイヴが怪訝な顔をする。
「マスター、どこに行くんです?」
イヴの言葉を無視して扉に手をかける。横にスライドさせると少々力が必要だったがゆっくりと開いた。
(鍵がかかってない……!)
どくんと心臓が跳ね上がる。
「マスター?どうしたんですか?」
イヴが訝しそうに声をかける。私はすばやく振り返った。
「今ね、二階の窓に誰かの人影が映ったのが見えたの」
「人影?現在、研究所の中には誰も入れないはずですよ。研究所内にいるロボットの影だったのではないですか?」
イヴの言葉に私は首をひねる。
「うーん、ロボットって感じじゃなかったよ。それに、見て。扉に鍵もかかってなかったし……」
そう言うとイヴが考え込んだ。普段すぐになんでも答えを出してくれるイヴが考え込むということは、かなり予想外のことが起こっているということだろうか。
辺りが暗いのもあり、なんだか不安になってきて私はイヴに話しかけた。
「もしかしたら泥棒かも!見に行かないと!」
「博士が作った防衛プログラムがやすやすと泥棒を侵入させるはずがありません」
「でも、現に鍵が開いてるじゃない!」
そう言うとイヴが私をさっと見た。
「私が中を見てきます。あなたはここにいて私の帰りを待っていてください。万が一泥棒だったときに鉢合わせにならないよう、どこかに隠れているように」
「イヴだけに行かせられないよ!私も一緒に行く!」
「駄目です」とイヴが素早く言う。
「もしかしたら、中には暴走したロボットがまだいるかもしれません。博士だけでなくあなたにも何かあったら、私はあなたの母親に顔向けができません」
そう言われて言葉に詰まる。母の顔が頭に浮かび、黙り込んだ。確かにこれ以上母に心労をかけさせてはいけない。
私は渋々と言ったように口を開いた。
「……分かった。私はここで待ってるよ。イヴ、気をつけてね」
「ええ。……いい子ですね」
そう言ってイヴが微笑んだ。昔からイヴはこんなふうに私を褒める。やっぱり私のことを子供だと思っているらしい。
イヴが研究所内に消えるのを見届けると、私は玄関先の石段に腰を掛けた。涼しかったはずの夜風が段々と寒さを増してきて、私は体を震わせると体温を逃さないよう膝を抱いた。
イヴが研究所内に入ってからどれくらいの時間がたっただろうか。
(イヴ、遅いな……)
玄関の方を振り返る。研究所は静まり返っていて、音一つしない。二階にも人影は見えなかった。
心の中の不安が一気に大きくなるのを感じた。嫌な考えが頭の中に次々と浮かび、私は首を振って必死にそれらを消し去ろうとする。
研究所内にはまだ暴走したロボットが徘徊しているのかもしれない。イヴはそこらのロボットよりはるかに優秀だから、あっさりとやられるようなことはないと思うのだが……。
(……心配だな)
立ち上がり玄関の扉に手をかける。ゆっくり力を加えて扉を開き、中の様子を伺う。辺りが仄暗い中、無機質な廊下が奥へと続いているのが見えた。
(いかにも研究所って感じ)
そんなことを思っているとふいにガシャンと大きな音が聞こえた。びくりとして体を縮こませる。
「……イヴ?」
そう声をかけてみるも返事がない。先程より大きな声で呼んでみたが、自分の声が虚しく壁に反響するだけでイヴの返事は返ってこなかった。
(まさかイヴに何かあったんじゃ……)
ますます不安になって私はイヴとの約束を破り研究所内に足を踏み入れた。コツコツと靴音が静かな廊下に響く。
玄関からすぐの分かれ道まで来たとき、大きな機械音がして、背後で扉が閉まったのがわかった。はっとして扉に近づき押してみたが、今度はびくともしなかった。
(もしかして、ロックされちゃった!?)
さっと顔が青ざめる。どうやら研究所内に閉じ込められてしまったようだ。
近くにあった窓を開けようとしても動かない。叩いて割ろうとしてもかなり頑丈そうで、ちょっとやそっとじゃ割れなさそうだった。
(どうしよう……)
(イヴの言いつけを守って外でおとなしく待っておくんだった)と思うが後の祭りだ。
しかし、閉じ込められたといってもここは父親の研究所だ。RPGで出てくるような危険なダンジョンではない。
(どこかにイヴがいるはず。まずイヴと合流しないと)
私は自分を奮い立たせるとゆっくりと歩き出した。
目がなれてくると、研究所内はそんなに暗くないことが分かった。月明かりが窓から差し込み、白い壁や床を照らすことで辺りは幻想的な雰囲気を醸し出していた。
こうなると恐怖より好奇心のほうが強くなってくる。せっかく父親の研究所に入れたのだ。少し探検していくことにしようと私はRPGの主人公になったかのような気分で歩いていた。
あちこちの部屋をなんの気なしに覗いてみる。パソコンがあったり、上まで積み上げられた本があったり、書類があったりしたが、人影は見当たらなかった。一つだけ開かない扉があり、そこにはカードキーが必要なようだった。
(カードキーか……。ここにはイヴはいないだろうなあ)
そんなことを思って立ち止まっていると遠くからかすかにだが何かの音が聞こえてきた。どきりとして耳を澄ます。それはガチャガチャと金属のような硬いものがぶつかり合う耳障りな音だった。
(なに?あの音)
先程までの呑気な気分が吹っ飛び一気に肝が冷えるのが分かった。姿勢を低くし、ゆっくりと曲がり角に近づく。そこから覗き込むといかにもロボットとわかる見た目のものが音を立てながらゆっくり二足歩行をしているのが見えた。
目は赤く光り、体の節々から鉄線のようなものが突き出している。
(もしかして、あれが暴走しているロボット!?)
予想以上に大きいロボットに私はごくりとつばを飲む。
(あんなに大きなロボットに攻撃されたら確かに死んじゃうかもしれない)
そのロボットは騒がしく音をたてながらゆっくりこちらに近づいてくる。
(! 逃げないと!)
そう思って立ち上がろうとしたとき、後ろから誰かに口を塞がれた。そして強い力で近くの部屋の中に連れ込まれた。
(な、なに!?)
驚きと恐怖で体がすくむ。一拍おいて逃げようともがいたとき、
「マスター、静かにしてください」
と聞き慣れた声がした。
ほっとして体の力が抜けるのがわかった。
振り返れば、暗がりにイヴの雪のように白い肌がぼんやりと浮かび上がっているのが見えた。
「イヴ……良かった、会えて」
安堵すると共に涙が出てきて、私はイヴに抱きついた。そのあと、自分のしたことに気づいて、私は顔を赤くしてイヴから離れた。
「マスター。私、外で待っているように言いましたよね」
イヴが怒ったような声音で言う。
「うう、ごめんね、イヴ。あんたが帰ってくるのがあまりにも遅かったから心配になっちゃって。それに、大きな音もしたし、あんたの身に何かあったのかとも思って……」
そうしゅんとして言うとイヴが呆れたように腰に手を当てた。
「……まあ、入ってきてしまったことに今更怒っても仕方がありません。とりあえず今は一刻も早くここから出なければ」
「あ、それなんだけど……さっき玄関が閉まってロックされちゃったみたいで」
そう言うと「そうみたいですね」とイヴが空を仰いだ。
「二階に防衛プログラムの制御装置があります。そこに行けばきっとロックを解除できるでしょう」
イヴの言葉にホッとする。これだったら外部に連絡を取らずとも外に出られそうだ。
「そっか……でも制御装置のあるところに行っても私にはどうすればいいか分からないよ」
機械音痴な私が天才だった父のシステムをいじれるはずがない。
「心配はいりません。解除方法は私が知っていますから」
イヴの言葉に私はぱっと顔を上げる。
「そうなの?すごい、イヴ!」
「大したことはありませんよ。これくらいあなたでもきっと出来ます」
そう言ってイヴが立ち上がった。私も一緒に立ち上がる。
「もう歩けますか?」
「勿論!早く行こう!」
私が元気よく頷くのをみてイヴが微笑んだ。
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