4 見えるもの 見えないもの

 一般に向けて機械人間の販売が開始された。

 そこに至るまでには、世界、国、企業それぞれのジレンマに、時代の趨勢と様々な思惑が交錯し、科学的検証と感情論を折り合わせ、有益でありながら無駄な時間を費やすなどの紆余曲折を経ていた。

 世界基準の法整備を行い、製造・販売側には資格や免許制度が、購買者には登録制度が義務づけられ、資格や免許を有さない者同士での売買や、機械人間本体の改造及びデータの改変は禁止された。

 法整備は、機械人間の製造・販売する大手メーカーとその直系の正規ディーラーを締め付けたものではなく、大手や正規以外にも製造・販売・修理を行えるよう既得権益を取っ払い、義務と責任を与えることで、サブディーラーなど新規事業者の参入をしやすくしていた。それに‥‥

 


それを推奨し、執り計らっていたのが――。

「お久しぶりです、博士」

「久しいな」

 博士の屋敷を訪れたのは、以前依頼を受け、出向いた工場で働いていた専務の娘だった。

「奔走してるようだな」

「会社を辞めてからの方が、忙しくなってしまいました」

 若かったあの頃とは違い、経験と実績を積み上げ、機械人間工学博士となっていた。が、そう笑う彼女の笑顔はあの頃のままだと、博士は懐かしく思う。

 彼女を家の中に迎え入れ、居間に通す。

 テーブルを挟むように設置されたソファに座る彼女は、大きな窓から見える庭を眺め、ずいぶん昔に訪れたときのことを思い出す。知人に教えられてここを訪れ、博士と対面したときには、その無表情ぶりに戦々恐々としたが、あの事件以後、数度の遣り取りを重ねるにつれ、自分が思うような人ではないと理解した。寧ろ――。

「失礼いたします」

 メイド服を着たハウスキーパーが、彼女の前にカップを置く。

「済みません」

 次に彼女と向かい合うテーブルの上にもカップを置いた。

「下がっていいぞ」

 博士はハウスキーパーにそう言い渡すと、ハウスキーパーは一礼して部屋を出て行き、自分はソファに座った。

「親父さんは元気か?」

「相変わらずです。引退も考えていないようですから、老害でしかないようです」

 工場にたまに訪れ、「わたしの娘は何処だ?」と訊き、既に辞めていると教えられると、「あの恩知らずな娘め。コネで入れてやったのに、勝手に辞めて、勝手に偉くなってしまった」と、自分の娘を結果持ち上げ、親バカをやっていた。ただ歳が歳だけに、冗談なのか惚けたのか判別しづらく、諫めることも儘ならないと度々連絡がきていた。

「入社したのも分からなかったのに、辞めたときも分かっていなかったんですよ。でも、後で報告したら、驚いてはいましたが、『困ったら頼りなさい』って言うんです」

 と、それが嬉しくもあり、少し照れくさくもあるようだった。

「それで面倒な事に首を突っ込むとはな」

「『面倒な事』だからです。そもそも博士が諷示ふうじされたんですよ」

 きっかけは、博士の言った【修理師】。『わたしが博士と呼ばれるのが気にくわないのなら、修理師とでも呼んでくれ』。その言葉に、彼女の奥底で朧気に光る何かが芽生えた。ただあまりにも漠然としていたため、具体的に何であるかは自分でも摑めずにいた。

 だが、ブレイン・ウイルスを入れられた警備用機械人間が、その脅威から自分と人間を護ろうとしたこと。それに、その後ニューズで知った、爆弾が仕込まれた機械人間のテロ事件。更に、自分たちの事件が一応解決した(未解決のまま終わった)ことを博士に報告した際言われたのが、「科学技術の進歩・発展は、玉石混交ののち淘汰されていくが、そこにある善悪は淘汰されることはない。善は悪になり、悪が善となり得る。それをどう見極めるかが、人の課題だ」だった。

 そして、彼女は決めた。

 工場の工学博士から学び、会社を辞め、彼の伝手で多くの工学博士の元を訪れて学び、人脈を作り、かつて機械人間の国際法を制定に尽力した関係者と会い、各専門家の助言を請い、政府に働きかけ、機械人間の一般への普及と世界基準となる法整備を行ったのだ。

 実際彼女が勤めていた会社でも、一般向けの機械人間の販売を政府に請願していたが、反対勢力により頓挫させられていた。

 彼女の働きかけは、自分の勤めていた――親が重役の職に就く――会社を儲けさせるためだ、と揶揄されもした。結果的には、そうかもしれない。が、大手企業に関わらず、規制のない状態から新規参入を受け入れるためでもあった。但し、同列で並び、一斉に製造・販売をスタートしたら、これまで製造・販売してきた大手が先行するのは当然である。

 彼女がしようとしていたのは、人工的に早急の淘汰を促すためであった。一定の品質基準を定めようが、品質の悪い物が世に出てしまうのは止められない。止めようがない。品質の悪い機械人間が棄てられることだってあり得るのだ。死と乖離した機械人間であろうが、棄てられるのは違う。

 もう一つは、現行の機械人間のシステムである先天的記憶――基本となる人工知能の思考・制御システムを越える新たなシステムの人工脳が開発された場合だった。機械人間のテロ事件――語弊の生じるネーミング――だが、当時それを実行させた犯人は、システムの裏を衝いた犯行であったのは間違いなかった。機械人間が悪意に利用されないために、機械人間を悪意で利用しないために、機械人間の記憶の改変と本体の改造を禁止させ、製造・販売・修理に資格や免許制度を採用し、機械人間の個体識別や携わった資格・免許を持った者たちの履歴を記録し、国が管理すべく登記させる。

 だから彼女は、一般への普及と法整備を急いだのだった。

 だが、反対勢力の力は強大だった。

 一つ一つ積み上げていったものが、無残に崩され、また一からやり直すことはよくあった。論理的に否定されるならまだしも、根拠なき否定で門前払いされることも度々である。そういう者たちを説得することはまず無理。自分の考えが正しいため、論理が通じないのだ。その正しさを論理的に否定すればするほど、正しさの殻を作り、固執してしまう。科学的根拠などどうでもよく、感情論が支配し、議論にさえならないのだ。

 それでも彼女は地道に活動を続け、仲間を集め、世界に訴え続けた。

 その間、公共の場で活躍する機械人間の存在が徐々に認められ、世間は誤解や偏見が人の内から出た身勝手な感情であると理解し、機械人間に対する蟠るものが晴らされていった。そうなると世界の潮流は速く、機械人間の一般への普及へと流れていった。

「お前が決めたこと。わたしが命令したわけではなかろう」

「それはそうですけど……」

「誰かの影響であれ、自分でやり通したのなら、それはお前自身が考え実行したものだ」

「博士にそう言っていただけると嬉しいです」

「事実を言ったまでだ」

「それでもです」

「……」

 屈託のない彼女の笑顔で見つめられ、博士は自分の前にあるカップを取り、一口啜る。

 すると、彼女もそれを真似てカップを取る。

 博士はカップを置きながら、

「それで、ここにきたのは、わたしに褒めて貰いにきたわけではなかろう。お前らは必ず面倒事を持ってくるのだからな」

 と、腐す。

「んっっっ!」

 彼女は思わず口に含んでいたものを吹き出しそうになり、更に持っていたカップを溢しそうになるのを堪えた。どうにか口に含んでいたものを飲み込み、噎せながら反駁を試みるも、それは無理。つかさず着ていたジャケットのポケットからハンカチを取り、口元を押さえ噎せる。噎せながら、『お前ら』とは自分と他に誰のことだろうと思いつつ、問題はそこではなく、『面倒事を持ってくる』という言いがかりである、と。もう一方では、腐すのは博士らしいといえば博士らしいが、それでも……。

「酷いですよ博士、『面倒事』って」

「何がだ。当たっているだろう」

「まぁ、当たってなくはないかもしれませんけど、あのときは依頼を受けてくれたじゃないですか」

「受けようが受けまいが、わたしにとっては面倒事だろ」

「……まぁ、そうかもしれませんけど……」

 さっき言っていたこととは違う、何か言い包められた感で彼女は釈然としない。

 人に言われようが、〈やる〉〈やらない〉は自分で決めることであり、決めた本人の責任である。だがその事柄をどう思うかは、本人の勝手。

「で、用件は何だ?」

 彼女の様子を見て、それこそ面倒臭くなり、博士は問い質す。

 腐すだけではなく、ちゃんと訊いてくれるところが、博士の優しいところだ、と彼女は思う。

「博士なら、機械人間の一般への普及に関する法制化の取り纏めを、御覧いただいてると思うんですが」

 機械人間の一般への普及に関する法制化の取り纏めは、既に公表されており、誰でも閲覧できるようになっていた。これは誰でも疑問があれば質問できるようにしているのと、公平性をアピールするためであった。彼女への揶揄のように、一企業が独占的に囲われるようなものではないが、新規参入者が大手企業より後れを取ることや、リスクが生じることも記していた。

「ああ」

「何か問題の箇所ってありましたでしょうか?」

 彼女は一般への普及と法整備を急いだが、だからといって手抜きはせず、熟考に熟考を重ね、専門家の意見を請い、法整備の骨子を纏め上げた。だが、抜かりないはずの取り纏めなのだが、何かが抜けている感じがしていた。仲間たちと再考するが、見あたらない。見あたらないが、何かがあるように感じる。そこで思い出したのが、博士の存在だった。

「……」

 彼女の質問に、博士は目を瞑り沈黙した。

 部屋はしばし無音――否、何処から鳴っているのか、ジーという音が微かに聞こえる。何かの電気機器が動いている音なのか、それとも耳音響放射なのかは分からない。分かるのは、博士が何も言ってくれないこと。無表情なのは平常のことだが、怒っている風でもない。だから余計に何を考えているか分からないのだ。

「博士?」

 彼女は不安になり訊ねると、博士は徐に目を開けた。

「お前は人間と機械人間の違いをどう説明する? 機械人間の〝機械〟の部分を取り払った前提で、だが」

 機械人間の〝機械〟を取り払うと、それは〝無〟。魂や心という存在の蓋然性の話になってしまう。魂を生命の記憶情報とするなら、機械人間にとって魂は量子になるのであろうか。電子若しくは光子のエネルギー運動が、生命の記憶情報を形成していることになる。しかしそれは、あくまでも魂を生命の記憶情報と仮定した場合である。

 では、機械人間の心とは何なのか、だ。人工脳内の先天的記憶にプログラムされているであろう情報は、人間に対する一定の情報/感情しかなく、相反する情報/感情を抱くことさえない。それは人間の生命への尊厳と言っていい。人間の生命が危ぶまれる破壊も殺人も行わない思考・制御システム。だから理屈で分かっていても、人間の死への戸惑いが起きる。だが、相反する情報/感情――人間への嫌悪や憎悪は一切ない。その情報/感情がプログラムされていないので、当然といえば当然なのだが、果たしてそれは心と言えるものであるのか‥‥

「‥‥分かりません」

 彼女は答えられなかった。〝無〟の存在を証明できるはずがない。〝無〟と人間の比較をどうやってするのだ。

「そうか」

 博士はそう言うと、話を続けた。

「お前たちのしていることは、間違いではない。機械人間の悪用を阻止すべく、人間側を規制するのは当然であろう。わたしはそれを否定するつもりもない。だがな、幾ら法制化し刑罰を設けても、悪用しようとするヤツは必ず出てくる。資格・免許制度にしたとしてもだ。思い出してみろ、警備用機械人間にウイルスを入れたヤツは、機械人間工学博士だったのか? ウイルスを開発したヤツがどんなヤツかも分からない。あの爆弾事件でも、機械人間に爆弾を仕込んだのは、一般の人間だったのではないか? それにお前の目の前にいる人間は、博士号のない人間だぞ。少し学べば博士号取らずとも、プロの素人が機械人間さえ作れてしまう」

 彼女はハッとした。そうなのだ。目の前にいる『博士』と呼んでいた人間は、自分が調べた限りでは、何処の研究機関にも在籍した形跡がなかった。博士を紹介してくれた者に一度訊いたことがあったが、その者も分からないまま何故か博士と呼んでいたという。それなのに、当時、機械人間工学博士の中でもトップだった社の博士以上に、警備用機械人間を作っていた自分たちよりも、博士は機械人間を熟知していた。

 警備用機械人間にウイルスを侵入させるのは、機械人間工学を学ばずとも誰でもできたのは確か。コネクタの形状が違うだけで、要領は携帯情報端末にコネクタを差し込むのと同じ。機械人間に爆弾を仕込むのは、機械人間の特性を知り、逆手に取っただけで、それ以上の知識は必要なかった。実際に捕まった犯人は、機械人間工学を学んだこともなく、機械人間の製造にも携わったことのない人間だった。

 機械人間工学を学んだとしても、必ずしも博士号を取るとは限らず、尚更、資格・免許を取るとも限らない、知識と技術を持つ人間が現れるのは否めない。現に目の前の博士がそうなのだから。

「博士はともかく、ですから、その‥‥淘汰されるのを待つしか……」

「時代の趨勢に逆らえぬのはそうであろうが、ではその淘汰されるまで、いったいどれだけの機械人間が捨て置かれるのだ?」

 彼女は声を荒げて反論した。

「そのためにも――」

 だが、継ぐ言葉が出なかった。

『死から乖離した機械人間であろうが、棄てられるのは違う』。そう思ったから法整備をしようとした。感覚的に違うと思ったから、論理的に構築しようとした。秩序を作れば無秩序はなくなると思った。だが、これまで機械人間の一般への普及を進めても、いつも心のどこかで何かが居座り、「何がどう違う」と自分に呼びかけてきていた。

 彼女への呼びかけは、確たる声ではなかった。だから聞こえなかった。

「いずれ現行の先天的記憶システム以上の物が出回る。悪意に曝された機械人間を、誰が見つけ、引き取り、無償で修理してやるのだ?」

 博士は以前変わらぬ口調で‥‥否、若干ではあるが彼女を諭すように話しかけた。

 機械人間を守るために人間側の規制に躍起になり、本来の目的である機械人間のことが疎かになった。自分が纏めたのは、有償で行う者たちへの開かれた自由市場。資本主義が齎す弊害によって、機械人間自体が厳しい状況に曝されるなど考えもつかなかった。『機械人間製造会社重役の娘』と揶揄されて当然だった。『品質の悪い機械人間を作らせない』などと宣って、思い上がりも甚だしい。品質の悪い機械人間? 作らせない? 淘汰される? 機械人間を品質という言葉で区別していただけではないのか? 自分こそが、傲慢で、品質の悪い人間ではないのか? 淘汰されるべきは自分ではないのか?

 秩序を作れば、その秩序を壊そうとする無秩序が生まれ、秩序の壊れた混沌から、何万体もの壊れた機械人間の手足、胴体、顔が、悲鳴も苦痛の声をも上げず、ただ無言で彼女を覗き見ていた。現実ではない、近い未来から現れた機械人間の亡霊。善き未来を想像していた彼女だったから、気づかず、見えなかったのだ。

「そういった機械人間が、自ら出向くことはない。組織、国が秘密裏にやっていたのなら尚更隠し通す」

 人間の生命への尊厳はなく、生命を脅かす破壊と殺人を行う、人間への嫌悪や憎悪の思考・制御システムの機械人間。

 昔、社の工場ゲート前に反機械人間主義者たちが集まっていた。仲間がそれを揶揄して、『その内、ゲート前に集まる連中、機械人間にやらせてたりしてな』、と笑っていたことを思い出した。オチとしては、『破壊や殺人の思考がないから、ただの睨み合い』だったが、今やジョークではなく、機械人間同士の争い、戦争へと人間が発展させることだって考えられるのだ。

 法とは、それを遵守しようとする者たちだけの概念。法の下から外れた者たちにとっては、法など存在していないと同じ。幾ら法整備したところで、影響力も強制力も及ばない。

「どうすれば‥‥いいのでしょうか?」

 彼女は両手で顔を押さえ、絞り出すように声を発した。人間と機械人間にとって善き未来を築こうとしてきたつもりだったが、結果それは悪い面までもが自由に蠢かせてしまう。自分のしてきたこととはいったい何だったのか分からなくなった。

「そういった機械人間を見つけ、ケアする人間が必要だろうな」

 機械人間を修理する人間。

 彼女は顔を上げ、博士を見つめた。

「機械人間の修理師」

 だが、彼女は自分の発言を打ち消した。

「仮にそんな奇特な人がいたとして、無償でできる範囲は限られます。それに、その者の生命が脅かされる事案だって発生しかねません」

「世の中には危険を好む――否、それだと語弊があるな。危険を顧みず、と言うべきだろうな。いずれそんな奴がいるのだよ。だから〝奇特〟と言うのだ」

「ですが、無償で、それに場所もなく、どうやって修理するのです?」

 博士はそれを聞き、口の片方の口角を少し上げた。

「お前は『機械人間製造会社重役の娘』と揶揄されているのだろ。それならいっそう頼んだらいいではないか?」

「父に‥‥ですか?」

 奇特な人と会社経営を繫げると、それは正規・サブディーラーと何ら変わりなく、それでは意味がないという話をしていたので、どう繫がるのか理解し難かった。

 不思議がる彼女に博士は呆れていた。

「お前は重役の娘でありながら、会社経営のことを、何も分かっていないようだな」

 そう皮肉られても、と彼女は思うが、確かによく分かっていないのは事実だった。まさかと思うものの、その考えには技術的に可能だが、博士の言う『会社経営』にあたらない。法の制限もある。それにゼロ知識の問題が起きた場合、対応できない。

 彼女は改めてどういうことか博士に訊ねたが、博士は「後は自分で考えろ」と言う始末。引き下がるほかなかった。それでも博士の助言で幾何かの兆しは見えた。

 彼女は博士に礼を言い、ハウスキーパーに見送られ家を後にした。


 彼女を見送ったハウスキーパーは、博士の居る部屋に行くと、テーブルの上に置かれたカップを片付けた。そして、ソファに座る博士の顔を覗き見る。

「嬉しそうですね」

 ハウスキーパーに言われ、

「ん、そうか? お前がそう言うならそうなんだろうな」

 博士は冷めたカップに口をつける。

 それを見たハウスキーパーが、温かいものに淹れなおすか訊ねると、博士は断り、持っていたカップをハウスキーパーに渡した。

「彼女を脅かしてばかりいるから、どうなるかと思いました」

「わたしは事実と、起こり得る話しかしていない。自分で気づいていないのが悪いだろ」

「そうは仰っても、ちゃんと彼女にお教えしているんですから。最後は意地悪でしたけど」

「総て教えてしまっては、あいつ自身のためにならない」

「気高き理想は責任を要す(ノーブル・イデアレ・オブリージユ)」

「……」

「傍観者でいるつもりが、ご自身でも動かれる。私はいつも博士のお側におります」

 ハウスキーパーはそう言うと、部屋から出て行った。



 博士の屋敷を出て、彼女は自分の父親にアポイントメントを取った。急な連絡にもかかわらず、会う約束は快諾された。寧ろそれを待ち望んでいたかのようだった。国のエアポートに降り立つと、会社の専用航空機が待機していたくらいで、流石に父親が乗っての出迎えではなかったが、それでも親バカを拗らせていた。

 専用機が向かったのは本社ではなく、懐かしき工場の方角。

 しばらくして眼下に工場が見え、懐かしい光景も垣間見、次第に近づく工場の屋上に専用機が着陸した。ハッチが開かれ彼女が降りると、出迎えてくれたのは懐かしい面々と、自分が辞めた後に入社した者たちだった。

 年嵩と恰幅が増していた統括責任者の女。開発責任者の機械人間工学博士の下で共にいた男――今は彼が開発責任者となっていた。二人の他にもう三人おり、一人は副統括責任者という肩書きで、統括責任者の女とは体格が反比例したやや痩身の女だった。もう二人は、開発責任者のアシスタントをしている男女。

 二人とは旧交を温め、三人とは初めましての挨拶。殊に開発責任者のアシスタントをしている男女からは、羨望の熱烈な歓待を受け、彼女がたじろいでいた。

 困る彼女を見かねて二人を制したのが、副統括責任者の女だった。

 すると統括責任者の女が、副統括責任者の女を彼女の前に立たせ、

「見憶えないかしら?」

 と、クイズを出してきた。

 そう言われるまでもなく、副統括責任者の女を見たとき、何処かで会っているような気がしていた。

「?‥‥! あっ、貴女」

 彼女は思い出した。これまで二度会ったことがあった。一度は、国際平和機構の建物の中で。二度目は‥‥

「生前、祖父がお世話になりました」

 ‥‥数年前、元開発責任者である機械人間工学博士の葬儀の場だった。

「いえ、こちらこそ。博士には、ここではもちろん、お辞めになった後も色々とご尽力賜り、感謝してもし尽くせないほどです」

「そう言っていただけると、祖父も喜びます。貴女のご活躍を、自分のことのように喜んでおりましたから」

 副統括責任者の女はそう微笑んだ。

 その横で統括責任者の女が目を潤ませ、

「歳を取ると涙が涸れるって、アレ噓ね」

 ハンカチで涙を拭っていた。

「この娘、博士の付き添いで国際平和機構に行ったとき、あなたを見て、ウチの会社に入ると決めたのよ‥‥」

 鼻をぐずらせながら説明する。副統括責任者の女は、機械人間工学を学んではいなかったが、法学と経済学を学んでいた。

「‥‥いつかあなたの役に立ちたいって。この二人もそう、あなたのようになりたいって」

 そう言われた彼女は、自分のしてきたことは間違いじゃない、と思った。博士の屋敷で、世界を巻き込んだ自分の独りよがりだと気づかされ、打ち拉がれ、それでも自分で始めたことを最後までやり通すのが責任だと思い、小さな光明に縋った。自分の言動で工場のゲート前の人数が増えていたが、三人のように自分を思ってくれている人もいたことに、初めて気づかされた。

「ありがとうございます」

 彼女は心から感謝した。

「感動のところアレだけど、皆さん俺のこと忘れてないですか?」

 現開発責任者の機械人間工学博士の男は、自分の存在を――

「さぁ、専務がお待ちです。参りましょう」


 エレヴェーターの中で、一悶着の原因である開発責任者の男を宥め賺すなどを経て、彼女は自分の父親の待つ部屋の扉を開けた。

 パンッ

 扉が開くなり、彼女に向けて迫撃砲が鳴り響き、辺りにキラキラ光る物が舞い踊り、部屋の奥で三人横並びで拍手し、

「お帰りー」

 と声を上げていた。

 サプライズ出迎え。

 彼女は驚きながらもその三人をよく見ると、中央に父親。向かって右隣に長年勤めている父親の秘書。そして左隣には、何故か母親が立っていた。

「ママ、何でいるの!」

「パパに呼ばれたのよぉ」

 と、嬉しそう。

「っていうか、その恰好は何っ!」

 三人の頭には羽が生えた円錐の帽子、顔には眉毛と鼻と口髭が誇張されたメガネがかけられていた。

「あひゃっあひゃっ、あーひゃー」

 中央に立つ父親が円錐の帽子の羽を羽ばたかせ、「あひゃっ」と奇っ怪な音と共に口髭の下から赤い舌のような物をピロピロと靡かせ、娘の問いに答えていた。どうやら息を吹き込むと音が鳴り、同時に巻かれていた舌が膨らんで伸びる仕組みのようだ。

 パタパタパタ

「あーひゃーあひゃっ」

 ピロピロピロピロ

「ちゃんと喋って!」

 彼女の怒りは頂点に達した。


 部屋の中で、一悶着の原因である彼女を宥め賺すなどを経て、皆はテーブルを囲みイスに座った。が、

「何で三人ともソレ取らないのよ」

 三人は円錐の帽子と鼻メガネをかけたまま。父親は元々こういう人で、母親も似たような人であるからまだ分かるのだが、父親の秘書がそういう人だと思わなかった。父親のソレをうらやましそうに見ている。おまけに苛つかせるのは、三人で帽子とメガネの色分けをそれぞれしていること。エアポートで出迎えなかったのは、コレをするためだと気づき、いっそう苛立った。

 統括責任者と副統括責任者の二人に宥められ、不承不承ながら彼女は博士の屋敷での顚末を話した。

 自由とは、法の下で約束された権利であると認識していたが、その法の外でも自由に振る舞う人間の存在から目を背けていたことで、機械人間が人間や他の機械人間を危険に貶める道具となり得るのだと気づかされ、皆は唸るような声を漏らす。口を挟むこともできず、ただ彼女の話を聞いていた。

 必ずしも危険な機械人間だけではなく、違法な機械人間が作られる可能性もあり、そう言った機械人間を保護し、ケアできる人材――修理師が必要になる。だが、利益を生まず、修理師が存続できるような環境、受け皿がない。

「博士に『お前は会社経営のことを、何も分かっていない』って言われたの。それ以上説明してくれなかった。父に頼めとはどういうことなのか、わたしにはさっぱり分からない……」

 腕組みをし、娘の話を黙って聞いていた当の専務は、彼女が言い終わると口を開いた。

「なるほどな、要はアレだ。我が社が出資して、非営利団体を立ち上げろってことだ」

 羽は止まり、変な音と舌はしまわれ、依然帽子と鼻メガネは彼のあるべき処に収まったままだったが、娘の話から博士の意図を酌んでいた。

「非営利団体?」

「その修理師とやらの受け皿となり、機械人間を無償で修理する場だ」

「そうですね」

 そこに口を挟んだのが副統括責任者だった。

「非営利団体に我が社が出資すると、税金対策にもなります」

「世間的に我が社の好感度も上がる。それに、我が社以外の機械人間の情報も無料タダで得られる」

「非営利団体運営に、保護した機械人間を売れば、利益はありませんが、修理師、従業員、機械人間にかかった経費は、ちょい赤字。国からの補助金があればトントンにできます」

「買って貰った客には、社のディーラーを利用して貰える。儲けはそっちから得られればいい」

 何故か、専務と副統括責任者の二人で話が盛り上がっていた。

「よし、そうと分かれば政府に談判だ。お前には非営利団体の立ち上げと代表理事を任命す」

「はい! ありがとうございます」

 盛り上がり過ぎである。その内の一人は、もはや成功して祝賀パーティーで盛り上がり、手のつけられない状態となっていると見られても致し方ない恰好である。

 部屋の中で、一悶着の原因である二人を宥め賺すなどを経て、皆は落ち着くとにした。



 ‥‥一般への普及に伴い、人間及び機械人間への嫌悪や憎悪、殺傷、破壊の思考・制御システムを組み込んだ人工脳の製造・販売・修理の禁止。資格・免許のない者による機械人間の製造・販売・修理の禁止。法と刑罰の施行。

 そして、機械人間の保護を主とした非営利団体の設立と、修理師の免許制度や登録制度などが付け足され、一般への販売が開始されたのだった。

 基本となる人工知能の思考・制御システムである、先天的記憶〝本能〟が公開されて五〇年以上の歳月が経っていた。開発者である科学者は、疾うに亡くなっているのであろう。



 彼女はふと思い出し、後で博士に、両価性の心を持った機械人間は人間になるのであろうか、訊いてみようと思った。それに博士との間を繫いでくれた恩人にも連絡しよう、と。

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