10
刑事との数秒の沈黙の後に、男が自宅のドアを開けようとすると刑事の方から話しかけてきた。
『お疲れ様です。』
『いえ、どうも。』
と、必要最低限の答えを男は、世間のやり取りのそれっぽさを用いた空気感を含んで返してみた。いつも通りだ。
刑事は間髪入れずに尋ねる。
『で、どうでした。』
『どうでした、とは?』
受け答えがなんだかドラマチックでいい雰囲気だ。ここで煙草が吸えれば、雰囲気のよさに拍車がかかるのだが、生憎、ここは禁煙なので男は我慢した。自宅のドアポストに挟まっている新聞を取り上げると刑事が先程よりも近づき、まくし立てる。
『理由は分からないが、満足したのか。という意味で聞いている。わかると思うが、私も君と同様、疲れているのでね。不快に感じたらすまないね。』
図々しい。ほんとに警察という組織はこんな人間しか雇えないようになっていはのではないかとさえ思える。
『満足とは、よくわかりませんね。元同級生の葬儀に行っただけなので。そりゃあ少しは悲しいですし、葬儀とは気疲れするものでしょう。』
『警察を巻き込んでまで、自らの目標を達成した気分はどうかと聞いている。』
間髪を入れない刑事の問いかけに、どこか可笑しくなり男はニヤつきを隠すのに必死になりながら答えた。
『何を言うんですか。巻き込んだも何も、お互い無関係でしょう?そうでしょう?あの時間、私はただ家にいましたし、あなただって仕事中だった。そうでしょう。』
『いや違う』刑事は顔を赤くして声を荒らげた。
『お前が殺したんだ。お前が。』
唇が震えている様をみると、どうやら余程、頭に血が登っているようだ。
『だから何を言うんです。僕じゃありませんよ。家にいたと言っているでしょう。刑事さんね、あなた、きっと混乱していますよ。』
どうやら込み上げる感情のせいで錯乱しつつある刑事をなだめるように男は続ける。
『僕ね、本で読んだことあるんです。 人間の脳はほんの少しのストレスで物事を測り違えるようになったり、自分を見失ったり、目的、ゴールは何処か、もはや自分が何者なのか分からなくなったり。兎を狩ろうとしてたのに蝶を追いかけるようなことがね。でもそれは悪いことじゃない。追いかけてる最中、兎を蝶だと、蝶を兎だと見間違えることもあると言う事です。要は、段々訳が分からなくなっておかしくなるって事です。どうです?心当たりがありませんか?疲れているんでしょ?』
今の君みたいだな。おい、君だよ。君。
刑事は黙って男の足元をみている。男は追撃を心に決める。
『僕のことは好きに調べてもらって構いませんよ。どうぞ職場でもなんでも、調べてください。何もめぼしいものは出てきませんよ。既に、そのくらいは知っているでしょうけどね。』
うるさい、と刑事は怒りを表しにて男の追撃を止める。
『俺は錯乱していない。普通だ。おかしくなんか無い。』はあはあと息を荒らげながら、数秒間を置いたあと、刑事は罰が悪そうに一言『すみません。』と男に詫びた。
『私の一方的な考えで不快な思いをさせてしまいました。申し訳ない。また後日お伺いします。』
どうにもこの場を去りたくなって仕方なかったのであろう、一瞥もくれず刑事は男に背を向けた。
この時であった。男は遊び心を思い出した。それはそれは意地が悪い、最低のものであると知りながらしかし、男にとっては極上の遊び方である。
『僕のことを覚えていないですか。』
ただ1つの質問を刑事に投げかけてみた。
『どこかであるはずですよ。どこかで。』
男は優しく刑事に問いかける。
男の家の隣にある中学校の下校のチャイムがなり初めてからなり終わるより早く刑事は気がつき、先程までの怒りに任せたものと違う声色で大声を出した。
『ああ、君は。』
そう、気づけばこの刑事とも、同級生であったのだ。
まるで3人だけの同窓会。会場は男の自宅前。といっても、1人は殺してしまったが。
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