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呻いた。声になってはいない様な声だった。

なぜこんなことを思い出そうとしたのか。永劫にも近しい久方の剥き出しの怒りの感情と、その露呈に最も驚くべきは男だった。

思い出した瞬間、脂汗を吹き出しながら立ち尽くし、それからテーブルの上に残っていたマグカップは突然その寿命を男に刈り取られ今や小さな破片の集まりとなった。


高校2年だ、そこが分岐だった。自らその分岐を進んだのなら納得が行くのだ。

凡そ、神と呼ぶに相応しい存在が男の人生をそう仕向けたのだろうから、文句も言えぬ。この怒りをぶつける所がないのだ。

男は、自らを孤独にした根源たる奴を忘却の彼方から呼び戻してしまった。己の責任なのだ。

奴が男の人生に登場するまでは、男はなに不自由なく、普通の、何を普通とするかは人それぞれであるが、所謂、『普通』の人生であった。もしくはそれ以上であったと思う。

恋に心を踊らせたり、急な抜き打ちテストで一憂したり、部活の試合で負けて悔し涙を流して、母の愛に触れて笑顔を零し、父の厳しさに感謝する、健全な、普通の人生を送っていた。と思う。そんな記憶がちらほらと蘇っていた。


が、4月の後半、新しいクラスに馴染み始めた頃、彼は転校してきた。それがAだ。

思い返すとその頃から凶悪な人間だった。男をクラスから、学校から完全に孤立させた奴だった。よくある話だがはじまりは些細なものであった。プライドが高い彼のカンニングを注意したことであった。奴の築き上げた大きなプライドを壊してしまったのであろうが、奴はカンニングなどせずとも頭が良かったのに。

当時の男は虚ろな現在と違い、ただ快活な青年であったため、それを良かれと思って注意をしたのだ。その翌日、男と口をきくクラスの友はいなくなった。奴は如何せん頭がよかった。自分の手を汚さずして、1人を孤立させることなど容易なことであった。それから卒業まで、上履きの中に画鋲を入れられるとか、トイレの個室の中で水をかけられるとか、登校してみたら机の上に花瓶と花が置かれているとか、そんなことはなかった。ただ一つだけ、『誰も口をきいてくれなくなった』のだ。

ただ、それだけ。冷や汗でシャツを変える日が真冬も続いた。卒業までは、と、両親の為を想い耐え忍んだ男は、卒業した途端に生気を失った。何ヶ月も誰とも口をきかず、現在務めている会社に就職する際の面接でおよそ2年ぶりに人とまともに口をきいたのだった。

その間に男は孤独に苦しんだのではなく、順応してしまっていたのだ。それに抗ったり、悲しんだりするのではなく、それをそれで良しとしてしまったのだ。

それからというもの、何をしても植物のような男になってしまった。


ひとしきり思い出したところで自分が初めて会社に遅刻しそうなことに気づいた。

初めての遅刻に、男はそこはかとなく焦燥した。

そして記憶だけではなく他の何かが男の中で蘇っていることは見て見ぬふりをしておいた。

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