EVE

シュレディンガーのうさぎ

第1話

ロボット工学三原則(Wikipediaより)

第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条:ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

第三条:ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。






「……お父さん、どうして死んじゃったの?」

ぽつり、と私は呟いた。まるでこの場所には私しかいないかのように、その声は大きくはっきりと聞こえた。

目の前に横たわっているのは無機質な直方体。その周りには青白い花々がしきつめられ、ぼんやりと仄暗い光を放っていた。それらが並んだちょうど真ん中に、堅物そうな顔の父の写真がおいてあった。

生きている彼の顔を見ることも、声を聞くことも二度と出来ないのだ。そう思うと再び涙が溢れてきた。視界が歪む。私は慌てて涙を拭った。

普段からあまり家にいてくれることのない父だったが、会えない寂しさを我慢できたのは、必ずまた彼に会える日が来ると分かっていたからだ。けれど、最近はまともに言葉を交わすこともできずに、父は天国に旅立ってしまった。

睨むように父が収まっている棺を見ても彼が生き返るわけではない。

「……」

こうしていても仕方がないとゆっくりと振り返ると、母が父の助手たちに囲まれて立っているのが見えた。何を話しているのだろうかと私はそっと耳を澄ます。

「彼は立派なロボット工学者でした。あんな事故で帰らぬ人となるとは……非常に惜しいことです」

そんな声がすすり泣きに混じって聞こえてくる。

幼い頃からなんとなく聞かされていたことだが、父は偉大なロボット工学者だったらしい。そして彼のロボットにかける情熱に惹かれて多くの助手たちが父の研究所で働いていたそうだ。私たち母娘にはあまり愛情をかけてくれなかった父だったが、ロボットにはかなりの愛情を注いでいたらしい。その点ではちょっぴり憎らしかった父だが、あんなにも多くの助手たちに死を惜しまれているのだと思うと、なんだか誇らしくも思えてきた。

「それにしてもまさか暴走したロボットに殺されるなんて」

ふと、母たちが立っているところとは違う方からそんな声が聞こえてきた。

「暴走したロボットは既に破壊されたそうだから安心だけど、ロボットの安全性も案外あてにならないわね。人間を殺すなんて。あー、怖い」

「ロボットに心なんてないからね。人を殺すのにためらいもなかったんでしょう。どうしよう、家事ロボットの使用を控えたほうがいいかしら」

私はその会話を聞いて俯いた。そう、父は自分で作ったロボットに殺されたのだ。

話に聞くと、ロボットのプログラムが急におかしくなって、暴走したのを止めようとしたときに父は命を落としたらしい。他の助手たちの命を救うために彼は自分の身を挺してロボットを止めようとしたのだ。

父がやったことはとても勇敢なことだと思っている。でも、私達母娘を遺してまで一人で暴走を対処する必要は果たしてあったのだろうか?

「……」

黙って無機質な床を眺めていると誰かに肩を叩かれた。振り返ると母が立っていた。

「お母さん……」

母は私を見て悲しげに微笑むと口を開いた。

「あんなにも大勢の助手の方がお通夜に来てくれるとは思わなかったわ。……あの人は人望の厚い立派な人だったのね」

母の言葉に私も頷く。いまだ俯いたままの私を悲しそうに見ながら母が続けた。

「お父さんは中々帰ってきてくれなかったけど、その分ロボットのことを一生懸命研究していたのよ」

「うん」

「だから恨んだらだめよ。お父さんはあなたのことを愛していたんだからね」

「うん。分かってるよ、お母さん」

私が頷くのを見て、母は微笑んだ。

「じゃあ、お母さんはしばらく向こうで助手の人たちとお話してくるから。あなたは好きなようにしていなさい」

「分かった」

私は母の言葉に頷くと出口に向かって歩きはじめた。


「……マスター」

靴箱で靴を履こうとしゃがみこんでいたとき、後ろから透き通ったきれいな声がした。それが誰のものかすぐに気づいて私は口を開く。

「イヴ」

振り返るとそこには長髪の女性が立っていた。両手を前で重ね、その瞳は優しげに閉じられている。

「お疲れでしょう。これでも召し上がってください」

そう言って彼女が取り出したのはパイン味の飴だった。以前私が食べたがっていたことをきちんと覚えていたようだ。

「ありがとう、イヴ」

私はそれを受け取ると包装紙をやぶり、口の中に放り込んだ。パインの甘みがふわりと口の中に広がる。

「……」

イヴは黙って私を見つめたあと、口を開いた。

「博士は素晴らしいロボット工学者でした。私は彼に作られたことを誇りに思っています」

「……うん」

イヴの言葉に私は頷く。

目の前にいる、すれ違ったら誰もが振り向いてしまうほどの美貌を備えた女性、『イヴ』。彼女は、私の父に作られた精巧なロボットなのだ。

父が彼女を作ったのは私が高校生になったばかりの頃だった。中々家に帰ってこられない父の代わりにということでイヴは私の家をよく訪れていた。母はあまりイヴのことが好きではなかったようだけれど、母と二人きりで寂しかった私にとってイヴの存在は嬉しかった。最初はぎこちなかった会話もイヴが『勉強をする』ことでどんどんスムーズになり、今では一番の親友がイヴと言ってもいいくらいになった。父が死んだ今、私がなんとか平常心を保っていられるのも、もしかしたらイヴのおかげかもしれない。

「ところでマスター。どこに行くのですか?」

靴を履いている私を怪訝そうにイヴが見る。

「ああ、家に帰って参考書を持ってこようと思って。明後日大学でテストがあるから」

「そうですか……」

「お父さんが死んだのに勉強なんて薄情なことかもしれないけれど、こういうことになってしまったからこそ勉強はきちんとしなければいけないと思うの」

私の言葉にイヴは「おっしゃる通りです」と頷いた。

「イヴはお母さんの近くにいてあげて。きっと忙しいと思うから手を貸してあげてほしいの」

そう頼むとイヴは首を横に振った。

「いえ。こんな夜遅くにあなたを一人で帰らせるわけにはいきません。私も一緒に行きます」

私は頬をふくらませる。

「もう!私は子供じゃないんだよ!」

「あら、私からしたらあなたはまだまだ子供ですよ」

そう言ってイヴが微笑む。

(あんたなんかこの前生まれたばっかりでしょうが!)

そんなツッコミを心の中でしつつ、私はイヴが言い出したら聞かないことを知っていたので、これ以上何も言わずにおいた。

「分かったよ。じゃあ一緒に行こう」

私は立ち上がるとイヴと一緒に歩き出した。

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