第156話 先輩について語りますが、何か?

「で、しどー君から見て、先輩ってどう存在だったの?」

「そうだな……」


 帰宅後。

 リビングテーブルに二人分のコーヒーを出しながら、問うた。


「許嫁だとは聞いてるけど、それ以上は聞いてないからねー?

 あえて聞かなかったのもあったけど」

「いずれ話そうとは思ってたが……」


 すると、しどー君はメガネをくいっと指で動かし、思い出すように天井を観る。

 あまり見ない仕草である。


「――正直、良く判らないんだ」


 ポツリと零れた言葉は弱弱しい。

 コーヒーを口につける仕草はごまかしが観える。


「ふーん」


 だから、私はストレートに踏み込むことにする。


「その良く判らないというのは、自分の気持ちじゃなくて相手の事を指すのよね?

 しどー君がそんな暗いのは、許嫁だったのにそれぐらいしか判らないっていう情けなさを真面目に感じてるの?」

「初音は鋭いな」

「そりゃ、ちゃんとみてますもの」


 嫌味を冗談気味に言ってやってようやく、しどー君の顔からこわばりが少し抜ける。

 昔だったらムッとした顔を返してきたであろうことから、成長したモノだ。


「で、最初の出会いは?」

「そもそも漠然と許嫁と言われて紹介されたのは……あれの前でな」


 あれ、士道家にとって負のトリガー、すなわちメイドの件だろう。

 そして私に作った笑みを向けながら、


「あんまり実感なかったんだ。

 こんな小さな時の事だったから。

 それにあの人、何というか、狐と話しているような性格でな?」

「あー」

「子ども扱いしかしてくれなかったんだ。

 逆に言えば、僕は姉さんに母を観ていた感じすら今思えばある」


 膝立ちして床から六〇センチぐらいを示す。

 私を心配させまいとしているのが判るので、近づいてその手を取ってやる。

 するとホッと顔を緩ませてくれる。


「これぐらいはいつだってやってあげるから、無理しなくていいのよ?」


 言うと、


「――初音の前ぐらい、カッコつけたいんだよ」

「バレてたら意味無いのよ。

 カッコ悪い」


 私は手を放して、ニマニマと笑顔を浮かべると、


「しどー君のそういう努力は嬉しく思うけどねー?」


 彼はバツが悪そうな顔になり、コーヒーに口をつける。

 人間経験値が違うのさ。


「さておき、メイドの事件があった後、僕も完全に人間不信。

 その立ち直りのきっかけをくれた恩人だ」

「ふーん、きっかけ?」


 興味がある。

 ズズイと彼の胸に顔を寄せ、上目遣いしてやる。


「そうだ、この世に悪人が居るという事を教わったんだ。

 だから、ルールがあるんだと」

「なるほど、堅物の原因は先輩にあったのね?」


 考えて観れば、マツリもしどー君も堅物だ。

 先輩も何だかんだ、規則正しかった。

 二人とも先輩の影響が大きいとなると、なるほど、合点がいく。


「――極端になっていたのは、僕が悪い。

 ルールに沿ってれば、そしてルールに沿った人間と付き合っていれば楽だったんだ。

 少なくともそのルールにのっとっていれば、そこから外れた方が悪者に出来るし、悪者だと判断も容易だ」

「人間そんなに簡単じゃないと思うけどねー」

「あぁ、僕もそう思う。

 それはある意味で間違いだと初音と出会って良く判った。

 人間、そんなに簡単に分別できるものではないし、背景だってある。

 僕だって初音を囲ったのは自分の衝動につき従ったものだし、ルール破りもしたしな」

「つまり、私の魅力のおかげで、狂ったのね?

 ある意味で人間に戻ったのかな?」


 しみじみと実感を持って言ってくれるので、図に乗らせてもらう。


「あぁ、そうだ。

 僕は初音で狂ったんだ」


 そして正直に言ってくれるこの人が私は好きなのだ。

 嬉しくなって床に押し倒し、まるで肉食獣のように舌なめずり。


「それで先輩の事が好きだったんだ?」

「いや、それは無い。

 メイドの件でリアル女性に対しては、何というか、な?

 だから、オタクしてたわけだし」

「あー」


 納得しかない。

 堅物だった理由の一つだったのだろうことも安易に想像できる。

 なお、メイド好きなのはどうかと思う。

 さておき、


「姉さんに憧れ自体はあったし、悪い気持ちは湧かなかったんだ。

 けれどもやっぱり、姉さんは姉さんだ。

 だから、良く判らないというのが感想だ。

 あっちも僕を男としては観て無かったし」

「ショタ好きかと言われるとオジサン趣味だったのもあるんじゃないかなと。

 ロマンスグレー?

 初老のオジサン好きで、勃たない人は居なかったみたいだし」

「……う」


 しどー君がげんなりとした表情で私を観てくる。

 聞きたくなかった情報のようだ。


「もっと聞きたいって顔してるけど?」

「やめてくれ、心が痛い」


 本気で嫌そうな顔をしてくるので性事情に関しては止めておく。


「とはいえ、何で援助交際なんて始めたかの理由は気になるが」

「それは私も知らないわね。

 聞いたことあるけど、例の狐みたいな笑顔で『女には色々あるんや』って誤魔化されたし」


 お金では無いだろう。


「性欲かも?

 ほら、マジメな人ほどはっちゃけるし」

「――ぐ」


 さてさて、いつまでも過去の女の話をしているのも良くない。

 私のしどー君なのだ。

 妹?

 あやつは今、マツリの送りと買い出しに出かけている。

 独占状態だ。


「じゃぁ、口直しに今のあなたの女の好みを聞く?」

「眼鏡好きか?」

「いやー、メガネとか趣味じゃない。

 外せ。

 なお、堅物も違うわよ?」


 しどー君が落ち込む。

 可愛いなぁ、ふふふ。

 そんなことを思いながら、顔を近づけて言ってやる。


「ふふふ、私はしどー君が好きなの」


 鼻をコツンと人差し指でつついてから、眼鏡を外す。

 そして、そのまま押し倒すように唇を合わせる。

 コーヒーの味がした。

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